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君捨て山 ~八姫八君の物語~  作者: 切 実り
第一章 投木(なげき)
30/45

30話 『御簾越しの王』

 その武人、齢にして五十頃の皺の深い婦人。大年増とは思えぬ、指先まで鍛え上げられた技量を荒木の身体がひしひしと感じ取る。

 

 常子の血走った眼、(ほとばし)る霊気。屋敷で出会わした者、その全員が束で襲い掛かってもこの女一人には勝てないだろうと、荒木は瞬時に察した。


「……名は?」

「――神子常子(かみごのつねこ)其方(そなた)は?」


 常子が律儀に名乗ったのは、荒木を並々ならぬ武人だと悟った上での礼儀である。


「……そうじゃなぁ。重五(じゅうご)(せがれ)、といえば分かりやすいか?」


 常子はわずかに目を見開いた。だが気圧されることなく、槍を強く握り直す。


「〝神殺し〟の重五に子がいたとは驚いた。……ならばわたくしがお前を殺すのもまた、因果か」

「ほぅ。まぁ父上は、何かと恨みをお作りになるからのぅ」


 荒木は静かに二刀の血を払った。


今宵(こよい)は宴だというのに、主役はどこじゃ? お主が逃したのか?」

「殿の采配か。はたまた天啓(てんけい)か。……お前などが決して捉えることのできぬ、遥か遠くにおられるわ」

「そうか……。それは困った……。では死ねィ――ッ!」


 縮地(しゅくち)の勢いで近づく荒木。間合いは槍に分があるとはいえ、この部屋の中では小回りが利かない。むしろ長さが仇となる。そう、荒木は確信した。


 ――だが常子の前では全て無問題である。


 彼女は咄嗟に槍を手元に引き寄せ、()を短く持つと、放ったのはもはや刺突というには疾すぎる百の鋼の針。


 (ほとばし)る閃光を前に、荒木は立ち止まって対応せざるを得ない。二刀にて辛うじていなし切った。


 常子は流れるように二歩下がって、再び槍を構える。


女将(おかみ)。ようやく一太刀で死なぬ者がいて嬉しいぞ」

「同感よ。泰平の世で鈍りかけていたわッ――」


 ――〝氷雨(ひさめ)


 常子が放った奥義。それは単なる無数の槍の突き。至極速い。ただそれだけである。ひたすら愚直に磨き上げた一撃必殺の束。無愛想で冷徹の絶技。


 ――〝投網(とあみ)


 荒木が応えるように振るいし技。与助の豪速を見切った彼でさえ、槍の豪雨の一つ一つを正確に見極めるのは困難だった。

 故に、迎え撃つのではない。(あみ)の如く剣を広範囲に展開し、全てを絡め捕る技を繰り出す。


 互いが乱暴に散りばめた全霊の技。それが(くう)で殺し合った。隙なく連続した刃音。急速に火花が舞い落ち、無が残る。


「ッ……」

「……ッ」


 技が止むと、両者はようやく一呼吸だけ置いた。


 次に、常子は自らを中心とし、全方位に巡らすように槍を薙ぐ。激しい旋風が巻き起こり、荒木はその風圧で隙を見定められない。間合いに踏み入ることすら至難の業。


 常子の槍は、時を経る毎に速度を上げる。荒木は槍を止める妙案も浮かばぬまま、一心不乱に部屋中を駆け回り始めた。壁や天井を跳ね飛び、槍の速度に合わせてただ一点の隙を(うかが)う。


 荒木が、真上に来た刹那――。


 〝氷雨(ひさめ)


 天を逆打つ、槍の雨。

 槍の長身は天井を突き抜け、荒木に左右へ回避の余地を与えない。荒木は蜂の巣にされる覚悟で落ちる他ない。

 

 彼にとって予想外だったのは、槍の乱れ打ちにより天井が抜け落ち、足場として踏み締められなかったことだ。


 〝投網(とあみ)


 宙で反動を失った荒木はなす術もなく、自然の落下速度で〝氷雨(ひさめ)〟に対応するしかない。

 

 彼にとってはあまりの長丁場。蜘蛛の巣に似た剣の(あみ)を降ろす。それが常子を(おお)う前に、彼女は一つ残らず粉砕した。


 ――荒木の左脇を槍が貫く。


 わずかに刺突の動きが鈍る。好機を逃さず、荒木は左剣で槍を体に固定し、右剣で首を断ち切らんと斬り掛かる。


「甘い――ッ!」


 常子は槍を豪快に振り下ろし、剣が首に届く前に荒木を払いのけた。


 荒木が飛ばされたのは外。庭の大きな池である。頭から濡れた荒木の脇からは血がぽたぽたと滴り、池を不気味に染めていく。


 常子は自らに降りかかった血を拭うこともせず、縁側まで駆けた。すると荒木は池の底を蹴り上げ、飛沫(しぶき)を上げながら常子目掛けて跳躍した。


 斬り掛かる二刀。迎え撃つは常子の奥義。


 ――〝鬼首(おにこうべ)間欠閃(かんけつせん)


