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君捨て山 ~八姫八君の物語~  作者: 切 実り
第一章 投木(なげき)
33/45

33話 『第二王女 二子』

 日付は現在に戻る。仁慈は茶屋を出て与助を見送った後、治太郎のことが気がかりだった。


(ここ数日は町に顔を出しても時を持て余すな……。稽古の刻限まで何をしたものか……)


 彼が帰路に着こうとした時。背後から優しき女の声が掛かる。


「薄っすらと、煙の匂いがいたしますね」


 どこか天狐に似た涼やかな声音に振り向く。すると仁慈の隣にいたのは、貧しい農家のような質素な格好をした若い娘だった。


「そうは思いません? 仁慈様」

「――神子のメイッ‼︎」


 人差し指をそっと口元に寄せて、「しーっ」と笑って(もてあそ)ぶメイ。すぐさま仁慈は刀の(つか)に手を掛ける。


「いけませんわ、仁慈様」

「黙れ」

「……あら? お忘れですの? わたくしの術はこの町をすぐにでも燃やし尽くせるのですよ」


 メイの両手に霊剣はない。だが彼女は(ふところ)から呪符をひらりと覗かせた。


「お前、まだ呪符を持っていたのか」


 彼女は少しだけ舌を出す。その無邪気な笑みが恐ろしい。


「ここ、爛々(らんらん)通りというらしいですね。……大通りですと人目が気になりますから。どうぞ、こちらへ」


 手招きに誘われる。仁慈は最大限の警戒をしながら後をついていくと、そこは裏路地にある寂れた長屋の一室だった。


 メイは彼に中へ入ることを目で促す。仁慈は呪詛の類いには(うと)いものの、嫌な勘だけは当たる。しかし、それが今は機能していないため、メイの呪符を用心しながら意を決して踏み入る。


 そこは生活感のある、至って普通の部屋。ただ、子供や男物の衣類が部屋の端に転がっていた。


 メイが戸を閉めると部屋が暗がりに包まれる。壁のあちらこちらに空いた狭い穴だけが、頼りない微かな光を差していた。


「怪しい物は何もありませぬ。どうぞお上がりくださいませ」

「信用できるものか」

「さすればお言葉にはお気をつけて。わたくしはいつでもこの町を燃やせるのですから」


 不敵な笑み。仁慈は従わざるを得ない。そして二人は部屋の中央に向かい合って座り込んだ。


「この長屋、お前が借りた訳ではあるまいな」

「ええ。わたくしはどちらへ行こうと無宿(むしゅく)の身でございますから……。どうか仁慈様のところにお泊めくださいませ」


 そう言ってメイは仁慈の元に擦り寄る。彼女の雪のような白髪は、無宿人(むしゅく)とは思えぬほど綺麗なものであった。


「また首でも噛みちぎる気か?」

「いいえ……。わたくしはただ、仁慈様のお側にいたいのです」


 部屋の細かな光さえも蓄えてしまう大きな瞳が、じっと仁慈を見つめる。


「先日のお詫びに、仁慈様がお望みのことなら何でもいたします」


 彼女ははらりと胸元まで脱いで、白い肩を露わにした。


「どうかこちらをお向きくださいませ。……神子は、美形が多いのですよ」


 視線を合わせないまま、仁慈は鼻で笑った。


()ちたものだな、神子のメイ」

「……はい。仁慈様に落ちてしまいました」


 色目を使い、花の蜜のように甘い声。


「力で負ければ今度は色仕掛けか……。お前の思考は読みやすい。どんな形であれ天狐殿から私を奪いたいのだろ?」

「ひどい! そんなんじゃありません!」

「……どうしてそこまで天狐殿に固執するのだ」

「…………」


 メイは仁慈に覆い被さるように抱きつく。仁慈はまつ毛の触れる至近距離でありながら、ただメイの目を冷たく睨みつけた。

 抵抗はしない。動揺もしない。何もしない事こそが無意味だという意思表示であり、いつでも迷いなく殺すという絶対的な威圧である。


 やがて諦めたメイは、ゆっくりと体勢を戻して距離を置く。すると哀愁を帯びたような薄らな笑みを浮かべていた。


「『仁慈』……。素敵なお名前ですよね。仁義と慈悲。名は体を表すとは、よく言ったものです」


 もう、声に色香はなかった。あの日、狂乱していたメイの心の底から伝うようなか細い声だった。


 慈悲。ふと、仁慈は無意識に殺意を薄め、目の前の少女への慈しみを濃くする。


「お前にも『メイ』という名があるだろう。メイとはどのような字だ?」

「……知りません。強いて言うなら、氏名の『(めい)』……なのでしょう」


 あまりに切ない声音。暗がりでも分かる痛々しい心の色。彼女の欠けらを理解してしまいそうになった。敵だとしても、もっと視えてしまいたい。そう、少しだけ思った。


「……聞かせてくれ。貴女のことを」


 部屋に(ただよ)う微かな線香の匂いに、彼女の心がほだされていく。


「――わたくしは、本当は人でも神子でも……ないのです」


 語り聞かせるは神子の歴史――。



――神子の祖である山姥。ある村で信仰され始め、各地の豪族達も神の血を欲し、女王として崇められるようになった。女王は元々貴族であるため、元の暮らしを求めて女王宮(じょうおうぐう)を建てさせた。 


