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君捨て山 ~八姫八君の物語~  作者: 切 実り
第一章 投木(なげき)
34/44

34話 『月下美人』

【登場人物】

仁慈(17):若侍

誠士(19):仁慈唯一の兄弟子

大倉大護(50頃):仁慈の剣術師範


天狐(16):山奥の社に一人住む巫女。

神子のメイ(16):山火事の下手人。双剣の神子。

 仁慈は道場に帰ると、偶然庭で目が合った誠士にメイとの出来事を報告した。その時仁慈は自らの行動に疑問を覚える。普段であれば、まず師範に報告していたはずだ。


 話を聞き届けた誠士は、強い口調で返答する。


「――なぜ躊躇(ちゅうちょ)した。『剣を取れ』と、そう言ったはずだ」

「申し訳ありませぬ……」

「先生には報告するのか?」

「無論です」

「そうか。だがお怒りになるのは明白だぞ」


 仁慈は諦めた顔で少しだけ目を伏せた。誠士にすれば何度も見てきた表情だった。


「……まあ俺に任せろ」


 午後の稽古が再開される前、三人が道場の中央に集まる。仁慈は誠士もまだ知らない(てい)で、改めて師範にメイとの出来事を話した。すると、聞き終えるや否や、誠士が一歩大きく踏み込んで仁慈の眼前に立つ。


「お前ッ! 山火事の下手人だと知りながらみすみす逃したのか⁉︎」

「……兄上」


 誠士は今にも掴みかかる勢いで叱責を繰り返した。


「先生に言われたはずだ! 神子は人を殺して生きると。故に我らが殺さねばならぬと――ッ!」

「もうよい」


 師範は心底呆れた様子でこれを止める。


「しかし先生……」

「やはり、腑抜けか」


 凍てつく一言を吐き捨てて、師範は稽古場から出ていった。師範が稽古を放棄することは多々ある。立ち去る行為、それは『稽古にも値しない』。つまり勝手に鍛錬でもしていろ、という意味合いである。


 師範が遠くへ行ったことを確認すると、誠士は深く溜め息を吐く。


「兄上……」

「本気で怒鳴ってすまなかったな。だが俺が大袈裟に叱責すれば先生もそれ以上は言うまい……」


 誠士の配慮は虚しくも、師範のたった一言で仁慈の心は(えぐ)られた。嫌われ役は元より嫌われている自分でいい、そんな気遣いは意味を成さなかった。


「いいえ。兄上が仰られたことは誠のことはありませぬか」

「……まあその通りだ。重々承知の上だろうが、お前が斬ることを躊躇(ためら)ったせいで、大切な娘が危ない目に合うかもしれない。……お前の〝斬らない〟という決断で、彼女は不安で眠れぬ夜をまた過ごすことになったのだ」


 誠士は竹刀を手に取って素振りを始めた。


「斬る決断ができなかったのです」

「それは斬らない決断をしたのと同義だ」

「……でも、まだ神子のメイが再び彼女を襲いに来るとは限らないではありませぬか」


 仁慈も竹刀を取るも、精神の統一が(おろそ)かで構えすらままならなかった。


「一度道を踏み外した者はその時点で『黒』だ」

「……黒ですか」

「そうだ。以後も罪を犯す見込みが『零』から『一』になる。……『零』とは限りなく白に近い、いわば常識人。『一』とは少なからず黒という意味だ」

「ならば彼女が再び罪を犯す前に私が止めるべきです。彼女の黒は、更生の余地がある黒だと感じました……」


 誠士は素振りの勢いのままに仁慈へ向き直る。


「甘いんだよ。大勢の人が襲われたのだぞ? 剣を取れと言った意味が分からないのか」


 仁慈は静かに戸惑いながらも、口を開く。


「では兄上は……。たとえ極めて小さな『黒』だとしても斬るのですか」

「当然だ。罪を犯した者は断罪すべき悪だ。偶然野放しにされているに過ぎん。……俺は誰かが被害に遭う見込みが少しでもあれば、殺す」


 誠士には迷いがない。だからこそ仁慈は返答に迷いが生じた。


「おかしいと思うか?」

「……未遂の罪まで裁きが許されるのは、天罰のみです」

「俺は神なぞアテにしない。妥当な天罰を見たことがないからな。……とうに神は人を見限っている。故に俺は神を見限ることにした」


 そう言い残し、誠士は再び奥義の練習を始めた。その精神の領域はどこまでも深く、仁慈を寄せ付けなかった。


(私の義は何処(いずこ)に。……義の在り方は、私が決めなくてはならないのですか……)


