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君捨て山 ~八姫八君の物語~  作者: 切 実り
序章 燻り(くゆり)
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4話 『昇り龍』 

 今しも殺し合いが始まろうという刹那、町の喧騒が嘘のように静まり返った。


 野次馬達が見守る中、与助は全方位に注意を巡らせ、分厚い大剣を正眼(せいがん)に構えた。


 多勢に襲われようと、その一振りを喰らわせれさえすれば敵を一掃できるだろう。与助にはそれが可能だと仁慈は悟る。

 

(既に怪我をしている門弟達では確実に人死が出てしまう)

「仁慈、と言ったな。テメェ、オレ以外を心配してる暇はねえぞ」

「そちらこそ、私以外を気にしている場合ではないぞ」


 剣士として与助に呼応したものの、仁慈は冷静さを欠いて剣を抜いたわけではない。


 「黄竜館の方々。この勝負、私に任せてはくれまいか」

 

 それは両陣営を憤慨させる。

 

「なにィ?」

「……大倉殿、我らの手柄を横取りするおつもりか。手を出すなというなら話は別であるぞ」

「いえ、横取りする気はありませぬ。あくまでこれは貴方方とは別の話。私は与助との一騎討ちに応えたまでです」

 

 門弟達は文句を言いたげな表情を浮かべたが、人垣から出てきた治太郎がやれやれと手を広げ、「まあまあ、いいじゃねえか。こいつらが終わった後でもよ」とその場を収める。


 治太郎もまた、ここで誰一人として死人を出さないために動いた。治太郎も仁慈も、武力において一番厄介な与助を無力化することが先決だと察していたのだ。

 

「そんなにオレとやりてえのか。命知らずめ」

 

 仁慈の判断は間違いではない。

 

「一騎討ちにしたこと、あの世で後悔しな」

 

 ただ、一人で与助を倒すという点においては誤算であった。


 与助は仕切り直すように大剣でグルンと風を切って振り回し、再び構える。刃渡りの長さに野次馬達が後ずさり、自然と二人のための舞台が出来上がった。


 散らされていた注意が仁慈一点に向くと、構えの隙の無さに誠士の影を見る。


「仁慈ッ! 死ぬなよ! 俺ぁ念仏知らねえからよッ!」

「応ッ!!」

 

 いざ尋常に――。


 挨拶代わりに先制攻撃を仕掛けたのは与助だ。踏み込みと共に、大剣がしなる程の薙ぎ払いが空を抉りながら迫る。刃のない鉄板といえど、まともに喰らえば必死。


 仁慈は後方へ飛ぶ動作を瞬時にやめた。与助の間合いの詰め方は、大剣使いのそれとは思えぬ軽やかかつ豪快な一歩だ。後ろや横に避けようものなら長い刀身が逃さない。


 正に先手必勝の技。

 

(血塗れの与助、これほどか――!)

 

 仁慈は力量を見誤った。だが、逃れられないのならと、死地に飛び込む体当たりともいえる前進をしたのは最善の一手だった。

 狙いは極限まで研ぎ澄まされた袈裟斬りで先に与助を斬ること。小手か、腕か、胴か、いずれも斬れば威力は落ちる。それに首を刎ねられると与助の直感が悟れば、薙ぎを防御へと切り替えるだろう。故に、与助より先に斬る。 


 さて、先手必勝の弱点を与助が放置するものだろうか?


