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探索者を辞めた俺は、ダンジョン飯で最強を支える定食屋になる  作者: 悪癖


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第23話 非常ベルが鳴る街で

 昼と夕方の境目。

 深縁市の商店街に、いつもの匂いが満ちていた。


 油が跳ねる音、出汁の湯気、鉄鍋を返す乾いた響き。

 かくりよ亭の厨房は、今日も忙しく、そして平和だった。


「はい、次。バフ盛り、味噌汁つき」


 俺は言葉少なめに皿を差し出す。

 カウンター越しに理央がそれを受け取り、慣れた手つきで客の前に置いた。


「お待たせしました」


 その一言だけで、客の表情が緩む。

 箸を割る音、湯気に顔を近づける仕草。探索者も、地元の常連も、この瞬間だけは同じだ。


「今日の煮物、やけに染みるなあ」

「中層素材混じってるからな。無理すんなよ」


 軽い会話が飛び、店内には落ち着いたざわめきが流れる。

 カウンター八席、テーブル二卓。満席だが、騒がしくはない。

 ここはそういう店だ。


 厨房の奥、火を弱めた鍋の前で、俺は一瞬だけ手を止める。

 ――悪くない。

 仕入れは安定、客足も落ち着いている。

 この「何も起きない」日常を、俺は嫌いじゃない。


 そのときだった。


 ――ウゥゥゥゥン……ッ!


 低く、腹の底を揺らすような音が、店の外から突き刺さってきた。


 一瞬、誰も動かなかった。

 次の瞬間。


 ――ウゥゥゥゥン! ウゥゥゥゥン!


 今度ははっきりと、反復する警報音。

 防音など無意味と言わんばかりに、木造の店内を震わせる。


「……警報?」


 誰かが呟く。

 俺は眉をひそめ、火を止めた。


 直後、スピーカー越しの音声が、怒鳴るように流れ込んできた。


『――こちら深縁市ダンジョン庁。第四区画ダンジョンにてスタンピート発生を確認!』


 店内の空気が、凍りつく。


『周辺住民ならびに一般人は、ただちに指定避難ルートへ! 探索者は現場へ向かうか、安全確保を最優先せよ! 繰り返す――』


 音量が異常だった。

 店の外だけでなく、内部に直接叩きつけられているような圧。

 第四区画。

 徒歩二十分。近すぎる。


「スタンピート……?」

「おい、マジかよ……」


 椅子が軋み、箸が落ちる。

 さっきまで飯の感想を言っていた探索者が、青ざめた顔で立ち上がる。


「勘定!」

「今すぐ出るぞ!」


 理央が慌てて対応に回る。

 俺は無言で厨房から身を乗り出し、出口の様子を確認した。


 ――嫌な予感しかしねえ。


 そのとき、カウンター裏の座敷から、勢いよく襖が開いた。


「店主」


 落ち着いた、しかし芯の通った声。


 振り向いた瞬間、空気が変わったのがわかった。


 さっきまで賄いを食っていたはずの刹那が、そこに立っていた。

 私服は消え、軽装の戦闘服。

 腰には刀。纏う気配が、明らかに探索者のそれだ。


 客たちの視線が、一斉に彼女へ向く。


「第四区画ですね」


 刹那は短く確認するように言い、頷いた。


「――私がいます」


 それだけで、店内の動揺が一段、沈んだ。


「だから、大丈夫です」


 根拠の説明も、余計な言葉もない。

 ただの事実として告げる声。


 若手最強。

 その肩書きが、今この場では何よりも重かった。


 俺は一瞬だけ彼女を見て、短く言う。


「無茶すんな」


「はい。引き際は、わかっています」


 刹那はそう答え、店の出口へ向かった。


 警報は、まだ鳴り続けている。

 日常は、確実にここで断ち切られた。


 ――第四区画で、何が起きている?


