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君捨て山 ~八姫八君の物語~  作者: 切 実り
(治太郎編)
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44話 『慈愛と雪華(せっか)』

 常子の言う通り、治太郎は明日も明後日も明明後日も励んだ。ただひたすら励んだ。毎晩泥だらけである。遂には激しい落馬で腰を痛めてしまう程だ。

 

 未だ白馬に乗ることすら手こずっており、治太郎の心は折れる寸前であった。


「常影ぇー! もうお前が変装して乗れよ!」

「若様。もうひと踏ん張りですよ」

「――どこがだよ!」


 ぷんすかと息を荒立てて治太郎は屋敷へと帰っていった。常子いわく、近頃の治太郎は食欲もないという。今日もまた夕餉(ゆうげ)に手を付けず、部屋に戻ってしまった。


 夜中、焦りを見せた治太郎が一人で馬屋へやってくる。白馬を馬屋から引っ張り出すことには慣れた頃だが、いざ(またが)るとすぐに暴れてしまう。

 

 そして本日数百回目の落馬。治太郎と白馬の綱引きが始まると、常子に日々鍛えられた治太郎さえも流石に吠えた。


「くそー! どうすんだよー! もー‼︎」


 治太郎が手網の力を緩めて座り込むと、白馬も疲れたのかその場で横たわった。

 

 その様子を物陰から静かに見守っていた常子は、泥まみれの彼の元へ歩み寄る。


「んだよ常子。笑いに来たのか?」

「……いいえ。懐かしさを覚えていたのでございます」


 月を背にして、常子はうっすらと笑みを浮かべた。母を知らぬ治太郎は、その表情の名を知らなかった。

 

「懐かしいだぁ?」

「ええ。上様……お父上様も、かつては暴れ馬に手を焼かれていたことがございまして」

「――親父殿が?」

「ええ。……それでも、諦めることはございませんでした。あの御方は誰にも見えぬところで、血の滲むような鍛錬をなさっておいででした」


 嘘である。常子の得意とする手練手管(てれんてくだ)である。疑うことをしない治太郎はまんまとやる気を取り戻した。


「へっ、なんだ。皆通る道ってわけか」

「はい。王の道、王道でございます。皆、若様の世渡り上手なところに目がいってしまいがちですが、そのお体を流れる神の血筋は、紛れもなく本物にございます」


 神の血筋、治太郎は息を呑んだ。常子は清浄な気を(まと)った風格で言葉を重ねる。


「王子達は皆、幼き頃より武術や兵法をお習いになられました。けれど若様はこの短い間でさえ、どの王子よりも才に溢れておいででした」

「おいおい、流石におだて過ぎだぜ」

「……いいえ。常子の目に狂いはございません。真の王となられる御方でなければ、こうして仕えることなど有り得ませんでした」

「…………」

「若様には全てが揃っております。後はただ、辛抱強ささえあれば……。諦めることを諦められたなら。必ずや、白馬さえ軽々と乗りこなしてしまわれるでしょう」


 治太郎は泥を払って立ち上がり、白馬の手網を強く握り直す。

 言い終えた常子は手ほどきをするでもなく、一礼して立ち去っていった。


 それを陰で見ていた常影が彼女の元へと駆け寄る。


「祖母上、かたじけのうございます」

「……何をしていたのです、常影」

「鍛錬のお邪魔にならぬよう控えておりました。……お疲れの若様に口を出してしまうのも、と……」


 常子は冷めたような深い溜め息を吐いた。そのわざとらしい肩の動きが常影を緊張させる。


「それは若様に嫌味を言われ、嫌われることを恐れていただけ。言い訳に過ぎませんよ」

「……祖母上」

「ただお教えするだけが貴方の役目ではありません。厳しくすることもまた忠誠。……魂を捧げ、常に寄り添いなさい」


 黙り込んで視線を下に逸らす常影を、彼女は鋭く睨みつけた。

 

「覚悟が足りておりませんね。貴方はもう若様の臣下となったのです。生半可な姿勢は決して許しません」

「はっ……」

「――主君の失態は臣下の責任だと心得なさい」


 顔を上げた常影の目に、常子の眼光が突き刺さる。

 

「――ッ」

「忠臣とはそういうものです。……若様が馬を乗りこなせないのは、貴方の教え方が悪いからに他なりません。貴方の責任なのです。……他人事と考えているようではわたくしが許しません。……もし若様に恥をかかせてみなさい。二度と敷居を(また)がせませんよ」


 常子は素早く背を向けて屋敷へと帰っていく。「死を覚悟しなさい」と言わなかったのは親心による少しばかりの甘さであった。それでも常影の瞳には、遥かに遠い彼女の背中が映っていた。