 そして祈祷の末、「八姫八君(やひめやぎみ)」と呼ばれる十六人の子を七年の内に儲けた。王位継承を争えたのは太郎、次郎、一姫(いつひめ)二子(ふたこ)まで。結果として牛耳ったのは第一王子・太郎である。他の姫や君は己が道を模索した。四姫(よつひめ)は仏の教えを広め、六子(むつこ)や七郎は神子言葉(かみごことば)でいうところの『哲学者』や『研究者』になった。



「――わたくしは女王様の二人目の娘である、二子様の直系ですの」

「ならば、貴女は紛れもなく神子ではないか」


 彼女は力なく首を横に振った。


「いいえ。わたくしは神子の失敗作なのです」

「なぜ?」

「二子様は神子が生まれながらに持つ、『子宝には恵まれぬ』という呪いを持たずに生まれた唯一の御人でした。故に、次期王位の争いで優位だったのです。……けれど、それには虚しきカラクリがあったのです」


 涙ぐみながら、彼女は話を続けた。


◆◆◆


 二子は一廻齢(いっかいれい)――五十年で六人の男子を儲けている。神の血が濃いほど呪いも濃くなるため、女王の実子では驚異的な成果であった。子に恵まれぬ神子一族において、二子は次期女王に相応しく、二子家が天下を取ると目されていた。


 しかし、同時に女王の役目をも脅かす存在であった。恐れた女王は女系の後継を許さず、太郎に全てを統括させたという。二子が後継から下ろされた名目は、『人に近い』ためだとされている。事実、二子の霊気は他兄妹より劣った。神子として弱く、故に呪いも弱い。多産の理由は単に女王の血が薄かったに過ぎなかった。


 つまり、常人に近かった()()。それを根拠に(まつりごと)から事実上追放された。


 だがもし、二子の血統に多産でありながら女王の血を色濃く残す女子が生まれれば――。二子家は諦めなかった。それを恐れた女王と太郎は、陰陽師と結託して『二子の血縁から女は産めない』という呪いをかけた。そして、二子が産む子は全て男となった。


「男ッ! 男、男、男ッ! 我が家に男は要らぬ! 太郎家に勝つには! 女王となる女でなければならぬのに!」


 二子はそう(なげ)き、四廻齢(よんかいれい)――二百年を経て自害した。


 それから数百年後、突如として二子家から男児のみが生まれる周期は終わり迎え、初めての女子が生まれた。――それがメイである。


◆◆◆


 メイは微笑みながら口にする。


「……今でも覚えています。わたくしが生まれた日のことを」


 長屋に差し込む細かな日の光が、壁や床、天井に淡い模様を映す。彼女はまるで、そこに自らの記憶の情景が浮かんでいるかのように眺めていた。


――『でかしたぞ! 女子じゃ! 遂に女子じゃ! 何百年ぶりじゃ!』

――『二子様そっくりでござります! 必ずや次期女王になられましょう……!』


 メイの両目には、確かに当時の光景が見えている。記憶に包まれるような穏やかな面持ちの彼女に、仁慈は敵意を向けることができなかった。


「わたくしは二子家唯一の女子(おなご)。それはそれは持て(はや)されました。二子様の悲願であった次期女王にさえ、なれるやもしれぬ……と」

「……というと、第一王子の太郎に阻まれたのか?」


 彼女は高笑う。口元に手を添えて、滑稽なものでも見たように笑った。


「阻まれて終われたのなら、どれほど良かったか……」

「…………」

「神子は『元服の儀』で初めて霊剣に触れ、己が霊気を見極めるのです。……ですがわたくしは、才の無い常人の如く狂人と化しました」


 狂人。仁慈は火の海でのメイの狂乱を思い出す。それも全て霊剣の仕業であったなら……。己の剣が揺らぐ音がした。


「神子にも霊剣を使えぬ者がいるのか?」

「血の濃さや霊気の強さによります。……わたくしは二子家に汚名と絶望を与えたのです。『二子の血は常人の血』と蔑まれ、わたくしは御家の(けが)れとなりました。神子ではなく、無子(むのご)だったのです」

