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君捨て山 ~八姫八君の物語~  作者: 切 実り
序章 燻り(くゆり)
21/46

21話 『宿命』

【登場人物】

仁慈:若侍  

治太郎(四行重國):仁慈の幼馴染の町人。幕府重役の養子。

与助:赤髪長身の侍。「血塗れの与助」。 

盲目の老爺:町で辻説法をしている盲目老人。

 仁慈が、二日に一度は必ず天狐の社へと足を運ぶようになったその頃。都の片隅にある壮麗な四行家の屋敷では、毎日のように壮絶な追いかけっこが繰り広げられていた。


「「若様が逃げたー!」」 


 女中達が悲鳴を上げる。

 

「若様ァ! お待ちくださいませ、若様ーッ!」

「へへんだ! 俺は逃げ足が早いのよ!」


 長い長い(ひのき)の廊下を治太郎が必死の形相で駆け抜けていく。そのすぐ後ろを五十代頃とは思えぬ、滑るような足運びで女将が追いかけていた。常子である。


「本日のご予定は、乗馬に弓術、次に兵法、そして礼儀作法にございます! 一体どこへ行かれますか!」

「乗馬は嫌だーッ! あれで足腰が痛めたもん!」

「落馬しなければ問題ありませぬ!」

「今日は無理ー! もう決めたんだよ、遊ぶって!」


 このドタバタ騒ぎを、縁側で書物を読んでいた殿が楽しそうに眺めている。


「ふふっ、随分と賑やかになったものよなぁ……」


 その呟きに常子は足を止めて、ちらりと咎めるような視線を向けた。殿は咳払いを一つして、再び本に目を落とす。


「殿。本日は、若様の元服の儀にございます」

「まあまあ、常子。今日くらい、許してやってもよいのではないか? あいつも儀式の重要性は分かっておる。夜までには帰ってこよう」

「若様は、次期当主としてのご自覚があまりにも足りませぬ。……全く、これではわたくしは太郎様に顔向けできませぬ」


 常子が溜め息をついた、その一瞬の隙。治太郎は庭の植え込みを飛び越え、見事屋敷からの脱出に成功したのだった。


 一方、町の茶屋では仁慈がどこか満ち足りた表情で茶を啜っていた。そこへ呆れた顔の与助がどかりと腰を下ろす。


「おお、仁慈。また随分と嬉しそうな顔しやがって」

「与助か。いやあ、実はな、近頃天狐殿と共に食事をすることが多くてな。……あの方は料理もお上手なのだ。もう、あの方に出来ないことなどないのかもしれん」

「……んなことだろと思ったぜ」

「私も毎日炊事はしているが、天狐殿が作られる料理は私のとは比べ物にならぬほど滋味深く、美味しいのだ」

「そりゃそうだろうよ。好きな女と食う飯に適うもんなんて、この世にねえんだからよ」

「いや、まだ、好きというわけでは……。だがそうか。あの方と共に食べるからこそ、ここまで美味しく感じるのか……」


 あまりの惚気話に、与助のこめかみが青筋を立てた。


「あーはいはい。そうかよ。そういや前に治太郎が『今度、うちの飯を食わしてやる』って言ってたが、お前はもういらねーな」

「なっ! それは別だろ!」

「俺らより女との飯の方が美味いもんなぁ? 治太郎の家はそりゃあもう、すっごくでけえらしくてよ。飯もさぞ豪華なんだろうが、残念だなぁ」

「与助、ずるいぞ」

「……って。そういや、その若様が今日は見えねえな?」


 すると、町の通りの遥か向こうから、凄まじい速さで何かが土煙を上げて二人へ向かってくる。


「うおおおおーッ! どけどけェ、道を開けろォーッ!」


 その何かは二人の前で止まる。もうもうと舞う土煙の中、ぜえぜえと肩で息をする、見慣れた男の姿があった。治太郎もとい重國である。


「なんだなんだ、騒々しい。若様かよ」

「バカ様がなんで走ってる来るんだ。担いでもらえよ」 

「……逃げ切った」


 治太郎の真剣な表情に二人は顔を見合わせた。

 