「承知しました。身命を賭して、若様にお仕えいたします」


 決意を胸に、常影は主の元へと駆けていった。


「若様! 精が出ますね」

「おー常影! 後もうちょいだと思うんだよな! まだ乗れてもねんだけど――ッ⁉︎」


 その時、治太郎は白馬に振り下ろされた挙句、強烈な後ろ蹴りを腹に喰らう。

 鈍い音がした。

 吹き飛ばされた彼を守るべく常影が瞬時に動く。しかし治太郎は手網を決して離さず、泥に塗れながら手繰り寄せて再び白馬に飛び乗った。


「こんの馬ァァ!! 四行の父ちゃんの忘れ形見じゃなけりゃ桜鍋にして食ってたとこだぜ――!!」

 

 その言葉を聞いた白馬は、後ろ足を高く上げて治太郎を前方へ振り落とす。そして踏みつける勢いで走り出すと、治太郎は真正面に立って押し相撲のように受け止めた。


 白馬は悲痛めいた鳴き声をあげながら突進を続ける。治太郎が全身で押し留めると、力は拮抗し、彼らは数秒間硬直した。

 

 それでも、白馬は鳴くことだけはやめなかった。その遠吠えは、まるで天上の誰かに届けるように。

 やがて治太郎の腕に白馬の涙が落ちる。その大粒の温度は、彼が身をもって知った哀悼(あいとう)の熱と同じ――。


「そうか……。そうだったか……。おめえは四行家の馬だもんな」

「若様! お怪我は!」

「でーじょぶだ。……んなことより、俺はこいつと話がある……」


 治太郎は白馬の瞳をじっと見つめる。

 

「悪ぃな……。おめえも父ちゃんが好きだったのか。でももう、死んじまったんだよ。俺のせいだ」


 白馬は低く(うな)って首を下げた。


「おめえ、芯が通ってるよ。正にお武家の馬だ。『忠臣、二君に仕えず』ってやつだろ? 最近習ったぜ」


 彼は両手の力を緩め、馬の頭を優しく抱きしめる。


「よくやった。あっぱれ。その気高さ、見事である」


 治太郎の言葉に安心するように、白馬は穏やかに息をした。四行家棟梁(とうりょう)はそうして、よく褒めてくれる人だった。


「きっと父ちゃんも喜んでるよ」


 月明かりが、一人と一頭を温かく包み込む。


「……俺は父ちゃんに『王になるべき男』って言ってもらった。ぜってぇ父ちゃんの自慢の子になるんだ。――だから俺と共に、王の道を歩まねえか?」


 白馬は静かに深く(うなず)いた。治太郎はその毛並みを優しく撫で続けた。


「…………」

 

 常影は王道を目の当たりにした。

 常影も力で威圧をすれば、白馬をある程度支配することはできる。だがそれでは本領を発揮させることは叶わない。

 

 治太郎は若君の身分でありながら、ただの馬と対等に立ち、心から対話を試みた。そして見事、手懐けたのである。

 正に、彼の王道。

 

「恐れ入りました。若様」


 常影は小さく「お見事です、祖母上」と続けた。それは常子が流鏑馬(やぶさめ)を選んだことに対してである。よりにもよって治太郎が苦手とする乗馬を選んだのは、王の器を見極める試練だったのだと、彼は悟った。


「なあ、お前の名前。雪の華って書いて、雪華(せっか)でどうだ? 電光石火って感じでべらぼうに速えからぴったりだろ?」


 呼応するように、白馬――雪華はスッと頷いた。


 翌日、常子は治太郎が白馬を乗りこなす様を見て痛く感動する。


「見ろ常影! 遂にやったぜ!」


 常影の横に常子が寄り添う。


「常影、よくやりましたね」

「いいえ。某は何もできませんでした。……ですが、若様に誓った忠誠は、更に強くなりました」

「なるほど。……ですが油断をしてはなりませんよ。流鏑馬の難関はここからです。……あの駿馬(しゅんめ)(またが)りながら、弓で的を射抜くのは至難の業ですから――」


 そうして、まずは馬の速さに慣れる訓練が始まった。気を許した白馬となると、治太郎は巧みに乗りこなしてみせる。彼は元来体が強く、努力がそのまま結果に繋がる男であった。


 治太郎と常影は風を切って並走する。


「――なあ常影! 馬に乗って走んのってこんなに気持ちいいのか!」

「――若様! お待ちを!」

「へっ! 遅ぇと置いてくぜー!」

 

 彼はあっという間に全速力に慣れた。

 続いて弓術になるが、元々常子に手ほどきを受けていたこともあり、普通に射るだけなら的を外さなかった。

 しかし、早馬に乗りながら射抜くというのは相当な訓練が必要である。


 残された日が少なく、治太郎は夜な夜な練習に明け暮れた。もちろん常影がお供する。


 そんなある日のことである。


「――兄様(あにさま)っ! 重國兄様(しげくにあにさま)っ!」


 月が傾き、草木も眠る夜中。

 馬場に踏み入ったのは女中・双姫(ふたひめ)である。


「――こら双姫。来ちゃダメっつったろ」

「でも、お味噌汁が冷めてしまうので……」


 彼女の手元には握り飯の入った小包と味噌汁、そして一通の文があった。

 