「…………」

「以後、わたくしは姫ではなく奉公人と同格の扱いを受けました。……神選組はご存知ですか?」

「無論だ。あの日、先生と兄上が斬った故な」


 メイはわずかに下を向いた。


「神選組は、女王の肉塊を使って神子を増やすという幕府の政策の対象でした」

「神子は後から増やせるのか……」

「……ご存知ないのに、相惚(あいぼ)れになってしまわれたのですね」


 仁慈にはその意味が分からなかった。メイは敢えて、それ以上は言及しなかった。


「女王の血は代を重ねるごとに薄まります。加えて神子は子を容易く産めませんので、あの手この手で増やしたいのです」

「……それが神選組か」

「そんなところです。……政策を知った両親は、わたくしを幕府に差し出しました」


 メイは自らの腹を露わにする。下腹部には小さく刻まれた古い傷跡があった。


「わたくしは女王の肉片を埋め込まれ、人造の神子となりました」


 腹をさする彼女は、なんとも物悲しい表情だった。


「けれど、人造神子としての力さえ弱く、過酷な訓練に耐えかねたわたくしは幕府を逃げ出し、神選組に追われる身へと成り果てたのです」


 仁慈の中で辻褄が合う。初めて出会った時のメイは傷だらけであった。聞いてしまっては同情が先行してしまう。それに漬け込むように、メイは彼の近くに再び擦り寄った。


「わたくしは、仁慈様をお(した)いしておりました」


 彼女は仁慈の体にぴとりと寄り添う。その体は冷えていた。


「何故だ」

「貴方様は、あの社に選ばれた御方ですから」


 仁慈は刀を即座に持ち、鯉口を切る。


「お前、やはりそれが狙いか。私に結界を解かせたいならそれは無理な頼みだ。私はそんな力を持ち合わせぬ。……あったとしてもする訳がなかろう」

「……怖いですわ」


 メイは刀を握る左手に、両手を添えた。


「黙れ。お前にどんな経緯があろうと、お前は天狐殿を危険に晒した。到底許せる所業ではない」

「……天狐様はわたくしにとって、〝母〟でございます。誠のわたくしなのでございます」

「分からぬ」

「であれば――」


 彼女は刀を恐れることなく、仁慈に覆い被さる。華奢でありながらその力は神子そのもの。油断の隙を突いて馬乗りをするも、そこに殺意はなかった。


 彼女は前屈みになる。肩口まで伸ばされた白髪が、仁慈の額にはらりと垂れる。さして長くもない髪でさえ彼の視界を覆う程近くに迫ってくる。その柔らかな暗闇で、彼女のか細い息遣いと共に伝う熱だけが、女の存在を確かに知らせていた。


 わざとメイは仁慈の両手を掴む力を緩め、いつでも跳ね除けられるように仕向ける。


「仁慈様はわたくしを救う力をお持ちなのに。なぜわたくしを見捨てますの……?」


 ほのかに熱い涙が彼女の胸元に滴って、密着した仁慈の硬い胸板にじわりと染みつく。


「……私では救えぬ」

「そんなことありませぬ! わたくしの(けが)れた運命さえ解き放つ力をお持ちでしょう?」


 胸元にうな垂れるメイ。殺し合った相手がする行為だとは思えなかった。けれどもしかすると、霊剣を持たない今の彼女こそ本当の姿なのかもしれない。


「そんなものはない」

「あります! あるのに……救ってはくださらないのですか?」

「……私も出来ることなら悩める全ての人を救いたい。けれど、私の手は二本しかない。故に限りある中で大切な人達を守るしかないのだ」


 彼女は両手を震わせ、指先を仁慈の首筋に沿わせる。


「……わたくしは。……わたくしは、その手の中に入れてはくれないのですか?」


 仁慈は彼女の両手を優しく握って、首から遠ざけた。


「すまぬが……逆だ。貴女は私が守るべき大切な人を傷つけた」

「わたくしだって! したくてした訳ではありません! わたくしだってこのような生い立ちでなければ‼︎ 慈悲の心は無いのですか――!」


 仁慈は彼女を力強く、しかし乱暴にならぬように押しのけ、体勢を立て直す。


「それとこれとは別だ。神子のメイ」

「……あら、そう」


 彼女は座り込んだまま、端正な顔を絶望に歪ませた。


「では争いましょう」

「次にお前が天狐殿を傷つけようとした時、私が必ずお前を斬る」

「よろしいのですね……? ならばもう手段は選びませんから――」


 言い放つと、メイは素足のまま長屋から立ち去っていった。


 寂れた長屋の一室には、ほのかに甘い残り香が漂っている。脈打つ胸の鼓動に、仁慈はふと我に返った。自分がメイを直ちに斬らなかった事実に戸惑いを覚えた。機会はいくらでもあった。それでも斬らなかった。


 どこか天狐に似たメイの女性としての色香の響き。感触が確かに残っている。肌の柔らかさ、温もり、(なま)めかしい視線。その色気に男として油断が生じた。


 気付いてしまった己の浅ましい高鳴りを許せぬまま、じわりと喉を伝う生唾をゆっくりと飲み干した。

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