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探索者を辞めた俺は、ダンジョン飯で最強を支える定食屋になる  作者: 悪癖


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第18話 令嬢、下町の定食に敗北する

 ――車内は、静かでした。


 遮音性の高い窓越しに、外の音はほとんど届きません。

 エンジンの振動すら、まるで遠くの出来事のよう。


 けれど、わたくしの胸の内は、まったく静まっておりませんでした。


(……まさか、ですわね)


 後部座席に腰掛け、膝の上で指を組みながら、わたくしはゆっくりと息を整えます。

 目的地は、深縁市。

 関東地方の片田舎、ダンジョン第四区画の近くにある、たった一軒の定食屋――かくりよ亭。


 事前に送られてきた資料は、何度も読み返しました。

 調理師免許。

 探索者としての経歴。

 覚醒スキル《かくりよの手》。


 そして、信じがたいほどの噂。


(料理で……探索者を“支える”?)


 理論だけなら、成立します。

 ダンジョン食材が秘める力を、食という形で最適化する。

 西園寺グループとしても、研究対象としては極めて魅力的でした。


 ですが――。


(本当に、そこまでの再現性があるのかしら)


 わたくしは、窓の外へ視線をやります。

 高層ビル群はとうに途切れ、いつの間にか、低い建物と古い商店が並ぶ景色へと変わっていました。


 舗装の荒れた道。

 色褪せた看板。

 時間に取り残されたような街並み。


(ここに……?)


 正直に申しますと、半信半疑でした。

 いえ、それ以上ですわね。


 西園寺グループは、常に“合理”を選びます。

 優れた技術があるなら、囲い込み、管理し、拡大する。

 それが、わたくしが学んできた“正解”でした。


 ですが。


(工場生産が不可能な領域、ですって?)


 試作品の報告書を思い出します。

 調味料化。

 第三者による再現。

 それでも、中心にいるのは、たった一人の料理人。


(……危うい)


 人に依存する技術は、脆い。

 西園寺グループが最も嫌う形です。


 それでも――。


 わたくしの胸の奥で、別の感情が芽吹いているのを、確かに感じていました。


(それでも、会ってみたい)


 数字では測れない“何か”が、そこにある。

 そう直感してしまったのです。


「お嬢様」


 前席から、護衛の一人が静かに声をかけてきました。


「間もなく、目的地です」


「ええ。ありがとう」


 わたくしは、背筋を伸ばします。

 ドレスの裾を整え、深く一度、息を吸いました。


(西園寺麗華として)


 企業の代表として。

 そして――一人の人間として。


(あなたが、本物かどうか)


 それを、この目で確かめに行くのですわ。


 車が、ゆっくりと速度を落とす。

 商店街の入口が見え始め、ざわめきが、わずかに耳へ届いた。


 ――かくりよ亭。


 この下町の定食屋が、

 わたくしの“常識”を、どこまで壊してくれるのか。


 その答えを思い描きながら、

 わたくしは、静かにドアが開くのを待っていました。


 ――対面した瞬間、分かってしまいました。


(……ああ、この方ですわ)


 暖簾をくぐり、店内へ足を踏み入れたその刹那。

 厨房の奥に立つ、エプロン姿の男性を見た時に。


 写真で見たより、ずっと無愛想。

 けれど、視線はぶれず、こちらを値踏みする様子もない。

 まるで、誰が相手であろうと態度を変えない人。


(企業の名前も、肩書きも、通じない……)


 それは、わたくしにとって久しぶりの感覚でした。


 交渉の席に着けば、多くの相手は最初から身構えます。

 西園寺の名を聞いた瞬間に、声の調子が変わる。

 期待、畏怖、あるいは打算。


 ですが――。


「いらっしゃい」


 その一言は、あまりにも“店主”でした。

 代表者としてではなく、一人の客として迎え入れられた。


(……心地よい、ですわね)


 それだけで、胸の奥が少し軽くなる。


 契約の話に入っても、同じでした。


 設備投資の提案をした時。

 常人離れした生産量の話を聞いた時。


 普通なら、誇張か、虚勢か、あるいは夢物語として処理される数字。

 けれど、店長さん――大崎悠斗は、ただ事実を述べるように語った。


(この方……自分が異常だという自覚が、ほとんどありませんのね)


 いえ、正確には。


(“異常”を、異常として扱っていない)


 それが、恐ろしい。


 大鍋百。

 一日三百。


 わたくしの中で、瞬時に計算が走りました。

 物流。

 保管。

 人員。

 利益率。


 どれもが、現実的な数字に落とし込めてしまう。

 それが、何よりの衝撃でした。


(……化け物、ですわ)