 神槍の薙ぎ払いである。鬼を断つが如き、疾風迅雷の一振り。


 荒木の下顎(したあご)から上を――斬り離した。


 振るわれた猛威の余波は、屋敷の柱や庭の木々さえも裂く。間欠泉(かんけつせん)のように天高く噴射される血飛沫。遠くへと転がる荒木の頭。そして縁側に立ち往生する残された肉体。


「悪いね、外道。わたくしは神子幸経(かみごのゆきつね)にも並ぶと(うた)われた神槍。上様直属の臣下ぞ」


 常子は決着を告げた。


「……ソリャァ、エエノォ」

「――ッ!」


 上顎なしに舌が動く。常子は瞬時に首無しの心臓へ突きを繰り出すも、即座に荒木の双剣が槍を固く挟んだ。押しても、引いても動かない。


 そう思った時には、荒木の頭は陽炎(かげろう)と共に元通りに修復されていた。常子は槍から手を離し、後方へ飛び退く。


「神子最初の大戦(おおいくさ)で名を馳せた、次郎家の英傑――幸経(ゆきつね)か。(いささ)か話を盛り過ぎだなぁ。女将」

「……まだ生きているとは。なんという豪胆。蓄えられる寿命が桁違いと見える」

「そりゃそうじゃ……。儂らは八姫八君(やひめやぎみ)にも引けを取らぬ霊気じゃからなぁ?」


 『儂()』。常子が屋敷全体を警戒していたにも関わらず、背後から現れた女に気付けなかった。


 後方から炸裂する、くノ一の千にも及ぶ短刀の斬撃。常子は間一髪で全てを避け切る。くノ一の技は、どの形でも必ず命を刈り取るものであった。


 くノ一と荒木に挟まれた常子。槍は荒木にへし折られ、池に投げ込まれる。


 形勢は逆転。土壇場である。


「なによ! オバサンに遅れを取ってたの?」


 くノ一の声に、常子は死を覚悟しながらその姿をまじまじと見つめた。


「いつの間に……。忍びまで連れてくるとは卑怯……なッ――‼︎」


 常子の驚愕(きょうがく)。くノ一の足元には、常子が地下道に逃がしたはずの四行家棟梁(とうりょう)の生首が転がっていた。


 屋敷を(おお)う獄炎。されど、屋敷の外には提灯(ちょうちん)を持った多くの兵達が集まっていた。


「姉御。もう囲まれておるぞ。ずらかるか?」

「知ってるわよ! ねえ、標的の首は⁉︎ あたしは棟梁の首取ったけど?」


 荒木は首が無いなど見れば分かるだろ、という素振りを見せる。


「逃したの⁈」

「儂がいて逃す訳なかろう。最初からおらなんだ。……姉御。ちゃんと下調べを済ませたと言っておったよなぁ?」

「嘘だぁ⁉︎ 今晩は絶対にいるはずなのに! あんたが逃したんじゃないでしょうね!」


 二人が話している隙に、常子は懐から守り刀を取り出す。そこに彫られた太郎家の(もん)懺悔(ざんげ)するように、そっと目蓋を閉じた。


「馬鹿を言っている場合ではない。ずらかるぞ」

「ええ。でもその前に――」

「……同感じゃ」


 常子だけは殺すべきだと、二人は共鳴した。神子の兵達が屋敷に突入するまでの短い猶予。それでも二人掛かりであれば、常子を殺す時間は十分にあると踏んだ。


 ――阿吽の呼吸。寸分違わぬ同時の攻撃。


 荒木は双剣。くノ一は二刀の短刀。対して常子は短刀、ただ一振り。


 常子は挟み撃ちを打破するべく、一度横へ飛び退く。しかし、連携の取れた二人の前では逃げることも叶わず、常子は背中を深く斬り裂かれた。


 睨む常子の左肩から着物がずれ落ちる。その白い肌が覗いた時、二人は声を上げて驚いた。


「まさか――女王の肉塊っ⁉︎」

「……してやられたのう。幕府がこれ程の量を個人に与えるとはな」


 常子の左胸。心臓部には深紫(こきむらさき)に染まった禍々(まがまが)しい出来物があった。それは脈打ち、膨らみ、押さえつけていたサラシを内側から破って更に肥大化し、黒光る。


