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探索者を辞めた俺は、ダンジョン飯で最強を支える定食屋になる  作者: 悪癖


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第14話 帳簿の中に、私の居場所はある

閉店の札を裏返した瞬間、かくりよ亭は静寂に包まれる。


私は事務机に腰を下ろし、売上伝票を一枚ずつ並べた。開店中は立ちっぱなしで、頭の中に放り込んでいた数字たちが、今になって一斉に主張してくる。昼間の熱気が嘘のように、店内には換気扇の低い音と、紙をめくる微かな擦過音だけが残っていた。


今日も、バフ盛り定食は完売。

それ自体は、文句のつけようがない成果だ。


問題は――値段だった。


電卓を叩き、原価表と突き合わせる。私は小さく眉を寄せた。

この価格設定は、そもそも無理を承知で決めたものだ。本来、ダンジョン食材は安定供給ができない。だから開店当初は、一般食材をベースにして、どうにか工夫しながら最低限のバフ効果を成立させていた。その“苦肉の策”だった頃の値段を、私たちは今もそのまま使っている。


けれど、今は違う。


刹那さんが、二日に一度、確実に食材を持ち帰ってくる。

しかも質も量も、通常の仕入れでは到底あり得ないレベルだ。


仮にこれを市場から正規に仕入れたとしたら――

私は試算を入力し、表示された数字を見て、はっきりとため息をついた。


「……赤字、ですね」


小声で呟いて、周囲を見回す。誰も聞いていない。

そう、刹那さんが“従業員として”ダンジョンに潜ってくれているからこそ、この店は成り立っている。普通の定食屋が、探索者向けの卸値でダンジョン食材を仕入れて、同じ値段で提供すれば、一日ももたない。


今のバフ盛り定食は、すべてがダンジョン食材だ。

かつて「どうにか成立させていた」頃とは、料理の中身が根本的に違う。それなのに、価格だけが置き去りになっている。


私は画面を閉じ、カウンター越しに厨房を見た。

店長は、相変わらず無言で包丁を動かしている。開店中と変わらない、ぶっきらぼうな背中。でもその背中が、今の価格設定にどこまで自覚的かは分からない。


利益が出ているように“見える”今こそが、一番危険だ。

刹那さんが無理をすれば終わり。何か一つ歯車が狂えば、全部が崩れる。


私は立ち上がり、帳簿を手に取った。


「店長」


包丁の音が、一拍だけ止まる。


「少し……お時間、よろしいですか。

 そろそろ、経営の話をきちんとしないといけません」


価格改定。

その言葉を、どう切り出すかを考えながら、私は厨房へ一歩踏み出した。


閉店後のかくりよ亭は、昼間とは別の意味で緊張感がある。


私はカウンター席の一つにノートパソコンを置き、帳簿と原価表を並べた。向かいには店長――大崎さんが腰を下ろしている。営業中なら料理が次々と置かれる場所に、今は数字だけが並んでいる。その光景だけで、これは“いつもの仕事”ではないと分かる。


