第22話 その日も、かくりよ亭は繁盛していた
探索者限定掲示板――通称“深縁板”には、毎日のように臨時パーティ募集が流れる。
その中でも、このスレッドは妙に伸びていた。
【第四区画/深層チャレンジ】
【全員中層常駐以上】
【※事前に“かくりよ亭”で食事できる人】
最後の一文が、明らかに浮いている。
だが、それこそが決定打だった。
中層で頭打ちになった探索者は多い。
実力も装備も足りているはずなのに、深層だけは越えられない。
理由は単純――事故率が跳ね上がるからだ。
だからこそ彼らは、“料理”に縋った。
かくりよ亭。
食べるだけで能力が上がる、傷が癒えると噂の定食屋。
真偽不明、だが中層界隈では名前を知らない者はいない。
その店の引き戸が、がらりと開く。
「……ここか」
最初に足を止めたのは、剣士だった。
中層用に最適化された装備。刃こぼれはないが、新品でもない。
「意外と普通だな。もっと、胡散臭いと思ってた」
「それ、逆に怖くない?」
弓使いが肩をすくめる。
軽装だが、弦の張り具合からして日常的に中層を回っているのが分かる。
「“なんか凄い店”が、普通の定食屋やってるって話だろ」
「噂が先行しすぎなんだよ」
タンクが低く笑った。
盾には無数の打痕。浅層上がりではない証拠だ。
店内を見渡せば、探索者がちらほらいる。
全員、目的は同じ顔をしている。
――カウンター奥、厨房。
「……あれ、店主?」
ヒーラーが小声で言った。
「大崎悠斗。探索者辞めて定食屋やってるってやつ」
斥候が即座に補足する。
「掲示板で何度も名前出てた。まあ……有名人だな」
それ以上でも、それ以下でもない。
英雄でも、仲間でもない。
ただの“噂の中心人物”。
悠斗は彼らを一瞥しただけで、特に反応を示さなかった。
「六人か。爆盛りか?」
「ああ、全員分頼むよ、あと弁当も1人3つずつ頼む」
「あいよ」
確認はそれだけ。
愛想も説明もない。
「……強気だな」
剣士が小さく言う。
「値段も強気だしな」
弓使いがメニューを見て口笛を吹く。
「まあ、深層行く前だ。保険料だと思えば安い」
テーブル席に集まり、簡単な役割確認が始まった。
「俺がリーダー兼、火属性魔法使いをやる」
そう切り出した男は、杖を足元に立てる。
「中層じゃ範囲殲滅と牽制が仕事だった。深層でも基本は同じ」
「前衛は俺と剣士だな」
タンクが頷く。
「受けは俺が担当。剣士は削りとカバー」
「後衛、弓使い」
「索敵補助と削り。斥候と連携する」
「斥候だ」
フードの男が短く名乗る。
「罠とルート確認。深層は引き返す判断が命だ」
「回復は私」
ヒーラーが続ける。
「ポーションは最低限。……今日は、料理を当てにします」
その言葉に、誰も異論を挟まなかった。
――だから、ここにいる。
ほどなくして、料理が運ばれてくる。
バフ爆盛り定食。
バフの量が多いって話だが、定食としては普通だ。
見た目も、量も。
だが、見ただけで“食える”と分かる構成だ。
「……普通の定食にしか見えないな」
剣士が箸を取る。
一口。
次の瞬間、彼は目を細めた。
「……来たな」
「魔力の立ち上がりが早い」
火属性魔法使いが、無意識に指先を動かす。
「集中力が落ちない……」
ヒーラーが呼吸を整える。
全員が、無言で食べ進めた。
疑っていたはずなのに、体が否定しなかった。
食後、理央が紙袋を六つ並べる。
「バフ盛り弁当です。お一人三つずつ」
「……マジで、弁当売るんだな」
弓使いが苦笑する。
「深層で食う前提か」
「そのつもりだ」
火属性魔法使いが袋を受け取る。
