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君捨て山 ~八姫八君の物語~  作者: 切 実り
第一章 投木(なげき)
39/45

39話 『神子名(かみごのめい)』

 ◆◆◆


 わたくしは神子にも、大いなる二子家の後継ぎにもなり損ないました。『子宝に恵まれぬ呪い』を宿さぬ二子家こそ、『子宝に恵まれてしまう呪い』だったのです。


 産む責務のない、屋敷の神子女中ほど騒ぐもので。一人も産まねば「呪いが濃い」と噂を立て、多く産めば「人も同然」と軽蔑する。……そんな下賎(げせん)の者共との生活は息が詰まり、とても窮屈でございました。


 とはいえ、わたくしは産む以前の問題でしたのだけれど……。

 二子一族の期待を一身に背負ったあの日、初めて霊剣に触れた元服の日。わたくしが神子の力を持ち合わせて生まれていれば。こんなことには……。


 あれから存在すら忌み嫌われ、女中と同じ扱いを受け、親兄弟や女中達から毎日、毎日酷い仕打ちをされました。


 でも、わたくしが何より無念だったことは、己が名すら頂けなかったことでした。


 人造の神子になるべく、幕府にこの身を差し出される日。父上と母上にご挨拶へ向かいました。


「――神子だぁ? お前みたいな愚図が神子を名乗るんじゃねぇよ!」


 父上は最後まで、そう怒鳴っておいででした。


「貴女は二条家の者として参るのではありませんよ。本日限りで、我らとは無縁の者となるのです」


 母上も相変わらず、お元気そうでした。

 わたくしはお二人に、最後に名が欲しいと頭を下げました。


「そうかそうかっ! 『神子』でも『二条』でもなければ、名乗るものが何一つない! ははっ! 流石に不憫(ふびん)だなぁ!」


 ようやく真の名を頂ける。父上のお言葉を、数年分の思いを乗せて待ち侘びておりました。


「そうだな……。では、氏名の『(めい)』。『(めい)』でどうだ! 名が欲しかったのだろ?」

「「アハハハハッ‼︎」」


 父上や女中達は勿論、母上までお下品に笑っておいででした。わたくしはこれを天罰だと思い、(つつし)んで名を賜りました。


 そして幕府で腹を刻まれ、女王様の肉塊を埋め込まれ、それでもわたくしは神子の成り損ないでした。


 以後は研究と称して、神選組の訓練を受けさせられました。訓練を平然とやってのける隊士達は愚図なわたくしを蔑みました。

 相変わらず、世の中は冷たいもので、場所が変わっても弱者は弱者。持たざる者は常に虐げられる定めにあるのですね。


『神子にあらずんば、生に値せず』

『お前、霊剣すら使えねえのか? 愚図だなァ!』

『おーい! こいつ神の血じゃねえってよ! 斬ったら寿命増えんのか試してみようぜ!』


 やめて。やめて。やめてやめてやめて。


『はあ? 神子ならすぐ治るだろ?』


 痛い、痛い。痛い痛い痛い痛い痛い痛い……。


 わたくしの体は隊士達に何度も、何度も斬り裂かれました。何度も何度も自決を試みましたが、わたくしは心まで弱かったのです。


 ただ逃げ出して、本当の母上を探し求めました。


 そして、ようやく見つけた母上にも結界で(こば)まれ、わたくしを解き放つ者にまで見放されて、この始末。

 やはり母上は、神は嫌いです。神職のくせに男を(はべ)らせて(けが)らわしい。


 いいえ、本当は。本当は……。


 わたくしも好いた殿方と、恋がしてみたかった。ただ人の子として生まれていたら。何の期待もされずに済んだのでしょうか……。『女子に生まれたのに』と、(さげす)まれずに済んだのでしょうか……。