「それで……経営の話、ってのは?」


店長は腕を組み、どこか他人事のような声で言った。

この時点で、私は確信していた。――気づいていない、と。


「まず、こちらをご覧ください」


私は画面を向け、バフ盛り定食の原価一覧を表示した。

主菜、副菜、出汁。それぞれに使用しているダンジョン食材と、仮想仕入れ価格。


「これ、今の販売価格ですと……」


計算結果を示す。

赤字。はっきりと、誤魔化しようのない数字。


「……あ?」


店長の眉が、わずかに動いた。


「浅層産のダンジョン食材でも、通常の食材の十倍前後が相場です」


私は淡々と説明を続ける。


「元探索者の大崎さんなら、ご存じですよね。

 中層に入ればさらに跳ね上がりますし、深層産であれば、競売価格になることも珍しくありません」


そこで初めて、店長は帳簿を真剣に覗き込んだ。


「……確かに」


低く、納得したような声。


「でも今は……」


「はい」


私は頷く。


「刹那さんが“従業員として”仕入れてきてくれているから、成立しているだけです。

 普通に仕入れていれば、この値段設定は完全にアウトです」


店長は、少しの間黙り込んだ。

その表情は、値段を知らなかった人のものではない。知っていたのに、結び付けていなかった人の顔だ。


「最初に値段を決めた頃はな」


ぽつりと、店長が言う。


「ダンジョン食材が安定しなかった。

 普通の食材を混ぜて、どうにかバフが乗る料理を作ってた時の値段だ」


「はい。その認識のまま、今に至っています」


私はそう答えた。


「今のバフ盛り定食は、すべてダンジョン食材です。

 中身は当時とは別物なのに、価格だけが置き去りになっています」


店長は、軽く頭を掻いた。


「金目当てでやってるわけじゃねえからな……言われるまで、正直考えてなかった」


その言葉に、私は少しだけ表情を和らげる。

それが店長の人柄であり、この店の強さでもあるのだから。


「ですが、続けるためには必要です」


私ははっきりと言った。


「価格改定を行いましょう。

 “安くてすごい店”のままでは、いつか必ず歪みが出ます」


店内は静かだった。

換気扇の音だけが、時間を刻んでいる。


しばらくして、店長は小さく息を吐いた。


「……分かった。まずいってのは、理解した」


その一言で、胸の奥に溜まっていた緊張が、少しだけ解ける。


「では次は」


私は帳簿をめくり、次のページを開いた。


「どこまで上げるか。

 そして、どう納得してもらうか――そこを一緒に詰めましょう」


経営会議は、ここからが本番だった。


帳簿のページをめくったまま、私はペン先を止めていた。

価格改定が必要だという点までは、店長も理解してくれた。けれど――「どうするか」が一番難しい。


「値段を上げるにしても、急すぎるのは反発が出ます」


私はそう前置きしてから、画面に視線を落とす。


「特に今のお客様は、“飯で強くなる”という実感に価値を見出しています。

 そこで値段だけが跳ね上がると……」


言い切る前に、店長が口を開いた。


「全部を切り替える必要はねえんじゃないか」


意外な言葉に、私は顔を上げた。


「……と、言いますと?」


店長は少し考える素振りをしてから、淡々と言う。


「通常の食材も、量は減らしてるが一応仕入れてる。

 だったら、前みたいに“抑えた構成”のバフ盛り定食は作れるだろ」


その瞬間、頭の中で点と点が繋がった。


「バフ効果を調整した、従来型のもの……ですね」


「ああ」


店長は頷く。


「今みたいに全部ダンジョン食材で固めなくても、

 最低限、探索前後に効くレベルのバフは乗せられる」


それは事実だ。

元々、かくりよ亭のバフ盛り定食は“限られた条件で最大効率を出す”料理だった。今が特別なのだ。


「で」


店長は、そこで少しだけ口角を上げた。


「全部ダンジョン食材を使った今のやつは、別枠にする」


「別枠……?」


「名前も変えりゃいい」


その言葉に、私は思わずペンを走らせた。


「たとえば?」


「……バフどか盛り定食、とか」


一瞬、言葉の響きを頭の中で転がしてから、私は小さく息を吐いた。


「分かりやすいですね……良くも悪くも」


「だろ」


店長は肩をすくめる。


「値段も、ちゃんと上げる。

 浅層素材が通常の十倍だってことを考えりゃ、今のままってわけにはいかねえ」


私は計算式を組み直しながら、頷いた。


「二段構え、ですね。

 これまで通りの価格帯で提供する“バフ盛り定食”。

 そして、すべてをダンジョン食材で構成した高価格帯の“バフどか盛り定食”」


「選ぶのは客だ」


店長の声は、ぶっきらぼうだが迷いがない。


「金を払ってでも、最大の効果が欲しい奴もいる。

 そこまでいらねえって奴には、今まで通りの飯を出す」


私は画面を閉じ、ゆっくりと息を吐いた。


「……理にかなっています」


これなら、無理なく価格改定ができる。

店の理念も壊さず、刹那さんの負担も“見えにくく”しない。


「では」


私は帳簿を整え、店長を見た。


「この方針で、正式に決定ということでよろしいですね」


「ああ」


短い返事。けれど、その一言で十分だった。


こうして、かくりよ亭の新しい形が決まった。

“選べる強さ”を提供する定食屋として。


私は次にやるべき仕事――告知文と価格表の修正を、もう頭の中で組み立て始めていた。


「じゃあ、方針は決まりですね」


私は帳簿を閉じ、ノートパソコンの画面を落とした。

“バフ盛り定食”と“バフどか盛り定食”。二本立てで行く。その結論に、もう迷いはない。


「明日からの仕込み、少し変わるな」


店長――大崎さんは立ち上がり、エプロンを手に取る。


「数量と構成、ちゃんと分ける。

 どか盛りの方は、完全に別枠だ」


「お願いします」


私はそう答えた。

その声が、経営会議の終わりを告げる合図だった。


店長はそのまま厨房へ戻り、包丁とまな板を取り出す。

もう頭の中は“明日の料理”に切り替わっているのだろう。切り替えが早い。経営の話をしていた直後だというのに、動きに迷いがない。


私は再び事務机に戻り、パソコンを立ち上げた。

価格表の修正、メニュー名の整理、原価率の再計算。やることは山ほどある。


カウンター越しに聞こえる包丁の音は、一定で、心地いい。


(……店長、すごいなあ)


ふと、そんな独白が胸に浮かぶ。


金勘定に疎いわけではない。

ダンジョン食材の価値も、相場も、元探索者としてきちんと分かっている。

それでも“儲かるかどうか”ではなく、“どう出すか”から考える。


料理人としての矜持と、探索者だった頃の感覚。

その両方が、当たり前のように共存している。


私は画面に視線を戻し、修正した価格を入力していく。

赤字だった数字は、きちんと現実的な線に収まっていった。


厨房では、店長が何事もなかったかのように、翌日の仕込みを続けている。

その背中を横目に見ながら、私は静かにキーボードを叩いた。


かくりよ亭は、また一つ、ちゃんと“店”になった。

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