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君捨て山 ~八姫八君の物語~  作者: 切 実り
第一章 投木(なげき)
24/45

24話 『残花』

 想いを言葉にすると、静かに内なる何かが震えた。

 仁慈は溢れ出す天狐との思い出の欠片から、自らがかつて彼女に誓った言葉を拾い上げる。


「〝――ならば私が護ります〟」


 仁慈の拳に力が籠る。目に宿す劫火(ごうか)は、眼前の大火を映したものではない。過去の心の傷跡でもない。消えぬ覚悟の灯火だ。


「私は誓ったのだ……。まだ息があるかもしれない。ならば、私は何度でも剣を取る」


 自身を奮い立たせるように言い放ち、震える足でゆっくりと、されど強く立ち上がる。


 不意に治太郎の声が頭を打つ。


――『早く安心させてやれ。いいな』


「応ッ。どんな形であれ、天狐殿を独りにはさせない。……私は約束を果たすよ」


 仁慈は燃え盛る炎の壁を、真っ直ぐに見据えていた。その姿を傍らで見ていたメイは、目を見開いては舞をやめた。一度は灰と化したはずの男の闘志が、再び業火の如く凄まじい勢いで膨れ上がっていたからだ。その覚悟を宿した瞳を、彼女は本能的に恐ろしいと感じた。


「お待ちをッ! あの御方ならとうに、蒸し焼きとなって死んでおります! だって、ずーーっと前から声を掛けても、返事一つなかったのですもの!」


 心を折るためのメイの言の葉。しかし皮肉にも、それが仁慈の止まっていた思考を猛烈に呼び覚ました。


(――蒸し焼き? まさか)


 一縷の可能性に思い至った途端、体が炎の中を突っ込んでいた。全てが無意識だった。


 瞬刻、神速の居合斬り。それは与助が炎を吹き飛ばした薙ぎ払いを真似たもの。数々見てきた師範や誠士、そして与助の太刀筋を自分の中に落とし込んだ、仁慈至極の居合。


 剣圧が熱風の渦を織り成し、眼前に広がる火の壁を両断した。開けたのはたった一歩の踏み場。道とは言えぬ隙間に生身で飛び出した。疾走する速さを決して損なわぬよう、ただ前へと斬り裂き続けた。


 幾重にも連なる火の壁をわずか数秒で突き抜ける。肌を焼く熱など気にしない。目に掛かる火の粉がどうしたというのか。それが足を止める理由にも、剣を止める理由にも断じてならなかった。


 すると、木々が爆ぜる断末魔の音色の奥、幻聴とも思えるか細い声が確かに聞こえた。天狐だ。向かう先に、必ずいる。


「仁慈様っ――!」


 声が耳に届いた瞬間、仁慈は雄叫びを上げて新たな技を編む。


 ――〝風姿花剣(ふうしかけん)


 自然とそう名付けた技。剣舞の如く舞いながら、迫り来る炎を散りゆく花びらのように振り払い、体は風となって燃ゆる斜面を駆け上がった。天狐の舞を剣の細部にまで落とし込んだ剣舞が仁慈を護り、無数の火の粉さえ決してその身に触れさせなかった。


 走り切ると、いつの間にかしめ縄の内側に来ていた。結界に護られた内側は、大火を全く寄せ付けていなかった。目の前の社は、健在であった。


 仁慈の元へ、天狐が我を忘れて抱きつく。仁慈はそれが夢ではないと何度も確認するように、彼女の震える体を優しく包み込んだ。侍の命ともいえる刀さえ、地に落として。


「来てくださったのですか……!」

「当然ではありませぬか。……私は貴女を守ると誓ったのです」


 仁慈は、天狐の背中に大粒の涙を落とした。その顔を見せぬように、強く抱きしめたまま離さなかった。それでも天狐は悟って、安心させるべく穏やかな声で告げる。


「仁慈様……ありがとうございます。わたくしは、ほら、この通り。ここにおりますよ」

「よかった……。本当によかった。生きていてくれて」


 天狐は開花を思わせる程ふわりと目蓋を開き、やがて萎むように目を細めた。


「わたくしは仁慈様をおいてどこか遠くへなど行きません。ずっと、ここに。……貴方のそばにおりますよ」


 耳元の安らかな声に、仁慈の張り詰めていた心がゆっくりと解けていく。


 けれどそれも束の間。しめ縄の外から放たれた甲高い叫び声が、二人の世界を無慈悲に引き裂いた。


「神職ともあろう御方が男とそのようなッ! 笑止千万! やはりお前は母上などではない! 女王などでは断じてない!」


 我に返った仁慈は背中に天狐を隠し、落とした刀を再び手に取った。二人の抱擁がメイの最後の理性を焼き切り、怒り狂わせた。


「ククク。神に背いたのですから、必ずや神罰が下ることでしょう。……否! このわたくしが直々に下して差し上げましょう」


 メイは謎の呪術で自分の周囲の火を裂き、結界の眼前まで迫る。


「イイですねぇ。女王第一の夫とされる家系の呪詛は……。わたくしによく馴染みます」


 メイは禍々しい火を纏った剣を二人へ向けた。天狐は怯えるように仁慈の背に手を添えた。


「仁慈様、ご安心を。この方は結界の内側には入れません。……この方は結界を壊そうと、神木やしめ縄を燃やすべく山に火を掛けたのです」

「やはり神子のメイが、これを」

「……草木が泣いております。山の動物達はわたくしが社で保護できましたが……」


 仁慈が社へ目をやると、傷つき怯える兎や鹿、狐といった動物達が一堂に会していた。


「村を襲った神子もお前だな。どうりで前より元気そうな訳だ」

「ソレもコレも母上がわたくしを突き放すからではございませんかッ‼︎」


 メイの憎悪に満ちた眼差しは、天狐に向けられていた。


「母上?」

「そこの女がッ! わたくしを拒んだのです!」

「拒んでなどおりませぬ! わたくしはここからは出られないのです!」

「ウソよッ! 嘘嘘嘘嘘嘘! 神子は皆嘘つきだ! 蒸し殺せば、泣いて許しを乞いながら出てくると思ったのに! まるで涼しい顔でわたくしを哀れんでッ!」


 怒号と共に、メイが結界を裂かんと双剣を振り回す。その穂先の炎を、結界が雷鳴に似た音を立てて弾き返した。


「この結界は山火事程度では破れませんよ」

「おのれッ! 加護など信じぬッ!」

「……神子のメイ! よくも天狐殿を」

「お前もお前よッ! なぜしめ縄をやすやすと抜けられる! なんなのよォ!」


 最初から会話は通じていない。仁慈は一度剣を収め、居合の体勢を取る。


「もう一度だけ聞くぞ、神子のメイ。お前が村の人々を襲い、この山に火を掛けたのか?」

「でしたら……どうされる? わたくしを殺しますか?」

「私は火事が大嫌いでな。……お前だけは絶ッ対に許さない」


 仁慈の冷酷な眼光に臆することなく、メイは高笑いした。


「お前のような常人に追いつかれる程、わたくしの神の血は薄くない! あっという間にあの町まで火の海にしてみせましょう」

「……町だと?」

「ええ‼︎ 村よりも、もっと、もっと多く死にますよ。……ですが、どうでしょう。……後ろにいる女をこのしめ縄から引きずり出せば、わたくしは町を燃やさないとお約束いたしましょう」


 度を越した非道な提案に、仁慈は下を向いて押し黙る。天狐は彼の袖をただ弱々しく掴んでいた。

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