 わたくしはただ、天狐(あなた)が羨ましかった。


 ◆◆◆


 メイがゆっくりと目蓋を開けると、腰から小刀がこぼれ落ちていた。血に塗れた手でそっと、愛おしそうに撫でる。


「これは……わたくしが……わたくしである、唯一の証」


 すると、ドクンと、腹部が禍々(まがまが)しく黒光った。メイには分かった。これが念願の、女王の胎動(たいどう)であると。

 目を潰しても意味はないと知りながら、小刀で自らの両目を躊躇(ちゅうちょ)なく裂いた。


「……母なる女王は、盲目……でした……。目が見えぬからこそ……未来が視えるのです……。ならば、わたくしは……あなたに、近づいて……みせる……」


 耐え難い痛みによる慟哭(どうこく)(おぞ)ましい恨みを身に宿して、彼女は再び立ち上がる。


 仁慈は剣を構えるも、メイの体が修復される気配がないことに気付く。

 既に彼女の命運は尽きている。


 一歩、また一歩。メイはゆっくりと社へ歩みを進める。しかし数歩で力尽きて座り込んだ。求めるように、小刀を自らの体中に何度も何度も突き刺した。


 深く、深く、深く刺した。

 そしてどろりと血を吐きながら、言い放つ。


「……どう、し……て……」


 仁慈がその横に立ち、彼女の首を見据えて大上段に構える。


 すると彼の耳を小鳥の(さえず)りが通り抜けた。声の先には、息も絶え絶えの天狐がいた。


「――天狐殿」

「仁慈様のおかげで、呪詛は解かれ……魑魅魍魎(ちみもうりょう)は闇へと消え、ダイダラも山へ帰っていきました……」

「――来てはなりませぬ」

「お待ちを! その方なら、大丈夫ですから」


 天狐の目はメイの全てを見通していた。メイの記憶の底まで視えていたのだ。


 もはや抵抗もできず、目も見えずに座り込むメイの前へ、天狐がそっと膝をついて寄り添う。


「……母上? ……そこに、おられるのは……母上で、ございますね」

「……はい。母上ですよ」


 メイは血の涙を流して、顔を上げた。


「ようやく……ようやく……会えたのですね……母上」

「ええ、そうですよ」


 メイの口は自然と開いて、小さく息を呑んだ。


「……いいえ。……貴女様は……母上(やまんば)では、ない……。対極におられる。……貴女様は……天女様で、あらせられたのですね……」

「――神子名(かみごのめい)さん。巡る命の果てに、安らぎに満ちた世がありますように……」


 神子と呼ばれたメイは、大粒の涙を流す。その(しずく)朝露(あさつゆ)のように透き通り、月明かりがそれを照らすためだけに雲間から現れる。


 すると彼女は、眠れる赤子のような表情で、穏やかに息を引き取っていた。


 天狐はひとしきり亡骸(なきがら)に手を合わせ、仁慈も剣を納めて深く拝んだ。


(メイは私と同じく、ただ誰かに近づきたかっただけなのかもしれぬ……)



 天狐の護衛をしておきながら、場の空気を読んで後ろに控えていた誠士がようやく顔を出す。


「二人共、そろそろ社へ戻るぞ」

「兄上……」

 

 三人が社に戻ると、雌鹿(めじか)と白狼が静かに佇んでおり、霊獣達は少し頷いて闇の中へ去っていった。


「ギギ! メメ! このご恩、決して忘れません」


 白狼は振り向かずに駆け抜け、雌鹿は高く鳴いて前足で土を踏み締めた。すると足元から草木が芽生え、広がり、やがて結界のように社を覆っていく。


「ありゃなんだ?」

「神木の(おり)です。それだけでも立派な魔除けになります。再び御神刀を安置すれば、完全なる結界になるかと」


 それを聞いた与助は、慌てた様子で折れた霊剣を三人に見せた。


「バカ与助。これはなんだ」

「いやー? ちと無茶し過ぎてよ。焼き切れちまったみてえだ」


 天狐は数回瞬きを繰り返して驚きつつも、穏やかに答える。


「いいえ。神を斬ったのですから致し方ありませんよ。お気になさらず。またすぐに新たな御神刀が届くと思いますから」

「ええェ? 霊剣ってそんなポンポン来るもんなのか?」


 呆れ顔の誠士が与助の頭をはたく。


「はい。社の霊剣が無くなれば、姫宮司様がお気づきになられると存じます。届くのは数日もかからないかと。……それまではメメの作ってくれた神木の結界もございますから。大事ありません」


 そっかー、と与助が安堵の大あくびをかまし、仁慈の肩を強く引き寄せた。


「ッてか! よくやったな! 仁慈!」

「……ああ」

「お? なんだよ、元気ねえな。オレと仁慈の大手柄じゃねえか」


 歯切れの悪い仁慈は曇り空のような表情で、目を合わせようともしなかった。誠士が与助の脇腹を(ひじ)で小突いて(さと)す。


「……バカ与助。誰もがお前みたいに初めから人斬りに順応できる訳ではないのだ」

「ぁー……。そりゃすまねぇ」

「いや、謝らないでくれ。侍なら当然持ち合わせる覚悟なのだから」


 それから誠士が気を利かせて、与助を連れて帰る素振りを見せ始める。


「仁慈。お前は念の為ここに残れ。屋敷に帰らずとも、先生は稽古にさえ出ていれば気にはされないだろうしな」

「よろしいのですか?」

「当然だ。即席の結界があるとはいえ、御神刀が到着する数日はお前が天狐殿をお守りするのだ。いいな」

「承知」


 天狐は嬉しそうな眼差しを仁慈に向けてから、誠士に深く頭を下げ、改めて三人に礼を言った。


「皆様、心よりお礼申し上げます」


 与助は誠士の肩を掴んで、ニッと笑みを見せる。


「じゃあな仁慈! 天狐さんを頼んだぜ!」


 二人は夜の山道へと帰っていった。

 山の中腹辺りで、誠士は思い出したように与助に問う。


「……しかし、あの暗がりでよく社の場所が分かったな。もしや行ったことがあったのか?」

「いーや? でも変な感じがピンと来たからな。けどまさか、オレも仁慈と同じく結界に入れたのは驚いたぜ」


 実は二人はダイダラの出現前から社に着いていた。仁慈とは反対側の位置に辿り着き、与助だけが結界の内側に入れたのである。誠士は入ることが叶わず、与助の嫌な予感から二人は行動を共にして、結界の外側から回ってきたのだった。


