ベースルームとアラタの疑問
ポーン……
「ここがタワーマンションのベースルーム……」
24階のマスタールームに初めて降り立ったのは、僕一人。……僕一人で住むには、このエレベーターホールは広すぎないかな?
なんて思ったけど、目の前に広がる景色を見てそんな考えは吹っ飛んだんだ。
だって、180度ガラス張りの窓から見えるのは、飛行機から見える雲の上の景色なんだよ?
あ、実際に雲の上にあるわけじゃないよ?あれも作りモノの景色だからね?
「でもこの景色って凄いよね……雲の海に囲まれているのかぁ。なんて壮大な景色なんだろ……!」
思わず窓に張り付いて魅入ってしまう僕の後ろには、立派なソファーとテーブルもあるね。
……なんか待合室みたい。お客様が来たらここで待つのかな?
そんな事を考えていたら、横からフェイの声が聞こえてきたんだ。
「マスター、お帰りなさいませ。食事や映画はいかがでした?」
「フェイ、いたんだね。うん、食事は凄かったよ。ブライアンさん達のサーブなんて、もうほとんど言うことないんじゃない?」
「いえ、まだまだ粗がありますから、鍛えていかねばなりません」
「えっと、ほどほどにね?」
「ふふふ……さあそれよりも、マスター、お部屋の中もご覧になって下さいませ」
「あ、うん。今行くよ」
そう、気にはなっていたんだ。だってさ、あの玄関扉見覚えがあってね……
「さあ、どうぞ」
フェイが扉をカラカラカラ……と開けて僕を中へ促してくれたんだけど——僕は、その内装を見て立ち尽くしてしまったんだ。
「フェイ……!これは……?」
この時、僕は自分の目から涙が流れていたのに気が付いていなかった。温かい水がポタッポタッと玄関の床に音を立てて落ちていく。
「マスター。マスタールームはマスターが安心して過ごせてこそマスタールームです。低層マンションでは実現が不可能でしたが、タワーマンションではコンセプトも作用して実現出来ました。
『あなたの日常に感動と華やぎと潤いを』
これがこのマンションのコンセプトです。どうぞマスター、懐かしくも上質な感動を味わって下さい」
……フェイは知っていたんだね。
アラタになった僕が心の底で望んでいた生活を。
アラタとして認識していた世界とは違うし、僕はこの世界では異端子じゃないかと不安に思っていた事も。
自分でも知らず知らずに隠していた願望——日本に帰りたい、という気持ちをフェイは気付いてくれた。だから、僕は自然と涙が溢れてしまったんだろう。
僕がそのフェイのその思いやりに「ありがとう」と伝えると、笑顔で応えてくれるフェイ。
そんなフェイが部屋の中へ促すように手を差し出す先には、日本ならではの飾り棚のついた玄関から続く白い木材で作られた廊下。
扉は全て引き違いの黒い格子戸になっていて、純和風旅館のような雰囲気だけど……
「うわあ……!この飾り棚に生けられているのって、桜の枝だぁ!え?何?フェイ。廊下や壁の木材もサクラ無垢材なの?そっかぁ……やっぱり落ち着く雰囲気になるねぇ」
時々フェイが豆知識を教えてくれるんだ。ほぼ僕が懐かしんでいるのをそっと見守ってくれているけどね。
ふと上を見ると、天井も優しい色の木の格子枠で囲まれた和風照明になっていて、あたたかな光が部屋を照らしているんだよ。
そして、気になっていた玄関の近くにある右の格子戸を開けると、そこには懐かしい青畳が敷き詰められた客間になっていたんだ。
「畳だあっ!」
思わず畳にスライディングしてしまった僕だけど、畳特有のい草の匂いがたまらない……!
目を閉じると森林の中にいるようなこの感じが、前世の僕も好きだったんだよなぁ。
存分に畳を満喫して顔を上げると、僕の目の前には床の間があったんだ。床の間には桜の枝ごと大胆に飾られ、掛け軸には懐かしい四字熟語で「明鏡止水」って書かれていたけど……
「フェイ、これって意味なんだっけ?」
「マスターの前世の言葉でしたね。「明鏡止水」とは、文字通りには、〈くもりのない鏡〉と〈波1つ立たない水〉のことです。
〈すべてをありのままに受け入れられる、澄み切った心境〉のたとえとして使われる、中国の古典、『淮南子』の一節に由来する四字熟語と知識の中にはありましたよ」
「そうかぁ……うん、そうだね。僕、この言葉好きだし、この世界や僕の能力についても必要な事だろうね」
「私は『雲外蒼天』もいいと思ったんですけどね。困難を乗り越えれば明るい未来が待っていると言う考えは、何にでも応用できますし」
なんて四字熟語の言葉でフェイとしばらく盛り上がったけどね。
他にもこの部屋には日本らしい落ち着いた広縁もあって、趣がある椅子とテーブルにお客様と座ってお茶をするのも良いかなあ、なんて思ったよ。
あ、それに奥には和洋室もあってね。この世界の人達が遊びにきても問題なく泊まれそうなのが、流石フェイ!って思ったよ。
そんな客間を出て向かいの引き違い格子戸を開けると、そこには檜の香りがする洗面所兼脱衣室があったんだ。
同時に二人は使えるゆったりとしたオフホワイトの洗面台と鏡に、壁の棚には脱衣籠とタオルが完備。
そして、カラカラカラ……と奥の引き違い格子戸を開けると、四人は入れそうな檜のお風呂と木の桶に風呂椅子。勿論シャワー付きだよ。
僕なんか、浴槽に入りながら雲の海を眺める事が出来るなんて贅沢〜!って思ったけどね。でも、すっごく気持ちよさそうで、すぐにでも入りたくなったよ。
「マスタールームに関しては、清掃は一切入りません。いつでも清潔なまま、お風呂は適温ですぐにでも入れるようになっております」
「フェイ、最高!」
さっきまでの涙が吹っ飛ぶくらい叫んじゃった。
そんな最高な浴室の隣には、純和風な雰囲気の洋式水洗トイレも完備されているし、言う事無しだね。
そしてね。廊下の奥の引き違い格子戸を開けると、そこは天井が高くモダンな雰囲気のリビングがあったんだよ!しかも、広縁と日本庭園付き。
「うわあ!まるでここって、かの有名な離宮じゃないか!」
日本の美が詰まった有名離宮のような庭を眺めつつ、家具は洋風という見事な和洋室になっていたよ!
