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君捨て山 ~八姫八君の物語~  作者: 切 実り
第一章 投木(なげき)
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28話 『獅子の活躍』

 見届けた仁慈は、金右衛門の亡骸(なきがら)を川へと丁重に葬った。その背中に師範の視線が刺さる。


「仁慈。何故ここにいる」

「稽古に向かえず申し訳ありませんでした。この山に見知った娘がおり、山火事と聞きつけてここまで……」

()()()か……。お前はそのような状況で神子と出会し、戦ったというのか」

「はい」


 師範は分かった、といった表情で数度頷いた。仁慈は激しい叱責を想定したが、とても穏やかだった。


「実戦こそ一番の鍛錬だ。結果はいか程であった。……お前が戦った者は神子という神の血を引く(つわもの)のはずだ」

「強敵でした。されど、仕留めきれぬものの勝利しました」

「……ほう。生き残れたということは修行の成果が出ている証だ。神子相手によくやった」


 師範はしみじみと褒めた。突然のことに仁慈は戸惑い、涙を堪えた。誠士はというと、仁慈の勝ち負けよりも山の娘の安否をどこか気にするような素振りを見せている。


「では、今宵(こよい)はもう遅い。帰るぞ」


 そう言って師範は帰路につき、誠士も後に続く中、仁慈は足を止めていた。


「先生。私は山にいる娘に挨拶をして参ります。……きっと火事に怯えていると思いますので」


 師範は足を止め、首だけ少し振り向かせる。


「撤退したとはいえ、まだ神子の残党がおるかもしれぬ。危なかろう」


 ならばご一緒に、とは仁慈からは口が裂けても言えなかった。


「先生。辺りは我らが粗方倒しました。それに仁慈も神子に勝ったというではありませぬか。……ここは一つお情けを」

「珍しく弟思いだな。……よし、ならばお前がついていってやれ」


 そうして、師範は一人で屋敷へと帰っていった。


「兄上、かたじけない」

「気にするな。……良かったな。娘が無事で」


 仁慈は下げた頭が上がらなかった。


「ここから近いのか? その女のいる社は」

「はい」

「ならばもう神子とは会わぬだろう。俺も頃合いを見て帰るとしよう」

「え?」

「なんだ。ついて来てほしいのか? 野暮だと思ったが」

「いえ! 重ねてお礼申し上げます」


 顔を上げた仁慈の顔は、数年共にした誠士の中でも最も輝いていた。


「本当に好いておるのだな。初めて見たぞ」

「……初めて?」

「いいから行け。きっと待っておるぞ」


 仁慈は最後に改めて一礼して社へ向かうも、歩みを止めて振り返る。


「どうした?」

「兄上は今宵(こよい)、先生と共に神子を殺したのですか?」


 恐る恐る。その声は先程と切り替わったかのように低く怯えていた。


「ああ。殺したよ」


 沈黙する仁慈は、瞳に戸惑いを隠せない。


「お前も侍を名乗るなら、殺しに慣れねばならんぞ。……覚悟が無いならやめろと再三言っているだろ」


 誠士は仁慈の目を見つめた。仁慈も決して()らさなかった。


「私は先の山火事の下手人と戦い……殺すことを躊躇(ためら)いました」

「お前……」

「――分かっております。天狐殿を危険に晒した大罪人だと。……でも、殺めればもう、私は戻れなくなると思ったのです……」

「仁慈……」

「兄上が仰ったのではないですか……。『剣以外にも輝ける道がいくらでもある』と。私はようやく、剣以外の道を選びたいと思えたのです」


 その眼光は月明かりを蓄えたものだった。真白の、天狐の肌のような光。無垢の眼差しが誠士を苦しめ、彼の長年の想いさえも(くつがえ)す。


「その道が、その娘なのだな」

「はい……。私は、どうすれば……」

「――侍ならば剣を取れ。好いた娘すら守れずどうする」

 

 仁慈が初めて、兄の本心を込めた叱責だと受け取った。誠士は畳み掛ける。


「仁慈、お前は行く末を決定する覚悟が足りていない。自分で選び取ることに怖気付いている。……だから先生に(すが)る。押し付ける」

「…………」

「他人の言うことを聞いている方が楽だ。失敗も言い訳できる。……だがな、たった一度の人生の選択権はそう来ないものだ。それも、お前の将来を分ける大きな選択は特に回ってこない」