 否。剣など大概が一撃で決まる中、その一撃にあらゆる想定をするのが真の剣客。無論与助もその一人であった。

 

(速いッ! 私の剣速と同等だとッ――)

 

 速度は明らかに刀身の軽い己が上回ると、仁慈は疑いもしなかった。しかし与助の体に刃が触れるのは、仁慈が斬られるのと同時である――。


 轟音。地響き、そして砂埃。


 一直線に穿たれた砂塵の道は、蕎麦屋の中まで伸びる。その最奥の柱に仁慈は凄まじい勢いで打ち付けられた。


 ミシリと柱が軋み、天井から木屑が舞い落ちる。まるで人間の砲弾を見た店主は口をあんぐりと開け、唖然とした。

 

「すんでのとこでオレの剣を迎え打ったか。正解だ。そのまま肉を斬ろうとしてたら、刃がオレの骨を断つ前に、テメエが真っ二つになってたからよ」

 

 仁慈は背中を強く打ち付け、頭から数滴の血を流す。急いで治太郎が駆け付けるも、彼は自力で立ち上がった。

 

「流石にヤバだぜ。おめえだけに任せちゃおけん」

「……手ぶらの腰抜けのくせに。私はまだ、戦える」

「開始早々ボロボロじゃねえか。俺とおめえは兄弟だろ? 死ぬときゃ一緒だぜ」

「……なんだ、助けに来たわけではないのか。死ぬ気だったのなら残念だが、私が死なせん」

 

 まだ冗談を吐ける仁慈の気丈さに、治太郎は少し安堵する。

 

「俺が相撲で勝負するからよ。仁慈はそこで休んでろ」

「馬鹿言え。それで済むなら刀はいらぬ」

「殺し合わなきゃ駄目なのか?」

 

 返事はないが、それが答えとなっていた。仁慈は与助の命まで奪う気はないが、相手が殺す気であれば同等の覚悟で挑まねば死ぬ。

 

「テメエの剣、よく折れなかったな。けど、次は立ってられっかな」

 

 与助はゆっくりと暖簾の破れた店の中に足を踏み入れる。

 修羅場でこそ治太郎の頭が冴え渡り、仁慈の耳元で囁く。

 

「仁慈、店ん中から出るな。ここならあいつも馬鹿でかい剣振り回せねえだろ」

 

 予想外の的確な助言に、仁慈は僅かに微笑んだ。

 

「ったく兵法の座学もろくに聞いていなかったくせに。野良猫は勘が鋭いな」

「んなこと言ってる場合か。ここなら柱だってあるし、あの長え刀じゃ動くのも一苦労だ。万一の時は裏口から逃げられる。そん時ゃ俺が、熱々の蕎麦湯でもぶっかけて時間稼いでやるよ」

「お前にそう言われる日が来るとは、嬉しいものだな。……だがそれは流石に店に悪い。もし私がここで死んだら縁起が悪かろう。年越しすら客が来なくなる」

「だから! んなこと抜かしてる場合じゃねえって!」

 

 与助と仁慈は言葉もなく目で通じ合って、仁慈は店を出る素振りを見せた。

 

「おい、仁慈!」

「さっきの立ち合いで身に染みた。与助なら柱だろうが天井だろうが全て薙ぎ倒すだけの膂力(りょりょく)がある。むしろここでは袋の鼠だ。……ありがとな治太郎。行ってくるよ」

「――死ぬなよ!!」

「応とも」

 

 今からでも裏手へ走れば逃げ切れる。けれど治太郎は提案することもなく、友であり兄弟の背を眺めた。

 

「お、テメエ度胸あるな。そういう男は大好きだ」

「そちらこそ。凄まじい剣だ。積み重ねられた鍛錬と、生まれ持った才を感じざるを得ない」

 

 店の前で再び向かい合う。店主は場所を弁えて店を出てくれるのなら、いっそのこと店前でもない別の場所でやってくれと思いながら恐る恐る見守るのだった。


 両雄、再び正眼に構える。

 

(先程の薙ぎをもう一度耐えられる自信はない。ならば……。あの刃長なら必然的に大振りになるからして、刺突のような局所的な攻撃には不慣れなはず。こちらから仕掛け、攻撃の隙を与えず勝機を待つ――)

 

 与助は経験則から、敵の視点での戦略は大きく分けて二通りだと知っている。


 一つは広く間合いを取ること。だが、長い刀身の更に外側に構えられたとしても、与助の脚力であれば一歩で射程に収めることができる。よってこの戦法は敵にとって悪手である。