「何からだ?」

「鬼婆からだよ! 俺の躾役だとか言って、毎日毎日朝早くに叩き起こすわ、武芸だの学問だのみっちりやらされるわで、もうこっちは身がもたねえんだよ!」

「「大変だな……」」

「だろぉ!?」

「そのお婆様がだ。お前のようなバカを躾けるのはさぞ骨が折れよう」

「ほんとだよなァ。なんでよりにもよって、治太郎のバカを養子にするかね」

「おめえら揃いも揃ってこの若様に対して……」

「お? 若様怒った」

「こりゃお縄だな。ずらかるぞ〜仁慈」


 与助と仁慈が泥棒のような身振り手振りで逃げようとする。

 

「待て待て。――っておいこら仁慈。こっちが大変な時に、おめえ何また天狐ちゃんと会ってんだよ」

「いやなぜ分かるのだ」

「その胸の膨らみ、小包だな。中身は弁当の空箱! 天狐ちゃんに作ってもらったんだろ!」

「だからなぜ分かるのだ!」

「この治太郎様は見りゃわかんだよ。ま、この色男に話してみろよ」

 

 自称恋愛指南役に仁慈が天狐との出来事を話し終えると、治太郎と与助は一度、意味ありげに目を見合わせた。そして治太郎が馴れ馴れしく仁慈の肩に腕を回す。

 

「おめぇ、それ恋だな」

「違う」

 

 即答する仁慈の肩を与助が掴んでは流し目で言った。

 

