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君捨て山 ~八姫八君の物語~  作者: 切 実り
序章 燻り(くゆり)
9/45

9話 『死闘』

 しかし――。


「……喝ァァッ!!」


 腹の底から響くような咆哮。


 解けかけた二人の緊張は再び臨戦状態へ。男は立ち上がっておらず、声のみが聞こえた。余力を使い果たした与助には幻聴とも思えた。


 だが仁慈の目は男が放つ異様な気配の揺らぎを捉えていた。


「…………」


 男は絡繰(からくり)人形の如く跳ねるように立ち上がり、胸に深々と刺さった与助の剣を躊躇(ためら)いなく引き抜いた。噴き出すはずの血は殆ど流れない。体が自力で止血をしたのだ。


 男からは人と思えない霊気だけが放たれ続ける。


「お主を威勢だけの若武者と誤解しておったわ」


 心臓を貫いたと確信した渾身の一撃を受けてなお、男は変わらず健在であった。仁慈は愕然として言葉も出ない。


「バケモンが……」


 与助はよろよろと立ち上がる。


 男は地面に刺した与助の剣を見ては息を呑んだ。


「霊剣を使わずに、ここまで儂を追い詰めるとは……。名をなんと申す」

「……テメェ如きに負けるのは恥だ。一生のな。だが負けたからには教えてやる。オレは豪野谷与助だ。テメェは」

「儂は荒木(あらき)又右衛門(またえもん)、と名乗っておる。今は幕府にて剣術指南役をしておるが、ここまでの門人は滅多におらぬ。楽しめたぞ、豪野谷」


 荒木は再び二刀を構え、無防備な与助へと向かう。力を使い果たした素手の与助を庇うように、仁慈が前へ出る。


「次はうぬか」

「無手の人間を斬らせるわけにはいかぬだろ」

「左様か。儂が名乗ったからにはお主らの首は落とさねばな……」


 仁慈は静かに剣を構える。その背後から与助の苦しげな声が飛んだ。


「仁慈、逃げろ」

「馬鹿を言え」


 元より二人は知っている。完全に殺さずして荒木から逃れることなどできはしないと。


 とはいえ、本気の与助で勝てなかった荒木に対し、仁慈の勝算など無いに等しい。


「与助、私が戦っているうちに逃げろ」

「おいおい。そりゃねえだろ。テメェこそ大馬鹿もんだぜ」


 黙ったままの荒木は獲物を品定めするように、仁慈の太刀筋をじっくりと観察している。


「おいクソジジイッ! さっきの説明しやがれ!」

「なんじゃ」

「なんで死んでねぇんだよ!」


 荒木は心底楽しそうに笑いながら、「投げた剣如きで死ぬものか」と返す。


「投げる前もだ。オレはテメエの心の臓を貫いても余りある力で刺した。なのに刃が進まなかった。確かにテメェの体は後ろに逃げたが、んなこと以前に肉も骨もまるで岩みてえに硬かった。ありゃどんな修行でも道理に合わねえ」

「そんなことか。お主も霊剣を使った身ではないのか? 戦いの最中、そのような匂いがしたが。……霊剣は単に刃の切れ味だけでなく、使い手の肉体や感覚、技のキレまで、持ち主の全霊を余すことなく発揮させる」

 

 剣士ならば誰もが一度は耳にする、妖刀のような性質。霊剣と思わしき刀を一度振るった与助にも似たような感覚はあった。けれど、肉や骨まで強靭にするというのは信じられる話ではなく、与助は押し黙った。


「……なるほど。本来なら聞き流すほどの戯言だが、あれを見た後ではな……。とはいえ、仮に全力を出せたとしても人間本来の硬さとは思えぬが?」

「であろうな。話は終いじゃ。して、うぬの名は――」


 ――火花が舞う。

 

