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君捨て山 ~八姫八君の物語~  作者: 切 実り
第一章 投木(なげき)
37/44

37話 『黒闇の巨人』

 ――ヴゥアアアアアアアアアアアアアアアッ。

 

 それはメイの咆哮ではない。何か巨大なものが共鳴したのだ。

 

「地響き……?」

 

 山が、動いた。


 そして新たな山が現れた。


 山のように巨大な黒き化身。大妖怪である。

 仁慈の前には山をも超える一体の巨人がいた。


「――ようやく動いてくれましたわネ。山の神よ」

「……山の、神だと……?」

「残念ねえ仁慈様ァ。貴方がわたくしを怒らせるから、その呪いに神が応えてしまわれた」


 巨人が苦しみながら地団駄を踏むと、それだけで生い茂る木々も何もかもが平らにならされていく。

 大地が揺れ、裂けた。


嗚呼(ああ)僥倖(ぎょうこう)ッ! 山の神よ! あの社を跡形もなく潰すのです!」


 進行を恐れた白狼が大量の霧を撒き散らし、巨人の足元を完全に隠す。仁慈の眼には、霧の奥で白狼が必死に噛み付いているのが見えた。


 けれど、戦う規模が違い過ぎる。

 巨人は白狼を片手で掴み上げ、怒りのままに社へ投げつけた。


 白狼は結界に阻まれずに通過し、社の屋根に激突――。


 社の中に安置されていた御神刀(ごしんとう)が衝撃で落ち、結界が解かれた。


「今でスすッ! 魑魅魍魎(ちみもうりょう)の皆々様ァァアア‼︎」


 メイの掛け声と共に、妖怪達が雪崩(なだれ)を打って社へ走り出す。


 ――〝風姿花剣(ふうしかけん)


 仁慈はメイに目もくれず社へと走った。


(私が、私があの時メイを斬っていれば……! 二度も逃し、あまつさえ天狐殿に危険が……‼︎)


 彼は行く手を阻む妖怪を(かわ)し、風の如く駆け抜けて天狐の元へ辿り着く。


 仁慈は腰を落として息を切らしながら、天狐の輝きを失った顔を見上げる。


「天狐殿、ご無事ですか。あの巨人は――」

「ダイダラ……。仁慈様……もう、終わりです」


 その巨人、天を()く身の丈。全身から立ち上る黒き霊気は、正しく神。


「あれなる巨人は、闇に堕ちたとしても山の神に相違ありません。この霊峰(れいほう)において勝てる者はおりませぬ!」


 壊れた結界から妖怪達が続々と押し寄せる。社に(かくま)っていた動物達は鳴きながら散開し、それを妖怪共が次々と食らう。


 雌鹿(めじか)が逃げ惑う小動物を守りながら懸命に戦うも、結界無しの多勢に無勢では圧倒される一方。


 もがいて暴れるダイダラはただの一撃で神木を破壊した。無惨に吹き飛んだ木の破片が夜空に舞う。


「あああっ……! もう……御神刀があったとて、結界を起こすことはできません……」


 泣き崩れる天狐。結界には神木が不可欠だったのだ。


「天狐殿。結界がなければ外へ出られます。逃げましょう。私が活路を開きます」

「嫌でございます……。わたくしは……わたくしは……」


 絶望を吸い取るように活発になった巨悪な妖怪共が、瞬く間に二人を囲んだ。

 迷う数秒の間にも敵は増え、既に天狐を庇いながら逃げられる数ではなくなった。


「天狐殿……申し訳ありませぬ。私が不甲斐ないばかりに……このようなことに」

「いいえ、そんなことはありません……。わたくしは永久(とわ)に、貴方様と共に……」


 仁慈は刀から左手を離し、天狐の震える手を握りしめる。それは迎え撃ったところで勝ち目がないと悟ったからに他ならない。

 結界無しの仁慈の持久力など高が知れている。


 大群を前に、二人は心中を覚悟した。



 その刹那――。


 ――〝(かんざし)

 ――〝皆伐(かいばつ)