 深い孤独を感じながら、仁慈もまた稽古を始めるのだった。


 

 一方、メイは更なる罪を重ねていた。

 新たな着物を(まと)い、霊剣を二振り手にし、とある村にふらりと寄る。日暮れ時だというのに、どの家にも人の気配がなければ、飯の匂いすらしない。


 すると、遠くにまだ遊んでいる幼い男児が一人。メイはいつの間にか男児に近づいており、肩を優しく叩く。


「坊や。村の皆はどこにいるのかしら?」

「……だれ?」

「旅をしてる芸者よ。ここは日暮れが早いのね」

「えーっ⁉︎ あぶないよ!」

「危ない?」

「うん! 夜になると鬼が出るんだって! 姉ちゃんも遊んでちゃだめだよ!」

「……そう。とはいえ、旅の途中で……。どこか泊めてくれる親切な方はいないかしら」

「そりゃたいへん! ついてきて! あんないしてあげる!」


 そして日没が過ぎる。霊気を蓄え、血濡れた女が山奥へ。何かに突き動かされるように歩いていく。


「……わたくしを解き放つ者に見捨てられたのなら、これも天命。山姥(やまんば)になれるまで、わたくしは人を殺め続けますわ……」



 その夜。誠士が稽古を終え、道場から自らの家へと帰ろうと支度をしている。仁慈は未だ覚悟を決めかねている様子だ。


「まだ悩んでいるのか」

「今夜だと思うのです。決戦は――」


 誠士は背負いかけた荷物を下ろす。


「ふむ。……愚弟一人など心許ない。俺も行こう」

「いいえ。それには及びません」

「また神選組のような連中がいたらどうする」

「――これは私が蹴りをつけるべき戦いです」


 侍としての意地。その愚直な眼差しに、反論の余地はなかった。


「斬れるのだろうな? たとえ女でも、どのような生い立ちであったとしても」


 黙り込む仁慈。


「おいおい。口先だけか」

「斬ります」

「ならば良い」

「……分っているのです。ですが、心の準備がどうしても追いつかなくて」

「何を当然なことを」


 そう言う誠士は先日、神子を躊躇(ちゅうちょ)せず斬り殺していた。まだ自分はそうなれない、と仁慈は目を泳がせた。


「決断は常に唐突に迫られるものだ。万全の準備などさせてはくれぬ」

「…………」

「故に本性が現れる。日頃から自分で決断し、責任を取る術を身に付けておけ。それがお前を必ず強くする。銭や剣より役に立つ、お前だけの武器になるはずだ」


 誠士は再び荷物を肩にかけ、背を向けた。


「必ず斬れ。お前の手で」

「承知……!」


 誠士が夕暮れに歩き出す。その背中が小さくなるまで、仁慈はただ頭を下げていた。


 夕餉(ゆうげ)を終えると仁慈は一人、月明かりを頼りに山奥へと向かった。社の濡れ縁にぽつんと腰を掛けていた天狐が、仁慈の気配に気づいて迎えに来る。


「仁慈様……! ここ数日は毎日いらしてくださいますね。天狐は嬉しゅうございます」


 彼女の曇りなき笑みが、仁慈には決意を迫るように思えた。


「勿論です。私の不手際で天狐殿を危険に晒しているのですから」

「どうかお気になさらず――そう何度も申し上げているではありませんか。わたくしが申し上げたいのは、こうして毎日顔を合わせる幸せにございます」

「天狐殿……」


 彼女は慈愛に満ちた表情で微笑んでは、本殿へといざなう。けれど仁慈は足を止めた。


「お弁当、次はいかがいたしましょう――」

「――天狐殿。今宵(こよい)、神子のメイが来ます」

「えっ……?」


 不安そうな眉で仁慈を見つめる天狐。


「昼間、奴と遭遇しました。あれはおそらく最後の挨拶だったのです」

「…………」

「今度こそ私が倒します。天狐殿を悩ます夜は、ここで断ち切るのです」


 石灯籠(いしどうろう)の火が揺れ、背後の林が騒ぐ。


「そんな怖い顔をしないでくださいませ。仁慈様には笑顔がよくお似合いです」

