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君捨て山 ~八姫八君の物語~  作者: 切 実り
序章 燻り(くゆり)
20/44

20話 『治太郎、新居へ!』

 その音が途切れる間もなく、時を同じくして、都の片隅では巨大な木材に食い込むノコギリの音が重々しく響き渡っていた。


 ギィコ……ギィィコ……。


 降り注ぐ陽光が、組み上げられていく巨大な五重塔の骨組みを照らす。真新しい(ひのき)の香りが、むせ返るような熱気と汗の匂いに混じって立ち上る。

 

 宮大工の朝は早い。

 威勢のいい職人達の怒号が飛び交う中、治太郎は流れる汗に木屑をひっつけながら丸太のような(はり)を担いでいた。

 

「かぁ〜! こいつぁ骨が折れるぜ!」

「おい治太郎っ! こっちの材木も運んでくれ〜!」

「あいよ! って、どんだけあんだ棟梁(とうりょう)⁉︎」

「頼りにしてるぞー! 日の本一の力持ち!」

「おうよ! 頼りにされちゃしょうがねえよなぁ!」

 

 天にも届きそうな五重塔の最上層。下を見れば人が豆粒のようだ。足を滑らせれば来世にこんにちはだろう。

 

「こえぇ〜! やっぱ降りるのちびりそうだ〜! 誰か助けて〜!」

「馬鹿野郎! てめえもう何年目だ!」

 

 昼餉(ひるげ)の休憩が挟まると、職人達は木陰に集まって大きな握り飯を皆で頬張る。そこで疲れを忘れて一際騒いでいる治太郎の元へ、棟梁(とうりょう)が神妙な面持ちでやってきた。

 

「よう治太郎」

「おっちゃん!」

棟梁(とうりょう)な」

「いっけね。そっちはまだ仕事中だろ? サボりか?」

「べらんめぇ。お前に大事な話があんだよ」

 

 その表情はいつもの悪戯っぽさはなくどこか寂しげだった。

 

「なんだいなんだい。気になるじゃねえか。勿体つけねえで話してくれよ」

「お前もここで働くようになって、結構経ったよなぁ……。最初は金槌で自分の指叩いて泣いてた半人前が、今じゃ一端の職人だ」

「なんだよ急に、人情噺(にんじょうばなし)か? おっちゃんクビにでもなんのか?」

「おう。……お前がな」

「――俺ェエエエ⁉︎」

 

 そんなこんなで治太郎は宮大工を辞めさせられた。

 理由は先日の町の騒動で、治太郎が由緒正しい四行家の御曹司だと知れ渡ってしまったからだという。「四行家の若様を、いつまでも大工仕事させるわけにはいかねえ」と、棟梁は涙ながらに語った。

 

 元々は宮大工の宿舎で寝食を共にしていたのだが、四行家の屋敷へ今日限りで引っ越すことになった。

 

 治太郎は渡された地図を頼りにとぼとぼと武家屋敷の区画を歩く。やがてたどり着いた屋敷の前で、彼は地図と眼前の光景を何度も見比べた。

 

「ここが……? 俺んちィいいい――ッ⁉︎」

 

 天を衝くかのような壮麗(そうれい)な門。横を見渡せばどこまでも続く白壁の塀。

 

「うっそだろ、デカすぎんだろーッ‼︎」


 元は捨て子の身の上ながら、己の強運にもはや恐ろしさを覚える。意を決して彼は分厚い門扉を叩く。


「たのもーッ‼︎」


 大声を上げても門が開かないので連打して連呼する。道場破りのような声が武家屋敷の立ち並ぶ静かな区画で場違いに響き渡った。


「おーい! たのもーッつってんだ――ろ⁉︎」


 ゴゴゴゴ……と、地の底から響くような重々しい音を立てて、巨大な門がゆっくりと内側へと開かれていく。

 

 治太郎の目に飛び込んできたのは想像を遥かに超える光景だった。

 門の向こうにはどこまでも続く白砂利の庭が広がり、その上に数十人もの女中達が一糸乱れぬ様相でずらりと並び、深々と平伏している。

 

 やがて、その場の全員から揃えられた声がさざ波のように治太郎へと届く。

 

「「()()、お待ちしておりました」」

「……なんじゃこりゃあァァァ‼︎」

 

 あまりの光景に、治太郎の口から素っ頓狂な声が漏れる。


 これまで大勢の人に囲まれることには慣れていたが、あくまで自ら輪の中心に飛び込んで作り上げた陽気な賑わいだ。

 しかし今、目の前にあるのは自分という存在に向けられた絶対的な忠誠。

 

 この場の主役が自分であると本能的に理解した。治太郎は照れ隠しと持ち前の悪戯心から、役者が見栄を切るように、ポンと胸を張った。

 

「俺は大名か⁉︎ みてえだな! ゴッホン。……苦しゅうない。(つむり)を上げい」

 

