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君捨て山 ~八姫八君の物語~  作者: 切 実り
序章 燻り(くゆり)
13/46

13話 『弟子』

「余所者が口出すことじゃねえけど、仁慈はアンタに向かって大声で叫んでたぜ?」


 その声。うなだれていた仁慈ははっと顔を上げた。


「……誰だお前は」

「オレは豪野谷与助だ」

「豪野谷……ほう。誠士と他流試合をしたというあの剣士か。私の弟子に負けた挙句、見苦しくも度々果たし状を送りつけては、場所も弁えず喧嘩を仕掛けてくるという、大馬鹿者だそうだな」


 名前を覚えられている上に恥まで晒された与助は、決まりが悪そうに頭を掻いた。


「別に、誠士とは同い年で近所の腐れ縁ってだけだ。……アイツの師匠に助太刀されるたぁ癪だが、借りは借りだ。必ず返す」

「お前を助けた覚えはない」

「オレが借りだと思ったら借りなんだよ」

「面倒な男だ。借りだと思うのなら余所者は口を出すな」

「そうは問屋が卸さねぇな」

「……何?」

「それとこれとは別ってことよ」


 師範が微かに舌打ちを鳴らした。この手の者には何を言っても無駄だと悟ったからだ。


「まず、仁慈(これ)が私を呼んでいたとして、私が来なければどうする? 私は今宵、裏の森にいたのだ。声に気づいたとして、開けた場所とはいえ提灯も無しにこの暗闇で探せという方が愚かであろう。偶然私が駆けつけたから良かった、では話にならん」

「でもさっきの言い方はねえだろ。アンタは知らねえかもしれねえけど、仁慈はアンタのために――」

「与助、ありがとう。もういい」

「オメェ……」

「先生。私は申し開きもございません。全て私の責にございます。……ただ、私は先生に助けていただいて、より一層精進せねばと思いました。もう二度と、先生を失望させません」


 師範は一言「下らない」と捨て台詞を吐いて、それ以上の叱責をしなかった。


 与助が「大将の仇とはいえ、このまま野晒しは寝覚めが悪い」と、荒木の前で手を合わせ、亡骸を寺に届けようとする。しかし師範が止めた。「遺体は知り合いが処理をする」とだけ言い残して、放置したまま道場へと帰っていく。


 あれほどの傷を負いながら、仁慈は自力で立ち上がり、与助と共に道場に帰って傷の処置をする。

 仁慈は日々の稽古で負った傷をいつも独りで洗っては処置をしていたため、その手際は妙に慣れていた。使い古された治療箱から与助も薬を拝借する。


「一時はどうなるのかと思ったが、とりあえず良かったな」

「そうだな……」


 少し前まで麻痺していた痛覚が徐々に戻っていく。じわりと染みる傷口が焼けるように熱い。


「仁慈。オメエさっき変だったぜ。先生の為に本気で死のうとしてたろ。……今度聞かせろ。先生のこと」

「……私は、変か」


 与助の言わんとすることは、仁慈も自覚があった。


「まーけどよ! なんだかんだ言いながら助けに来てくれるたぁ、オメエも案外愛されてんな」

「意外だったさ。不出来な私を助けていただけるなんて」

「飛んだ阿呆だな。師匠が弟子助けるなんざ当たりめえだろ」


 腑に落ちていない様子の仁慈。彼は当たり前を知らない。


「それに二人しかいねぇ弟子だろ? 大事にされてんだよオメエは」

「……だといいな」

「次はちゃんと、先生に助け求めろよな」

「……死ぬことよりも、先生に助けを求めて見捨てられる方が、私には辛いんだよ」


 どうしてそこまで。その言葉を与助はぐっと飲み込んだ。しかし他の返答が出て来ず、若干の間が空いた。


「てかオメエ、『父上』って言ってたろ」

「ああ。……つい呼んでしまった。私は火事で両親を失くしてから先生に育てていただいた。昔は『父上』と呼んでいたのだ。だが兄上が弟子入りしてから、同列の弟子と扱うため『先生』と呼ぶように、と」