 与助が真に恐るべきなのは二つ目、間合いを詰められて大振りの攻撃を封じられること。つまり仁慈の戦法である。


 仁慈は与助の間合いに一歩踏み入るや否や、刹那の内に与助の喉元まで切先を突き立てる。

 

「――テメエは後者か! しかも速ェ!」

 

 あと三寸で与助の首を掻き切れる。仁慈は致命傷を避けるべく軌道を外し、鎖骨付近へ。剣客であれば負けを認めざるを得ない一撃。これで勝負は決まる。


 ――が、与助はその弱点をとうに克服していた。


 大剣を僅かに傾け、広い鉄板を壁にして防いだ。その横から仁慈は二の矢、三の矢を次々に繰り出す。刺突は飛矢の如く降り注ぐ。幅のある大剣の壁に身を隠しながら、左右から顔を出しては縦横無尽に突き刺し続けた。

 

「攻撃の隙もくれねえなァ! オイッ!」

 

 それでもなお仁慈の切先が与助の肌に触れることはなかった。与助は大剣を動く壁とし、刺突と同等の速度で小刻みに振って的確に防いだ。

 

「流石にずるいな与助ッ。こんな鉄の塊を機敏に振り回せるのはお前ぐらいだよ」

「テメエだって、雨あられみてえに一方的じゃねえかよチキショォ」

 

 攻防は野次馬達の目には仁慈優勢に映った。


 ところがその実、仁慈が一度でも攻撃を緩めた瞬間に、至近距離では決して逃れられない必殺の一撃が待っている。このまま持久戦になれば大剣使いの与助が音を上げると思いきや、彼の持久力は常軌を逸していた。


 一日数千回の素振りをする仁慈でさえ、数百の突きを超えた辺りから僅かに速度は落ちる。


 対して与助は、衰えるどころか巨躯に似合わぬ俊敏さを更に加速させた。

 

(このままではいずれ、その時は来る――)

 

 仁慈はこの一手が失敗に終わったことを察すると、すぐに思考を撤退に切り替える。攻撃を止めればたちまち斬られ、後方に飛んでも追いつかれて斬られる。ならば、と仁慈は壁を蹴るように大剣に渾身の飛び蹴りを入れ、与助の腕力が生む反動を逆に利用して遠くへ飛んだ。


 間合いの外。

 仁慈は腕を休ませ、息を整える。

 

「仕切り直しかよ」

 

 仁慈は新たな作戦を考えなければならない。

 引いても無駄、刺しても駄目、技をもってしても、あれほどの重みと技のキレを合わせ持った一撃をいなすことなどそう出来る芸当ではない。

 

「知っているか。重い武器は鈍いと相場が決まっているのだ」

「わりぃな。オレは重てぇ上に速ぇんだ」

 

 与助相手であれば、一度開いた間合いを詰めるだけで首を掻かれかねない。

 

(一番厄介なのが、横に薙ぎ払われることだ。先刻のように、横も後ろも逃げ場がなく、剣で受けても骨まで折られる)

 

 考えさせる暇も与えず、与助はひと息に間合いを詰める。仁慈はグッと引き下がった。


 また与助が前進すると、仁慈は更に後退する。


 それが何度か続くと、野次馬が「怖気付いた」「あいつは負けだ」と罵った。治太郎だけは拳を握り締め、「きっと策があるんだ。そうだろ仁慈」と固唾を呑んで友を見つめる。

 

「お手上げか? 降参でもいいぜ? オレも後ろが控えてっから温存しねえとな」

 

 と、与助は門弟達を一瞥した。


 仁慈は相手の喉元に切先を向けて構える。闘うという意思表示だ。与助は強情だなと思いながらも手を抜くことはせず、今までよりも大きな一歩で完全に仁慈を間合いに収めた。


 仁慈の足運びは出遅れた形となり、後ろに避けてももう遅い。

 

「獲ったな――!」

 

