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探索者を辞めた俺は、ダンジョン飯で最強を支える定食屋になる  作者: 悪癖


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第10話 嬉しい悲鳴と、冷蔵庫の前で

 食糧庫の扉を開けた瞬間だった。


「ひゃ……ひゃああっ……!」


 抑えきれない声が、理央の喉からこぼれ落ちた。悲鳴と言うにはあまりにも明るく、歓声と言うには切実すぎる、まさに“うれしい悲鳴”だった。


 薄暗くひんやりとした食糧庫の空気の中、視界いっぱいに広がるのは、異様とすら言える光景だ。

 壁沿いに並べられた木製の棚、そのすべてが、隙間という隙間までダンジョン食材で埋め尽くされている。


 血抜きと熟成を終え、部位ごとに分けられたホーンボアの肉は、大判の赤身が麻袋に包まれて下段に鎮座している。脂の差し方が美しい肩ロース、繊維の細かい腿肉、煮込み向けに切り分けた端肉――それぞれに炭筆で用途が書かれ、几帳面に積み上げられていた。

 その上の棚には、透明な保存瓶がずらりと並び、淡く発光するスライムの可食部が色別に収められている。とろみ用、栄養補助用、薬効増幅用。光の強さで鮮度が一目で分かるよう、瓶の向きまで揃えられているのが、いかにも悠斗らしい。


 さらに奥。

 吊り下げ用のフックには、乾燥処理を施した骨材と内臓系素材がぶら下がり、出汁用の骨から、滋養強壮に使える希少部位までが、風を通す間隔で整然と並ぶ。床には足の踏み場がないほど木箱が置かれ、その中には土付きのまま軽く洗われた薬効草や、根菜系のダンジョン植物が詰め込まれていた。