「いや、恋だろ」

「違うって」


 男共に左右から挟まれ、移りゆく季節の暑さも相まって仁慈は心底暑苦しそうな顔をした。


「なーに恥ずかしがってんだよ。おめえもちったあ女遊びの一つも覚えろってんだ。なあ、与助?」

「……仁慈。テメェも案外隅に置けねえなァ?」

「落ち着け、彼女は巫女なのだ」

「巫女!  おめぇ通だね」

「おい」

「テメェそういうのが好みか?」

「おい」

「いやぁ、俺もまだねぇわ巫女は」


 仁慈の抗議など聞こえていないかのように、両脇の二人は好き勝手な会話を飛ばし続ける。


「で、めんこいのか?」


 与助の問いで、脳裏に天狐の笑顔が浮かぶ。


「……とても、綺麗な人だよ」

「おい与助、こいつ殴れ。恋する乙女の目ぇしてやがる」

「若えなァ。いいねェ……そういうの。分かるぜ仁慈」


 与助はなぜか頷いている。仁慈はもう何度目か分からない溜め息をついた。


「あのなあ?  巫女は神に仕える身だ。男女のそれになるわけないだろ」

「はァあ?」


 治太郎が、耳元でわざと大声を張り上げた。


「どんな事情があれ男と女だ。そりゃ神様も寝たふりしてくれるっつーの」

「いや、オレは仁慈の真面目さ好きだぜ」

「おーい、仁慈はまだ女も知らねんだぞ。ずっと先生ばっかで女を好きになった試しねぇんだからよ。ここで背中押してやらねえでどうすんだ」


 そう言って治太郎が与助の方に回り込み、下らない作戦会議を始めようとしていた。


「余計なお世話だ二人とも。……あの人はどこか普通の女性とは違う。きっと私を男としてなど見ていない。……神秘的で尊いお方なのだ。そう、まるで天女のような」


 なぜか与助が感銘を受けたように深く頷く。


「ああ? 天女だァ? こいつ完全にイカれちまったぞ」


 治太郎が呆れ顔で仁慈の顔を覗き込む。しかし、一点の曇りもなくどこまでも澄んだ瞳をしていた。あまりの純粋さに、治太郎は毒気を抜かれたように大きな溜め息を吐いた。


「まあ、恋は狂ってるくらいが丁度いいんだけどよ。にしても、出来もしねえ約束するのは早とちりじゃねえか? その結界ってので外には出られねんだろ?」

「いいや、私ならできる気がするのだ」

「出た出た! 出たよ〜仁慈のお得意の〜」


 その「お得意」を知らない与助は目を丸くした。


「意外だな。オメエにも根拠のねえ自信ってもんがあるたぁ」

「こいつたまにあんだよ。野生の勘みてえなの」

「アテになるのか?」

「うぜぇことに頼りになんだよ」

「なんだ、うざいとは」

「ははーん。さてはオレと同じ、天性の才か」


 与助の言葉が気に食わなかったのか、治太郎は話を切り替える。


「でもよぉ、町には俺みてえな色男もいるんだぜ? うっかり連れてこねえ方が良かったりしてな」

「そりゃ仁慈の独り占めって訳だわな」

「そゆこと」

「見損なったぞ、二人とも」


 心底軽蔑したような声色に男達はばつが悪そうに口をつぐんだ。空気が落ち着いてしまったので、仕方なく仁慈は気持ちを語り出す。


「もしこれが恋だというのなら。世の中を何も知らない彼女にいきなり言い寄るというのは不誠実だ。色んな人や物に触れて、知っていただいて、それでもなお私を話し相手として選んでいただけて、ようやく私はあの方を好きになる権利を持てるのだと思う」


 彼の瞳はどこまでも澄んでいた。


「かぁ〜ッ! 聞いたか与助ェ!」

「なんて応援したくなる野郎だ。テメェも見習いやがれ」

「よけえなお世話ってんだ!  俺はモテても一途なもんよ」


 二人は再び顔を見合わせ、悪戯っぽく笑う。


「けどまあ、コイツがそこまで言うんならよ」

「ああ。陰ながら応援してやろうじゃねえの」

「お前達……」


 彼らの表情に仁慈はほっと一息ついた。

 

「最後にちと色男からの助言だ。その弁当、おめえが頼んで作ってもらってるのか?」

「いや、私は申し訳ないからと断っているのだが、天狐殿が毎度持たせてくれるのだ。彼女は高貴な身の上らしく、一人では食べ切れない量の食べ物があるからそれ故だろう」

「わかってねえなー女心っ! 天狐ちゃんは社から出られねえから、おめえと会ってねえ時はおめえが他の女と仲良くしてねえか心配で、おめえが次も来てくれるか不安なんだよ」

「そうなのか?」

「ったりめえよ! 弁当持たせりゃ空箱返しに必ず一回は来るだろ? だから毎回渡してんだよ。……だからよ、おめえはそんな健気な天狐ちゃんを泣かせるようなこたぁしちゃいけねえってわけだ。早く安心させてやれ。いいな」


 仁慈は深く頷き、胸元の空箱をぐっと抱きしめる。空だというのに何よりも温かかった。

 天狐に会った時を振り返ると、不意に社の前で出会った傷だらけの少女を思い出す。


「そうだ。天狐殿に会う前、山奥で傷だらけの少女に出会ってな。それがなんとも不思議な女子(おなご)だったのだ」

「ほー。そいつは一人だったのか?」

「ああ」

「なんだァ? 野盗にでも遭ったのか?」

「分からぬ。何も教えてはくれなかった。手当てをしようにも強引に去ってしまってな。山の麓までたどり着いていたのなら、この町にも来たやもしれぬだろ? 何か知らぬか情報屋」

 

 仁慈が茶化すように言うと、治太郎は待ってましたとばかりに胸を張った。

 

「この治太郎様の人脈を舐めるなよ? 名前はなんてぇんだ?」

神子(かみご)のメイと」

「へえ! ……知らねえな」

「駄目じゃねえか」

 

 一瞬で肩を落とす仁慈と呆れる与助。「あっ、でもよ」と治太郎が何かを思い出す。

 

「山の向こう側の話だが、ある村が野盗に襲われたらしいぜ」

「……絶対それだ。その村で生き延びたのが彼女だったのか……。大丈夫だろうか。もしかするとその野盗もこの町の近くに――」

「あーでも、山の向こうとは言っても、向こうの向こうの、そのまた向こうだ」


 治太郎が遥か彼方を指差す。与助がその先を追うように両手で双眼鏡の形を作って遠くの山々を見渡す。


「……お前なあ。それなら絶対違う話だろう。年端も行かぬ女子が、傷だらけで山々を越えられるわけがない」

「でぇ、なんでまたそんな遠い村が襲われたんだ?」

 