 何度先生に頼っても言われたことのない言葉。仁慈は受け止めることができなかった。だが、決して忘れてはいけないと悟る。


 仁慈の揺れる視線、震える両手。誠士はらしくないことを口走ったと少し反省した。


「好いた娘に会いに行くというのに、嫌なことを口走ったか。忘れろ」

「いいえ。……ありがとうございました」


 その素直さが命取りなのだ、と兄弟子としての思いを黙って夜風に流す。


「早く行け」


 仁慈は深々と長い一礼をして、今度こそ足を止めずに去っていく。残された誠士は川の水面に映る月を、心安らかな瞳で眺めていた。


 社の片隅で鹿を不安げな表情で撫でている天狐。鹿の角に一羽の小鳥が止まり、羽を広げてさえずる。


「えっ! 誰かが風を起こして火を消してくださっているの? それに怪しい方々も帰って行かれたのですね? ……よかった」


 それは森の鳥達の伝達である。小鳥の朗報を聞き届けた天狐はそっと胸を撫で下ろした。


「では仁慈様もきっと……ご無事ですよね」


 彼女の呟きに応えるかのように、ある男が社のしめ縄を通り抜ける。天狐はすぐさまその方角へと駆け出した。そして目が合う二人。


「天狐殿。申し訳ありませぬ。神子のメイを捕らえ損ねました」


 天狐は仁慈に飛びつき、強く抱きしめた。彼の命の息吹を確かめるように。


「そんなこと、どうでも良いのです。貴方様が無事で帰ってきてくれたら。それで十分なのでございます……」

「天狐殿……」


 肩に温かい涙を感じながら、仁慈は彼女を優しく抱き返した。社の動物達が二人を静かに囲って祝福する。鹿の角に乗った小鳥もどこか満足げだ。


「わたくし、社を出たら怖いことが待っていると、そう思っていたのです」

「はい……」

「夢を視たのです。誰かの背中にわたくしの涙が落ちる姿を……」

「…………」

「でも、こうして仁慈様と共にいられる喜びを泣いていたのではないかと。……今、確信したのです」


 仁慈は何も言わずに抱きしめ続けた。


「では私と町へ行きましょう。必ず――」


 二人を穏やかに月が見守る夜。



 ――それは誰かにとっても忘れ難い夜であった。

 時は少し(さかのぼ)茜空(あかねぞら)、場所は(くゆ)る燃えた村。


「よっしゃ! なんとかなりそうだな! 与助!」

「おう! 燃え移った火も全部消せたぜ」


 治太郎と与助。二人は仁慈を送り出した後、休む暇もなく着々と村を救っていた。彼らは滝のように汗を流し、血や灰にまみれてながら働き続けている。

 幸いにも村人の多くはまだ息があり、二人の獅子奮迅の活躍のおかげで死者は一人も増えなかった。


 その様子を遠くから見ていた者がいた。馬に(また)がる壮年の武士。彼は二騎の屈強な家臣と若侍を引き連れ、村に辿り着く。


「重國っ! 大儀であった!」

「父ちゃんッ⁉︎」


 気高き黒の馬に乗っていたのは治太郎を拾った育ての父。四行家の棟梁(とうりょう)である。


 村人達は領主の登場で大いに喜んだ。作業を止めて一斉に頭を下げる彼らに「よいよい。手当に注力せよ」と棟梁が許し、騎乗した三人はそれぞれ馬から降りた。


 治太郎はすぐに父である棟梁の元へ、誇らしげに馳せ参じた。


「儂よりも先に領民を救いに駆けつけるとは……あっぱれである!」


 自分事のように顔がほころぶ棟梁。褒められた治太郎は無論、有頂天である。


「こりゃヤバだぜッ! 父ちゃん見ててくれたのかよ!」

「うむ。向かう途中でな。民の為に汗を流し、泥を被るその姿……。まったく、儂がやった上等な小袖をこんなに汚しおって」


 そう噛み締めて言いながら、棟梁は灰で汚れた頭をわしゃわしゃと撫でた。治太郎は珍しく反応に困る。生まれて初めて〝父〟という存在に頭を撫でられたのである。


「やはりお前は……王になるべき男よ」


 棟梁の言葉には静かな重みがあった。治太郎は「王……」と呆然と小さく繰り返す。慣れないことで余程恥ずかしかったのか、彼はすぐさま村人の手当へと戻っていった。


 棟梁は家臣を連れて村の様子を一通り見て回る。すると村の危機は既に脱していた。棟梁の激励すら要らないほどの活気があったのだ。後は家来達に任せるとして、棟梁は治太郎も連れて屋敷へ帰ろうとする。


「重國。今宵(こよい)は大事な元服の儀だ。儂らは帰るぞ」


 泥だらけの治太郎は、乗馬した棟梁から差し出された手を取らなかった。


「すまねえ、父ちゃん。俺まだ帰れねえよ」

「……何?」

「一難は去ったかも知れねえけど、まだ苦しんでる人もいる。手当だって俺がいた方が一人分早ぇだろ? 今日、皆がちゃんと安心して寝れるとこ見ねえと、どうにも収まらねえ」


 棟梁は予想外の言葉に返答が詰まった。元服の儀は一大行事。けれど治太郎はそれよりも大事なことを、身をもって知っている最中なのかもしれない。そう考えが至った。


「父ちゃん。……皆のそばにいちゃダメか? 常子婆には俺がちゃんと謝るから」


 彼の必死の訴えに心を動かされない者はいない。棟梁は心の底から嬉しそうに頭を抱えてから、再び顔を上げた。


「――よくぞ言った! 見事である‼︎」

「父ちゃんっ! 恩に着るぜ!」

「常子には儂から頭を下げて散々怒られてやる。その代わり誓うのだ。力の限り民を救うと――」

「応ともさ! 帰ったら朝まで付き合ってもらうぜ。後世まで語り継がれる、俺の活躍を!」


 ひとしきり笑い合った。二人は初めから親子であるかのように、笑い方さえ似通っていた。


「楽しみにしているぞ」


 そう言い残して、棟梁は満足げに馬を走らせた。脇から静かに見ていた与助が顔を出す。


「やったな、治太郎」

「へへっ……。やっぱお天道様ってのは、見てくれてるんだな」

「おうよ」


 沈みいく夕日、遠くの畑から白鳥が飛び立つ。夕焼けに棟梁の馬が溶けていく。治太郎はそれを見守るように眺めていた。

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