第33話 誰にでも効くということ
探索者ギルド深縁市支部の会議室は、相変わらず無機質だった。
白い壁、硬い椅子、資料の山。ダンジョン絡みの話をするには、やけに現実的すぎる空間だ。
俺は壁際の席に腰を下ろし、腕を組んだまま扉を見ていた。
――来たか。
ノックもなく扉が開き、鷹宮刹那が姿を現す。
戦闘帰り特有の張り詰めた空気はなく、足取りも軽い。無理をしていない。それだけで、胸の奥に溜まっていたものが少しだけ下がった。
「お疲れさまです、店主」
「怪我は」
「ありません。想定通りの範囲です」
それ以上はいらなかった。
刹那は会議室中央の席に着き、端末と紙の資料を机の上に整然と並べる。
周囲には数名のギルド職員。
現場経験の長そうな中年と、記録担当らしい若手。それから、支部長代理が一人、少し離れた席に座っている。
「では、鷹宮探索者。今回の実働検証について、報告をお願いします」
淡々とした進行役の声に、刹那は一度だけ頷いた。
「検証対象は、一般販売用の“かくりよ亭製バフ弁当”です」
俺は、内心で覚悟を決める。
結果がどうであれ、逃げ場はない。
「未開封状態では、モンスターの反応は確認されませんでした。索敵行動もなし」
職員たちが一斉にペンを走らせる。
「しかし、開封後。匂いが周囲に漏れた段階で、嗅覚依存の索敵行動が発生しました。視界を切っても、一定距離まで追尾を継続します」
……やっぱり、匂いか。
「弁当を地面に設置し、摂食させたところ――」
刹那は、そこで一拍置いた。
「モンスターにバフ効果が付与されました。体毛の変色を確認。反応速度、身体能力の上昇あり。防御力の顕著な変化はありません」
会議室の空気が、わずかに重くなる。
「結論として。かくりよ亭のバフ弁当は、モンスターにも有効です。索敵誘発および戦力強化のリスクが存在します」
刹那は俺の方を一瞬だけ見て、続けた。
「検証対象はすべて処理済みです。追加被害はありません」
その言葉に、何人かの職員が安堵の息を吐いた。
支部長代理が頷き、話を引き取る。
「貴重なデータをありがとうございます。では次に、比較対象について」
別の職員が資料をめくり、口を開く。
「西園寺グループが提供している“バフおにぎり”についても、同様の検証を行いました」
俺は、無意識に眉をひそめた。
「結果ですが――モンスター側への反応は確認されていません。索敵行動、摂食、バフ付与、いずれも未確認です」
……そう来るか。
「匂いへの反応もごく弱く、通常の携行食と同等、あるいはそれ以下と判断されます」
職員は淡々と結論を述べる。
「同じ“バフ”を冠していますが、性質は明確に異なると考えられます」
刹那が、静かに補足した。
「体感としても違います。西園寺のものは、人に対する補助。店主の料理は……作用の仕方そのものが違う」
会議室の視線が、今度は完全に俺に集中した。
俺は、腕を組んだまま、しばらく黙り込む。
頭の中では、刹那の報告と、これまでの経験が高速で噛み合っていく。
――おかしい。
俺は、ゆっくりと口を開いた。
「一つ、確認していいか」
「どうぞ」
「今回使ったのは、一般販売用の弁当だな」
「はい」
「刹那が普段持ってる“専用弁当”じゃない」
刹那が小さく頷く。
「専用弁当については、同様の反応は確認されていません。これまでの探索でも、モンスターが異常反応を示したことはありません」
……だよな。
俺は、そこでようやく腕をほどいた。
「じゃあ話は早い」
全員の視線を受け止めたまま、言葉を続ける。
「原因は、俺のスキルの使い方だ」
会議室が静まり返る。
「《かくりよの手》は、本来“食べた相手に合わせて作用を調整する”スキルだ。
刹那に作ってる専用弁当は、刹那にしか最適化してない。人間、それも探索者限定だ」
刹那が、はっとしたように目を見開く。
「でも、一般販売用は違う」
俺は、少しだけ視線を落とした。
「誰が食っても、同じように効果が出るように作ってる。
探索者、非探索者、体格、魔力量……全部まとめてだ」
言葉にした瞬間、はっきりと理解した。
「――だから、モンスターにも効いた」
職員の一人が、思わず息を呑む。
