35話 『見様見真似、されど絶技』
眼前――。
しめ縄の結界により、妖怪達は見えざる壁に次々と進行を阻まれた。彼らの肉が焼ける音とむせ返る臭いが立ち込める。
仁慈はひとまず安堵し、大きなため息を吐く。とはいえ、一人で相手取れる数ではない。
(天狐殿に逃げろと言っても彼女はしめ縄を出られない。もし神木が焼かれ、妖共が結界を越えてきたら……!)
答えが出せぬまま悩んでいると、天狐が息を切らして仁慈の元へ辿り着く。
「っ――‼︎」
燃え広がる黒紫の炎。鬼や大蛇、大百足の暴れ狂う様に天狐は言葉を失った。
「天狐殿ッ! ここは危のうございます!」
天狐は気が動転して目を逸らす。一度息を整え、静かに呪いを唱えた。それは彼女の精神統一の手法である。すると彼女は仁慈に向き直った。
「鳥達が教えてくれた通りの事態にございますね」
「社へお戻りください」
「いいえ……。仁慈様こそお逃げください。社の反対側から出て、安全なところまで。……そしてもう、この社へ来てはなりません」
天狐は覚悟を宿した眼差しで、仁慈を射抜く。
しかし、仁慈の覚悟が上回る。
「……そんなこと、もう二度と仰ってはなりませぬぞ」
それは極めて強い語気であった。
「仁慈様……」
「私は貴女を守ると誓った」
「でも――」
「私は貴女の剣です」
「死んでしまいます! それはわたくしが死ぬ事よりも辛い事にございます……」
彼女の両目が月光を蓄え、大粒の涙が滴る。メイはしめ縄に最も近い特等席で、それをじっと眺めた。満面の笑みだった。
「私が目指すと決めた侍は、好いた女子を守る為に戦うのです。それが出来ぬなら死ぬべきなのです」
「仁慈様! 嫌でございます。どうか、どうか生きてくださいませ」
仁慈は不敵に笑って、彼女の涙を指で優しく拭き取る。
「……なぜお泣きになるのです? 私は勝ちに行くのですよ。貴女の剣は決して折れませぬ」
彼女は仁慈の左手を両手で包み込む。
「ならばわたくしはお側におります。……どの道、わたくしに逃げ場などないのですから」
しめ縄の外。地獄の炎は着実に神木を燃やしていっている。黙って見ていれば、いずれ結界は壊れるだろう。
「では、行って参ります」
「どうかご無事で……。また必ず笑顔を見せてくださいませ」
すると、仁慈は一息で神木を駆け上がり、そのまましめ縄の外へと飛び込んだ。
落下と同時に、三丈を超える鬼を背骨に沿って一刀両断する。地響きを鳴らして背開きに倒れる鬼の影。守るものを得た仁慈の決死の佇まいこそ、鬼そのものであった。
彼が磨き上げた精神の領域。圧倒的な威圧。間合いは全て死地と化す。
妖怪達は仁慈の辺りを取り囲むも、我先にと手を出す者は現れない。
「仁慈様ァ……。お覚悟ご立派ですわッ!」
「神子のメイ。呪符を用いたとはいえこの大群。相応の代償があったらしいな」
「代償ゥ?」
「ああ。お前はもうじき言葉も喋れなくなるだろう」
アハハハハハッ。メイの甲高い大声が山奥に響き渡る。
「故に最後に一つだけ聞く。お前を殺せば妖共も死ぬのか?」
「――死なぬわッ‼︎」
言い放つと同時に、メイは持ち前の強烈な跳躍で仁慈に斬り掛かった。
千載一遇の好機。
仁慈は即座に下段に構える。飛び込んだメイは双剣で横へ水平に薙ぐ。右剣と左剣、それぞれの横薙ぎは高さが異なっていた。右剣は首を跳ねる位置、左剣は腰を断つ位置。
相対するように、仁慈も真っ向から懐に飛び込む。双剣の狭い隙間を狙い、寸分違わずそこに身を置き、横薙ぎを掻い潜った。
――〝昇り龍〟
空中で放った妙技。斬り上げた剣は、メイの首を華麗に両断した。
着地した仁慈は落ちた首を見る。間違いなくメイはこの手で殺したのだ。
しかし、メイの首はゴロッと意志を持って転がり、仁慈を視界に収めた。
「――神子は首を落としても死なぬことが大半ですのよ?」
そう言い残すと、首は灰と化して吹き飛ぶ。立ち往生で残された胴体は、切り口から陽炎が揺れて新たな頭が再生した。
「……なぜ」
「アハハッ! 頭って新しくすると冴えますのね⁉︎ この感覚、お分かりかしら?」
仁慈はすぐさまメイに刃を向ける。
「ねエ! 聞いてくださいませ! 近頃のワタクシ、神子として強くなっている気がいたしますの!」
神子として。その言葉に仁慈は思い当たる節があった。
(メイが強くなったのは間違いない。……だが鍛錬により技量が上がった訳ではない。根本的に肉体そのものが強化されている……!)
