22話 『都落ち』
――そのまた昔、貧しい貴族に盲目の女が生まれた。
盲目では嫁にも出せず、さりとてそんな女を養う余裕もなく、山奥の神社に送って巫女として祈祷や占いをさせたという。女には不思議な力があった。夢で視た未来が寸分違わず現実になるのだ。しかし、彼女の夢枕に立つのは凶兆ばかりであった。
ある夜、女はこれまでで最もおぞましい夢を視る。「家が燃え、嫡男が焼け死に、一族が都を追われる」という夢であった。伝えなければ。その一心で彼女は夜明けを待たず一人、都へ向かった。だが、盲目の女独りの旅は困難を極めた。道中で野盗に乱暴をされては有り金を奪われ、泥水を啜って飢えを凌いだ。険しい山道で着物は破れ、顔は泥と乾いた血で汚れ、髪は獣のように乱れきった。それでも女は、ひたすらに家族の元へと歩き続けた。
しかし、都に着いた時には遅かった。屋敷は炎に包まれ、人々が逃げ惑う。人混みの中で家族へ声を張り上げるも、家族は娘だと気づかないどころか、泥と血にまみれた鬼の形相に恐れ慄いた。不幸を運ぶ「死神」だと思った。やがて火は消え、焼け跡からは兄らの亡骸が見つかる。夢の通り、生き残った一族は権威を失い、都を追われた。
東方のひなびた村へ落ち延びた後も、一族は女を「呪いの子」と呼んで忌み嫌った。それでも女は巫女として生きるより他はない。やはり占う未来は不吉で、村全体に不幸が降り掛かった。人々の畏怖と侮蔑を浴び続けるうち、女の心は日に日にすり減り、齢十七にして顔には深い皺が刻まれ、髪は見る間に白く変わっていったという。
その年の冬、遂に村人達の我慢は限界に達した。彼らは「封印」と称し、女を更級の雪深い山奥へと運び、置き去りにした。盲目では場所も、昼か夜かさえも分からない。暗闇で一日中凍えながら猛獣の気配に怯えた。助けを求める声は、空しく木々に吸い込まれて消える。捨てられたのだと悟った時、彼女は煮えたぎる憎悪の中で息絶えた。
そこへ山の神がやってくる。神は人の捧げ物として女の魂を喰らった。だが、禍々しい憎悪に満ちた魂に神でさえも吐き出した。喰いかけた魂は半分も体に戻らず、神は女を哀れんで三途の川へ還さんと、谷川に亡骸を沈ませた。
しかし、女は神に喰われた際、飢えを満たすべく神の一部を喰らい返していた。神秘を取り込んだ体は息を吹き返す。半身は常世へ、半身は現世へ。奪われた半身を補うように憎悪が呪いとして形を成し、女は再び岸辺で目を覚ました。右半身は若さを取り戻し、左半身は年老いたまま。その身には神と呪いが同居し、人ならざる怪力が宿っていた。山姥の誕生である。
女は〝人の魂を取り込む〟という神の理を受け継いでしまった。偶然山道を通り掛かった行商人を喰らった時、体は完全に若返ったのだ。ただ、雪のように白い髪だけを残して。以来、山姥は人を喰らい寿命を奪うことで幾星霜を生き永らえた。そしてより強い魂を求め、子を成すことに執着した。若く美しい女の姿で強い男を誘い、子を産み、男が老いる前に喰らう。それを幾度も繰り返した。
その子孫こそが、後に「神子」と呼ばれる者達である。
「――というのが、神子の起源じゃ」
老爺が語り終えても、仁慈と与助はすぐに言葉を発することができなかった。信じがたい物語を頭の中で反芻する。しかし荒木という神子の超人的な力をその目で見てしまった以上、信じざるを得なかった。
「山姥って実在すんのかよ……。まさか神子ってのはそこら中に――」
辺りを見回す与助。
「どうじゃろうな。神子も山姥同様、人の命を奪い続ければ寿命は尽きぬ。どこに何人いてもおかしくはなかろう」
「死なぬのなら、神子の人口は既に人よりも多いのではないですか？」
「否じゃ。神子は山姥の力と共に、その呪いも色濃く受け継いで生まれるからのぅ。……山姥、並びに神子は『子宝に恵まれない』。これはかつて山姥が見た『一族が滅びゆく』という呪いじゃ。加えて、神子を狩り尽くす者もおるしなぁ。……儂はそやつを追っておる」