「正直、これがなかったら今回は見送ってた」
誰も否定しない。
店を出る直前、悠斗が言った。
「深層だろ。無理すんな」
それだけ。
忠告なのか、商売上の注意なのかは分からない。
「……有名人って、こんなもんか」
斥候が小さく言った。
「期待しすぎなくていいな」
夕暮れの商店街を抜けると、武骨な鉄製ゲートが見えてくる。
ダンジョン第四区画。
中層を主戦場にしてきた彼らにとって、越えたことのない一線。
だが今は――腹の底に、確かな感覚があった。
「行くぞ」
火属性魔法使いが言う。
彼らはまだ知らない。
この“料理頼みの一歩”が、どれほど世界を揺らすことになるのかを。
――ゲートの向こう、瘴気が濃く渦巻いていた。
第四区画ダンジョン・中層。
瘴気はいつも通り、肌にまとわりつくように重い。
だが――今日に限って、それが鬱陶しく感じられなかった。
「……あれ?」
最初に違和感を口にしたのは、斥候だった。
足を止め、壁際に手を当てる。
「足音、いつもより軽い。……俺だけか?」
「いや、分かる」
弓使いが即座に返す。
索敵のために視線を巡らせながらも、眉をひそめた。
「視界がクリアだ。瘴気の中でも距離感が狂わない」
「魔力の消費が……抑えられてるな」
火属性魔法使いが、無意識に小さな火球を灯して確認する。
いつもなら、ここで一拍置くはずの感覚がない。
「……早すぎる」
「前出るぞ」
剣士が言った。
言葉通り、踏み込みが一段深い。
――硬い。
中層モンスター特有の手応えのはずだった。
だが今日は、刃が素直に通る。
「は?」
一撃。
二撃目が要らなかった。
「……今の、こんなに軽かったか?」
「削りが早い」
タンクが盾を構えながら低く言う。
「受けた感触も浅い。衝撃が散ってる」
ヒーラーは詠唱を止めたまま、様子を見ている。
回復が追いつく、という次元ではない。
――そもそも、減らない。
彼らは中層を、知っている。
何十周もしてきた場所だ。
危険も、疲労も、手順も、身体に染みついている。
だからこそ、異常が分かる。
「……これ、定食のバフ、まだ残ってるよな」
弓使いがぽつりと呟いた。
「時間的には、そろそろ切れ始めてもいいはずだ」
「なのに、動きが落ちない」
斥候が鼻で笑う。
「むしろ、調子が上がってる」
火属性魔法使いは、ほんの数秒、考える素振りを見せた。
そして、言う。
「――このまま、奥まで行く」
誰も止めなかった。
中層の最奥。
いつもなら一度腰を下ろし、呼吸を整える地点。
そこで、彼らは立ち止まった。
「弁当、ここで食う」
リーダーの判断は早かった。
紙袋が開かれる。
中から出てきたのは、見慣れた“弁当”だ。
だが今は、それが異様に頼もしく見える。
「正直、ここで使う予定だったんだよな」
ヒーラーが言う。
「深層に入る前の、保険として」
「予定変更だ」
剣士が箸を割る。
「今が一番、勢いがある」
一口。
次の瞬間、全員が息を飲んだ。
「……は?」
魔力が、底から湧く。
身体の芯が熱い。
「定食より、来るぞこれ」
「上書き……いや、重なってる?」
火属性魔法使いの掌に、いつもより鮮烈な火が宿る。
「……やばいな」
タンクが肩を回す。
「盾が軽い。冗談みたいだ」
ヒーラーは、呆然としたまま弁当を見下ろした。
「回復、要らないかもしれません……」
「行ける」
斥候が即答する。
「今なら、深層の入り口まで一気だ」
理性より先に、身体が前を向いていた。
疲労感がない。
恐怖が、薄れている。
「……深層、行こう」
火属性魔法使いが言う。