 豪快な横一文字斬り。揺らす長い赤髪は正に血塗れの与助。音のように速く、岩のように重い。その一撃が始まる寸刻、仁慈は敢えて危険を顧みず前へ出た。

 

(躱されかねない縦斬りよりも、大剣の持ち味が最も発揮される横薙ぎで必ず攻めてくる。それがお前の定石――)

 

 近づけば先刻同様、一撃必中。より死に迫る行為。


 しかし、先刻と異なるのは、一度それを身をもって体験していること。

 どの高さで刃が当たるのかは既に織り込み済み。何度も、何度も血の滲むような鍛錬で染み付いている自慢の横薙ぎであれば、技の完成度が上がるほど、再現性も高くなる。

 

(故に、それが強みであり弱みッ!)

 

 いくら速くとも当たりがついていればやりようはある。仁慈は人一倍に観察眼が鋭い。踏み込むと同時に下段に構え、己の剣が地面を掠めるほど極めて低い体勢をとった。


 与助の視点では、大剣が眼前を通過する一瞬、仁慈の姿は分厚い鉄の板に隠れる。

 

 やりやがったッ! どこから来やがるッ――。 


 与助がそう思考する時、仁慈はただ下に潜むだけでいい。大剣が頭上を通り過ぎた刹那、死角から顔を出す。目が合った時には、もう遅い。


 地を這う龍が天に昇るが如し。斬り上げる仁慈の剣は、一直線に喉元を目掛けて空へと伸びる。

 

 ――〝昇り龍〟

 

 その剣は、龍が如く。


 与助と言えども、大剣を薙いだ次の動作は必然的に遅延する。あれだけの重量を高速で繰り出すからこそ、途中で勢いを殺すことは難しく、必ず僅かな〝溜め〟ができる。


 右から迫る大剣を至近距離で躱すことができれば、左へ行き切ってから折り返すまでの、微かな猶予に仁慈の剣が届く。たった一秒にも満たない隙だが、命に届くには十分だった。


 ぴたり、と与助の喉元寸前で、仁慈の切先が止まる。与助は天を仰いで、溜め息の後に大剣を手放した。


 ドンッ。


 心なしか、無念の籠ったような大剣の音。野次馬達も息を呑んだ。侍が剣を捨てる、それ即ち死の合図。降参の証だった。

 

「……テメエ、さっき横薙ぎを警戒するフリして、わざと後ろに下がってたな」

 

 仁慈は敢えて無視を決め込む。

 

「とぼけんじゃねえ。最初の立ち合いで薙ぎ払いさせねぇように突きを繰り返して警戒の素振りを見せて、二度目は薙ぎがくれば後ろへ下がるものとオレに覚えさせた。全ては、下に潜って斬り返す一撃を悟らせねぇためだったんだろ?」

「さあな」

「オレはまんまと油断した。大した奴だ。オレの一撃喰らった直後に、首飛ぶ覚悟で下に避けるたァ。並の命知らずじゃ出来ねえよ」

「一度見た剣なら、当たらんさ」

 

 与助にしてみればいけ好かないが、目の良さとそれを実現する剣の腕は認めざるを得なかった。

 

「チッ。オレの負けだ。テメエの……仁慈の勝ちだ」

 

 その声に、野次馬達がワッと堰を切ったように盛り上がって仁慈を囲う。治太郎は「俺の兄弟がやりやがった! あれ俺の弟!」と図々しく触れ回った。


 この一戦で、町人達は仁慈の顔を覚えたことだろう。

 

「あのお侍、誠士さんとこの弟弟子だってよ!」

「そりゃ技が巧みなわけだ!」

「何言ってんだてめえ、さっきまで負けるとかほざいてただろ」

「うるせえこの野郎!」

 

 やいのやいの騒ぐ大衆を断つように、門弟が再び牙を向く。

 

「まだ仇討ちは終わっとらんッ!!」

 

 二人が振り向くと門弟達は満身創痍でありながら、再び与助に剣を向けていた。

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