第25話 鍋の前線
防衛線の後方支援拠点は、騒然としていた。
前線は、
ダンジョンの前だけじゃなかった。
簡易テントが並び、担架が行き交い、怒号と指示が絶え間なく飛ぶ。
前線ほどの血臭はないが、代わりに焦りと疲労が濃く漂っている。
その一角。
俺は鍋の前に立っていた。
「……よし、次」
火を落とし、次の鍋に移る。
手は止めない。止められない。
傍らでは、理央がスマホを片手に走り回っていた。
「地下倉庫の第三ブロック、まだ余裕あります! 中層と深層素材、混在でいいって西園寺さんから追加入ってます!」
「了解。深層は回復寄りに回せ」
「はい!」
返事と同時に、また走る。
――本当に、よく働く。
目の前の食材は、普段なら絶対に使わないものばかりだ。
西園寺グループが非常時用に確保していた、深層由来のダンジョン食材。
魔力密度が高い。
癖も強い。
扱いを間違えれば、逆に身体を壊す代物。
だが――今は、俺がいる。
「《かくりよの手》」
意識を集中し、バフを編む。
回復促進。
疲労軽減。
筋力と反応速度の底上げ。
普段、かくりよ亭で出しているものより、明らかに上等だ。
定食として出すなら、値段も、責任も、桁が違う。
だが今は、そんなことどうでもいい。
「形式にこだわってる場合じゃねえな」
かくりよ亭では、必ず定食。
主菜、副菜、汁物。
それが俺の流儀だった。
――でも、今は違う。
「病人優先!」
声を上げながら、鍋をかき回す。
回復特化のおかゆ。
米を柔らかく煮込み、胃に負担をかけないよう徹底的に調整。
バフは一点集中。回復と安定のみ。
「こっち、負傷者三名!」
「すぐ出す!」
器に盛る。
足りなくなる。
なら、使い捨て容器でも、なんでもいい。
次。
「前線向かう人、こっち!」
おにぎりを、次々と握る。
具はシンプル。だが中身は別物だ。
噛んだ瞬間に、力が戻る。
握力が戻る。
足が、前に出る。
少し覚ました味噌汁を添える。
熱すぎると邪魔だ。
でも、香りは必要だ。
「うま……」
「……いける」
そんな声が、背後から聞こえる。
それだけで、十分だ。
鍋、また空。
次、火を入れる。
器が足りなくなるほど、
休む暇もなく、
ガンガン量産する。
――前線は、まだ続いている。
なら、俺はここでやるべきことをやるだけだ。
包丁を持つ手に、迷いはなかった。
しばらく、鍋を振り続けていると――
ふと、違和感に気づいた。
「……来ないな」
担架の数が、目に見えて減っている。
さっきまでひっきりなしに運び込まれていた負傷者が、途切れがちだ。
代わりに目立つのは、引き締まった表情の防衛隊員たち。
手には盾と武器。
そして、俺の作った飯を食った直後の顔だ。
「交代、行けます!」
「了解!」
バフを乗せた防衛隊員と、疲弊した前線要員が入れ替わっていく。
その流れが、はっきりと形になっていた。
「……効いてるな」
怪我人が減った。
正確には――怪我をする前に、踏みとどまれている。
胸の奥に、わずかな余裕が生まれた。
その瞬間だった。
――妙な感覚。
これまで、使い続けてきた《かくりよの手》。
慣れ親しんだはずのスキルが、どこか違う。
「……なんだ、これ」
視界が、妙に澄んでいる。
食材の“状態”が、以前よりもはっきり見える。
そして――人。
後方拠点の隅。
軽傷扱いで横になっている探索者たち。
傷は塞がっている。
出血も止まっている。
だが、顔色が悪い。
手が震えている。
呼吸が浅い。
「……ポーション中毒か」
何度も、何度も、即効性だけを頼ってきた体。
回復強化のバフじゃ、治せない。
だから、後回しにされてきた連中。