 与助が問うた。

 

「理由は知らねぇが、襲った連中はなんでも妙に輝く怪しい剣を持ってたって話だぜ」

「「霊剣か!?」」


 与助と仁慈の声が綺麗に重なった。二人の予想外の食いつきに治太郎は嬉しそうに口の端を吊り上げた。

 

「んだよおめぇら、急にどしたよ。なんか照れるな……」

 

 治太郎が意味もなくはにかんでいる、その時だった。茶屋の入り口から、熱を忘れ静寂を帯びた声が投げ掛けられる。

 

「今、霊剣と言ったか」

 

 三人が振り返ると、そこには一本の杖を頼りに佇む盲目の老爺がいた。場にいるだけで周囲の空気を変えてしまうような雰囲気は、いつもの温かな彼とはかけ離れていた。

 

「おお! 辻説法の爺さん!」

 

 相も変わらず治太郎が親しげに声をかけると、「誰だ?」と与助が小声で仁慈に尋ねる。


「よくこの通りで子どもたちに昔話や不思議な伝承を語り聞かせてくれる御方だ。近頃は私もその話を楽しみにしていてな」


 仁慈がコソコソと説明をしている最中、重々しい声と呑気な声が飛び交っていた。

 

「……神子、霊剣と。穏やかならぬ言葉が聞こえてきてな」

「おい爺さん。さては俺と同じ、盗み聞きの達人だな?」

「ははっ、すまぬな。この通り、目が見えぬ代わりに、耳ばかりが良う聞こえてしまうのだ」

「いいってことよ! 聞こえるとこで話す方がわりぃんだからな!」


 仁慈は師範が『神子』と言っていたことを思い出す。

 

「ご隠居。神子や霊剣についてご存知なのですか? 近頃周りでそういった類の話を耳にすることがありまして」

 

 老爺は顔を仁慈の方へ向けると、見えないはずの瞳を細める。視線が交わっているのだと仁慈には分かった。


「……ほう。お主、少し気配が変わったな」

 

 老爺もまた仁慈の佇まいから、以前とは違う何かを正確に感じ取っていた。

 

「この町で騒動があったらしいからのう。……お主ら、何やら厄介なことに巻き込まれたようじゃな」

 

 騒動の中心人物である問題児三人は、ばつが悪そうに目を逸らした。仁慈は核心に迫ろうと問いを重ねる。

 

「霊剣に触れると、強くなれるのですか?」

 

 目が合うはずもないのに、仁慈は射抜くような視線を感じた。

 

「……霊剣使いと、出会ってしまったか。……求めすぎる強さは、身を滅ぼすぞ」

 

 その時、黙って話を聞いていた与助が堪えきれずに身を乗り出した。

 

「なあ爺さん。オレの道場の大将が神子ってのに殺されたんだ。神子って何なんだ。 教えてくれ」

 

 与助の必死の問いに、老爺はしばし沈黙した後、喉仏を一度大きく上下させて口を開いた。

 

「……よかろう。お主らも関わってしまったのなら、心得ておくべきじゃ」

 

 そう言って老爺が茶屋に入る。後を追うように仁慈と与助が店へ入ると、治太郎が立ち止まり、犬のように鼻息を立てる。


「ンー?! なーんかきな臭ぇ。西で何かやってんな」

「西?」

「ちょっくら見てくるわ!」

「は? おい、いいのか?」

「俺ぁ鼻が利くだろ? こりゃ絶ッ対ぇ何かあるぜ」


 そう言い残して、大急ぎで駆け抜けていった。佇んだままの二人は、「「犬だな」」と気にせず茶屋へ入る。

 奥の席で待ち構える老爺に机を隔てて向かい側に座り、息を呑んだ。

 

「――神子とは、山姥(やまんば)の子孫を指す」

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