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探索者を辞めた俺は、ダンジョン飯で最強を支える定食屋になる  作者: 悪癖


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第11話 火を振るう者、運ぶ者

 ――シャッターを上げる前から、嫌な予感はしていた。


 商店街の朝はいつも静かだ。深縁市の外れにあるこの通りは、昼を過ぎてようやく人が増える程度で、朝一番から賑わうことなんて滅多にない。ましてや、平日の朝だ。

 それなのに。


「……は?」


 店の裏口から表へ回った瞬間、思わず声が漏れた。


 かくりよ亭の前――正確には、店の前から商店街の角を曲がった先まで、人の列が伸びている。ざっと見積もっても二十、いや三十人はいる。探索者らしい装備の連中が大半で、軽装の一般客も混じっている。防刃ジャケット、魔石ランプ、腰に下げた短刀。見慣れたはずの装備が、今日はやけに多い。


 開店はまだ十分以上先だぞ。


「店長……これは……」


 後ろからついてきた理央が、珍しく言葉を失っていた。普段なら即座に状況を整理して数字を弾き出す女が、ただ目を見開いている。


「……SNS、ここまで効くもんなのかよ」


 ぼそりと呟くと、理央が我に返ったように頷いた。


「昨日の夜から反応は多かったですが……正直、私もここまでとは思っていませんでした。いいねと保存数の伸びが、探索者アカウント中心に加速していて……」


「半信半疑だったのは俺だけ、ってわけか」


 俺は腕を組み、列の先頭を見た。すでに簡易椅子を持ち込んで座っている奴までいる。完全に“並ぶ気”だ。

 視線に気づいたのか、列の中の一人――中層常連らしい槍使いが、軽く会釈してきた。


「おはようございます。ここ、かくりよ亭ですよね?」


「ああ」


「今日のバフ盛り、数量限定って聞いて。噂、本当ですか?」


 噂。

 その一言が、胸の奥で小さく引っかかった。


 最強探索者が食材を調達している。

 傷を癒す料理がある。

 深層帰りでも、ここで飯を食えば明日も潜れる。


 理央が選んだ言葉は控えめだったはずだ。それでも、探索者界隈では十分すぎるほど刺激的だったらしい。


「……本当だ。ただし、数は出せねえ」


「それで十分です」


 男はそう言って、列に戻った。その背中に迷いはない。


 商店街の向こうでは、通勤途中の地元民が不思議そうに足を止め、スマホを取り出している。写真を撮られている気配もあった。

 深縁市の片田舎で、これは異常事態だ。


「店長」


 理央が、少しだけ声を潜めた。


「回転、どうしますか? 席数的に全員は……」


「分かってる」


 カウンター八席、テーブル二つ。いつも通りやれば、確実に溢れる。

 それでも――逃げる気はなかった。


「できる範囲でやる。無理はしねえ。売り切れたら、今日は終いだ」


「……はい」


 理央は小さく笑った。その表情には、不安よりも覚悟があった。


 その時。


「おー、すごいな。これ全部、うち?」


 軽い声と一緒に、刹那が商店街の角から姿を現した。ダンジョン帰りではない、従業員としての服装。肩に担いだバッグが、軽く揺れる。


「……見ての通りだ」


「へえ」


 刹那は列を一瞥し、どこか楽しそうに口元を緩めた。


「店主。どうやら、私の仕入れ……無駄じゃなかったみたいですね」


 その言葉に、列のあちこちで視線が集まる。ざわり、と空気が揺れた。


 ――まずいな。

 そう思った瞬間、刹那が一歩、俺の隣に立つ。


「安心してください」


 彼女は、探索者ではなく、かくりよ亭の従業員としての顔で言った。


「今日の分は、ちゃんと用意してありますから」


 その一言で、列の熱が一段階上がったのが分かった。


 俺は、ゆっくりとシャッターに手をかける。


 ……さて。

 本当に、いつも通りでいられるのか。