 荒木が言い切る前に仁慈が攻撃を仕掛けた。それでも不意を突くこと叶わず、袈裟斬りは寸分違わず二刀で受け止められる。


 仁慈は負けじとそのまま体重を乗せて突進するも、鍔迫り合いは完全に硬直した。


「小癪な。武士道を捨てたか」

「下手人に名乗る名はなくてな」

「ほう、真っ向勝負では勝てぬと判断したか。その決断力は認めてやろう」

「そちらが霊剣ならば、これで相子だろう。……にしても歳の割に力も強いとは。これも霊剣のおかげか」

「舐めるなよ青二才。鍛錬の差じゃ」


 仁慈が全体重、全筋力を乗せてもなお荒木は微動だにしない。足腰が揺れる気配すらない。


「相子と言っても、力量まで五分五分とはいかなかったようじゃな――」


 二刀を力強く振り払われ、その圧倒的な剣圧で仁慈は後ろへ大きく跳ね除けられた。


「すまぬが、今宵は十分に楽しめたのでな。うぬは早々に殺させてもらう」


 その瞬間、荒木は縮地で仁慈との距離を著しく縮め、つかの間に必殺の一太刀浴びせた。左剣だけを用いたのはそれで事足りると判断したからである。


「舐められたものだな――」


 しかし、全体は常に警戒するとしても、左剣のみを注視すれば見切れる剣に負ける仁慈ではなかった。


「ほほう。霊剣の一太刀で斬り伏せられぬか。片手とはいえ全霊であったが……。若造とはいえ無礼であったな」

「礼節を重んじるなら早々に立ち去ってほしいものだな」

「儂はこれでも幕府お抱えの剣術指南役。武人の作法に(のっと)れば、全霊こそが礼儀。故に――」


 荒木は二刀にて怒涛の剣撃を繰り出す。仁慈は反撃の隙も、息を吐く暇さえも与えられぬまま防御に徹するしかない。

 持ち前の目の良さで辛うじて致命傷は避けるも、ものの数秒で体中に切り傷を増やしていく。


「気づいておったか。儂はまだ、一度も攻めに出ておらぬと」


 二刀流が得意とする連続斬りの強襲。その片腕ですら仁慈の剣速と同等。仁慈は左剣を見ては右剣を警戒しなくてはならず、反撃に転じる機会はない。


 仁慈は防具無しの稽古によって、痛みを伴う数多の攻撃は目に強く焼きついており、師範の鋭い剣でさえ目は慣れていた。それによって剣の軌道を見定めることや、ある程度の先読みさえも可能になっている。

 

 ただし、動体視力に体が追いつくかは別の話である。


「これほど斬っても首を取れぬとは。……うぬも中々の使い手であるか」

(こちらは見切るので精一杯なのだがな……)


 次第に息遣いが荒くなる仁慈。荒木は依然として腕力の衰えを知らない。


 仁慈は与助に比べて持久力が劣るため、与助ですら倒しきれなかった荒木を与助よりも早く決着をつけなければ負けが確定する。


 だというのに、仁慈はこの剣戟の最中に奇妙な高揚を覚えていた。


(強気なこと言って闘志を保ちたいが、この人の武人としての力量は凄まじいな。……殺し合いとはこれほど鼓動が早まるのか。緊張で手先まで凍えてくる。手が滑ったら死ぬのだろうな……。腹を下しそうだ。心技体の意味がようやく分かった)

「うぬ、人を斬ったことがないな」

「そう見えるか……」

「生きるのに必死で殺意が感じられぬ」

「…………」

「技量は申し分ないが、殺す為に斬ってはおらぬ。……なぜうぬのような者が剣の道を選んだのか――?」


 問いに答える暇もなく、荒木の斬撃は瞬く間に加速する。


(先生との真剣での稽古と同じ怖さだ……。ああ、なんて凄い)


 仁慈の瞳には、『殺す気で斬らねば殺す気で斬るぞ』と真剣を向ける師範の顔と、目の前の荒木が重なって見えた。


 すると途端に仁慈の思考は防御から反撃へと切り替わる。


 ただ荒木の前方に立っていれば二刀の標的になるだけ。しかし右剣が袈裟に振り下ろされる瞬間、左に躱しながら体ごと懐に回り込めば、左剣の攻撃を受けることはなく、ほんの少しの反撃の隙ができる。


 袈裟斬りは毎度高低差があれど仁慈から見て左上から右下へ流れる線ということは変わらない。仮に低めの袈裟斬りであったとしても、与助の大剣を地面擦れ擦れで避けた仁慈ならば当たることはない。


 ならば次に考えるはようやく作れた千載一遇の反撃の機会をどうするかだ。


 『最終的にどう仕留めるかを、常に考えろ』と師範の声が頭をこだまする。


(あの速さに対応するなら、斬るよりも素早い刺突で仕留めるか?)


 浅い。師範ならそう言うだろう。


(……想定しろ。与助の渾身の刺突でさえ貫けなかったのだ。私の刺突で一撃の内に仕留められる見込みは薄い。でも戦闘が長引けば不利になる一方。ならば薙ぎ払って喉を掻っ切るか? ……いや、一撃で仕留める想定はただの焦りだ。捨てろ)


 師範は願望混じりの判断では事を仕損じると口酸っぱく言っていた。


(首を取ろうなど思うな。今の技量で首を断つのは確実ではない。ひとまずは面倒な二刀を一刀に減らすことが先決)


 荒木は感じ取る、仁慈の瞳が覚悟の色に変わったことを。


(私が成すべきは袈裟斬りを躱した()の反撃ではない。躱した後であれば敵にも防御の隙を与えてしまう。よって敵の攻撃を避けながらの反撃が最善。避けると同時でありながら片腕を潰すことのできる技といえば――)


 右剣を避けた流れで右腕を斬る、という剣の軌道が仁慈の中で想定と構築が繰り返される。


 完全に右腕を断ち切らずとも右剣が握れなくなる、あるいは威力を著しく削ぎ落とせられれば御の字。


 最適な技、それは――。


 荒木が素早く右腕で袈裟斬りを繰り出すと共に、仁慈は下段に構えた。


(――〝昇り龍〟)


 与助との戦いで完成させた回避の後に斬り上げる技。


 仁慈は低い姿勢で左へ避けた。その勢いを殺さず、荒木の振り下ろした右腕に沿うように斬り上げる。


 刹那、荒木はがら空きの右脇が斬られることと、振り下ろした右腕が邪魔をして左剣で防げないことの両方に気付いた。


 仁慈の鋭敏な斬り上げが、脇を目掛けて空を駆け抜ける。


(先ずは片腕、貰い受ける――!)


 天高く昇る龍の如く。切先三寸は確実に腕を捉えた。

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