第27話 守れた夜の、続き
スタンピートによって起きた被害は、正直に言えば――想像していたよりは、ずっと軽微だった。
建物の一部破損、負傷者は出たが死者はなし。
避難誘導の混乱も、後半にはほぼ収まっていた。
確認と、最優先でやるべき作業だけを片付けて。
現場にいた関係者たちは、気が付けば「かくりよ亭」に集まっていた。
俺は、というと。
民間協力者。
それ以上でも、それ以下でもない立場だ。
「ここから先は、俺の仕事じゃないな」
そう言って、早々に引き上げることにした。
理央を呼び止めて、短く言う。
「終わったら、うちで宴会するぞ」
「伝えとけ」
あいつは一瞬目を丸くしてから、苦笑いして頷いた。
――で、今。
俺はいつもの厨房に立っている。
(……忙しいな)
鍋、鍋、鍋。
火を落としたもの、弱火に回したもの、保温に切り替えたもの。
今日は、全部が“特別仕様”だ。
冷めても美味い。
いや、冷めても効果が落ちない。
なんなら、
「冷めない」という状態そのものに、バフを乗せた料理まである。
(ここまで来たか)
自分でも少し笑ってしまう。
皿を並べ、器を積み、次から次へと料理を仕上げていく。
炊き込みご飯、煮物、揚げ物、汁物。
量も、質も、妥協しない。
山のように積み上がる料理。
食べるのは、
今日一日、前線で踏ん張った連中だ。
「……まあ、これくらいはな」
誰に言うでもなく呟いて、
俺は次の鍋に、かくりよの手を伸ばした。
宴会の準備が終わる頃には、店の前がやけに騒がしくなっていた。
ダンジョン庁の役人。
食材を運んでくれた商店街の人たち。
探索者、防衛隊員。
名前も知らない、でも今日一日、確かに関わりのあった人たち。
――気付けば、全員呼んでいた。
時間を見る。
そろそろ、ちょうどいい。
俺が用意するのは、料理だけ。
それは最初から決めていた。
誰に言うでもなかったのに、
なぜか全員、酒だけはしっかり持参してきている。
(示し合わせたわけでもないだろうに)
苦笑しつつ、最後の鍋の火を落とす。
今日の料理は、控えめだ。
バフは疲労回復程度。
戦闘用でも、無理を押し通すためのものでもない。
味だけを追求した。
本来なら乗せられるバフを、あえて乗せない。
少し、もったいない気もしたが――今日は、それでいい。
店の中だけじゃ、到底収まらない。
人はあふれ、自然と店の外まで広がっていく。
テーブル代わりに並べられた箱。
立ったままのやつも、地べたに腰を下ろすやつもいる。
誰かが、勝手に乾杯を始めた。
「生き延びたな!」
「無事で何よりだ!」
笑い声が、重なる。
俺は、厨房の奥からその光景を眺めて――
「……始まったな」
小さく呟いた。
かくりよ亭。
今夜は、定食屋じゃない。
スタンピートを乗り越えた全員のための、
宴会の始まりだった。
――――――
さすがに、これ以上は要らないだろう。
そう判断して、俺はエプロンを外した。
肩に掛けていたそれを畳み、店の奥に置く。
そして、店の外へ。
今夜ばかりは――
かくりよ亭の店主でも、料理人でもない。
スタンピートを、同じ場所で、同じ時間で抑えた。
その中の、一人だ。
(いいだろ)
そう思って、宴会の輪に加わった。
適当に皿を取って、
自分で作った料理をかじる。
(……うん)
味は、ちゃんといい。
余計なバフを乗せなかった分、素直だ。
酒瓶を片手に、何人もがやってくる。
「今日は、本当にありがとうございました」
「あなたの料理がなかったら、持たなかったです」
礼を言われながら、勝手に酌をされる。
「ああ、お疲れさん」
「無事で何よりだな」
グラスが満たされる。
空になれば、また注がれる。
会話は、取り留めもない。
現場の話。
怖かった話。
ちょっとした武勇伝。
それを、笑って聞く。
酒は、何杯飲んでも平気だった。
もともと、いくら飲んでも酔わない体質だ。
(こういう役回りだよな)
誰かが笑って、誰かが肩を叩く。
知らない顔だったはずなのに、今はもう、そんな気がしない。
夜風が心地いい。
ざわめきと、笑い声と、酒の匂い。
――悪くない。
俺はグラスを口に運びながら、
この一日を、静かに噛みしめていた。
騒ぎ疲れたのか、時間が経つにつれて、あちこちで人が倒れ始めた。
店の前に並べた箱に突っ伏すやつ。
地べたに転がって、もう動かないやつ。
誰かの肩を借りたまま、完全に夢の世界に行ってるやつ。
(まあ、こうなるよな)
俺は相変わらず、平然とグラスを傾けている。
そんな俺のところへ、自然と――
いつもの顔ぶれが集まってきた。
刹那。
理央。
二人とも、皿を手に、酒を持って。
「……なんか、落ち着くな」
刹那が、ぽつりと言う。
「こんな日になるとは思ってませんでしたけど」
理央はそう言いながら、料理を口に運ぶ。
「守れましたね」
「町も、人も」
理央の言葉に、俺はグラスを軽く揺らす。
「ああ」
「守れてよかった」
刹那が、酒を一口飲んで、少しだけ目を細めた。
「正直さ……」
「今日は、結構きつかった」
「だろうな」
「でも、持っただろ」
「持った」
即答だった。
「外も、中も」
「全部」
料理をかじりながら、酒を飲みながら。
今日のことを、少しずつ言葉にしていく。
誰がどこで踏ん張ったとか。
あの瞬間、正直焦ったとか。
でも、最後は同じところに戻る。
「……守れて、よかったな」
刹那が、そう言って笑った。
理央も、小さく頷く。
夜は、まだ続いている。
でもこの輪だけは、
やけに静かで、やけに温かかった。