 ガラガラと金属音が響き、店の中の空気が、外へと流れ出す。


 開店だ。


 ――ここから先は、もう後戻りできない。


 開店と同時に、店内の空気が一変した。


「いらっしゃいませ、かくりよ亭です。お一人様ですね、カウンターへどうぞ」


 理央の声が、普段より一段高く、はっきりと響く。迷いがない。列の先頭から次々と客が流れ込み、カウンターの八席があっという間に埋まっていく。


「こちらは二名様ですね。テーブル席へご案内します」


 刹那が続く。動きは無駄がなく、探索者時代と変わらない。違うのは、刀の代わりにトレーを持っていることだけだ。

 客たちは一瞬、彼女を見て息を呑み――すぐに納得したように頷く。若手最強。その肩書きを知っていようがいまいが、只者じゃない空気は隠せていない。


 席が埋まるのと同時に、外で待っていた客が入れ替わるように店内へ吸い込まれてくる。


「本日のメニューは二種類です」


 理央が簡潔に説明する。


「通常の定食と、数量限定のバフ盛り定食。バフ盛りは効果調整の関係上、お時間を少々いただきますが……」


「バフ盛りで」


「こっちもバフ盛り」


「俺もだ」


 被せるように声が重なる。


 ……まあ、そうなるよな。


 厨房の奥で、俺は静かに息を吐いた。

 注文票を置くスペースが、すでに足りない。


「店長」


 刹那が、カウンター越しに身を乗り出す。


「カウンター八、テーブル二。全員バフ盛り定食です」


「……全員?」


「はい」


 即答だった。


 理央もすぐ後ろに続く。


「追加で、外に三組待ちがあります。回転次第でご案内しますが、こちらもほぼ確実にバフ盛りになるかと」


「了解だ」


 短く答え、火口に火を入れる。

 鉄板が熱を帯びる音が、やけに心強い。


 カウンターでは、探索者たちが小声で情報交換を始めていた。


「本当に効くらしいぞ」


「前に深層帰りで食ったやつが、翌日普通に潜ってた」


「若手最強が仕入れ担当って時点で信用できるだろ」


 視線が、ちらちらと刹那に向く。

 だが本人は気にも留めず、淡々と水を配り、注文を確認している。


「ご注文、以上でよろしいでしょうか」


「はい」


「ありがとうございます。少々お待ちください」


 その一言を言うたび、店の熱が上がっていく。


 理央が、注文票をまとめて俺の横に置いた。


「店長、現在バフ盛り十人前。効果は回復寄りで統一しています」


「分かった」


 視線を上げると、理央と刹那の目が合った。


 忙しい。確かに忙しい。

 だが――嫌じゃない。


「……行くぞ」


 俺が呟くと、二人は小さく頷いた。


 こうして、かくりよ亭はかつてない忙しさの渦に飲み込まれていく。

 その中心に、俺たちはいた。


厨房は、戦場だった。


 コンロは四口。

 鍋用が二つ、フライパン用が二つ。

 普段なら十分すぎる設備だが、今日は違う。火を入れた瞬間から、余裕なんてものは消え失せた。


 左手前の鍋では、ホーンボアの骨と香味野菜を入れた出汁が、低く唸るように煮立っている。表面に浮いた灰汁を素早く掬い取り、火加減を落とす。煮立たせすぎるな。効能が飛ぶ。

 《かくりよの手》が、じわりと反応した。素材の“芯”が、熱の中でほどけていく感覚が、指先に伝わる。


 右手前の鍋では、浅層産の薬草と中層キノコを合わせた回復用の煮込み。香りが立ち上がった瞬間を逃さず、刻んだ肉を投入する。順番を間違えれば、ただの滋養食だ。

 今日は“効かせる”。


 フライパン用コンロの一つでは、厚切りにしたホーンボアのロースを焼いていた。

 強火。

 表面を一気に焼き固め、旨味を閉じ込める。油が跳ね、鉄板が鳴る。肉の色が変わる、その一瞬を見逃さない。


「……今だ」


 火を落とし、余熱で中まで通す。

 もう一つのフライパンでは、付け合わせの野菜を同時に炒める。ダンジョン芋、耐毒草、地元野菜。香り付けにごく少量の魔性香辛料。入れすぎるな。探索者の胃は丈夫だが、客は客だ。


