第12話 カメラが回ると、味は変わるのか
あの騒ぎのような初日から、ちょうど一週間が経った。
朝の仕込みを終え、出汁の火を落としたところで、店の空気がふっと緩む。ピークタイム前の、わずかな静寂。俺はまな板を拭きながら、カウンター越しに店内を見渡した。
いつもと変わらない――と言いたいところだが、変わった点は確実にある。
常連だった顔ぶれに混じって、見覚えのない探索者が増えた。装備の傷具合や立ち居振る舞いで、浅層常駐か、中層を主戦場にしているかが分かる。深縁市みたいな片田舎の商店街にしては、明らかに場違いな連中だ。
「……本当に、宣伝効いてるな」
ぼそりと漏らすと、帳場で端末を操作していた理央が、ぴたりと手を止めた。
「店長、今いいですか?」
その声色で察する。
事務的な報告じゃない。面倒事か、でかい話だ。
「なんだ」
「実は……」
理央は一度だけ深呼吸してから、こちらをまっすぐ見た。
「ダンチューバーの方から、正式なアポイントが届いています」
――ダンチューバー。
探索者がダンジョン攻略の様子を配信する、今どきの職業。
刹那が仕入れに行くようになってから、動画サイトの切り抜きやら掲示板やらで、店の名前が出ているのは把握していた。
「名前は?」
「クラウン、という配信者です。登録者数は……こちらです」
差し出された端末の数字を見て、思わず眉が動く。
「……多いな」
「ええ。第四区画を主戦場にしている方で、シーフ系。軽い魔法も使えるそうです」
軽い、で済むのが逆に怖い。
それだけで生き残って、配信で食ってる時点で、腕は確かだ。
「内容は?」
「『かくりよ亭での食事風景を含めた配信を行いたい』とのことです。店内撮影の可否、料理の紹介、簡単なインタビュー……」
「断る」
反射的に言い切った。
理央は驚いた様子もなく、静かに続きを促すように視線を向けてくる。
「理由は?」
「うちは見世物じゃない。飯屋だ」
料理は客の腹を満たすもので、数字を稼ぐ道具じゃない。
配信者が悪いとは言わないが、線は引く。
「……私も、その点は懸念していました」
そう言ってから、理央は一拍置いた。
「ただ、先方からの条件も併せてお伝えします」
「条件?」
「撮影は、事前に指定した時間帯のみ。一般のお客様の映り込みは一切なし。料理のレシピや、スキルに関する詳細な言及は行わない。編集前の映像確認も可能、だそうです」
思っていたより、ずいぶん腰が低い。
「それに……」
理央は言葉を選ぶように、少しだけ視線を落とした。
「この方、配信外ではかなり礼儀正しいと評判で。過去にも無理な取材は一度もしていません」
なるほど。
数字だけ追うタイプじゃない、か。
「刹那は?」
「今朝、仕入れに出ています。ただ……」
理央は、少しだけ困ったように笑った。
「『店主が決めるなら、それでいい』と。ただし――」
「ただし?」
「『来るなら、ちゃんと飯を食わせてやれ』と」
あいつらしい。
カウンター裏の座敷に目をやる。
あの場所は、俺たちにとっての生活圏だ。そこまで踏み込ませる気はない。
「……店のルールは守らせる」
「はい」
「客の邪魔になるなら即中止。厨房は立ち入り禁止。配信中でも、飯は俺のペースで出す」
「全て、先方に伝えます」
理央は即座に頷いた。
「で、向こうの返事は?」
「条件次第で、最短で三日後に来店したい、と」
三日後。
刹那の仕入れ日と、数量限定のバフ盛り定食が出せるタイミング。
偶然にしちゃ、出来すぎてる。
「……返事は、保留だ」
「承知しました」
理央はそう言いながらも、どこか期待を隠しきれない表情をしていた。
包丁を握り直す。
俺の仕事は、飯を作ることだけだ。だが、その飯がどこまで広がるかは――もう、俺一人で決められる話じゃないのかもしれない。
ちょうどそのとき、店の引き戸が鳴った。
「ただいま戻りました、店主」
聞き慣れた声。
刹那が、今日も無事に帰ってきた。
……タイミングが良すぎる。
俺は顔を上げ、言葉を選ぶ。
「刹那、ちょっと話がある」
この一週間で積み上げた日常が、また一段、動こうとしていた。
――――――
数日後。
昼の営業を終えたかくりよ亭は、シャッターを下ろし、表には「準備中」の札が掛けられていた。
探索者で賑わう時間帯を外し、あらかじめ区切った“配信用の時間”。理央が綿密に組んだ段取り通りだ。
店内はいつもより静かだが、空気は張りつめている。
カウンターは磨かれ、厨房も最低限の道具だけを残して整えられていた。見せるためじゃない。邪魔にならないため、だ。
「……やっぱり、慣れないな」
俺が呟くと、帳場に立つ理央が穏やかに微笑む。
「大丈夫です。店長は、いつも通りでいてください」
座敷では刹那が壁にもたれ、腕を組んで立っていた。今日は仕入れはない。あくまで“従業員”として、店を見ている。
そのとき、引き戸が静かに開いた。
「失礼します。ダンチューバーのクラウンです。本日はよろしくお願いします」