「変な話だな。兄弟子の方は『兄上』って呼んでるのによ」

「先生が『兄上と敬え』と仰られたのだ」

「不満そうじゃねえか」

「私の方がずっと前から剣術を習っていた。ずっと前から弟子だったのだ。だがまあ……兄上の方が強いのだから仕方あるまい」


 道場の中、月明かりが傷だらけの仁慈を白く照らす。遠い目で光の先を追いかける彼は、決して叶わぬ恋をする乙女のようであった。


「私はいずれ兄上を超える。もっと強くなって先生に認められる」

「…………」


 すると仁慈は思い立ったように道場を飛び出した。

 その横顔があまりに決然としていて、「どうしちまったんだよ」と与助が後をついていくと、荒木の亡骸に辿り着く。


 仁慈の視線の先には、地面に突き刺さったままの荒木の霊剣があった。


「オメェまさか」

「荒木は言っていたな……。霊剣は感覚も力も全て引き出すと……」


 霊剣達は月光を蓄えて眩く煌めき、妖しげな力で仁慈を魅せた。その一刀に自然と彼の手が伸びる。与助は嫌な予感がした。


「待て!」

「なんだよ」

「そういう類いの剣は、持ち主の大事なもんまで変えちまうんじゃねえのか? そういう話聞いたことあるだろ? 現に荒木は急に人に襲い掛かる奴だったしよ。慎重にいこうぜ」


 二人を分かつように強い夜風が吹き荒れる。仁慈の結った後ろ髪が大きく揺れる。


「お前も霊剣を握ったことがあるのだろ。それでも、私では危ういのか?」

「そうじゃねえけど」

「……与助も私に失望しただろう。最後に荒木の技を受ける時、私は死を選んだ。もし先生が来ずに私が死んでいたら、次は与助だというのに……。私さえ強ければ――」

「馬鹿言え。失望してんのはテメエだろ。死なねえよ。オレはそんなヤワじゃねえ。……仁慈は先生もオレも逃したかったんだろ? そんなテメエを失望なんかできるかよ」


 与助は仁慈の元へ歩み寄る。


(……違うんだ。与助を守るためには、決死の覚悟で〝皆伐〟を完成させるべきだったのに、私は先生の為に死ぬことを選べてしまったのだ)


 胸の内で懺悔する仁慈の肩を、与助は軽く叩くと、


「戦いは終わったんだ。焦る必要はねえ。先生に聞いてみようぜ? 霊剣が何なのか確かめてからでも遅くねえだろ?」


 と、道場に戻ることを促した。


「……いや、遅い。強くなれるのなら、すぐにでも試すべきだ」

「仁慈。一回休めって」

「……ああ。確かに与助の言う通りだ。すまない」


 冷静さを取り戻した仁慈の表情を見て、安堵する与助。


 その様子を道場の方からじっと見ていた師範が、雷鳴の如く声を張り上げて呼び止めた。


「――〝決して剣に触れてはならん〟」


 仁慈の体はピシャリと静止する。飼いならされた犬のようにその場で固まったまま、師範の次の命令を待っていた。


「仁慈。その剣に触れようとしたな?」


 師範はその肩に一羽の(とんび)を乗せていた。彼が足早に二人へ迫ると、鳶が音もなく羽ばたいて薄明を迎えた空へ舞い上がる。足には書状が結ばれており、そのまま山を越えていった。


