第31話 モンスターはバフ弁当を食べるのか?
数日後。
かくりよ亭の入り口には、久しぶりに**「本日臨時休業」**の札が掛かっていた。
理由は単純だ。俺たちは今、店ではなく――探索者ギルドに来ている。
深縁市探索者ギルド支部。
ダンジョン第四区画の最寄りに建てられた、灰色のコンクリート造りの建物だ。
探索者ギルド。
ダンジョンへ潜る探索者の登録・管理・支援を行う国際組織で、世界中のダンジョンに対して横断的な権限を持つ。
各ダンジョンの最寄りには必ず支部が置かれ、探索者の安全確保から装備・物資の斡旋、報告の集約までを一手に担っている。
そしてもう一つ。
スタンピートをはじめとした大規模災害時には、国から特例的な徴兵権を預かる――
平時と有事で顔を変える、重たい役割を背負った組織でもある。
そんな場所に、俺が足を運ぶ日が来るとは思っていなかった。
自動ドアをくぐると、広いロビーに冷たい空気が流れている。
探索者たちのざわめき、受付の呼び出し、装備の金属音。
全部、懐かしくもあり、今となっては少し距離を感じる音だった。
「高瀬理央様ですね。お待ちしておりました」
声をかけてきたのは、スーツ姿のギルド職員だった。
年齢は三十代半ばといったところか。無駄のない所作で、理央に軽く頭を下げる。
「本日はお時間をいただき、ありがとうございます」
「こちらこそ。ご連絡いただいていた高瀬です。本日はよろしくお願いいたします」
――さすがだな。
連絡のやり取りを全部やってたのが理央だってのは、見てりゃ一発でわかる。
その流れで、俺たちにも視線が向けられた。
「かくりよ亭の店主、大崎悠斗だ」
「同じく、かくりよ亭の従業員、鷹宮刹那です。今日は調査協力で来ました」
刹那が淡々と名乗り、軽く会釈する。
ギルド職員の目が、一瞬だけ彼女に留まったのを俺は見逃さなかった。
――若手最強、の肩書きは、ここでも健在らしい。
「本日はお越しいただき、ありがとうございます。皆さんをお呼びしたのは――」
職員はそう前置きし、少しだけ声を落とす。
「かくりよ亭様の料理が関係している可能性がある、ダンジョン内モンスターの異常行動について、直接ご説明とご相談をさせていただきたく」
俺は一度、息を吸った。
探索者を辞めてから、もう何年も経つ。
だがこうしてギルドの建物に立つと、嫌でも思い出す。
命を懸ける場所。
そして――命を預かる場所だ。
「……話、聞かせてもらおう」
俺がそう答えると、職員は静かにうなずいた。
「では、会議室へご案内します」
その背中を追いながら、俺は無意識に拳を握っていた。
これはまだ、調査だ。
だが、もし本当に――俺の飯が、ダンジョンに何かを起こしているのだとしたら。
その責任から、目を背けるつもりはなかった。
会議室は、ロビーの喧騒が嘘のように静かだった。
白い壁、長机、壁際に設置されたモニター。
探索者ギルドらしい、機能性だけを突き詰めた空間だ。
俺、理央、刹那が席につき、向かいにギルド職員が二名。
記録担当らしい若い職員が端末を立ち上げ、先ほどの担当が説明を始めた。
「まず、今回の件で想定される危険性についてお話しします」
職員はそう切り出し、モニターにいくつかの箇条書きを表示する。
「前提として、モンスターは通常、人間や装備に付随する食料を“餌”として認識しません。
それが変化した場合、いくつかのリスクが考えられます」
一つ目、と指を立てる。
「探索者の行動パターンが崩れます。
休憩、補給、撤退――本来安全とされていたタイミングで、モンスターが寄ってくる可能性が生じる」
つまり、油断できる瞬間が消える。
「二つ目。モンスターの集団行動の誘発です。
匂い、魔力反応、あるいは未知の要因によって弁当が“目的物”として認識されれば、個体が集まりやすくなります」
スタンピートほどではなくとも、局所的な密集。
浅層・中層では、それだけで致命傷になりかねない。
「三つ目が、最も厄介です」
職員は一瞬、言葉を選んだ。
「モンスターが“学習”する可能性です。
特定の匂い、容器、所持者を覚え、探索者を“弁当を運ぶ存在”として追跡する――
そうなれば、ダンジョン内の危険度は恒常的に上がります」
俺は、黙って聞いていた。
どれも、現場を知っている人間の視点だ。
大げさでも、脅しでもない。
「以上が、現時点で想定される主な危険です」
ギルド職員は一度区切り、俺たち三人を順に見た。
「結論から申し上げますと、本日の実働は鷹宮刹那さんお一人です。
大崎さんがダンジョンに入る必要はありません」
俺はわずかに眉を上げ、刹那を見る。