 湿度管理用の魔導石が低く唸り、庫内全体に一定の冷気を行き渡らせているが、それでも食材の“圧”が凄まじい。

 量だけではない。質が、明らかにこれまでとは段違いだった。


「……す、すごい……すごいです、店長……」


 理央は扉の前で立ち尽くしたまま、呆然と中を見渡す。

 数字と在庫管理を生業にする彼女だからこそ、この光景が持つ意味が一瞬で理解できてしまう。


「これ……何日分どころじゃ……。いえ、回転を抑えれば、下手をすると一週間……」


「三日は全力で回せる。無理しなきゃ五日だ」


 悠斗は腕を組み、棚の一角を見ながら淡々と答えた。

 だが、その声には隠しきれない満足感が滲んでいる。


「処理も保存も、今できる最善だ。刹那が無駄なく持ってきたのもでかい」


 理央は小さく息を吸い、もう一度、食糧庫全体を見渡した。

 ――ここまで揃った食材を前に、料理人が浮かべる顔を、彼女は何度も見てきた。


「……店長、正直に言いますね」


「なんだ」


「この量と質……“かくりよ亭”としては、事件レベルです」


 真面目な声色に、悠斗は鼻で小さく笑った。


「大げさだ」


「いいえ。売上予測も、仕込み計画も、全部組み直しです。

 それに……」


 理央は足元の木箱を避けながら一歩踏み出し、薬効草の箱に手を伸ばす。


「これ、状態が良すぎます。下処理も完璧ですし、ロスがほぼ出ません。

 ……仕入れコスト、考えたくないくらいです」


「考えるな。俺が使う」


 短く言い切ると、悠斗は棚の前に立ち、瓶の並びを微調整した。

 料理人としての視線が、次に作る料理、次に来る客、その先の一皿へと向いているのが、背中越しにも分かる。


「理央」


「はい」


「嬉しいのは分かるが、浮かれるな。

 これが“当たり前”になるわけじゃない」


 現実を突きつけるような言葉。

 だが、それを受けて理央は小さく、しかし力強く頷いた。


「分かっています。だからこそ……」


 彼女は、改めて食糧庫を見渡し、穏やかに微笑んだ。


「今は、この“当たり前じゃない”状況を、最大限活かしましょう。

 店長の料理で」


 理央のその一言に、悠斗はわずかに眉を動かした。 

 長い話になるだろう、なら寒い食糧庫の中で話すべきことじゃない。

 仕事も残っているからと厨房に戻ることにし、食糧庫から出る。


 食糧庫の重たい扉が、ぎぃ……と低い音を立てて閉じられた。


 冷気が遮断されると同時に、肌にまとわりついていたひんやりとした感覚が、ゆっくりと引いていく。

 代わりに、かくりよ亭の奥に満ちる、人の気配と生活の温度が戻ってきた。


 狭い通路を数歩進む。

 足元の古い床板が、体重に応じて小さく軋む。その音さえ、今は妙に落ち着いて聞こえた。


 厨房との境目にある暖簾を、悠斗は片手でくぐる。


 瞬間、空気が変わる。

 油と出汁の匂いが混じった、料理場特有の匂い。

 換気扇の低い駆動音、コンロの種火が立てるかすかな音、金属製の調理台が放つ冷たい反射光。


 そこは、悠斗にとって一番“自分の居場所”だった。


 ステンレスの作業台の上には、先ほど途中で止めた仕込みの続きを待つホーンボアの肉。

 血の気は抜け、赤身は深く、脂は白く締まっている。

 包丁を置いた位置も、まな板の向きも、すべてが先ほどのままだ。

 仕込みの続きをはじめながらも、理央との経営会議の続きを話す。


「活かすって、具体的には?」


 ぶっきらぼうな問いかけにも、理央は怯まない。むしろ、その言葉を待っていたかのように、一歩踏み込んだ。


「刹那さんの仕入れペースを、基準にします」


「……ほう」


「二日に一回。第四区画の浅層限定で、今と同じ“指定素材のみ”。

 この条件で安定供給が見込めるなら、仕入れが読めます。読めるなら――集客も設計できます」


 理央は即座にスマートフォンを取り出し、メモアプリを開いた。

 そこにはすでに、日付と簡単な表が並んでいる。


「現状、ダンジョン食材メニューは“ある時だけ”という認識です。

 それを“週に三〜四回は高品質なバフ盛り定食が出る店”に変えます」


「無茶じゃないか」


「いいえ。無茶はしません」


 理央はきっぱりと言い切った。


「“数量限定”“本日分なくなり次第終了”。

 それを前提に、来る人を選びます。狙うのは――探索者です」


 悠斗は黙って続きを促した。


「しかも今回は、強い“看板”があります」


 その言葉と同時に、理央の視線が店の奥、座敷の方へ一瞬だけ向けられた。

 言うまでもない。刹那の存在だ。


「――最強探索者、鷹宮刹那。

 その人が“仕入れ担当として働いている店”なんて、普通は信じません。

 だからこそ、事実として出します」


「……正気か?」


「正気です。だから“盛らない”。

 写真と事実だけを、公式アカウントから」


 理央はスマートフォンを操作し、カメラを起動した。


「店長、少しだけいいですか?」