「はい」

「何故だ」

「本物の霊剣であれば、今よりも強くなれると思ったのです」


 冷徹な眼差しで仁慈を見据えたまま、師範は黙る。


「強くなれば先生にもお喜びいただけると思ったのです」


 師範は仁慈の目の前に立つと、凍てつくような声を放つ。


「小手先だけの力に頼れと、私がそう言ったか?」

「いいえ」

「私は技を磨けと言っておるのだ」

「……申し訳ございません。失念しておりました」


 ふん、と師範は聞く耳を持たずに仁慈の前から去り、荒木の霊剣九刀を回収していく。


 仁慈は染み付いた癖で、師範の手を(わずら)わせまいと駆け寄るも足が止まる。『剣に触れてはならん』とは戦いに使うなという意味か、それとも回収を手伝うことすら許されないのか。

 わざわざ聞くことも手間となる。きっとこの場合は、触れないことが正解だと汲み取る。


 師範が霊剣を手に取ったところで、特段変化は見受けられなかった。


「なあアンタ、霊剣が何かを知ってるのか?」

「…………」

「さっき霊剣を知ってる口振りだった。荒木のことだって知ってたみてぇじゃねえか。何が起きてたんだよ。教えてくれよ」


 聞き捨てられても与助は続ける。それでも師範は黙ったまま剣を抱えて道場に戻ろうとした。


「オレの道場を襲った奴なんだよ! オレが世話になった大将を殺した奴なんだよ! 教えてくれよ。なんで大将は殺されたんだよ!!」


 大声を上げると、与助の体が軋むように痛み出す。着流しの下から、身体中に巻かれた包帯の結び目から余った布がひらひらと風に揺れた。


「……お前こそ何者だ。神子(かみご)なのか?」


 洞察するように師範はしわを寄せて目を細めた。


「どういう意味だよ」


 今まで与助に目もくれなかった師範が、その顔をじっと見つめた。


「……山姥(やまんば)の血、ではないな。奇妙な気配をしておって。近いようで遠い。あの女の神秘とはまた別の……」

「何の話だ」

「まあいい。変わった常人は稀にいるものだ」


 と与助から仁慈に目をやり、師範は再び立ち去ろうとする。


「オレの話はまだ終わってねえ」

「下らん。私は武術以外に興味がない。中でも、強者でなければ語るに値しない」

「…………」

「だが、お前は肉体が恵まれている。私が弟子にしても良い程にな」


 胸の中で銅鑼(どら)を打ち鳴らされたような強烈な鈍痛が響いた。それは与助ではなく、仁慈の胸だった。

 

 まだ手合わせすらしていない与助が師範に最大の賛辞を受けた。自分は弟子にしたことを失望されてばかりだというのに。道場に自分の居場所がなくなり、終いにはもう弟子ではいられなくなるかもしれない。そこまで彼の思考は及んだ。


「お前のそれは天分に相違ない。私ならより強靭、より鋭利に鍛えてやれる」

「ちと待てよ。オレには道場が」

「辻斬りに襲われて潰れる寸前ではないのか? 早々に見切りを――」

「――だからこそオレが必要なんじゃねえかッ!」


 迷いのない意志に、師範は僅かに肩を落とした。はなから断られると察していたからだ。形だけでも嘘をついて師範に取り入っておけば求める情報を得られたかもしれない。

 

 だが、与助という男はそういった考えに思い至らぬ人間だった。


「残念だな、お前にとっても。……私の下にいればいずれお前が欲する答えにも辿り着いただろうに」


 師範は去り際にそうを残して道場へ戻っていった。与助が事の詳細を聞き返す時には既に姿はない。仁慈は与助が弟子にならないことを少しだけ安堵しながら、彼の肩を優しく叩いた。

 

 遠くの山々の谷間から朝日が顔を出す。空が白み始めて長い夜が明ける。闇夜が残した冷たいそよ風に吹かれながら、二人は戦場と化した野原から町を見下ろす。


「仁慈。もしまた霊剣騒ぎがあったらオレを呼んでくれ。さっきの話じゃお前の先生は少なからず霊剣と関係がありそうだからよ」

「ああ。……次こそは先生に頼らずとも勝てるように、強くなろう」

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