「……天狐殿のお命が狙われているのですよ。私はそれを二度も仕留め損ないました。もう許されませぬ」

「……お気持ちは嬉しいのですが。それよりもわたくしは、仁慈様からお守りされる必要がなくなってしまうことの方が残念です」


 風に揺蕩(たゆた)う黒髪に表情が隠れた。彼女はどこか恥ずかしそうだった。


「せっかく毎日来てくださっていたのに……なんて。わがままですね」


 言葉とは反対に、仁慈の守り抜くという意志は今、確固たるものとなった。


「私は何も気にせず貴女に会いたいのです。他の理由など、始めから不要なのですから――」


 そうして、天狐は社の近くに。仁慈は遠くしめ縄の周囲を警戒して回った。



 ――月の傾く、(よい)の中ほど。


 山の静かな旋律を壊す、不穏な足音がする。


 仁慈の視線の先にいたのは、本日二度目のメイである。


「……正面から来るとはな。神子のメイ」


 暗がりから月明かりに照らされ、浮かび上がった姿は天上の写し身。白磁(はくじ)の如く真白な髪、陶器のような(うるわ)しき顔立ち。その目を奪うたおやかな手先には、二刀の霊剣。


「燃やしたはずの山が、ひと月でこんなに……」


 青々とした森を見てメイはとても感心した。


「天狐殿のお力だ。お前の暴虐は徒労に終わったのだ」

「……流石は山姥! 山の神を喰らいし亡者の力。正に神秘ですわね。……では、母上の元まで案内をお願いしてもよろしいかしら?」


 仁慈は世迷言(よまいごと)の相手をしてやる気にもならなかった。


 その時――。社の前にいた天狐の周りを、小鳥や狐といった動物達が囲う。その鳴き声を聞き届けると、天狐は血相を変えて仁慈の方角へ走った。


「あら……。一度勝った女だと侮ってらっしゃるのですね。不愉快極まりないわ」

「……もうお前が霊剣を握っている以上、何を言ってもその耳には入らぬだろ」


 仁慈はしめ縄の境目まで近づいてみせる。


「お前はこれ以上入れぬ。初めからお前は、脅かすことさえ出来ぬのだ」

「……それはどうかしら」

「何?」


 仁慈はメイの背後に無数の異様な存在を視た。


「……さあおいでくださいませ。――まつろわぬの皆々様」


 闇夜からぬらりと顔を出したのは、数十、数百の妖怪達。そのおぞましい面々には一様に呪符が貼り付けられていた。


「やってくれたな……ッ! やはりあの時殺しておくべきだった!」

「もう遅いですわ! 情けの無い世に、情けなど持ち合わせるからこうなるのです」


 妖怪は多種多様で、大蛇や土蜘蛛(つちぐも)大百足(おおむかで)に牛鬼。その他多くの地獄絵巻に描かれる鬼や童が突如として姿を現した。


 後方から燃える車を引いて現れた鬼が、黒紫の炎を撒き散らして二人の横を駆け抜ける。暗雲が立ち込め、雨もなく雷が落ちた。


火車(かしゃ)……。昔大火事で視たことがある。見間違いではなかったとはな」


 あっという間に火の大地と化し、メイが双剣で紫の炎に触れると、松明のように刀身に灯る。


「仁慈様ァ。神木、しめ縄といえど、この地獄の炎に焼かれずにいられるのでしょうか?」


 メイは満面の笑みで霊剣を向けてくる。仁慈は絶望の景色に恐れ(おのの)きながらも、剣を抜いた。


「皆々様! ご堪能あれ! 百鬼夜行(ひゃっきやこう)にございます――!」


 掛け声を合図に一斉に走り出す魑魅魍魎(ちみもうりょう)。おぞましい歓声や怒号がそこかしこで上がる。


 仁慈はしめ縄の前で構えた。大群が波のように押し寄せ、近づく度に生臭い風と熱波が仁慈の頬を撫でる。想定外の事態に、胸の鼓動が早まっていく。


 あと数歩で間合いに来る――。

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