「こりゃ驚いた。荒木みてえな化け物共を殺し回る奴がいるたァな。ならよ、子も産みにくいんなら絶滅しちまうんじゃねえか？」
与助の素朴な疑問に、仁慈が思考を巡らせる。
「いや、逆だ。子が貴重だとしても、大昔から少しずつでも増えていく一方ならば、神子は相当の数になっているはずだ。その者達が生き永らえる為に長年人を殺していれば、いずれ人がいなくなる。むしろ今の今まで我々が神子の存在に気づかぬなど――」
「聡いのぅ。じゃが、それはこれから動き出す話じゃ」
「これから？」
「この泰平の世になるまで、神子同士で勢力争いを幾度も繰り返し、その数を減らしてきたのじゃ」
あっけらかんとする与助。
「おいおい。やっとこさ生まれて殺し合うたァ間抜けな話だな」
「儂はそうは思わぬな。不老不死であるからこそ、意図して殺さねば世代交代はあり得ない。子は親に、弟は兄に、文字通り永遠に逆らえぬ。相容れぬ者がいても、その顔ぶれが千年変わらぬなど耐えられるか？」
その言葉に、仁慈は兄弟子――誠士の顔を思い浮かべ、妙に納得してしまった。
「じゃが、ある出来事の末、幕府側の神子がようやく争いを治めた。しかし、山姥の血は代々受け継がれるうちに薄まっていく故、今の神子は色々と躍起になっておるらしい」
「幕府が絡んでいるのですか……？」
「というより、幕府を作ったのが神子、と言うべきか。……安心せよ、幕府の神子は極少数。治太郎はただの人じゃよ。儂はその者が纏う空気で分かる」
ほっと胸を撫で下ろす仁慈。仮に養子先の武家が神子だとしたら、わざわざ治太郎の寿命を奪う為にあそこまで大掛かりな手続きも踏まないだろう、と彼は想定を終えた。
それよりも与助には気になることがある。
「オレの道場を襲った神子は、なんで剣を集めてたんだ」
「ほう。上からの命令じゃろうな。山姥は人を直接喰らうことで寿命を奪えたが、山姥と人の混血たる神子はそうもいかぬ。神子は神器で殺さねば寿命を奪えぬのだ」
「それが、〝霊剣〟――」
絞り出すように仁慈が呟いた。
「左様。……神子も社会を成しておる。霊剣集めは奴らにとって死活問題じゃ。各地に眠る霊剣を血眼になって探しておるのじゃろう」
身の危険を感じるような真実を前に、二人は押し黙る。その静寂を破ったのは外の喧騒だった。遠くで半鐘の音が鳴り響き、人々の叫び声が聞こえてくる。なんだなんだと三人が立ち上がった。
「……動き始めたか」
老爺は静かに呟いた。
「ご隠居、これは？」
「気をつけよ。奴らは桁違いの強靭な肉体を持ち、傷も治る」
「これも神子の仕業なのですか？」
「――先程までの話、決して他言無用じゃ。……言霊は、耳にした者にまで宿命を迫る故な」
老爺がそう言い終えるのと同時に、往来を飛脚が駆け抜けながら叫んだ。
「てぇへんだァッ！ 峠を越えた先で山火事だァッ！ 近くの村じゃもう人が死んでるって話だーッ！」
「山だとッ⁉︎ （天狐殿――ッ）」
仁慈は卓に銭を叩きつけて急いで茶屋を飛び出すと、血相を変えた治太郎が息を切らして二人の元へ駆け込んでくる。
「仁慈！ 与助！ 聞いたか、山火事だ！ 嫌な勘が当たっちまったチクショウ！」
「治太郎ッ！ どこの山だ！」
「西の峠の方らしい！ まさか天狐ちゃんの社がある方角じゃねえよな⁉︎」
「――西だよ馬鹿野郎ッ‼︎」
仁慈が滅多に見せない取り乱し様だが、治太郎にはそれを気にする余裕がない理由があった。
「こっちもやべんだよッ！ 俺の父ちゃんはあの辺りの村を管理してんだ！ もし様子見にでも行っていたら……！」
三人は西へ向かって走り出す、その背に老爺が佇んでいた。
「――これ仁慈」
「ご隠居ッ！ 今はそれどころでは！」
「お主のおかげで束の間の平穏が訪れていた。儂にはそのように視える。……じゃが、動き出した以上、お主が業火の中心となる。……お主は向かい火となり、火を以て火を制す他なし」
意味を問いただす暇もなく、仁慈はその場を後にする。彼の脳裏に蘇る、かつて両親を焼き尽くした業火の記憶。それを考えないように、振り向かないように、ただひたすら走った。
