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君捨て山 ~八姫八君の物語~  作者: 切 実り
第一章 投木(なげき)
35/44

35話 『見様見真似、されど絶技』

 眼前――。

 しめ縄の結界により、妖怪達は見えざる壁に次々と進行を阻まれた。彼らの肉が焼ける音とむせ返る臭いが立ち込める。


 仁慈はひとまず安堵し、大きなため息を吐く。とはいえ、一人で相手取れる数ではない。


(天狐殿に逃げろと言っても彼女はしめ縄を出られない。もし神木が焼かれ、(あやかし)共が結界を越えてきたら……!)


 答えが出せぬまま悩んでいると、天狐が息を切らして仁慈の元へ辿り着く。


「っ――‼︎」


 燃え広がる黒紫の炎。鬼や大蛇、大百足の暴れ狂う様に天狐は言葉を失った。


「天狐殿ッ! ここは危のうございます!」


 天狐は気が動転して目を()らす。一度息を整え、静かに(まじな)いを唱えた。それは彼女の精神統一の手法である。すると彼女は仁慈に向き直った。


「鳥達が教えてくれた通りの事態にございますね」

「社へお戻りください」

「いいえ……。仁慈様こそお逃げください。社の反対側から出て、安全なところまで。……そしてもう、この社へ来てはなりません」


 天狐は覚悟を宿した眼差しで、仁慈を射抜く。

 しかし、仁慈の覚悟が上回る。


「……そんなこと、もう二度と仰ってはなりませぬぞ」


 それは極めて強い語気であった。


「仁慈様……」

「私は貴女を守ると誓った」

「でも――」

「私は貴女の剣です」

「死んでしまいます! それはわたくしが死ぬ事よりも辛い事にございます……」


 彼女の両目が月光を蓄え、大粒の涙が(したた)る。メイはしめ縄に最も近い特等席で、それをじっと眺めた。満面の笑みだった。


「私が目指すと決めた侍は、好いた女子(おなご)を守る為に戦うのです。それが出来ぬなら死ぬべきなのです」

「仁慈様! 嫌でございます。どうか、どうか生きてくださいませ」


 仁慈は不敵に笑って、彼女の涙を指で優しく拭き取る。


「……なぜお泣きになるのです? 私は勝ちに行くのですよ。貴女の剣は決して折れませぬ」


 彼女は仁慈の左手を両手で包み込む。


「ならばわたくしはお側におります。……どの道、わたくしに逃げ場などないのですから」


 しめ縄の外。地獄の炎は着実に神木を燃やしていっている。黙って見ていれば、いずれ結界は壊れるだろう。


「では、行って参ります」

「どうかご無事で……。また必ず笑顔を見せてくださいませ」


 すると、仁慈は一息で神木を駆け上がり、そのまましめ縄の外へと飛び込んだ。


 落下と同時に、三丈を超える鬼を背骨に沿って一刀両断する。地響きを鳴らして背開きに倒れる鬼の影。守るものを得た仁慈の決死の佇まいこそ、鬼そのものであった。


 彼が磨き上げた精神の領域。圧倒的な威圧。間合いは全て死地と化す。

 妖怪達は仁慈の辺りを取り囲むも、我先にと手を出す者は現れない。


「仁慈様ァ……。お覚悟ご立派ですわッ!」

「神子のメイ。呪符を用いたとはいえこの大群。相応の代償があったらしいな」

「代償ゥ?」

「ああ。お前はもうじき言葉も喋れなくなるだろう」


 アハハハハハッ。メイの甲高い大声が山奥に響き渡る。


「故に最後に一つだけ聞く。お前を殺せば(あやかし)共も死ぬのか?」

「――死なぬわッ‼︎」


 言い放つと同時に、メイは持ち前の強烈な跳躍で仁慈に斬り掛かった。


 千載一遇の好機。

 仁慈は即座に下段に構える。飛び込んだメイは双剣で横へ水平に薙ぐ。右剣と左剣、それぞれの横薙ぎは高さが異なっていた。右剣は首を跳ねる位置、左剣は腰を断つ位置。


 相対するように、仁慈も真っ向から懐に飛び込む。双剣の狭い隙間を狙い、寸分違わずそこに身を置き、横薙ぎを()(くぐ)った。


 ――〝昇り龍〟


 空中で放った妙技。斬り上げた剣は、メイの首を華麗に両断した。


 着地した仁慈は落ちた首を見る。間違いなくメイはこの手で殺したのだ。


 しかし、メイの首はゴロッと意志を持って転がり、仁慈を視界に収めた。


「――神子は首を落としても死なぬことが大半ですのよ?」


 そう言い残すと、首は灰と化して吹き飛ぶ。立ち往生で残された胴体は、切り口から陽炎(かげろう)が揺れて新たな頭が再生した。


「……なぜ」

「アハハッ! 頭って新しくすると冴えますのね⁉︎ この感覚、お分かりかしら?」


 仁慈はすぐさまメイに刃を向ける。


「ねエ! 聞いてくださいませ! 近頃のワタクシ、神子として強くなっている気がいたしますの!」


 ()()として。その言葉に仁慈は思い当たる節があった。


(メイが強くなったのは間違いない。……だが鍛錬により技量が上がった訳ではない。根本的に肉体そのものが強化されている……!)