「撤退判断は、奥で考える」
それが、どれほど無鉄砲な判断か。
全員が分かっていたはずだ。
それでも――止まらなかった。
中層と深層を隔てる境界が、目の前に迫る。
瘴気の濃度が、はっきりと変わる。
「……こんな感覚で、踏み込んだことないな」
弓使いが笑う。
「だな」
剣士が頷く。
彼らはまだ知らない。
“バフに背中を押されている”ということの、危うさを。
その一歩が、どこまで連れていくのかを。
――そして、深層へと足を踏み入れた。
深層。
境界を越えた瞬間、空気が変わった。
瘴気が“重い”のではない。“刺さる”。
「……来たな」
剣士が低く呟き、剣を構える。
中層とは明確に違う圧だ。
だが――足は、止まらなかった。
最初に現れたのは、深層特有の個体。
中層モンスターを一回り大きくし、骨格も魔力反応も歪んでいる。
「前出る!」
タンクが盾を叩き、前線を固定する。
衝突音は重い。だが、踏ん張りが効く。
「受け止められる!」
「――燃やす!」
火属性魔法使いが詠唱を省き、火線を走らせる。
いつもなら牽制止まりの一撃が、明確に肉を焼いた。
「効いてる!」
弓使いの声に、迷いはない。
矢が次々と弱点へ吸い込まれていく。
「右、回り込む!」
斥候が影のように動く。
深層特有の感知範囲を、紙一重で抜けた。
――反撃。
モンスターの爪が、剣士の肩を裂いた。
赤が散る。
「……っ!」
「剣士!」
だが、剣士は退かない。
「浅い!」
その言葉通り、動きは鈍らなかった。
次の瞬間、タンクの盾が弾かれる。
衝撃が直に伝わり、腕に痺れが走る。
「くそ……!」
「ヒール!」
ヒーラーが即座に詠唱する。
白光が走り、裂傷が塞がった。
「……え?」
タンクが思わず声を漏らす。
「回復、早すぎないか……?」
魔力の消費感が、ほとんどない。
「気にしないで、続けて!」
ヒーラー自身が、一番驚いていた。
「削り切る!」
火属性魔法使いが踏み込む。
火勢が、一段階上がった。
剣士が間合いを詰め、渾身の一撃。
弓使いの矢が、同時に急所を貫く。
――沈黙。
モンスターが崩れ落ちる。
深層の一体目。
多少の傷はあったが、全員が立っていた。
「……勝ったな」
斥候が、半ば呆然と呟く。
「しかも、思ったより楽だ」
「回復、もう一回かける」
ヒーラーが言い、軽く詠唱する。
残っていた傷も、違和感なく消えた。
「……いけるぞ」
誰かが言った。
否定する声はない。
剣士が剣を肩に担ぐ。
「この感じなら、まだ奥も見れる」
「撤退判断は?」
弓使いがリーダーを見る。
火属性魔法使いは、ほんの一瞬だけ迷った。
だが――
「進む」
短く、そう言った。
疲労はない。
魔力も残っている。
傷も、ない。
それが、判断を狂わせる。
彼らは再び歩き出す。
深層の、さらに奥へ。
――まだ、この先に何があるのかも知らないまま。
倒れたモンスターの死骸を越え、彼らはさらに奥へ進んだ。
――その歩みが、あまりに軽すぎたことを。
誰も、口には出さなかった。
「……なあ」
沈黙を破ったのは斥候だった。
「さっきのやつ、深層にしちゃ弱い」
事実だった。
中層以前なら、間違いなくボス、あるいはイレギュラー指定。
だが深層では、ただの“通行人”に過ぎない。
「つまり、だ」
弓使いが喉を鳴らす。
「ここから先は――」
言葉は、続かなかった。
空気が、変わった。
いや、正確には――変わっていたことに、今さら気付いた。
「……待て」
斥候が、急に手を上げた。
「索敵、引っかからな――」
言い切る前だった。
