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探索者を辞めた俺は、ダンジョン飯で最強を支える定食屋になる  作者: 悪癖


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第16話 高級車は下町に似合わない

 昼の営業が終わり、かくりよ亭の暖簾を裏に返したあとも、厨房にはまだ微かな熱と匂いが残っていた。

 鍋を火にかけ、俺は黙々と木べらを動かす。中身は、料理と呼ぶには少し違う。だが、かくりよの手を通して練り上げられていくそれは、確かに“力”を宿していた。


「……店長、本当にこれでいいんですか?」


 カウンター裏の座敷から、理央の声が飛ぶ。帳簿とタブレットを広げたまま、彼女は何度目か分からない確認をしてきた。


「試作品としては十分だろ。味も、効果もな」


 ぶっきらぼうに返しながら、俺は鍋の中身を小瓶に移していく。とろりとした液体。見た目は、少し色の濃い万能調味料と大差ない。

 だが――これが、バフ調味料の試作品だ。


 料理人である俺が直接作らなくても、一定の手順さえ守れば、他人の手でも“バフ付きの食い物”を作れる。

 それが確認できた時点で、この話はもう後戻りできないところまで来ていた。


「……すごいですね、これ。おにぎりに混ぜただけで、ちゃんと効果が出るなんて」


 刹那が、小瓶を一つ手に取りながら感心したように言う。

 昼のまかないで試したばかりだ。理央が握ったおにぎりでも、軽い身体強化と疲労軽減のバフが、確かに発動した。


「店主がやらなくても、だ。……正直、少し怖いです」


「だろうな」


 俺も同じ気持ちだった。

 これは便利だ。便利すぎる。

 だからこそ、扱い方を間違えたら取り返しがつかない。


 理央が端末を操作し、深呼吸してから言った。


「西園寺グループには、先ほど正式な返答を送りました。

 “試作品の完成、および第三者による再現性を確認。業務提携について前向きに検討可能”と」


「……そうか」


 短く答えたが、胸の奥が少しだけ重くなる。

 あの大企業に、俺の店が“選択肢”として認識された。その事実の重みは、フライパンよりずっとずしりときた。


「そして、その返事に対するリアクションですが……」


 理央は一拍置いてから、画面をこちらに向ける。


「西園寺グループ総裁のご息女――西園寺麗華様が、代表として直接来店されるそうです」


 一瞬、木べらを持つ手が止まった。


「……は?」


 思わず間の抜けた声が出る。

 刹那も目を丸くした。


「西園寺、って……あの?」


「はい。その“あの”です」


 理央は淡々としているが、声の端に隠しきれない緊張が混じっている。


「日程は数日後。形式張った会食ではなく、“かくりよ亭の現場を見たい”とのことでした」


 現場。

 この、カウンター八席とテーブル二つしかない、下町の定食屋を。


「……冗談だろ」


「冗談ではありません。公式アドレスからの正式な連絡です」


 俺は鍋の火を止め、深く息を吐いた。

 逃げ場はない。むしろ、ここまで来たら逃げる理由もない。


「店主」


 刹那が、いつもの探索者としてではなく、従業員としての落ち着いた声で言う。


「来るなら、ちゃんと迎えましょう。

 ここが、かくりよ亭だって」


 その言葉に、俺は小さく笑った。


「ああ。変に飾る気はねえ。

 いつも通りだ」


 ただ一つ違うのは――

 この店の一杯が、これから先、どれだけ遠くまで届く可能性を持ってしまったかということだけだ。


 カウンターの向こう、暖簾の奥を見つめながら、俺は次に備えて調味料の瓶に蓋をした。

 数日後、この店に“場違いなほどの存在”が足を踏み入れる。


 その時、かくりよ亭は――

 本当に試されることになるのだから。



――――――


 それから数日後、――ざわ、と。

 店の外から、普段この時間帯にはまず起きない種類のざわめきが流れ込んできた。


「……なんだ?」


 カウンターの向こうで煮込みの鍋を見ていた俺は、顔を上げる。

 ちょうど昼のピークが一段落し、客足が緩み始めた頃合いだ。常連の探索者が遅めの昼を食い、地元の顔見知りが定食をかき込んでいる――いつもと変わらない、下町の昼下がり。


 深縁市の外れ。

 年季の入った商店街。

 色あせたシャッター、昭和から時代が止まったままの八百屋と精肉店、その並びにあるのが、かくりよ亭だ。


 外壁はくすんだ木目。

 看板も手描きのまま。

 昼時には油と出汁の匂いが通りに漂うが、それ以上でも以下でもない。


 ――その“いつも”が、今、明確に崩れている。


「おい……見ろよ、あれ」


「冗談だろ……映画の撮影か?」


「黒服、何人いるんだ……?」


 客たちが箸を止め、入口の方をちらちらと見ている。

 理央も異変に気付いたらしく、配膳の途中で足を止め、困惑した表情で暖簾の向こうに視線を向けた。


 その時だった。


 店の前で、空気が変わったのが、はっきり分かった。


 エンジン音が――静かすぎる。

 下町ではまず聞かない、滑るような低音。


 ブレーキ音すら上品に抑えられ、通りに似つかわしくない一台の高級車が、商店街の入口付近でぴたりと止まった。


 黒塗り。

 磨き抜かれた車体は、くすんだアスファルトと周囲の建物をまるで映り込ませようとしない。

 そこだけ、別の世界から切り取られたみたいだった。


「……うわ」


「マジかよ……」


 車のドアが開く前から、視線が集まる。

 先に降りてきたのは、黒いスーツに身を包んだ男女数名。耳元にはインカム、立ち位置は自然だが隙がない。


 付き人、というより――護衛だ。


 通行人が立ち止まり、スマホを構える者も出始めた、その瞬間。


 最後に、後部座席のドアが、静かに開いた。


 まず目に入ったのは、陽光を弾くほど艶やかな金髪――いや、正確には、腰まで届くほどの長さで、ドリルのように完璧に巻かれた縦ロールだった。


 次いで、白磁のような肌。

 凛とした目元と、わずかに顎を引いた上品な仕草。


 場違い、という言葉では足りない。


 下町の定食屋に来るには、あまりにも完成されすぎた“お嬢様”。


 動きやすさを多少は意識しているのだろうが、それでも高級素材だと一目で分かるドレス。

 足元には汚れ一つない靴。

 そのすべてが、この商店街の現実と、徹底的に噛み合っていなかった。


「……あれ、誰だよ」


「芸能人?」


「いや、違う……あの車、ニュースで見たことあるぞ」


 ざわめきは、もはや隠しようがない。

 そして、その中心にいる彼女は、そんな視線を浴び慣れているのか、まるで意に介した様子もなく、ゆっくりと周囲を見回した。


 ――それから。


 くすんだ木の看板。

 手書きの文字で書かれた「かくりよ亭」。


 それを見上げた瞬間、彼女は、ふっと微笑んだ。


「……こちら、ですのね」


 柔らかく、けれどよく通る声。


 その声を聞いた瞬間、俺は確信した。


 ――来た。


 厨房の奥で、俺は手を止める。

 理央と、視線が合う。

 刹那もまた、入口の方を見据え、背筋を伸ばした。


 暖簾の向こうで、黒服の一人が一歩前に出る。

 その動きに合わせて、店内のざわめきが、ぴたりと止まった。


 次の瞬間――

 暖簾が、静かに揺れる。


 西園寺麗華。

 西園寺グループを代表して、この店に来る女が、今まさに、かくりよ亭の中へ足を踏み入れようとしていた。



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