 その答えを知るのは、もう少し先の話だ。


 刹那の背中が扉の向こうへ消え、警報音だけが残った。


 店内は半分ほど空になっている。

 逃げるように出ていった客、探索者として現場へ向かった者、足がすくんで動けずにいる地元の常連――反応は様々だ。


 俺は深く息を吸い、吐いた。


「……理央」


「はい、店長」


 声に迷いはなかった。

 俺自身、もう決めていたからだ。


「俺は防衛には出ねえ。ライセンスも返してる」


 それを口にした瞬間、胸の奥が一瞬だけざわつく。

 だが、それ以上は何も湧いてこなかった。

 探索者としての俺は、もう過去だ。


「でもな」


 カウンターを回り、理央の正面に立つ。


「できることは、全部やる」


 理央は一瞬だけ目を見開き、すぐに理解した顔になった。


「……炊き出し、ですね」


「ああ」


 短く頷く。


「地下の食材、使える分を全部だ。炊き出しができる場所まで運ぶ。人手が要るなら、商店街に声かけろ」


「わかりました。すぐに手配します」


 理央は迷わない。

 こういう非常時に、彼女がどれだけ頼りになるかは、もう嫌というほど知っている。


「それと――」


 俺はスマホを取り出しながら続ける。


「麗華に連絡入れろ」


「西園寺さん、ですか?」


「他に誰がいる」


 呼び捨てで言うと、理央が一瞬だけ苦笑した。


「内容は?」


「バフ調味料用のダンジョン食材。非常時につき使用許可をくれって。俺がやる」


「……承知しました。すぐに確認します」


 理央はその場で電話をかけ始める。

 その背中を確認し、俺は厨房へ戻った。


 ガスを全開。

 店で一番でかい鍋――普段は仕込みにしか使わない業務用を引っ張り出す。


「量、気にしてる場合じゃねえな」


 独り言と一緒に、手を動かす。


 米。

 野菜。

 肉。

 ダンジョン素材も、惜しみなく。


 《かくりよの手》を意識しながら、バフを“盛りすぎない”よう調整する。

 回復と疲労軽減。

 前線に立つ探索者にも、避難を手伝う一般人にも、邪魔にならない程度。


 鍋の中で、湯気が立ち上る。

 匂いが、一気に厨房を満たした。


「店長!」


 理央の声。


「西園寺さんから返事です。――“もちろんですわ。非常時ですもの。必要な分、すべてお使いになってください。後のことは、気にしなくて結構です”と」


「……ああ、そうか」


 短く答え、俺は鍋に蓋をした。


 重い。

 だが、持てない重さじゃない。


「行くぞ」


「はい。場所は第四区画手前の臨時避難所です。すでに人が集まり始めています」


 俺は鍋を抱え、厨房を飛び出した。


 かくりよ亭の暖簾が、背後で揺れる。


 ――探索者じゃなくても、

 ――戦えなくても。


 今の俺には、これがある。


 警報が鳴り響く街へ、俺は駆け出した。



――――――


 俺が辿り着いたのは、第四区画から少し離れた市民ホールだった。


 普段なら講演会だの、地域の催しだので使われる場所だが、今は様相がまるで違う。

 ロビーから中へ入った瞬間、むっとした空気が肌にまとわりついた。


 人の多さ。

 不安の熱。

 泣き声、怒鳴り声、携帯を握りしめたまま動かない手。


「……やっぱ、荒れてんな」


 床に座り込む年配者、子どもを抱き寄せる親、苛立ちを抑えきれず言い争いになりかけている数人。

 スタンピートという言葉が、どれだけ人の心を削るか――嫌というほど伝わってくる。


 俺は鍋を下ろし、深く息を吸った。


「よし」


 ここからは、料理人の仕事だ。


 コンロを借り、火を入れる。

 鍋の蓋を開けた瞬間、湯気と一緒に匂いが広がった。


 豚肉の脂。

 根菜の甘み。

 味噌の、どこか懐かしい香り。


 ――ただの豚汁だ。

 だが、《かくりよの手》を使っていないわけじゃない。


「……今回は、いつもと違う」


 俺は意識を集中させ、バフを“弱く”“広く”拡散するように調整する。

 食べて効果を出すんじゃない。

 匂いを吸い込むだけで、わずかに作用するレベル。


 精神安定。

 恐怖の緩和。

 呼吸を整える程度。


 前線の探索者に出す飯じゃない。

 ここにいるのは、戦えない人間だ。


「……いい匂い」


 誰かが、ぽつりと呟いた。


 それを合図にしたように、周囲のざわめきが少しずつ変わっていく。

 険しかった声が下がり、泣いていた子どもの嗚咽が弱まる。


「ほら、大丈夫だよ」

「……うん」


 言葉に力が戻っていくのが、はっきりわかった。


 器に注ぎ、順に配る。

 飲める人には飲ませ、無理な人には匂いだけでも嗅がせる。


「熱いから、ゆっくりな」

「ありがとうございます……」


 その礼が、やけに重く胸に残った。


 数十分後。

 市民ホールの空気は、明確に変わっていた。


 座り込んでいた人間は立ち上がり、

 言い争いかけていた連中は、互いに距離を取っている。


 ――これなら。


「避難民同士で、傷つけ合うことはもうねえな」


 俺は小さく息を吐いた。


 やるべきことは、やった。

 ここは、これでいい。


「……なら」


 鍋の中身を確認しながら、俺は次を考える。


「後は、探索者向けだ」


 前線で戦っている連中。

 支援が、まだ足りないはずだ。


 俺は鍋の蓋を閉め、視線を市民ホールの出口へ向けた。

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