29話 『神殺しの襲来』
【登場人物】
四行家棟梁(40頃):治太郎の養父。幕府の重鎮。
常子(50頃):治太郎の傅役(教育係)
「――と、言うわけなのだ」
「はぃぃいいッ⁉︎」
四行家屋敷は、常子の張り裂ける大声で一同が凍りついた。
棟梁は決まりが悪そうな顔で何度も頭を下げるものの、常子の空いた口は塞がりそうもない。それどころか文句が止めどなく溢れ出る。
「本日は、若様の大事な元服の儀を執り行うということで、屋敷中の皆が大急ぎで準備をしているのですよ⁉︎」
常子の怒号は部屋から筒抜けだった。廊下の女中達は元服の儀が無くなりそうだと、溜め息混じりに顔を見合わせる。
「何故……若様をお止めしなかったのですか?」
「すまぬ、常子。だが重國は民の為に泥を被って奮闘していたのだ。儂はむしろ褒めてやりたい。この事は上様にもありのままを謹んでご報告させていただく。あの御方であれば、訳を聞いてさぞやお喜びになられるはずだ」
何言ってんだこいつ、という冷やかな目で常子は見つめた。
「わたくしは若様の傅役を仰せつかっております。これ以上、大事な儀式を遅らせる訳にはまいりません。通例に習えば、若様の元服はあまりに遅すぎるのですよ?」
「ならば尚のこと。来月の大安を待ってもさして変わらぬだろう」
棟梁はそう言い残して、どこか晴れやかな顔で立ち去っていく。常子は廊下を渡る棟梁の背にありったけの声で言い放つ。
「わたくしからは言いませんからね! 殿のお口から皆に中止を伝えてくださいませ――ッ‼︎」
大声につき、もう何を言わずとも屋敷中の皆が知っていた。
その声が屋敷の外まで聞こえていれば、どれ程良かったか――。
四行家屋敷のすぐ近く、闇夜に紛れる怪しげな二人組。老爺と若い女がいた。老爺というのは、殺されたはずの荒木又右衛門である。
此度は総髪頭を後ろに流さず、前髪を垂らしていた。
「ほんとに七刀も置いてきちゃったの?」
張りのある若い女の声。濡羽色の装束に身を包んだくノ一が、荒木の顔を覗き込みながらそう言った。
「九刀持ちは十中八九儂じゃろ」
「バレないよ!」
「バレるわ。儂は神選組の剣術指南役じゃぞ。この辺りに儂の門下生がおらぬとも限らぬ。……万に一つでも素性を知られる訳にはいかぬからな。念の為、若作りもしていくぞ」
「なんで自信満々なわけ? あんた八つ裂きにされたばっかじゃん。あたしの助けがなきゃ今頃……」
荒木は静かに書状を畳んで懐に仕舞う。
「案ずるな」
「父上の命よ。失敗は許されないわ」
「手を抜くとは言っておらぬ。故にほれ。己が寿命も惜しんで、活きが良いのを用意しておる」
二人の前には、口を布で封じられ、手足を荒縄で縛られた若い男が転がっている。
「ヴーッ! ヴーッ!」
「――騒がしい」
そう言い放ち、悶える男の頬が砕ける程の力を込めて、荒木が手の甲で殴りつけた。返り血が顔に飛ぶ。
「この男は?」
「罪人だ。女を襲おうとしていたところを捕らえた」
「フフフッ。まだ襲ってないなら命を取る程の罪人かしら?」
「襲ったかどうかの事実は問題ではない。襲おうとした時点で死罪が妥当じゃ」
若い男は痛みに耐えながら、涙を流して何かを訴えている。
「ほら、罰が重いって泣いてるわよ〜?」
「此奴が思い至った時には此奴の中で結果が出ておった。地獄行きじゃ。二度と生まれ変わるではないぞ、虫けら」
荒木は男の目に唾を吐いた。そして次の瞬間、老爺の荒木は急激に若返り、三十路前後の風貌になった。
荒木は刀の切先で男を何度も突き刺す。絶命する寸前のところで動きを止め、最後の一振りで静かに命を絶つと、荒木の纏う霊気が陽炎の如く揺らいだ。膨れ上がったのだ。
「相変わらず物好きね。身分の高い神子は穢れを嫌って、決して罪人の魂は食べないっていうのに」
「咎人の寿命は思う存分に無駄遣いできる故な。気分が良いのじゃ」
「――じゃ、行きましょっか」
二人は分かれる。くノ一は漆黒の陰に紛れ、荒木はそのまま穏やかに歩き、門前に立つ。
「やはり爺の姿の方が、性に合っとるんじゃがな……」
荒木は首を揺らして骨を鳴らすと、忽ち眼前の大きな扉を無音の内に斬り裂いた。
そのまま屋敷へ入ると、右往左往しながら大慌てで元服の儀式の後始末をする女中達が見えた。
「ふむ。隠れるつもりはないのじゃが……。この音では紛れそうじゃな」
荒木は縁側に乗り込んでは気配を消し、女中を背後から斬りつけた。開始の合図と言わんばかりの大袈裟な斬り裂き。血飛沫を避けようともせず辺りを見渡す。
屋敷の構造を頭に叩き込んでいた荒木は、一切の迷いなく歩き続けた。 無論、出会った屋敷の者は全て一撃の元に命を奪った。
「であえッ! であえッ! 曲もッ――」
遺言の暇も与えず、首を斬る。
「左様。見れば分かろう」
迎え打つ神子の侍達も悉く、紙切れ同然に一振りで片付けられた。任務とはいえ退屈だった荒木は、どこまで正確に首を斬り飛ばせるかを試していた。
障子越しから居合で中の者達を纏めて殺し。長い廊下は逃げ惑う者達を壁ごと串刺し。時折、骨のある神子の侍もいたが、誰も彼もが一太刀で絶命した。
血の華。絵巻のように襖や障子が彩られていく。儀式の為に用意されていた灯火があちこちで倒れ、あっという間に屋敷中で火の手が上がる。辺りの霊気が著しく弱まっていく。
「にしても、女子供まで一人残らず殺せとは。父上の神子憎しも大概よなぁ……。しかし仕事は仕事じゃ」
息のあった若い侍が這いつくばりながらも、荒木の足を掴む。
「おっと。儂の標的は養子の童であった」
侍の首元に剣をグッと差し込み、息の根を止めてやった。殺した部屋を一つずつ見渡していく。死体を踏み越え、ひっくり返して顔を見る。
「これも違う。……若様はおらぬのか?」
荒木が最後に残した奥の部屋。その襖を蹴破ると、中から侍達が一斉に襲い掛かってきた。それを流れるような剣捌きで全て殺し尽くす。
屍の山を踏み越えると、その奥に常子が一本の槍を持って静かに佇んでいた。