その瞬間――
――浮かんだ。
理屈じゃない。
知識でもない。
“こうすればいい”という完成形のレシピが、頭の中に。
「……はは」
思わず、笑いが漏れる。
「進化、かよ」
自然と、手が動いていた。
深層由来の素材を一部取り分け、
刺激の強い魔力を抜くように下処理する。
煮る。
整える。
中和する。
バフじゃない。
デバフの“解除”。
《かくりよの手》が、そう教えてくる。
「できた」
器に注ぎ、ポーション中毒の探索者の元へ運ぶ。
「……これ、飲め」
「え? あ、はい……」
一口。
二口。
数秒後、彼の表情が変わった。
「……あれ?」
「手、震えてない……?」
周囲がざわつく。
「もう一人だ」
次。
また次。
同じ反応。
浅くなっていた呼吸が、深くなる。
焦点の合わなかった目に、光が戻る。
「……治ってる」
誰かが、呟いた。
俺は、鍋の前に戻る。
――ポーション中毒を治す料理。
今まで、存在しなかったはずのもの。
それを、俺は作っていた。
《かくりよの手》が、
確かに、次の段階へ進んだ瞬間だった。
後方拠点は、ようやく一息ついていた。
担架は空。
治療待ちの列もない。
怒号の代わりに、必要最低限の指示だけが飛び交っている。
「……落ち着いた、か」
鍋の火を弱め、俺は額の汗を拭った。
そのときだ。
人の流れの向こうに、うっすらと見覚えのある顔があった。
「……あ」
思わず、声が漏れる。
あいつらだ。
刹那が、初めて重傷を負ったとき――
血まみれの彼女を、うちまで担ぎ込んできた連中。
刹那の、元パーティメンバー。
正規メンバーとして顔は知られていたが、
正直、世間的な印象は薄い。
活躍はしていた。
だが、隣に“若手最強”がいたせいで、全部持っていかれた。
名前も、評価も。
「……第七区画の連中が、なんでここに?」
すぐに答えは出た。
スタンピートの原因排除。
隣接区画からの応援――助っ人だ。
彼らが通り過ぎようとした瞬間、俺は声をかけた。
「おい」
全員が、こちらを見る。
「少し、時間いいか」
訝しげな顔。
だが、俺の背後に積まれた鍋と、さっきまでの騒ぎを見て、察したらしい。
「……料理人、ですよね?」
「かくりよ亭の」
「そうだ」
短く答え、続ける。
「今から、前線に出るんだな」
「ええ。刹那と合流する予定です」
その名前を聞いた瞬間、胸の奥が少しだけ熱くなる。
「なら――食ってけ」
俺は振り返り、鍋に向き直った。
《かくりよの手》。
さっき“進化”した感覚が、まだ残っている。
彼らを見る。
体格、魔力の流れ、武器の種類、戦い方。
――見える。
「……なるほどな」
この連中に最適なバフ。
最大限積んでも、過剰にならない配分。
手が、迷わない。
焼く。
包む。
仕上げる。
持ち運べる形の、バフ料理。
戦闘直前に食えるよう、効果発現を少し遅らせる。
そして――
最後に、もう一つ。
脳裏に、はっきりと刻まれた“完成形”。
鷹宮刹那にとって、最適なバフ料理。
「……これもだ」
彼らに、包みを渡す。
「もし、まだ刹那と一緒に動く気があるなら」
全員の目を見る。
「これを食って、スタンピートを終わらせてくれ」
一瞬の沈黙。
次の瞬間。
「――もちろんです」
即答だった。
「俺たち、今でも刹那の仲間ですから」
「今度は、背中を預けてもらいます」
包みをしっかりと握りしめ、彼らは踵を返す。
「ダンジョン侵入直前で食います」
「前線で、合流します」
その背中を、俺は見送った。
――行け。
料理人として、
俺にできる支援は、全部やった。
あとは――
刹那と、あいつらに任せるだけだ。