底上げされた霊力がメイの全身から溢れ出す。
二人は結界付近、妖怪達の輪の中にいた。天狐は一部始終を外から不安そうに見つめるしかなかった。
「神子の殺し方を兄上に聞いておくべきだったな……」
「馬鹿ね。殺し方なんて生きとし生ける物みーんな同じよ。死ぬまで殺すだけ」
ふっと仁慈が笑う。
「左様か。一太刀で決まることもあれば、三太刀でも決まらぬこともある、か。……では、妖共を仕留めるには何手必要か数えるとしよう」
「掛かれッ――‼︎」
囲んでいた妖怪が一斉に仁慈へ襲い掛かる。振り下ろされる鬼の棍棒や大剣。どれも怪力、当たれば全てが致命傷。
しかし、統率もなければ戦術もない。剣技において仁慈の右に出る者はそういなかった。
(恐れるな。敵を視ろ――)
闇の炎が波の如く迫る中。仁慈の眼は劫火を写し取る。すると瞳の中で黒紫の炎は浄化され、日輪に似た燃える紅や黄金に彩られていく。
仁慈の瞳は、魂の奥底をも見通す眼。
――〝風姿花剣〟
身は風となり、剣は花と化す。
ひらりと舞っては落ちる。鬼の攻撃など恐るるに足らず。風は通り抜け、花はいなすのが世の摂理。仁慈はするりと風に流れ、妖怪達の猛攻を潜り抜けて隙を突く。
一体、また一体と斬っては去る。死の舞踊。
「ナゼッ! こちらは人智を超えた力ぞ!」
「悪いな。山に入れば妖なぞさして珍しくもない」
「おふざけをッ! 常人が視える妖なぞ……。たかが知れておりますル!」
風を切りながら、仁慈は鼻で笑った。こちらは毎日〝剣の鬼〟と修行をしているのだ、と。
単調な攻撃。どれも遅い。否――。仁慈が圧倒的に速すぎる。餓鬼や骸骨、童鬼のような小賢しい雑兵を三十体ほど瞬く間に斬り伏せた。
近くの大樹の枝の上で一呼吸置く。
(にしても数が多い。これでは体力がもたない)
すると、メイはすかさず空に舞う。
――〝炎天下〟
メイは空中で双剣を全方位に振り回し、無数の炎の雨を降らせた。紫の獄炎は妖怪達には効かず、山林だけを無慈悲に焼き尽くす。
仁慈がその火の粉を躱すも、周囲はあっという間に更地と化す。
そして息をつかせる間もなく、本命の強敵達が仁慈へと襲いかかる。金剛力士像と見紛う巨躯の鬼共が、涎を垂らして暴れ狂う。四体の鬼に囲われた仁慈は死を覚悟した。
(――全霊を尽くせ。大倉仁慈)
荒木と相対した時の深い海の底のような静謐な感覚。己の心臓の鼓動さえ繊細に分かる。極限まで集中した仁慈が繰り出すは、免許皆伝の奥義。
――〝皆伐〟
見様見真似、されど絶技。
師範――大倉大護をその身に落とし込む。刹那の内に白銀の交差線を織りなし、四体の鬼の小手を一斉に斬り裂く。鬼達は抵抗する隙すら与えられず、その手から金棒や矛を落とした。
妖怪達がたじろぎ、メイも言葉を失った剣技。仁慈は好機を逃さず、〝風姿花剣〟の返す刀で鬼の首を落とす。
だが息が続かず、仁慈は即座に後方へと跳んだ。
(上出来だ……! 小手の四箇所だけに的を絞ったのが功を奏したか)
仁慈は願望混じりの剣を捨てた。一度に斬り殺すのではなく、自身の技量を知った上で四箇所の同時攻撃としたのだ。
真の〝皆伐〟には遠く及ばず、されど間違いなく奥義であった。