 皿を温め、盛り付けに入る。

 ご飯は少し硬め。バフが乗る前提だ。

 肉を置き、野菜を添え、最後に――鍋から、あの煮汁をかける。


 《かくりよの手》が、確かに“繋いだ”。

 食材と食べ手を結ぶ感覚。今日も、はっきりと分かる。


「一人前、上がる」


 声をかけると、即座に返事が来た。


「はい!」


 理央だ。

 カウンター裏から素早く入り、トレーを差し出す。


「回復寄り、ですね」


「ああ。次も同じだ」


「承知しました」


 無駄な会話はない。

 理央はそのまま店内へ戻り、次の客へと運んでいく。


 間髪入れず、次。

 鍋の火を調整し、フライパンを入れ替える。洗う暇はない。拭いて、即使う。


 肉を焼き、煮込み、盛る。

 焼き、煮込み、盛る。


 リズムができてきた。

 身体が勝手に動く。


「店主、次いけます」


 刹那が顔を出した。

 額にうっすら汗を浮かべているが、表情はどこか楽しそうだ。


「これ、運べ」


「了解です」


 トレーを受け取る手が、驚くほど丁寧だった。

 刀を扱う手とは違う。だが、同じくらい安定している。


 厨房に、湯気と香りが満ちる。

 肉の焼ける匂い、出汁の深い香り、炊き立ての飯の甘さ。


 外の喧騒が、遠くに感じられた。


「次、二人前まとめていく」


「分かりました!」


 理央と刹那の声が、重なる。


 鍋用コンロ二つ、フライパン用二つ。

 そのすべてが、休みなく火を吐いている。


 ――まだ、止めない。


 俺は包丁を取り、次の肉に刃を入れた。



――――――


(名もなき探索者視点)


配膳された瞬間、卓上の空気が変わった。


 白磁の大皿の中央に、分厚く切られた肉が堂々と鎮座している。表面は香ばしく焼き色が付き、照りのある煮汁がゆっくりと縁へ流れていた。湯気に乗って立ち上るのは、肉の脂の甘い香りと、出汁の奥行きある匂い。その奥に、薬草特有の青さがわずかに混じる。鼻腔をくすぐるのに、不思議と刺激はない。むしろ、深く息を吸いたくなる匂いだ。


 脇を固める副菜も手を抜いていない。

 淡く艶のある煮野菜は、箸を入れただけでほろりと崩れそうで、炒め野菜は瑞々しさを残したまま油をまとっている。小鉢の漬物からは、発酵由来の穏やかな酸味が立ち、味噌汁は湯気の向こうで表面を震わせていた。

 白米は粒が立ち、照明を受けてほのかに光っている。


 箸を伸ばし、まずは肉。


 歯を入れた瞬間、軽い抵抗のあと、驚くほど素直に噛み切れる。焼きで閉じ込めた旨味が、噛むたびに溢れ出し、出汁の味と絡み合う。脂は重くない。舌にまとわりつく前に、すっと消える。

 温度が、ちょうどいい。熱すぎず、ぬるくもない。


 次に、飯をかき込む。

 肉の濃さを受け止める硬さで炊かれた米が、口の中でほどけ、甘みが広がる。出汁の余韻と混ざり合い、もう一口を自然に呼ぶ。


 匂いは、食べ進めるごとに変化する。

 最初は肉と出汁。次第に薬草の香りが主張し始め、最後には身体の奥に染み込むような温かさだけが残る。


 ――そこで、気づく。


 肩の重さが、消えている。

 呼吸が、深くなっている。


 胃のあたりから、じんわりと熱が広がり、四肢へと巡っていく感覚。筋肉の張りが和らぎ、微細な疲労が剥がれ落ちていく。痛みとして認識するほどではなかった違和感が、いつの間にか思い出せなくなっている。


 味噌汁を一口。


 塩味は控えめなのに、身体が欲していたものが、確かにそこにある。喉を通るたび、内側から整えられていくような感覚がある。

 ただの“美味い”では終わらない。


 副菜を食べ終える頃には、背筋が自然と伸びていた。

 視界が、わずかに澄んでいる。


 最後に残った煮汁をご飯にかける。

 その一口が、決定打だった。


 腹に落ちた瞬間、全身が軽くなる。

 無理に力を入れなくても、動ける。

 深層帰りの疲労が、確実に薄れている。


 皿の上が空になる頃には、もう疑いはなかった。


 これは――食事だ。

 だが同時に、準備でもある。


 立ち上がるための、次へ進むための。

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