「流石にこれを相手取る猶予は無いのう」

「あーあ。父上に怒られても知らないから!」


 諦めて帰る素振りのくノ一はその前に、と転がる棟梁の首へ向き直った。


 刹那、常子は決死の覚悟で飛び込み、棟梁に指一本でも触れることを許さなかった。屋敷の門から兵が続々となだれ込む。荒木らは屋敷の外へと高く跳躍して闇に紛れた。


 常子は燃え盛る炎と同胞達の(しかばね)の中で、棟梁の首を静かに抱き上げた。 


 

 しばらくして、燃える屋敷を遠目で眺める荒木とくノ一。彼女は何やら必死の言い訳をしている。


「……偵察してこの目で見たの! 町の中心で馬鹿騒ぎしてた標的は、神子独特の霊気が一切感じられなかったの! ただの常人よ。――だから」

「――であるから。『神子の気配が無かったが故に、忍びの姉御ですら感知できなかった』と、報告すれば良いのか?」


 くノ一は頬を膨らませて黙り込む。


「せめてもの手土産に棟梁の首を献上したかったが、女将に死守されるとはな……。何をしておるのじゃ」

「あんたが二刀だったから倒せなかったんでしょ‼︎ 愚弟! 毎回九刀担いで来なさいよっ!」


 他責思考、極まれりである。


「姉御……お主……」

「――うっさい! 弟の癖に!」


 荒木は深く溜め息を吐いた。


「ねえ! でもやっぱりあのオバサン強すぎない? あんな量の肉塊を一人に与えるのも頭おかしい! それに耐えられるオバサンが屋敷にいるなんて想像つかないじゃん‼︎」


 ふむ、と荒木は熟考する。


「……それだけが儂も解せぬ。泰平の世となった今、四行家の屋敷にあれ程の臣下を置くとはな。やはり標的は、『ただの常人の養子』というだけではないのやもしれぬ……」

「弟ジジイ。それは報告しないでおきましょ」

「なぜだ」

「姉上からの命令よ。……標的が重要であればある程、今回の失敗の重みが増すんだから」

「……はぁ。承知した。『逃したが、標的は常人だった』とだけ伝えよう」


 荒木はその旨を書状にしたため、烏の足に巻きつけて飛ばした。


 

 ――太郎家の城。

 又の名を『第一王子宮(だいいちおうじぐう)』と呼び、宮殿としての役割も担っていた。


「……相変わらず神子は火をかけるのが好みらしいな」


 王の間。

 声の主は御簾(みす)に隠れている。その傍らには、一羽の鷹が静かに佇んでいた。その御前で、着替えた常子が深々と頭を垂れる。


公儀(こうぎ)に謀反を企てる者は多くいたが、それも神選組が征伐したはずだ。女王の肉塊での統制も取れていたというのに。……(つむり)を上げよ、常子。下手人に心当たりはないか」


 常子は凛々しく顔を上げる。


「神殺しの『重五の(せがれ)』と、下手人は名乗っておりました」

「何……? お前の目にもそう見えたか?」

「それが何とも……。ですが、わたくしの見立てによりますと、下手人が用いた二振りの霊剣は記録に無いものかと」

「なんと。記録に無いとな?」

「左様にございます。わたくしは先の刀狩で押収した霊剣は全て、正確に記憶してございます」

「……三郎(さぶろう)家め。まだ霊剣を隠しておったか」

「三郎家と断定するのは早計かと……。もしや、新たに作られたということは?」


 御簾(みす)の奥から雄々しい笑い声がする。


「いなことを申すな。その重五が霊剣の刀鍛冶を殺し尽くしたであろう。霊剣の製法を知るのは三郎家の刀鍛冶のみよ。……今作れる者など、幕府が管理する数名しかおらぬ」

「……左様にございますね」

「だが面白い。探してみるか。……重五が殺した刀鍛冶、その後継の首も全て確認させたが。もしや生き残りがいるのかもしれぬ……」


 王の声音から微かに喜びが垣間見えた。


「それよりも、だ。遂に四行までが標的となったことが問題だ……。原因はやはり、重國(しげくに)か」

「はい。どこまで若様の情報を得ているかは定かではありませぬが……」

「ひとまず、重國が無事で何よりだ。あれは儂の見立て通り、強運の男よ」

「ええ。やはり若様は、選ばれし御方でございます」

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