 もちろん、悪い意味ではありません。


 元探索者。

 毎食バフ盛り定食を摂取し続ける生活。


 理屈は、通っています。

 通ってしまうからこそ、背筋が冷える。


(この方は……“個”でありながら、“設備”そのもの)


 だからこそ、囲い込むのではなく、支える。

 管理するのではなく、任せる。


 その判断に至った時、わたくしは初めて――

 西園寺グループの代表としてではなく、わたくし自身として、頷いていました。


 契約に同意してくださった時。


「正式に契約しよう」


 その言葉は、驚くほど軽く。

 けれど、何よりも重い決断でした。


(……この方は、逃げませんのね)


 条件を出し、責任を引き受け、線を引く。

 その全てを、自分の店で、自分の名前でやる覚悟。


 それが、胸に刺さったのです。


 そして。


「夕飯、食っていけ」


 その一言。


(……ずるいですわ)


 企業の話をしていたはずなのに。

 最後に差し出されたのは、契約書ではなく――食事。


 工場では作れない、本気のバフ盛り定食。


 それを“食っていけ”と言われた瞬間、

 わたくしは完全に、客に戻っていました。


 ――頷くしか、ありませんでした。


(この契約は、正解か)


 まだ、分かりません。


 けれど。


(この方となら、“間違える”未来すら、価値がある)


 そんな考えが、自然と浮かんでしまったことに。

 わたくしは、小さく苦笑するしかありませんでした。


 下町の定食屋で交わした契約が、

 西園寺麗華という人間の中で、確かに――音を立てて動き出していたのです。


 席に案内され、湯気ひとつ立たない静かな卓に腰を下ろした瞬間。

 料理が運ばれてくるまでの、ほんのわずかな空白。


 その時間が、わたくしにこれまでの食生活を振り返らせました。


(……そういえば)


 ダンジョン食材とは、本来どういうものだったでしょうか。


 西園寺麗華――

 西園寺グループの令嬢として生まれたわたくしの食卓は、常に恵まれていました。


 銀のカトラリー。

 静謐に整えられたテーブル。

 完璧に管理された温度と時間。


 高級食材を惜しみなく使ったフレンチやイタリアンは日常で、星付きの料理人が腕を振るう料理が並ぶ。

 確かに美味しい。

 誰が食べても頷く完成度。


 けれど、それは――

 美味しいだけ、でした。


 記憶に残るかと問われれば、首を傾げざるを得ない。

 洗練されているが、均一で、整いすぎている。


 探索者としてダンジョンに潜っていた頃も同じです。


 深層ダンジョンから回収された希少な魔物肉。

 通常では流通しない高位素材。


 それらを使った食事は、確かに滋味に富み、圧倒的に美味しかった。

 ですが――


(ダンジョン食材は、ただ美味しいだけ)


 それ以上でも、それ以下でもない。


 「バフ効果のある食事」などというものは、本来存在しません。

 ステータスが上がる?

 疲労が回復する?


 それは調理技術や栄養管理の結果であって、

 食べた瞬間に明確な効果が発現するなど、あり得ない話。


 少なくとも、わたくしの知る限りでは。


 だからこそ、今回の話は異質でした。


(バフが発生するのは……食材ではなく)


 ――彼の能力。


 大崎悠斗。

 探索者時代に覚醒した、ただ一つのスキル。

 《かくりよの手》。


 ダンジョン食材が、単なる「美味しい食材」であるはずなのに。

 その手を介することで、初めて“効果”を持つ。


 素材そのものが特別なのではない。

 深層だろうが浅層だろうが、本質は変わらない。


(だから、浅層食材でも成立する)


 彼が言っていた通りです。

 影響があるのは階層の深さ。

 そして、どのようなバフを付与するかという方向性。


 それ以外は――

 彼の裁量次第。


(……異常ですわね)


 冷静に考えれば、理解不能。

 企業として扱うには、危ういほど属人的。


 それなのに。


 厨房の奥から、ふと漂ってきた匂いに、思考が止まる。


 派手ではない。

 過剰でもない。

 けれど、確実に「食欲」を刺激する香り。


(おかしい……)


 ダンジョン食材は、ただ美味しいだけ。

 それ以上の価値は、今まで感じたことがありません。


 なのに。


(まだ一口も食べていないのに……)


 胸の奥が、微かにざわつく。


 期待してはいけない。

 過信してはいけない。


 そう、何度も自分に言い聞かせながら――

 わたくしは、運ばれてくるであろう一膳を、静かに待っていました。


 これまでの「美味しいだけの食事」とは、

 決定的に違う何かが出てくる予感を、否定しきれないまま。


 ――運ばれてきた瞬間、まず思ったこと。


(……質素ですわね)


 目の前に置かれた膳は、驚くほど「普通」でした。

 白い湯気を立てる白米。

 素朴な色合いの汁物。

 飾り気のない主菜と、小鉢が二つ。


 金箔もなければ、ソースの線もない。

 器も高価な磁器ではなく、下町の定食屋に相応しい実用一辺倒。


 西園寺家の食卓を知る身としては――

 正直に言えば、印象は最悪に近い。


(これが……あの話題の料理?)


