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君捨て山 ~八姫八君の物語~  作者: 切 実り
序章 燻り(くゆり)
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10話 『私らしさ』

「浅ァい――ッ!!」


 転瞬。荒木は軸足を起点に独楽(こま)の如く身を翻す。反時計回りに回転した力をそのまま、左剣が描く一文字斬りに利用して、〝昇り龍〟を強引に跳ね返した。


 そして続け様に右剣でもって大上段から振り下ろし、仁慈を遠くへと吹き飛ばした。


「回避と攻めが一体となった斬り返し技、か。良き出来栄えじゃ」

「……ッ、気づいてたな!」

「死に際は全霊を超えるものよ。警戒するのは当然じゃ」


 考え抜いた最善策を打ち砕かれ、仁慈の思考が一度止まる。


「惜しかったのぅ。儂の剣を避けた身のこなしもさることながら、まずは片腕を取ろうとしたことに兵法の心得を感じたぞ。……じゃが、先の豪野谷と気迫が雲泥の差よ」


 仁慈は荒木相手に同じ技は無論通用しないと悟るも、あれ以上の策は思いつかない。無闇に斬りかかっても負けるのみ。

 

 死が現実味を帯びるに連れ、仁慈の鼓動が半鐘のように頭に響く。


「意志薄弱の剣ではこの荒木は倒せぬわ」


 荒木は言葉を吐き捨て勝負ありとばかりに、近くの地面に刺した二刀の剣をゆっくりと鞘に収め始めた。


 仁慈は呆然と立ち尽くす。そこへ、歩けるほどには回復した与助が歩み寄る。


「チッ、あの霊剣奪ってやろうと思ったのに取られちまった。オレも霊剣さえあればまだ戦えたかもしれねえのによ」

「…………」

「仁慈。オレ達ゃアイツの力を見誤った。オレは手ぶらだし、正直体が限界だ。剣持つのも両手でやっと。とてもじゃないが勝てる気はしねえ」


 与助が何を言っても仁慈は上の空だった。

 仁慈にとって避けようのない死が迫りくる様は、幼い頃に両親を亡くした大火事の夜とよく似ていた。


「おい仁慈! 聞いてんのか!」

「…………」

「逃げたってあの速さじゃ追いつかれる。アイツを倒さない限り逃げられねえ。道場に誠士はいねえのか? オメェの兄弟子は!」

「いない」

「じゃあ師範は――?」


 言葉が耳に届くと突然仁慈はこれでもかと目を見開いた。


 荒木は少し遠くで与助の剣を地面から抜くと、刃こぼれを目利きのように観察している。その気まぐれによる不確かな猶予に与助は焦る。


「いるんだな? なら師範呼ぶしかねえ! こっからでも道場に向かって叫んだら飛び起きるかもしんねえからよッ!」


 与助にとって助けを呼ぶというのは初めての行為だった。すぐさま自分で叫ばなかったのは、弟子である仁慈が呼ぶ方が確実だからである。だが、一番は無意識に自分が助けを呼んで来てくれる人間を想像できなかったからである。


「……先生。そうだ。なぜ私はそんな大切なことを……」

「だろ?」

「与助、先生をお連れして逃げろ」

「はあ? 何言ってんだ。先生に助太刀してもらうんだろうが。仁慈と誠士の師範ならアイツよりも強いに決まってるはずだぜ」


 仁慈の瞳は輝きを隠して、与助を睨むように見つめて黙る。すると荒木が二人を見据えてゆっくりと歩き始めた。


「父上ッ!! お逃げくださいッ!!」


 もはや悲鳴に近い、怒鳴るような大声。あろうことか仁慈は道場に向かってそう叫び続けた。気が動転した与助が少し間を置いてから彼の首元を掴んで止めさせるまで、四度叫んだ。


「――テメェイカレてんのかッ!? 何してんだよ! 先生が助けてくれなきゃオレ達死ぬんだぞ!!」

「その先生のお命が危険だと言っているのだ」


 与助は言葉を失った。


「与助の逃げる時間は死んでも作ってやるから早く逃げろ。……安心しろ。目が潰れようが、骨が砕けようが、四肢をもがれてもお前が逃げ切るまでは必ずこの場に留めてやる」


 そう言って仁慈は、手ぶらの与助に自らの脇差を渡した。


「絶対に与助の背は追わせない。だから先生をお連れして逃げてくれ。頼む」

「正気じゃねえよ。仁慈らしくねえぞ」

「私らしさとは何だ?」


 死を覚悟した仁慈の眼差しに、与助は上手く言葉が出てこない。


「断じて、先生のご勝利を疑っているわけではない。先生の天下無双の剣術はこの私が一番知っている。だが、傷を負うことすら万に一つもない完璧な御方であったとしても、危険が及ぶのならば私が戦う」

「今の仁慈なら確実に死ぬぞ。でもって先生なら確実に勝てるんだろ? それでも先生に逃げてもらうってのかよ」

「――そうだ。私の確実な死と、先生の万一を天秤にかけた上で、先生の確実なご無事を選んだのだ」


 あまりに異常な判断。だがそれを指摘したところで無意味だと悟った与助は、あえて言葉を呑み込んだ。


「だからって、オレがダチ一人置いて逃げるわけねえだろ」


 脇差を持った与助だとしても今の状態では到底助力にはならない。だが、そんなただの意地に仁慈は負ける。


「死んでも知らぬぞ」

「臨むとこだってーの」


 前へ出る与助に、仁慈は刀で制止を促す。


「とはいえだ。今の与助が戦ってもかえって邪魔になる。間合いの外で隙を(うかが)ってくれ」


 与助は渋々頷く。


 仁慈としても与助がいるというだけで多少は敵の注意が散るという利点はある。だがそれ以上に、この絶望的な状況で友がいるという精神面での利点が大きかった。それが胸に沁みてくると、次第に罪悪感が湧いてくる。