入ってきた青年は、カメラも回さず、機材はまだケースに入れたまま。
軽装のシーフ装備に、柔らかな物腰。配信で見る姿とは、まるで別人だ。
「店主の大崎さん、ですよね。はじめまして」
「……俺だ」
短く返すと、クラウンは深く頭を下げた。
「本日は、取材の許可をいただきありがとうございます」
理央が条件を確認し、刹那とも簡単に言葉を交わす。
クラウンは終始、こちらの立場を尊重する態度を崩さなかった。
「それでは」
一通りの挨拶が終わったところで、クラウンが切り出す。
「一度、外に出ます。ここからは“ダンチューバー・クラウン”として、正式に入店させてください」
「……分かった」
理央がシャッターを少しだけ上げ、俺たちは全員、店の外へ出た。
商店街の午後は静かだ。
深縁市の、どこにでもある地方の通り。ダンジョン第四区画が近いとはいえ、華やかさはない。
クラウンは店の正面に立ち、カメラを取り出す。
レンズがこちらを向く前、彼は一瞬だけ真剣な顔になった。
「――では、回します」
スイッチが入った瞬間、空気が変わった。
「はいどうもー! ダンチューバーのクラウンでーす!」
声のトーンが一段跳ね上がる。
「今日はですね! あの噂の、探索者御用達の定食屋! 第四区画近く、深縁市商店街にある――」
指で店を示す。
「――かくりよ亭さんに、お邪魔します!」
さっきまでの好青年はどこへ行った。
煽り、テンポ、表情。完全に“配信用の顔”だ。
「いやー、ずっと気になってたんですよ! ダンジョン食材で作る、食べると“なんかヤバい”定食が出るって話!」
誇張はしているが、嘘は言っていない。
ギリギリを攻めてる。
「それじゃあ、行きましょうか!」
引き戸に手をかけ、カメラを向けたまま声を張る。
「初潜入! かくりよ亭!」
戸が開き、店内の明かりが映り込む。
――ここからが、本番だ。
俺は厨房の奥で、静かに包丁を握り直した。
引き戸が閉まり、外の喧騒が遮断される。
「お邪魔しまーす!」
配信特有の明るい声が、かくりよ亭の中に響いた。
カメラはクラウン自身と店内を交互に映し、あえて刹那や理央の顔は外している。事前の約束通りだ。
「というわけで、こちらが噂のかくりよ亭さん。席数は少なめ、でもその分“ガチ”らしいですよ」
「……いらっしゃい」
俺はカウンター越しに短く言う。
理央がすかさずフォローに入った。
「本日は貸切となっております。お好きな席へどうぞ」
「ありがとうございます!」
配信口調のまま、クラウンはカウンター席の中央に腰を下ろす。
「いやー、この距離感。嫌いじゃないですね。厨房が近い店は、だいたい本気のところが多い」
カメラがちらりと俺の手元を映す。
「おっと、店主さん、ちょっとだけご挨拶いいですか?」
「短くな」
「了解です!」
クラウンは画面に向かって親指を立てた。
「こちらが店主の大崎さん。探索者引退後にこの店を開いた料理人さんです。無口だけど、腕は本物……らしいですよ?」
らしい、で済ませてくれるのが助かる。
「それじゃあ、今日は何をいただけるんでしょう?」
「数量限定のバフ盛り定食だ」
「来た!」
テンポよく煽りつつも、目は真剣だ。
理央が横から補足する。
「効果や詳細については、あくまで“食後の感想まで”でお願いします」
「もちろんです。ネタバレは嫌われますからね」
刹那はカウンター裏の壁際に立ち、腕を組んだままこちらを見ている。
配信には映らない位置。だが、その視線が妙に背中を押してくる。
「それじゃ、作る」
俺はそう言って、カメラから一歩距離を取った。
――いつも通り。
だが、今日は少しだけ、気合を入れる。
コンロに火を入れ、鍋を置く。
刹那が仕入れてきたホーンボアの肉。余分な脂を落とし、繊維を断ち切るように包丁を入れる。音が、澄んでいる。
ジュッ――。
鉄板に置いた瞬間、肉の表面が焼き締まり、香ばしい匂いが立ち上る。
「おおっ……!」
背後で、素直な感嘆が漏れた。
「この音、この匂い。もう腹減ってきましたよ」
無視して、火加減を調整する。
焼きすぎない。中の旨味を逃がさない。
並行して、出汁を温める。
ダンジョン食材特有のクセを殺し、旨味だけを引き出すための配合。ここは《かくりよの手》の感覚が物を言う。
――流し込むように、意識を集中させる。
鍋の中で、気配が変わった。
目に見えない何かが、料理に溶け込んでいく感覚。
「……」
理央は黙って様子を見守り、刹那は小さく息を整えている。
誰も邪魔しない。
盛り付けに入る。
白米、味噌汁、焼き上げた肉、滋味深い副菜。
――いつもより、ほんの少しだけ丁寧に。
皿をカウンターに置く。
「お待ち」
その瞬間、カメラ越しでも分かるほど、湯気が立ち上った。
「……これは」
クラウンが、言葉を失ったように息を呑む。
俺は腕を組み、短く告げる。
「冷めないうちに食え」
さて。
この一食が、どこまで伝わるかだ。




