47話 『流鏑馬の儀』
――高田馬場。
朝から広大な馬場には、大勢の来賓が押し寄せていた。籠や馬に乗った者達が次々とやってくる。大名行列さながらである。何も知らない町人達も騒いでいる始末だ。
馬場に併設された屋敷の控え室から、治太郎、常子、常影の三名は外の賑わいを眺めていた。
「いよいよですね」
「――待て待て待て待て待て待て!! はぁ? 多すぎだろ! 大々的じゃねぇんだろ? 俺隠し子だよな?」
常影も緊張で興奮気味になりながら、立ち尽くす治太郎の肩を揉みほぐす。力の加減を忘れて揉むので、治太郎の目が血走るように大きく開かれた。
「まあ八姫八君のどの御家もご存知ですから! 誰も彼も若様のゴマすりだと思ってください」
「これ常影。不敬ですよ」
「ありゃゴマすりじゃねえだろ! 品定めする面構えの奴らばっかだぜ!?」
格子の隙間からまるで下手人のように外を覗く治太郎。常影はむしろ見ないように目を閉じていた。
「まだ元服の儀もしてねえのになーんでこんなウジャウジャ……」
「これが終わればすぐに元服ですから!」
「日々の厳しい鍛錬を越えた若様なら心配ご無用かと。……これまでのご自身が、自信になるはずです」
「駄洒落……? 常子が言うと笑っていいのか分からねえからやめてくれ」
「ふふふふ……」
そう微笑みながら常子は部屋から去っていく。すると入れ替わりで女中達が押し寄せ、治太郎の着替えが始まった。
馬場の会場には一際目立つ桃色の姫君と童顔の侍が佇んでいた。
第五王女・五姫と忠臣の犬吉である。
「ぃ……犬吉……どういうこと? こんな面白い祭りに妾以外の兄弟がだーれもいないじゃない」
「姫様……。八姫八君の中で、自らお越しになったのは姫様だけのようです……。代わりに皆、使いの者を寄越しているようですね」
治太郎は第一王子・太郎の子。その由緒正しき流鏑馬の儀であれば、弟妹達は何もしない訳にはいかない。
けれど、五姫以外の八姫八君は来ず、位の高い重鎮を代わりに送らせていた。中には数名、文と品物だけを送ってきた者もいた。
「はぃー?? 皆意識低くない? 五百年以上王の座を譲らなかった太郎兄上が! 遂に! 生前退位するっつってんのよ? 何してんのよ!」
「姫様お声が……」
五姫はハッと口元に扇子を当て、左右を見渡す。そして犬吉へ近寄り、小声で語りかける。
「……なんで来ないの?」
「神子合議でお集まりになられるからでは……? もうひと月もないですし……」
「なにそれ……。妾だけ焦ってるみたい。恥ずいんですけど……」
五姫は瞬きを忘れて桃色に熟れた唇を噛んだ。
そこへ、凛とした女の声が掛けられる。
「――恥じることなどありませんよ。上様は五姫様のお心遣いに大変お喜びでした」
常子である。二人が振り向くと、常子は深々と一礼をした。五姫は余程嬉しかったのか、浮き足で駆け寄る。
「おー常子! あんたやったわねー! 次代当主の側近でしょ!」
「はい、お陰様で。……お席の準備は整っております」
実のところ、八姫八君でも親交の深い兄妹達は「流鏑馬の儀行く?」のような文のやり取りがあったりするのだが、五姫にはそうした相談相手がいなかった。
常子の後を二人が追うと、五姫は常子の隣へ体を寄せた。
「妾の大っ嫌いな、厄介男が来てるわよ。気をつけなさい」
「……そうでしたか」
辺りを見回っていた常子がその者の存在に気づかず、招待席にもいないとなると、普通とは違う入り方をしていることになる。
治太郎のこととは別の懸念が常子の頭の隅に置かれた。それを見越して、五姫は言葉を添える。
「安心なさい。五条家ひいてはこの妾は、重國坊っちゃんの味方よ。何かあったら相談なさい」
そう言い残し、五姫は招待席へと着いたのだった。
わざわざ常子が五姫らの案内をしたのは、諸々の挨拶も兼ねてである。例外的な治太郎の台頭には、そうした根回しも不可欠であった。
常子が控え室へと帰ると、丁度治太郎の着替えが終わっていた。
彼の出立ちに、常子は上様――第一王子・太郎の面影を見て、自然と息を飲んでしまう。
着物を狩装束に改めた治太郎の雄々しい佇まい。左肩には王の威厳を示す濃紫の射籠手が静かに出番を待ち構えていた。
「流石は若様っ! お似合いです!」
「……いや、いやいやいや、怖ぇって」
常影が治太郎を左右からくるくると見回すと、割って入るように常子が前へ出た。
「――いつも通りをするだけです」
相変わらず重みのある彼女の助言。
「それが一番難しんだろッ!」
「大丈夫」
常子はこの晴れ舞台を前に、しみじみと祖母のような面持ちで声をかけていた。
「上様は、若様に跡を継がせるに足る器があるのか、その目で見極められます。……八姫八君の各家からお越しになった方々も皆、若様に治世を任せるだけの力量があるのかを、見定められます」
固唾を飲むように辺りが静まり返る。
治太郎はフッと軽く息を吐いた。
「……へへっ。さすがは神事だ。外せねえ大一番だぜ」
相も変わらず陽気を宿す肝の据わった返答に、常子は安堵する。
「緊張なされたら、というのは杞憂でしたね。……少し前の若様なら『そんなもの武術で決めるな』と怒っていらしたでしょうに。誠に、ご成長なされましたね」
「あたぼうよ。貴女に教え込まれたからな。神の血が濃いほど強い。簡単な話、強い奴は女王様に近え。それだけで尊敬に値するって訳だ。――力が正義。守りてえなら強くなるしかねえ」
「左様でございます。……流鏑馬の儀は技のみならず、あらゆる面で真価を問われます。人々の期待を乗せた視線の重圧に耐え、常に全霊を発揮することこそ、王に求められる資質でございます」
「――なら俺は王よりも王だ。期待されっと全力すら超えちまうタチだからよ」
そうして、三人は皆が待つ会場の中心へと赴いた。
真昼の大歓声。陽光と共に、皆の視線が治太郎へ降り注いだ。初のお披露目に流石の治太郎も指先が震える。
しかし、徐々と浴びせられる重圧に順応し、高揚するのがこの男だ。むしろこれを欲していた。これこそが本当の自分。王になるべくして生まれてきたのだと、自己暗示が全身に力を与えた。
遠くまで広がる人混みを眺め、拍手喝采を掻き分けていく。
人々が見つめる道の先、王の御前へと歩みを進めた。
「親父殿はまだおられないか」
「もうじきご支度が整うとのことです」
「楽しみだぜ。ただそこで見てくれるだけで、俺は――?」
御前まで数歩となった栄光への道を、我が物顔で遮る男がいた。まるで当然のように、遥か昔からいたかのように現れた。それは、治太郎に向けられた大歓声を全て踏みにじり、負の重圧に変えたい男。
「ん? 誰だあんた」
行く手を阻む若武者。
決して豪奢ではない装いながら、蒼き装束を纏いし気品のある佇まい。その者の名を――。
「――神子万次郎。……いいや。――神子江戸万次郎。お前の、唯一の兄であるぞ」