 常影は見ない振りをした。二人は今まで隠し通してきたつもりなのだろう。無論常影は、数度に及ぶ双姫との逢瀬(おうせ)を全て気付いていた。

 

 今回ばかりは言い逃れできないだろうと、治太郎が頭を下げる。

 

「頼む。見なかったことに――」

「……この常影、何も見ておりませぬ」


 常影は今までも、常子にさえ内緒にしていた。


「……常影様。かたじけのうございます」

「だから見ていないと申しておるでしょう。さあ早くお隠れを。祖母上に見つかっては一大事にございます」


 慌てる双姫の手を治太郎が強く握る。近頃は常子や女中達の目を気にして、二人で話すこともままならず、毎日屋敷で顔を合わせるというのに文で会話をしていた。それは恋文などではなく、日々の出来事をつづった日記同然のもの。

 

 治太郎は自分と同じような境遇の双姫が女中達に虐められている様を見ていられなかったのだ。


「兄様……そんな急がれてはお体に……」

「うめぇ! こりゃうめぇ! 流石は俺の妹だ。よくできてる」


 せっかく夜分に差し入れをしてもらったのに、感想もなく帰すのは忍びないと、治太郎は熱い味噌汁と大きな握り飯を一息にかき込んだ。


「兄様……。ありがたき……幸せにございます」

「何言ってんだ。俺ん方こそありがとよ。双姫だけが心の支えだ」


 治太郎が頭を撫でる。双姫は月明かりにさえ浮かぶ程の赤い頬を見せまいと、背中を向けて足早に去っていった。


 常影はその足音だけでどこまで行ったのか、手に取るように分かる。双姫が見えなくなったと察すると、治太郎を振り返る。

 

「若様。もし、双姫殿とのことが祖母上に知れた場合、どうするおつもりですか……」

「俺とあいつには何もねえよ。捨て子として親を知らなかった俺にとっちゃ、あいつは妹みてえなもんなんだよ。……屋敷での扱いが可哀想でよ。俺まで見捨てちゃ、駄目だろ……」


 彼の言葉に嘘はないと常影には分かる。村の火事では民の為に寝ずに働き、暴れ馬を相手に寄り添い心を通わせる。そんな彼は、決して誰も見捨てることができないのだと。

 

 それでも、常子が二人の関係を止めることには理由がある。


八姫八君(やひめやぎみ)の御家は、江戸に人質の姫を送ることになっております。故に、離宮には各家の姫達が多く住んでおります」


 姫のみを送らせるという点に関しては、万一の新たな女王の誕生を恐れてのことである。この制度は『人質』と『女王の芽を潰す』という二点を押さえており、太郎家は八姫八君の中での地位を磐石のものとした。


「わーってるよ。姫とはよくすれ違うからよ」

「意図してすれ違っているのです」


 治太郎は目を見開いて驚く。


「太郎家に送られる姫は、神子としての位が高く、器量良しばかり。それは太郎家屋敷で太郎家の王子と結ばせる為です。政略なのです。いずれ若様は、その姫達の中から(めと)るのです」

「……は?」


 気が抜けたような言葉。治太郎の空いた口が塞がらない。

 

「上様の亡き王子達……即ち若様のご兄弟は皆、そうしてきました。故に時折、すれ違いざまに促されているのです」

「んだよそれ。知らねえ……」

「それは元服やお披露目の後に本格的に始まるのです。ですがもう、始まっております」

「知らねえって……」


 常影は少し声を荒らげて言い放つ。

 

「ですから申し上げております。双姫殿は今や一介の女中。女中でありながら、各家の姫達を差し置いて若様と仲が深まれば、それは盛大な仕打ちを受けましょう……」


 白馬は何かを察したように、頭で治太郎の肩を優しく撫でる。


「……俺が来る前から双姫は虐められてたじゃねえか。その身の上のせいなんだろ?」

「左様にございます。ですが、若様と親しくされてから、更に扱いは酷くなっております」


 肩を落とした治太郎は、どうしても他の原因を、怒りの捌け口を探したくなる。

 

「常子は何やってんだよ。女中達なんかあいつがいりゃ……」

「そんな簡単な話ではないのです……。某からも何度か祖母上に頼みましたが、無理だと断られてしまいました……」

「でも――」

「某から直接女中達に促しもしました。けれど、口では素直に従っても、現状は何一つ変わりません。それを見て祖母上はこう申しておりました。『女の敵は女。……男では敵になることすらできない』と」


 なんだよそれ、と治太郎は返したくなった。だがその言葉は不思議と腑に落ちた。王子である自分がいくら注意をすれど流され、あしらわれ、地位すら意味をなさない。取り合ってすらもらえない。

 

 治太郎は今まで仁慈のような、面と向かって話し、時に喧嘩をすれば解決できる、良くも悪くも単純な男達の世界で生きてきた。故に、ぶつからない関係の立ち回り方が分からなかったのである。

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