「ふむ。驚くことが多すぎる。極めつけにはあの巫女だ……」

「へぇー、テメェも感じたか。仁慈の妄言かと思ったけど、確かに天女みてえな人だったな」

「……あの霊獣達に近い。神に似た何か……。何もなければいいのだが」

「でも騙す奴特有の嫌な感じはしなかったから、でぇじょぶだろ。……つーかテメェも霊剣の話知ってんだな。仁慈から聞いてたのか?」

「いいや違う。先生から直接お話があったのだ。……先生は長年神子を殺し、弟子達は皆その為に廻国(かいこく)修行に出向いたそうだ。そして俺も、各地に潜む神子を殺す修行がじきに始まる」


 淡々と話す誠士は既に覚悟ができているようだった。


「ってーと、ようやく藤見町を出てくのか。清々するぜ」

「奇遇だな。俺もお前と会わずに済むのがこれ程嬉しいとは思わなんだ」


 二人は睨み合ってから、吹き出して笑った。


「……神子を殺すねぇ。俺の道場も神子に襲われたしよ。人を誰彼構わず簡単に殺しちまう奴は野放しにできねえな」

「ふん。ならばお前も各地へ出向き、俺と神子の首級(しゅきゅう)の数を競うか?」

「相変わらず怖え奴だぜ! テメェはよ」


 言葉に反して与助の口角はご機嫌に吊り上がる。彼らは競うように、足早に山を下っていった。



 そして、二人だけ残された社。

 半壊した社は雌鹿によって大部分が改修されていた。


「天狐殿、本当に私は残ってよいのでしょうか。お邪魔なら……といっても言いづらいとは思いますが。女性お一人ですし、帰った方がよろしければ……」

「いいえ。わたくしは仁慈様だからこそ、居てほしいのです。……ご迷惑でなければですが」


 その控えめな会話がどこかおかしくて、二人は笑い合う。


「……夢のようです」

「わたくしも、でございます。……ふふ。なんだか、仁慈様と出会ってから、わたくしの見えるものも、感じるものも、全て変わってゆくのです……」


 社の中で仁慈が彼女を見ていると、壊れた屋根から差し込まれる月明かりに目が行く。


「天狐殿、あそこから屋根の上に行けるようです。よろしければ、行ってみませんか?」


 天狐はこくりと頷いて、仁慈に手を引かれて屋根の上へと登る。二人は腰をかけ、静寂の月夜を眺めた。握った手は、そのままに。


「……不謹慎だとは存じておりますが。……あのまま結界がなければ、仁慈様とどこかへ行けてしまいましたね」

「そうですね……どこまでも。私も、同じことを考えておりました」


 彼女は仁慈の肩にそっと頭を置く。預けられた天狐の小さな重みに、仁慈は不思議と心が落ち着いた。


「結界が失われて、天狐殿と二人で逃げ出していたら……。『一緒に住みませんか』と、誘うつもりでした」

「……その未来、見てみたいです」


 天狐は目を伏せて彼に身を委ねる。夜風がふわりと、黒髪を優しく流していく。


「天狐殿に言わせれば、これもまた神様の思し召し、なのでしょうか」

「……ええ、きっと」


 霊剣が折れて散った時から、仁慈の冴え渡る感覚は急速に失われている。だが霊剣を持ったあの瞬間。彼は天狐が真の意味で常人ではないと肌で感じていた。

 その、真白に満ちた望月のような天狐の輝き。


「……天狐殿は霊獣達と心を通わせておりました。貴女は一体……?」

「大した者では……。いいえ、それではわたくしを選んでいただいた姫宮司様に失礼ですね」

「そうだ。宮司様に選ばれた御方でしたね。姫宮司とはこれまた珍しい。どのような御方なのですか?」

「『神子五姫(かみごのいつひめ)』様でございます」

「〝神子〟……?」


 仁慈は瞬きを忘れた。


「あら? 姫宮司様をご存知なのですか?」


 彼は返答も置き去りにして、問いを返す。


「……天狐殿のご家名は、なんと?」

「正式なものはございませんの。ですが強いて言うなら、『神』の『子』と書いて『神子(みこ)』でしょうか」

「――え」


 神子は「カミゴ」と読む。だがむしろ「ミコ」と読む方が自然であった。仁慈は思わぬ答え合わせに、思考ができなくなった。


「仁慈様……? これは大変なご無礼を。初めに『神子天狐(みこのあまね)』と名乗った気でおりました」

「いいえ……。いえ、私が、とんだ勘違いを……。……貴女は神子天狐(みこのあまね)殿、だったのですね」

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