 その芝居がかった声に、若い女中達の肩が笑いを堪えるように微かに震える。

 

 だが女中達の中心にただ一人、一切微動だにせず背筋を鋼のように伸ばして佇む女将の姿があった。

 他の女中達が柔らかな色合いの小袖を身につけているのに対し、女将だけが権威を示すかのような濃紺の着物を纏っている。表情は能面のように固く、感情を読み取らせない。

 

 女将――常子(つねこ)が静かに一歩、前へ出る。場の空気が、しんっと張り詰めた。

 

「お待ちしておりました。重國(しげくに)様」

 

 常子の声は驚くほど澄んでおりどこまでも冷たかった。


「わたくしが、若様の傅役(もりやく)を仰せつかりました、常子にございます。さあ、中へ」

 

 ――それがわたくし常子と、若様の初めての邂逅(かいこう)でございました。この時から、わたくしと若君との戦いが始まったのでございます。

 

「モリヤクって、ご利益の親戚みてぇなもんか?」

「違います。そうですね……(しつけ)役、といえばご想像しやすいかと」

(しつけ)⁉︎ 俺、若様なのに⁉︎」

「はい。若様だからでございます」

 

 若様は何か言いたげな顔をしておられましたが、わたくしが一瞥いたしますと黙って後をついてこられました。まずは話が通じるようで、少しだけ安堵したのを覚えております。


 しかし、安堵はすぐにため息へと変わりました。

 

「広すぎんだろーッ‼︎ 松なんて俺の家にあってどうすんだよ! なあ婆さん。俺は柿好きだ。なんてったって色がいい。柿も植えようぜ?」

「婆……」

「ってすげー! この池、鯉も飼ってんのか! 活きがいいぜ! 婆さん夕餉はこれか?」

「常子、とお呼びください。鯉は、殿のご趣味でございます。これからは重國様もお父上様のご趣味を学んでいただ――」

「へぇー! ……あっちには神社まであんじゃねえか! 正月は便利でいいな、こりゃ!」

「若様、お声が過ぎます。お静かにお願いいたします」

「へいへい……」

 

 若様はまるで物見遊山(ものみゆさん)にでも来たかのように、きょろきょろと辺りを見回し、その一つ一つに感嘆の声を上げておいででした。


 元宮大工として、見事な木組みや庭の造形に目がいくのは分かります。ですが、ここはこれから治めるべき「城」。その自覚は、まだ米粒一つもおありにならないようでした。

 

 やがて、お父上様である殿のご準備が整ったとお伝えしたその時。若様は子どもが悪びれるように、こうおっしゃいました。

 

「わりぃ、常子婆! (かわや)!」

「……かしこまりました。こちらへ」

「でぇじねえ! さっきの廊下曲がったとこだろ!」

「違います」

 

 そう言い残すや若様は、風のように駆け出して行かれました。殿を待たせぬようにと再三お伝えしていたというのに……。


 わたくしは御家の行く末を案じ、思わずこめかみを押さえておりました。

 

「ふー、すっきりしたぜ! 部屋多すぎんだろちきしょう!」

「お父上様がお待ちです。お急ぎください。……これからはお早めにお申し付けくださいませ」

 

 殿の待つ広間へ向かう長い廊下を歩きながら、わたくしは最低限の作法を若様にお伝えしました。


「心配にゃ及ばんぜ? この治太郎様だぜ?」

「いいえ。四行重國様でございます」

「……別に初対面じゃねえし。前にも父ちゃん会いに来て褒めてくれたんだぜ?」

「『父ちゃん』などという呼び方はお止めください」

「ちぇっ」

「それも禁止です」


 そして運命のご対面。

 わたくしが(ふすま)をそっと開けると、上座にいらっしゃる殿のお顔を見て早々、若様は満面の笑みで言い放ちました。

 

「ひっさしぶりだな! 父ちゃん!」

 

 その瞬間、広間にいた全ての者が凍りつきました。

 

 殿は驚きで目を見開いたまま固まり、そしてゆっくりとその肩を震わせ始めたのです。笑いをこらえておいででした。なんとお優しいことでしょう。


 わたくしはただ一人無表情のまま、御家の未来を本当に憂いておりました。

 

 その夜、わたくしに殿からお呼びが掛かりました。

 

「常子よ。どうじゃ、重國は」

「……天真爛漫、とでも申し上げましょうか。ですが、このままでは四行家を継ぐ者としては……」

「ははは。手厳しいのう。じゃがそれでよい。であるからこそのお主じゃ。……常子、後は託したぞ。儂に何があっても、(せがれ)を守り抜いてくれ」

「……御意」

 

 翌朝。わたくしは音を立てて若様の部屋の(ふすま)を開け放ちました。案の定、若様はいびきをかいて大の字で寝ておられました。


「お早うございます、重國様! 朝餉(あさげ)のご支度が整っております――ッ!」

「な、なんだァ⁉︎」


 ――わたくしはもう少し、若様を見極めようと思います。

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