 返事を待たず、彼女は厨房カウンターに並べられた仕込み途中の食材を撮影していく。

 血抜きの済んだホーンボアの肉、光を帯びたスライムの瓶、薬効草の木箱。

 どれも過剰な演出はない。ただ、“本物”の迫力がある。


 続いて、座敷の方へ。


「刹那さん、少しだけ写真いいですか? 顔は映しませんので」


「構わない」


 短い返事。

 理央は、湯呑みを持つ刹那の手元と、帯刀したままの刀をフレームに収めた。

 探索者なら誰でも分かる、あの刀だ。


 最後に、理央はスマートフォンを操作し、文章を打ち込む。


『かくりよ亭 公式アカウント』

『本日の仕入れ完了。第四区画浅層より、状態良好なダンジョン食材を確保しました』

『当店の食材調達は、現役最強クラスの探索者が担当しています』

『数量限定・売り切れ次第終了。ご来店はお早めに』


 写真を添付し、投稿ボタンの上で一瞬だけ指を止める。


「“最強探索者も足しげく通う定食屋”じゃなくて、

 “最強探索者が働いて、食べて、認めている店”。

 この距離感が、一番信頼されます」


 そう言って、理央は投稿した。


 投稿を終えた理央がスマートフォンを伏せると、店内には一瞬、妙な静けさが落ちた。

 悠斗が包丁を動かし続けているが、その手元はどこか思案気だ。


「……で」


 刃を入れる音が止まる。

 悠斗はまな板の上の肉を見たまま、低い声で続けた。


「正直に言うぞ。そこまで宣伝効果、あるか?」


 理央は少しだけ目を瞬かせたが、すぐに表情を整えた。


「疑ってますね」


「当然だろ」


 悠斗は包丁を置き、腕を組む。


「ここは深縁市だ。関東とはいえ、片田舎。

 県庁所在地から電車で一時間以上、快速も止まらねぇ。

 商店街もシャッター増えてきてる」


 言葉は淡々としているが、現実をよく見据えたものだった。


「確かにダンジョン第四区画が徒歩圏内にあるのは強みだ。

 だが、だからって都心や他県からわざわざ飯だけ食いに来るか?」


 悠斗は鼻で小さく息を吐く。


「探索者なら尚更だ。

 遠征組は拠点近くで食うか、ダンジョン周辺の大型店に流れる。

 ここみたいな個人店まで、足を伸ばす理由が――」


「“あれば”来ます」


 理央は、即答だった。


 悠斗が視線を向ける。


「理由、です」


 理央は指で机を軽く叩きながら、整理するように言葉を重ねた。


「深縁市は確かに片田舎です。

 駅前も栄えているとは言えませんし、観光資源も弱い」


「だろ」


「でも、ダンジョン第四区画が“徒歩二十分圏内”にある街は、関東でも限られています」


 理央はスマートフォンを再び取り出し、地図アプリを開く。


「多くのダンジョン周辺は、再開発エリアか、逆に隔離された管理区画です。

 その点、深縁市は生活圏とダンジョンが地続き。

 探索前後に“寄れる店”が、意外と少ない」


「……大型チェーンはあるがな」


「ええ。だからこそ、です」


 理央は静かに頷いた。


「チェーン店は“無難”ですが、

 探索者が本当に求めているのは、

 ・ダンジョン由来の食材

 ・効果がはっきりした食事

・信用できる供給元

 この三点です」


 悠斗は口を閉ざしたまま、考え込む。


「それでもだ」


 しばらくして、彼は言った。


「都心から深縁市まで、片道二時間近い。

 ダンジョンがあるとはいえ、飯だけじゃ弱い」


「飯“だけ”じゃありません」


 理央は、座敷の方を一瞥した。


「“最強探索者が定期的に仕入れに潜っている店”です」


「噂話レベルだろ」


「最初は、そうです」


 理央は苦笑する。


「でも、探索者の界隈は狭い。

 特に、深層まで潜れる人たちは横の繋がりが強い」


 スマートフォンの画面には、投稿直後の数字が小さく表示されていた。

 まだ「いいね」は数件、コメントもない。


「今すぐ大行列ができる、なんて思っていません。

 ただ――」


 理央は画面を伏せ、悠斗を見る。


「“深縁市まで行けば、あの定食が食べられる”

 そういう認識が、少しずつ広がればいいんです」


 悠斗は小さく鼻を鳴らした。


「気の長い話だな」


「はい。でも、立地が弱い店ほど、やる価値があります」


 しばし沈黙。

 遠くで、商店街の自動ドアが開閉する音がした。


「……まあ」


 悠斗は再び包丁を取り、まな板に向き直る。


「来なきゃ来ないで、いつも通りだ。

 無理に背伸びする気もねぇ」


「それで十分です」


 理央は静かに微笑んだ。


 宣伝がどこまで届くのか。

 深縁市という場所が、壁になるのか、武器になるのか。

 答えはまだ出ない。


 ただ一つ確かなのは――

 かくりよ亭は、静かに“外”へ向けて名を投げた、という事実だけだった。

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