刹那はすでに理解しているという顔で、小さくうなずいた。
「実験の目的は、“かくりよ亭の弁当を実際に携行した状態で、モンスターの挙動がどう変化するか”を確認することです」
モニターに、簡易的なフロアマップが映し出される。
「場所は第四区画・浅層。
討伐を主目的とせず、あくまで観察と記録を優先します」
職員は淡々と続ける。
「鷹宮さんには、大崎さんが本日用意していただいた、通常と同一工程で作られたバフ弁当を携行してもらいます。
弁当は開封せず、携行状態で移動する区間と、意図的に取り出す区間を分けて行動していただきます」
――つまり、囮役だ。
「確認項目は主に四点です」
画面に箇条書きが並ぶ。
「一、弁当を携行しているだけで、索敵範囲や接敵頻度に変化が出るか」
「二、通常であれば無視される距離・個体が、進路上に寄ってくるか」
「三、開封した際、匂いや魔力反応によって行動が加速するか」
「四、移動をやめた場合でも、追従行動が継続するか」
どれも、探索者にとっては笑えない項目だ。
「戦闘が必要になった場合は、鷹宮さんの判断で即座に排除してください。
危険度が想定を超えた場合は、そこで実験を中断します」
刹那が静かに口を開く。
「了解しました。
弁当の扱いは、通常の探索時と同じでよろしいですね」
「はい。むしろ“いつも通り”であることが重要です」
職員はうなずいた。
「大崎さんには、ダンジョン外で待機していただきます。
弁当の調理条件、素材、保管状態については、帰還後に改めてヒアリングさせてください」
俺は腕を組み、短く息を吐く。
「……要するに、俺の飯を持って歩いてもらって、
モンスターがどう出るかを見るってわけだ」
「はい。率直に言えば、その通りです」
義務はない。
だが、この実験が今後の安全基準を左右する可能性があるのも、よくわかる。
「わかった。協力する」
俺がそう言うと、刹那が一歩前に出た。
「店主の弁当を持って実働します。
必ず、無事に戻ります」
その言葉に、俺は短くうなずいた。
こうして本日の方針は決まった。
俺はダンジョンには入らない。
だが――
俺の作った弁当が、刹那とともにダンジョンへ向かう。
それだけで、胸の奥に、言いようのない重さが残っていた。
会議室を出る前、俺は一度だけ理央に目配せをしてから、持ってきていた保冷バッグを足元に置いた。
「……ちょっと待て」
全員の視線が俺に集まる。
俺はバッグの口を開け、中から一つだけ弁当箱を取り出した。
黒地の、見慣れた容器。
だが中身は――今日の実験用に、少しだけ“変えてある”。
「刹那。これを持ってけ」
差し出すと、刹那は一瞬だけ不思議そうな顔をした。
「店主、これは……?」
「体毛が青く変色するバフを乗せたやつだ」
ぴたり、と空気が止まる。
理央が一瞬、言葉を探すように口を開きかけ、
ギルド職員の片方が、明らかに興味を隠せない顔をした。
「……視認性を上げるため、ですか?」
「いや。副次効果だ」
俺は肩をすくめる。
「効果そのものは身体能力に軽い底上げが入る程度。
本命は、食った後に体毛がはっきり青くなるって点だ」
刹那はすぐに理解したらしく、目を細めた。
「もしモンスターが弁当を食べたら……」
「そうだ。外見で判別できる」
俺は淡々と続ける。
「匂いに引き寄せられてるだけなのか。
それとも、実際に“食おう”としてるのか。
万が一、モンスターが食った場合に、何が起きるか――」
そこで、ギルド職員が頷いた。
「正直に言って、そのリスクを把握しておくのは悪くありません」
記録担当の職員も続く。
「もしバフ弁当を摂取したモンスターが確認できれば、
今後の対策や注意喚起の精度が大きく上がります」
視線が、俺の手元の弁当箱に集まる。
「可能であれば……実験の後、余裕があればで構いません。
その弁当も、実際に使っていただけると助かります」
――言い切りはしない。
だが、期待ははっきりしていた。
俺は一度だけ、刹那を見る。
「無理はするな。
あくまで“余裕があれば”だ。食わせるのも、戦うのも」
刹那は弁当を受け取り、しっかりと抱えた。
「はい。
状況を見て判断します」
それだけ言って、立ち上がる。
「では、装備を整えてきます。
準備ができ次第、ダンジョンに潜りますので」
一礼すると、刹那は会議室を出ていった。
扉が閉まる音が、やけに大きく響く。
俺は腕を組み、短く息を吐いた。
――モンスターが、俺の飯を食うかもしれない。
考えたくはない。
だが、知らずに放置するよりは、ずっとマシだ。
会議室に残った全員が、
同じことを考えている顔をしていた。