 

(すまない、与助……。私は半分嘘をついた。先生をお呼びしなかったのは、私が助けを求めたところで来てくださらぬと思っていたからだ。出来損ないの私なぞ、要らないのだから)


 荒木は退屈そうに大きなあくびをする。


「……儂をここまで待たせておいて、結局お主らだけか。舐められたものじゃなぁ。呼ぶなら呼ばぬか。お主を指南した武人であれば、興味はあったのじゃがのぅ」


 その時、先刻とは桁違いの殺気が仁慈から放たれた。


「安心されよ。退屈はさせぬ――」


 仁慈が間合いを詰めると、呼応するように荒木も前へ。

 

 剣戟。わずか八秒の内におびただしい数の火花が散る。


 荒木が待たずに迎え撃ったのは退屈な仕合を早々に終わらせるためではない。達人としての嗅覚が警戒を急激に強めたからだ。


 一度全身全霊を砕いたはずだというのに、仁慈の剣は先程までを嘘だと言わんばかりの凄まじいキレを見せる。師を守るという、ただ一つの気概が切っ先を鋭利にした。


「お主ッ、面構えから別人ではないか」

「…………」

「斬ることを恐れるような薄弱の剣であったというのに。今はもう、儂の命しか見ておらぬな――」


 与助の入る隙もない剣技の嵐。


 荒木の双剣の速度を上回ることは難しい。ならば、と仁慈はこれまで培ってきた〝勘〟で軌道を予測し、剣を迎え撃つ。その仕上がりは、寸分違わぬ神業の予知。〝先見の眼〟。


 仁慈は守りに徹するばかりではなく、双剣の完璧な攻守さえ掻い潜って隙を何度も突いていく。それが疾いのなんの。一秒を百に刻む刀捌きで荒木と互角に渡り合う。


(先生は、私の声が聞こえただろうか。ちゃんと、起きておられるだろうか……)


 殺し合いの最中、仁慈はそんなことばかりを考えていた。


(急に逃げろと言われて、人は逃げるものだろうか……。間違ってもここに来てはいけませぬ。どうかご無事で――)


 余所見をしていた訳ではない。眼も身体も全て荒木に向いている。ただ、精神だけが師を気にかけていた。それが仁慈の力を引き出させた。


「初めての殺し合い故か? 格段に伸びておるな、お主」


 技量の凄まじい飛躍を目の当たりにしながら、荒木は至って冷静で、むしろ面白がってすらいた。


「目か、目が良い。勘も良し。何より技の仕上がりがどれをとっても絶品じゃ。ここまでキレが上がるとはな」


 荒木は自然と、仁慈を与助と比べた。腕っ節でいえば無論与助に軍配が上がる。しかし喧嘩と剣の殺し合いは違う。斬るという一点ではなく仕合の流れにおいては、仁慈が一枚上をいった。


 荒木は仁慈が優勢になりつつある流れを断つべく、一度軽く後方へ跳ね除ける。


「お主、斬る理由を見つけたようじゃな」


 その言葉に仁慈がぴたりと止まる。自分が初めて完全なる殺意を持って人に斬り掛かっていることに気がつく。胸騒ぎか、はたまた血が騒いだか。


「明確に殺さなければならぬ理由を見つけたが故の強さじゃ」

「殺さなければならぬ……か」

「儂と戦って死を免れるとは思っておるまい。それでも逃げぬ決死の覚悟、大義がなければできたものではない。平時を生きるお主であればな」

「……先生に拾われたこの命、ならば先生のために死のう。お前を先生の元へ向かわせる訳にはいかぬ。殺せなくとも限界まで傷を負わせてやる」


 仮に自分が荒木に負け、師範と荒木が戦った場合、師範ならば確実に勝てる、という願望混じりの予想が立つ。


 だがその戦いを想像した時、万一の可能性を考えると、仁慈は居ても立っても居られなかった。


「いや、やはりだめだ。……お前はここで必ず殺す」


 (つか)を強く握り締めた仁慈が突撃する。感情で力んだように見えるがその実、動作はしなやかでいて鋭敏(えいびん)。焦りや怒りは精神力になるだけで動作を妨げず、より研ぎ澄ませるのみ。


 そんな仁慈自身が知らぬ天賦の才を、荒木は見抜いた上で恐れた。冷静な判断を下しながら非道の戦術、常人では隙とは思わない死の軌道を相討ち覚悟で平然と選ぶ仁慈の狂気を垣間見たのだ。


 荒木は二刀を攻撃に専念させ、目にも留まらぬ速さで疾風の如く畳み掛ける。斬って、斬って、斬る。


「――儂が甘かった」


 荒木が振るう技の全てが体に触れることはなくいなされ、次第に理解する。鋭い勘で軌道を読まれているだけではなく、仁慈が予め用意した軌道を自分が辿っているのだと。


 仁慈のそれは勘の域を逸脱した、独断の予見に他ならない。荒木はまんまと都合を押し付けられていたのだ。


「お主は奥義に値する――」

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