 底上げされた霊力がメイの全身から溢れ出す。

 

 二人は結界付近、妖怪達の輪の中にいた。天狐は一部始終を外から不安そうに見つめるしかなかった。


「神子の殺し方を兄上に聞いておくべきだったな……」

「馬鹿ね。殺し方なんて生きとし生ける物みーんな同じよ。死ぬまで殺すだけ」


 ふっと仁慈が笑う。


「左様か。一太刀で決まることもあれば、三太刀でも決まらぬこともある、か。……では、(あやかし)共を仕留めるには何手必要か数えるとしよう」

「掛かれッ――‼︎」


 囲んでいた妖怪が一斉に仁慈へ襲い掛かる。振り下ろされる鬼の棍棒や大剣。どれも怪力、当たれば全てが致命傷。


 しかし、統率もなければ戦術もない。剣技において仁慈の右に出る者はそういなかった。


(恐れるな。敵を視ろ――)


 闇の炎が波の如く迫る中。仁慈の眼は劫火(ごうか)を写し取る。すると瞳の中で黒紫の炎は浄化され、日輪(にちりん)に似た燃える紅や黄金に(いろど)られていく。


 仁慈の瞳は、魂の奥底をも見通す眼。


 ――〝風姿花剣(ふうしかけん)


 身は風となり、剣は花と化す。

 ひらりと舞っては落ちる。鬼の攻撃など恐るるに足らず。風は通り抜け、花はいなすのが世の摂理。仁慈はするりと風に流れ、妖怪達の猛攻を潜り抜けて隙を突く。


 一体、また一体と斬っては去る。死の舞踊(ぶよう)


「ナゼッ! こちらは人智を超えた力ぞ!」

「悪いな。山に入れば(あやかし)なぞさして珍しくもない」

「おふざけをッ! 常人が視える(あやかし)なぞ……。たかが知れておりますル!」


 風を切りながら、仁慈は鼻で笑った。こちらは毎日〝剣の鬼〟と修行をしているのだ、と。


 単調な攻撃。どれも遅い。否――。仁慈が圧倒的に速すぎる。餓鬼や骸骨、童鬼(わらべおに)のような小賢しい雑兵を三十体ほど瞬く間に斬り伏せた。


 近くの大樹の枝の上で一呼吸置く。


(にしても数が多い。これでは体力がもたない)


 すると、メイはすかさず空に舞う。


 ――〝炎天下(えんてんか)


 メイは空中で双剣を全方位に振り回し、無数の炎の雨を降らせた。紫の獄炎は妖怪達には効かず、山林だけを無慈悲に焼き尽くす。


 仁慈がその火の粉を(かわ)すも、周囲はあっという間に更地と化す。


 そして息をつかせる間もなく、本命の強敵達が仁慈へと襲いかかる。金剛力士像と見紛う巨躯の鬼共が、(よだれ)を垂らして暴れ狂う。四体の鬼に囲われた仁慈は死を覚悟した。


(――全霊を尽くせ。大倉仁慈)


 荒木と相対した時の深い海の底のような静謐(せいひつ)な感覚。己の心臓の鼓動さえ繊細に分かる。極限まで集中した仁慈が繰り出すは、免許皆伝の奥義。


 ――〝皆伐(かいばつ)

 

 見様見真似、されど絶技。

 師範――大倉大護をその身に落とし込む。刹那の内に白銀の交差線を織りなし、四体の鬼の小手を一斉に斬り裂く。鬼達は抵抗する隙すら与えられず、その手から金棒や矛を落とした。


 妖怪達がたじろぎ、メイも言葉を失った剣技。仁慈は好機を逃さず、〝風姿花剣(ふうしかけん)〟の返す刀で鬼の首を落とす。


 だが息が続かず、仁慈は即座に後方へと跳んだ。


(上出来だ……! 小手の四箇所だけに的を絞ったのが功を奏したか)


 仁慈は願望混じりの剣を捨てた。一度に斬り殺すのではなく、自身の技量を知った上で四箇所の同時攻撃としたのだ。

 真の〝皆伐(かいばつ)〟には遠く及ばず、されど間違いなく奥義であった。

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