25話 『君を守り抜く』
――仁慈は刹那の内にメイの間合いに踏み入ると、怒涛の居合斬りを繰り出した。
メイは辛うじて双剣で防ぐも、圧倒的な剣圧に後方へ押し飛ばされ、自らが起こした火の海にその身を浸した。
劫火に焼かれる様を、仁慈は結界の狭間から無情な瞳で見下ろす。
「天狐殿。奴を止めて参ります」
「なりません! 結界の外は危険です!」
「私は今ようやく、剣を取る意義を見つけました。きっとこれまで積み上げてきた鍛錬は全て、今日貴女を守る為にあったのです」
「そんな……。そんなことの為に」
「貴女の為だったのです。私の全ては」
「仁慈様……」
「そう思うと、不思議と力が湧くのです。私は貴女の為なら全霊をかけて戦える。故にどうか、貴女の全てを私に託してください」
決意を固めた仁慈に応えるように、天狐はひと呼吸をおいた。
「仁慈様。わたくしの剣となり、守り抜いてくださいませ――」
「御意。私は貴女だけの剣となり、必ずや守り抜きます」
懐から空の弁当箱を出して、天狐にそっと渡す。彼の見せた笑みは感謝そのものだった。感想はまた後で言おうと、心の中で誓っていた。
疾風迅雷。仁慈は炎を斬り裂いて飛ぶ。
その背中を、天狐は手をきつく握りしめて祈った。
「ご武運を――」
炎を纏いもだえ苦しむメイの元へ、仁慈は一直線に飛び込み、大上段から渾身の一刀を振り下ろす。
それを寸前で察知したメイは桁違いの跳躍で炎の海を脱した。空ぶった仁慈はすぐさま着地点を予測し、メイと距離を詰める。
しかしやはり神子、足運びは常人の比ではない。二人は燃え盛る木々の合間を走りながら、激しい剣戟を交わす。メイが駆けた道は呪詛の炎により、恐ろしい火の道となった。
「神子でも自分の炎で焼かれるのか」
「こんなもの、すぐに治りますわッ」
メイが負った火傷は陽炎のように揺らめき、瞬く間に修復していく。焼けて剥がれ落ちた着物から覗く真白の肌が、神子という存在の異様さを克明に表していた。
彼女の足は速いが、仁慈も負けていない。天狐との逢瀬で山の地形を把握していたため、地の利は彼にあった。メイの斬撃は荒木ほどの鋭さはまるで無い。けれど炎の剣は受け流しても、ジリジリと着実に熱を与えていく。
振るう度に炎の剣が旗となり、たなびく火の壁を作る。それが仁慈の視界を悪くし、メイの手元を隠した。右剣が生む炎の陽動、その死角から突如繰り出されたメイの左剣の刺突。
仁慈の反応は一手遅れ、熱された刃を脇腹に喰らう。
「――ッ‼︎」
それは与助の尋常ならざる突き程の威力はない。ところが、釜戸から出したばかりの灼熱の火箸の如く、たとえ剣から逃れてもいつまでも腹を焼き続けた。
「貴方はどうです? 火傷はすぐ治りますか?」
「――火の熱さは慣れていてな」
メイは好機と踏んで、無限の刺突を繰り出す。仁慈は痛みに顔を歪めながらも、その全てを防ぎ、避け切った。それでも剣が纏う火は不規則に揺れ、体に触れることまでは防ぎ切れない。
戦いが長引くほど仁慈が不利になる。
今度は仁慈が逃げるように森の奥へと駆けた。メイは勝ちを確信した薄ら笑いで後を追いかける。仁慈の背を完全に捉えたメイは高らかに宙へ舞い上がる。仁慈は頭上に飛んだメイの方角を気配で悟る。
しかし彼女から放たれたのは、行き先など意に介さない広範囲の奥義。
「死んでくださいましッ‼︎」
――〝炎天下〟
空中で披露する舞はもはや剣舞にあらず、呪い尽くす終焉の儀式。踊る双剣が巨大な火の渦を作り出し、龍の炎の息吹と見紛う火炎を放射する。
仁慈の遥か先までを範囲に収めた火の雨が降り注ぐ。彼がどこへ避けても全てを燃やし尽くす、メイはそう疑わなかった。
だが、空から見下ろした仁慈の行く先には、長大な黒い影があった。揺らめいて火を映すそれは――。
「川ですってッ⁉︎」
「――さて、お前は水に落ちても火を使えるか?」
バシャンッッ。
水面が大きく揺れる。自らの強力な跳躍が裏目に出て、メイはなす術もなく川へ飛び込んだ。そして纏っていた呪詛の灯火は泡となって潰えた。
先に入水していた仁慈には降り注ぐ火の雨など無意味である。花火のような火の礫が水面に映り、鎮火の悲鳴を上げて川へ消えゆくのを眺め終えると、仁慈はすぐさま岸に上がった。 彼は川の地形を把握している。故にすぐ岸に上がれる浅い所を狙って入水していたのだ。
けれどメイは川の真ん中に着水してしまった。彼女の周りには呪術に使用したと思わしき、おびただしい数の紙の呪符が浮かんでくる。呪符はどれも効力を失くしたように、黒い染みを広げて溶けていった。
「神子のメイ。罪を償え。もしお前がこれ以上抵抗して岸へ上がろうとするのなら、私は斬る」
「お戯れを! まだこれからにございます!」
仁慈はとうに日が暮れていたことを知る。
川はこの辺りで最も太く、流れも速い。メイは奇しくも仁慈のいる岸の側に近かった。仁慈を恐れて近づけないメイは、徐々に下流へ流されていく。
「神子の力をもってしても、流れに抗うので手一杯のようだな」
「お黙りッ!」
「流れの先を見ろ。……滝だ。それもとても高い。このままだとすぐに落ちるぞ。反対側に泳ごうにも、流れの速さが勝るだろう」
メイは木々が爆ぜる音に紛れ、滝の轟音に気が付かなかった。彼女が滝に目をやると、もうすぐそこまで迫っていた。仁慈は川の流れに合わせて岸辺を歩きながら、メイから決して目を離さない。
「……償うのなら手を貸そう」
仁慈は極悪非道の敵を前に、同情の表情を浮かべた。この少女を奉行所に突き出せば、間違いなく死罪は免れないからだ。メイは選択を迫られた末に、諦めて思考を放棄した。
「何故ッ! 何故いつもわたくしなのです! なぜ天はわたくしだけを見放すのです! この白い髪は、お母様の生まれ変わりだからではないのですか⁉︎ ナゼッ‼︎」
狂乱して暴れるメイ。濡れた髪、焼けた着物。泣いているのかさえ分からない。戦意を喪失し、川の流れに逆らうこともなく、ただ水の中で最後の舞を披露する。悲劇となった狂喜乱舞。
(神子とは……皆こうなってしまうのか……)
仁慈には理解できなかった。滝はもう目の前だ。すると、メイの眼前に焼け落ちた大木が流れていく。ハッと閃くように笑った彼女は縋るように木にしがみ付き、その上に立った。
瞬間、仁慈の元へ敏捷な跳躍で飛び込んだ。二振りの剣で襲い掛かるメイを、仁慈は冷静にいなした。濡れて火の潰えた剣など恐るるに足らず。
しかし、メイはその勢いのまま胸元に飛び込み、道連れにするべく強く抱き締めた。
「何をっ⁉︎」
「共に死んでくださいませ。あの女の泣き顔が目に浮かびます――」
――メイは仁慈を離さないまま、もつれ合って滝壺へと落ちていった。