 失礼だと分かっていても、そう思わずにはいられませんでした。


 けれど。


 膳が完全に置かれ、店主――大崎悠斗が一歩引いた、その瞬間。


 ふわり、と。


 鼻腔をくすぐる匂いが、遅れて届く。


(――っ)


 理解するより先に、身体が反応しました。


 出汁の香り。

 油の甘さ。

 火を通した食材が持つ、ほのかな旨み。


 どれも派手ではないのに、重なり合って、逃げ場を塞ぐように迫ってくる。


(な……に、これ……)


 空腹など、感じていなかったはずです。

 会食前の軽食も、きちんと取ってきた。


 それなのに。


 喉が鳴る。

 指先が、無意識に箸を探す。


(食べたい……)


 理性が、必死にブレーキをかける。

 令嬢としての矜持が、姿勢を正せと囁く。


 ――それでも。


 わたくしは、そっと箸を取りました。


 恐る恐る。

 本当に、試すように。


 一口だけ。


 白米に、主菜の欠片を乗せて、口へ運ぶ。


 ――――――。


(……っ!?)


 思考が、止まりました。


 舌に触れた瞬間、広がるのは――

 分かりやすいほどの美味しさ。


 奇を衒った味ではありません。

 強烈な刺激もない。


 けれど。


(……深い……)


 噛むほどに、旨みがほどけていく。

 油は重くないのに、満足感だけが残る。

 塩味も甘味も、すべてが「ちょうどいい」。


 高級料理にありがちな、

 「どう食べるのが正解か」を考えさせる余地が、どこにもない。


(……なぜ……)


 思わず、もう一口。


 今度は、汁物を含む。


 喉を通る瞬間、身体の奥に温かさが落ちていく。


(……おいしい……)


 声に出すつもりは、ありませんでした。

 けれど、唇が勝手に動いてしまう。


 「……っ」


 慌てて口元を押さえます。

 護衛の視線を感じて、背筋が伸びる。


 それでも。


(記憶に、残る……)


 フレンチのコースも、深層食材の饗宴も、

 こんなふうに心を掴んだことはありません。


 ただ美味しいだけなのに。

 ただの、庶民の食事なのに。


(……違う)


 これは、格が違う。


 技法でも、素材でも、格式でもない。

 「食べる」という行為そのものを、真正面から肯定されている。


 わたくしは、ゆっくりと息を吐きました。


 そして――

 二口目を、迷わず口に運びます。


(……参りましたわ)


 西園寺麗華の食の記憶に、

 この一膳は――


 間違いなく、深く、強く、刻み込まれました。



――――――


 最後の一口を、名残惜しく噛みしめてから――

 わたくしは、ゆっくりと箸を置きました。


 胸の内に残っているのは、満腹感ではありません。

 納得と、確信。


 わたくしは姿勢を正し、厨房の方を向きます。

 そこにいるのは、西園寺グループの交渉相手ではなく、

 一人の料理人でした。


 「……大崎さん」


 自分でも驚くほど、声が柔らかくなっていました。


 「本日は、ありがとうございました。――大変、満足いたしましたわ」


 形式ばった賛辞ではありません。

 社交辞令でもない。


 心から、そう思ったからこその言葉です。


 彼が一瞬だけ目を瞬かせ、軽く頷くのを見て、胸の奥が静かに落ち着く。


 わたくしは、そこで一度言葉を切り――

 小さく、けれどはっきりと微笑みました。


 「次にこちらへ伺う時は……」


 視線を少しだけ落とし、続けます。


 「西園寺家の人間としてではなく、契約相手としてでもなく。

 ――一人の客として、参りますわ」


 肩の力が抜けた、自分でも分かるほど自然な声音。


 それから席を立ち、静かに一礼。


 護衛たちもそれに倣い、無言のまま一歩下がります。


 引き戸に手を掛ける直前、わたくしは一度だけ振り返りました。


 下町の定食屋。

 飾り気のない空間。

 けれど、確かに“本物”がある場所。


(……また、来ます)


 そう心の中で告げてから――

 わたくしは、普通の客になる約束を胸に、かくりよ亭を後にしました。

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