 無数の白刃はくじんが妖怪の大群に道を開ける。そこに佇む二人の剣士。彼らを照らす、一条の光。


「与助ッ‼︎ 兄上ッ‼︎」


 与助と誠士が、背中合わせに立っていた。


「オーイ! 仁慈! 助けに来たぜェ‼︎」

「……なぜここが」

「『仁慈が決戦だから助太刀しろ』って、誠士に言われてよォ! ウロチョロしてっから連れてきたぜェ!」

「ふん。俺は来る気はなかったが。こいつがな……」


 そして与助は高らかに言い放つ。


「――諦めてねェよなァ! 相棒ッ‼︎」


 仁慈は目に溜まった涙を拭い去り、再び剣を構えた。


「当然だ――ッ‼︎」

「へへッ。にしても面白れぇな! 妖怪祭りじゃねえか! どっちが多く斬れるか勝負と行こうぜ。誠士!」

「ほう? 足手纏いは勘弁だぞ」


 始まったのは無双の絶技。


 二名の英傑(えいけつ)が一息に妖怪達を一掃する。続けて迎え打つ妖魔共にも隙を与えない、神速の剣捌き。


 しかし、ダイダラがあらゆる物を踏み潰しながら社へと迫っている。


「与助ッ! 巨人が来るぞ! なんだあれは。お前、倒せるか?」

「バカ誠士ッ! でーだらぼっち知らねえのか⁉︎ 山を担いで運んじまうっつーバケモンだぞ!」


 天狐は仁慈の袖を引いた。


「……仁慈様、考えがあります。共に社へ」


 それに呼応して、与助と誠士が斬り続けて社までの道を作る。


 社の前まで辿り着くと、仁慈は男達の大きな背を見つめた。


「ここはオレ達に任せて行けッ!」

「ハッ。俺()? 一人で事足りるがな。――仁慈、さっさと行け。鼠一匹とてここを通さん」

「この恩は忘れませぬ!」


 訳を話さずとも身を(てい)してくれた二人の想い。仁慈は急いで社へ駆け込んだ。


 仁慈と天狐は破壊された社の中へ入ると、まだ息のある白狼が倒れていた。その前には、御神刀が転がっている。


 天狐は拾い上げて、仁慈に差し出す。


「これなるは社の守り神……。御神刀をお使いください」

「……これを私に?」

「魔を払う、不可侵の剣――『白夜刀(びゃくやとう)』でございます。結界は御神刀のお力によるもの。そのご加護は確かなものかと」


 天狐の震える両手を包み込むように仁慈が手を添えた。その時、触れた剣の鞘から凄まじい霊気が彼の全身に伝う。


「……魔を払う、剣」

「仁慈様は『解き放つ者』。社に出入りできたのは、仁慈様の霊魂(れいこん)が結界を打ち消したからではないか……と」

「……私の、霊魂が?」

「はい。ダイダラに掛けられた呪詛さえも、打ち消すことができるやもしれません」


 盲目の老爺の言葉、『火を(もっ)て、火を制す』が仁慈の頭を過ぎる。


 同時に、師範の声が体を強く縛り付けた。


――『〝決して剣に触れてはならん〟』


 かつて師範は、荒木の霊剣に触れることを止めた。この鞘を抜けば、剣の霊力が自分を作り変えてしまうと、仁慈には直感で分かる。


「仁慈様……?」

「……私は」


 心の中で、師範が背中を睨んでいる。失望している冷徹な眼だ。


(……もしも、命令に背いた事で酷い目に遭ったなら、私は『やはり』と後悔するのだろう。……でも、いつまでも責任を背負ってもらう子供ではいたくない。自分で決断して、責任を取れる大人になるのだ)


 見えない師範は言う。『失敗したらどうする。私の指示に従えば間違いはない』と。


 仁慈は静かに目蓋を閉じた。


(いいのです、先生。たとえ失敗でも、自分で後悔して強くなりたいのです――‼︎)


 彼が目を開けると、天狐が深刻そうにこちらを見つめていた。


「私は貴女の剣になる」


 ――御神刀を鞘から抜く。


 それは煌々(こうこう)と光を放ち、聖なる炎を帯びる。


 放たれた輝きは社の外まで伸び、暗闇を消し去り白夜(びゃくや)とした。


「私は、向かい火だったのですね――」


 穴の空いた社の屋根から、ダイダラが二人を覗き込む。仁慈は(みなぎ)る神秘の力で、人体の道理に背く跳躍で飛び上がった。


 ――〝火炎・(のぼ)り龍〟


 全てを打ち払う(ほむら)の剣は、山神(ダイダラ)の呪詛さえ焼き斬った――。



 空を駆け抜けながら、仁慈の思考は真白に塗り替えられる。


 全能感。

 社の屋根に着地した仁慈の全身を、万能的な霊力が支配する。


(私は今、何をしたのだ……?)


 前方ではダイダラが眼を焼かれて倒れ込んでいる。痛みに暴れ、両手を振り回すと妖怪達が潰れていった。


 突然の白夜が収まると、誠士と与助はダイダラを仁慈が倒したのだと瞬時に察する。

 屋根の上、彼の闘気は烈火の如く燃え盛っていた。


「仁慈ッ! オメエまさか、霊剣か?」

「ああ。今ならきっと、息の根まで止められる――ッ」


 そう言い放ち、仁慈は屋根を蹴って一直線にダイダラへと飛ぶ。


 ダイダラの首を刈り取る間合いに到達すると、抵抗したダイダラの巨岩の両腕が左右から迫った。そこへ渾身の斬撃を二度繰り返す。


 ――〝月影(つきかげ)


 霊力を授かりし型破りな一太刀が、堅牢(けんろう)な右腕を容易く裂いた。仁慈は続け様に左腕を斬り上げ、骨まで断つ。


(残るは首のみ――)


 落ちていく巨大な腕を足場とし、更に高く跳ねた。


 ダイダラの焼かれた眼は修復され、仁慈を見据えた。それに臆せず仁慈は流れる動作で体を回転させ、剣先は遠心力で巨体をも切断する速度に達する。


 霊力による助力で視界が()み渡り、著しく世界は遅延した。どこを切り口に、どの瞬間に振り下ろせばいいか手に取るように分かる。正に予知。


 剣先は白き炎を走らせ、一筋の流星と化して分厚い首へと向かう。


 ――神をも穿つ、比類なき一閃。

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