影が、落ちる。
次の瞬間、斥候の身体が宙を舞った。
「――っ!?」
何が起きたのか、誰にも分からない。
鈍い音。
壁に叩きつけられる肉体。
「斥候!!」
タンクが叫ぶ。
斥候は、床に転がったまま動かない。
胸部装甲が、あり得ない角度で凹んでいる。
「……っ、ヒーラー!」
剣士が駆け寄ろうとする。
だが――それを阻むように、姿を現した。
そこにいたのは、異形。
先ほど倒したモンスターより、さらに一回り大きい。
だが決定的に違うのは、気配の薄さだった。
魔力反応はある。
だが、認識した時にはもう遅い。
「……深層の、本命か」
火属性魔法使いが、歯を噛みしめる。
「ヒール、行きます!」
ヒーラーが詠唱を開始する。
白光が、斥候を包んだ。
――だが。
「……戻らない」
声が、震えた。
「傷が……深すぎる」
回復が、追いつかない。
さっきまで“あっさり”塞がっていた傷とは、次元が違う。
「くそっ……!」
タンクが前に出る。
盾を構え、全力で受け止める。
――衝撃。
盾が、弾かれた。
「がっ……!」
「タンク!」
剣士がフォローに入るが、間に合わない。
その一瞬で、斥候の身体が大きく跳ねた。
完全に、息が止まった。
「……っ!」
ヒーラーが、言葉を失う。
誰もが、理解してしまった。
――ここは、深層だ。
中層の延長ではない。
バフで底上げされた力は、確かに強い。
だがそれは、“通用する範囲”を一段押し上げただけ。
深層そのものを、無力化するものではない。
「……撤退だ」
火属性魔法使いが、掠れた声で言った。
だが。
モンスターは、もう一歩、踏み出していた。
瘴気が、濃く渦を巻く。
彼らは初めて、はっきりと理解する。
――“いける”と思った瞬間こそが、深層の罠だったのだと。
――違う。
火属性魔法使い――リーダーの喉が、引き攣った。
「全力で撤退!!」
叫びは命令だった。
判断ではない。悲鳴に近い。
「タンク、時間を――!」
言い切る前に、タンクはもう前に出ていた。
盾を構える。
踏み込む。
後退しながら、正面を塞ぐ。
それが彼の役割だった。
「行けぇぇぇ!!」
盾が、真正面から叩き潰された。
金属が悲鳴を上げる。
いや、悲鳴を上げたのは人間だった。
圧縮。
押し潰すというより、まとめて叩き折る。
「――っ!」
その衝撃は、すぐ後ろにいた剣士も巻き込んだ。
盾ごと吹き飛ばされ、剣士の身体が宙を舞う。
壁に叩きつけられる音。
骨が、何本か折れる音。
「……っ!」
剣士は起き上がらなかった。
「……ごめんなさい」
ヒーラーが、震える声で言った。
それでも足は止まらない。
前衛が作った、ほんの一瞬の隙。
背中を向ける。
逃げる。
全力で、駆け出す。
だが――
物陰が、動いた。
同じ気配。
同じ圧。
――二体。
「……そんな……」
弓使いの声が掠れる。
左右から、挟むように現れた。
「ヒーラー!!」
リーダーが振り返る。
遅かった。
腕。
いや、顎だった。
ヒーラーの身体が、軽々と持ち上げられる。
「――っ!!」
声にならない声。
そのまま、丸のみにされた。
一瞬。
咀嚼音すら、なかった。
「……っ、くそ……!」
リーダーが詠唱に入る。
だが、もう一体が――
掴んだ。
抵抗も、詠唱も、意味がない。
「――――」
言葉は、途中で消えた。
同じように。
同じように。
飲み込まれた。
残ったのは、弓使いだけだった。
前。
横。
後ろ。
三体。
逃げ場は、ない。
弓を引く暇もない。
息を吸う暇すらない。
ただ、囲まれて。
――そして。
ぐしゃり。