あ、庭はタワーマンションの一階と同じ、本物見えるけど造形物だからね。手入れは要らないし、フェイに言うと春夏秋冬の庭に変えられるんだって。風流だねぇ。
「あ、キッチンも和モダンな感じで良いね!」
忙しくキョロキョロと視線を泳がせると、リビングの隣にあるキッチンを発見!
シンクやIHコンロ以外が全て無垢木材の格子戸になっていて、引き違い格子戸の収納棚が、電子レンジや冷蔵庫なんかも隠してくれるから雰囲気を損なわないって結構大事!
「ところでマスターは料理をするのですか?」
なんて思いながらキッチンのあちこちを僕が興味津々で見ていると、フェイが疑問に思ったんだろうね。
「実は、和食食べたいってずっと思っていたんだ。立派なキッチンもある事だし作ろうかな。前世では結構作っていたんだよ?」
「存じております。マスターの得意料理は丼ものが多い事も」
「あー、馬鹿にしちゃいけないよ?丼ってそれだけで済むから便利なんだって。あ、じゃあ、今度ゲンデも呼んで一緒に食べようか?」
なんて盛りがって約束をしちゃったからにはやってみるけど……果たしてこのディゼルの体で料理出来るのかな?
まあ、やってみなけりゃわかんないよね!
「マスター、リビングの隣がマスターの主寝室です」
「ん?『主寝室』って事は……?」
「勿論、他の寝室もお選び頂けますよ?」
……やっぱり!広い筈だよ……寝室だけで何故三部屋?そんなに要らないでしょう!
って思っていたけど……和室でお布団も旅館みたいだし、和洋室でキングサイズベッドで寝るのも良いし、部屋の中でハンモックがあるのも面白い!
ところで、ハンモックは何故?とフェイに聞いたら、「マスターの憧れを取り入れています」だって。
いや、確かに前世は憧れてたけどさ……
フェイには僕の前世の好みまでバレているのか……と思ったらちょっと戦慄したよ……!うん。出来れば知らないふりをお願いします、フェイさん。
心の中でフェイにお願いしつつ、やっぱり乗ってみたいハンモック。因みに、自立式ハンモックだから転落の心配もないよ。
ちょっとこの無重力感が面白くて、ゴロゴロしてたら一瞬意識が飛んだから、本格的に眠る前にフェイにちょっと気になる事を聞いてみたんだ。
「ねえ、フェイ。今『マンションスキル』では、マンションの種類が4種類あるでしょう?」
「はい。低層マンション、タワーマンション、大規模マンション、再開発複合マンションがございます」
「その四つの内解放しているのが、低層マンションとタワーマンションの二つでしょう?解放した施設って移動出来たりしないのかなぁ?」
「マスターが仰りたいのは、低層マンションにあった施設をタワーマンションに移動出来ないかどうかですね?」
「うん、そう」
「残念ながらそれは出来ません。『マンションスキル』はベースルームを起点としております。起点とは、物事の始まり、つまり一つしか存在しません。そして、基点ではないのです」
「ん?どういう事?」
「基点とは、簡単にいうと物事の中心のことです。それでしたら、マスターの疑問が可能になった事でしょう」
「うーん……?なんか難しいけど……スキル内の四つの『マンション』はベースルームを起点として出来る。それで、各マンションにある施設はそのマンションにしか存在しない。……これであってる?」
「その通りです」
「……なんかフェイ、まだ僕に隠している事ある?」
「いえ、今は言えないだけです」
「……そっか。でもなんとなくわかったよ。……なんか、眠くなって来ちゃった……ちょっと寝るね」
「はい、おやすみなさいませ」
……眠気の襲われていた僕は、この時深く考えなかったけどさ。
ただ一つ思った事があったんだ。
ベースルームには本当に信頼した人以外は入れない方がいいな、ってね。
注意! 作者は言葉で遊びます。言葉の使用方法を本文のまま覚えてしまうと、テストで赤点とりますのでご注意下さい。←まぁ、この世界ではそんなもんだとご理解下さいませ。