「“誰でも食べられる”ようにした時点で、対象を“人間”に限定しなくなってたんだ」
俺は、苦く笑う。
「料理としては正解だった。
でも、ダンジョンの中じゃ……間違いだったな」
支部長代理が、重々しく頷いた。
「つまり、意図的に対象を限定すれば……」
「ああ。少なくとも、今の結果は防げる」
俺は即答した。
「問題は、その調整をどこまで公に許容するかだ。
ギルドが管理するなら、俺も従う」
刹那が、静かに口を開く。
「店主……私の専用弁当が安全なのは、そのためだったんですね」
「最前線に立つやつに、余計なリスクは背負わせねえ」
それだけは、譲れない。
会議室は、再び沈黙に包まれた。
だがその沈黙は、混乱ではなく、理解に近いものだった。
――ここからだ。
俺は椅子に深く腰掛け直し、ギルドが次に出すであろう判断を待つ。
この問題は、もう料理屋一軒で抱え込める段階じゃない。
だが同時に、確信もあった。
制御できる。
《かくりよの手》は、まだ俺の想像以上に融通が利く。
そうでなければ、ここまで来られるはずがない。
会議室の時計が、静かに秒を刻む音だけが響いていた。
会議室に落ちた沈黙は、重いが不快ではなかった。
刹那の報告と、俺の説明が噛み合い、全員が同じ地点を見ている――そんな感触があった。
支部長代理が、ゆっくりと資料を閉じる。
「……本件について、結論はここでは出せません」
誰も異論を挟まなかった。
むしろ、当然だ。
「影響範囲が広く、判断を誤れば探索者全体に波及します。ギルド本部とも協議が必要です」
そこで一度、視線が俺に向く。
「ただし」
その一言で、空気が少しだけ変わった。
「個人的な見解として、申し上げます」
“個人的”。
だが、支部長代理の立場でその言葉を使う意味は、全員が理解していた。
「大崎さん。あなたのこれまでの行動、実績は確認しています」
資料の一枚を指で叩く。
「第四区画スタンピート。
直接の戦闘参加はなし。
にもかかわらず、後方支援と炊き出しによって、負傷者数を劇的に抑えた」
別の職員が、静かに補足する。
「精神安定効果を重視した料理によって、避難所での混乱や衝突を防いだ事例も、正式に記録されています」
俺は、何も言わなかった。
言い訳も、誇示もするつもりはない。
「そして、現場判断を誤らなかった」
支部長代理は、真っ直ぐに俺を見る。
「利益や評判よりも、“できること”を選んだ。その姿勢は、ギルドとしても高く評価しています」
……評価、か。
「ですので」
彼は、少しだけ声を和らげた。
「今回の件についても、まずは再確認と整理を行います。
スキルの作用範囲、対象限定の可否、安全基準の策定」
一拍。
「それが済んだ後であれば――」
俺の目を、正面から捉える。
「これまで通り、バフ弁当を販売していただいて構わない。私は、そう考えています」
会議室の空気が、はっきりと緩んだ。
刹那が、ほっとしたように息を吐くのが分かる。
「もちろん」
支部長代理は続ける。
「最終判断は、正式な協議を経てからです。
ですが、その間に一方的な販売停止や、過剰な規制を行うつもりはありません」
俺は、ゆっくりと頷いた。
「……了解した」
それだけで十分だった。
「調査への協力、感謝します。引き続き、情報共有をお願いします」
形式的な締めの言葉。
だが、その裏にある信頼は、確かに伝わってきた。
「では、本日の会議はここまでとします」
支部長代理の宣言で、椅子が引かれる音が重なる。
資料をまとめる職員たちの動きの中、俺は立ち上がり、刹那を見る。
「帰るぞ」
「はい、店主」
会議室を出る直前、支部長代理がもう一度だけ声をかけてきた。
「大崎さん」
振り返る。
「……現場を知っている人間が、料理を作ってくれている。
それは、探索者にとって何より心強い」
俺は、軽く肩をすくめた。
「料理屋だからな。腹減ったやつに、ちゃんとしたもん食わせてるだけだ」
そう言って扉を閉める。
廊下に出ると、ギルド特有の乾いた空気が肺に入った。
結論は先送り。
だが、信頼は置かれた。
――十分だ。
俺は足を止めず、次にやるべき仕込みの段取りを、頭の中で組み始めていた。




