【第一章】
【第一章】
真夏の夜、まん丸に輝く月の下で、彼女は風を切って飛行していた。
(カレン、聞こえるかい? カレン?)
(……)
(カレン? どうしたんだ? 通じているのか?)
(ええ、そりゃあもうバッチリと)
(ならせめて返答を――)
(敵機ならもう見えてる。数は三。前方十一時方向。高度一五〇〇。機種はヴェルヒルブ帝国製Ⅱ型戦闘機。分かりきったことばっかり言わせないで。気が散る)
(ご、ごめん。でも、もうそこまで見えてたのか)
円形のレーダーサイトを前にして、僕は俯いた。彼女の邪魔をしてしまったか。
(あたしの視力、何だと思ってんの? 夜間だからって見くびらないで、ケンイチ)
(……ごめん)
再度謝罪の弁を述べる。僕はカレンに謝ってばかりだ。だが彼女が矢面に立って、制空権を維持してくれているのだから、文句を言える筋合いじゃない。
この場合の制空権というのは、我らがエウロビギナ共和国の領空防衛の権利のこと。そのために、僕たちはそれぞれ自分にできることをやっている。
僕、ケンイチ・スドウは目を閉じ、組んだ手の上に顎を載せた。ゆっくりと深呼吸をして、作戦遂行中のカレン・アスミと意識を同調させる。
僕たちが行っているのは、ずばり戦争だ。カレンが敵機を落とす。あるいは逆に落とされる。だがカレンが落とされる事態が発生しないように、僕は地上の索敵・管制システムを使って彼女を援護する。
僕の任務はカレンの後方支援。そしてカレンの任務は敵機の撃墜。
しかし、ここで特殊な事情が三つある。
一つ目は、僕たちの通信手段だ。というか、そんなものはいらない。何故なら、俗にいう『テレパシー』というもので、僕とカレンは意思の疎通ができるからだ。
傍から見たら、僕たちは黙りこくっているように見えるだろう。
だが、そんなことで違和感を持たれるかどうかということはどうでもいい。持てる能力は使えるだけ使う。それだけの話だ。思い出したくない過去のことまで想起してしまうけれど。
二つ目は、カレンの戦闘スタイル。彼女は戦闘機になど乗ってはいない。ただ、背面に装備したジェットエンジンと、真っ黒な翼で空を舞っている。要は、生身で飛んでいるのだ。これらの装備一式を、僕たちは『アクラン』と呼んでいる。
この事実は、これまた僕にとっては胸を抉られるような過去が絡んでいる。カレン本人は頓着しない様子で、日々戦闘をこなしているが。
そして最後の一つが『シンクロ』だ。
(これから落とす。ケンイチ、シンクロは済んだ?)
(大丈夫だよ)
自分の意識とカレンの意識とを重ね合わせ、より鋭敏な反射的行動を可能にする。テレパシーの応用とでも言えばいいだろうか。第六感を覚醒させるかのように、カレンがより精確で有利な軌道を取るのに必要な要素だ。
こうして、輪郭のはっきりした月を背景に、カレンは獲物へと食らいついた。
闇夜に潜んで一気に急降下。同時に背中に腕を回し、大口径ライフルを取り出す。自らの身長に近い長さがあり、重量もなかなかのものだが、カレンなら上手くやるだろう。
理由は単純。今までカレンは、どんなエースパイロットよりも多くの戦果を挙げてきたからだ。彼女のために、どれほどの数の敵機を葬り去られてきたことか。
僕がカレンの後方に注意を向けている間に、カレンは発砲した。
ズドォン、という轟音が響き、敵機のコクピットに吸い込まれていく。一方カレンは二機目を狙うべく、ぐるり、と空中でバク転。発砲の反動を綺麗に受け流す。
背後から雲の中に入ると、空気中の水分が加熱された砲身に触れてジュッ、と音を立てた。背部のアクランを短く吹かし、雲の中から飛び出して第二射を試みる。
僕とカレンの読み通り、敵はY字型に展開し、次の銃撃を喰らうまいとする。
一方、初弾を受けた機体は、爆炎と共に空中分解していくところだった。
典型的なレシプロ機。その象徴たる前部のプロペラが外れ、翼はあらぬ方向に吹っ飛び、眼下の荒野へと落ちていく。
エウロビギナ共和国とヴェルヒルブ帝国、そのどちらにしても、ジェット戦闘機の開発には未だ成功していない。もっとも、それはカレンというイレギュラーを除けば、だが。
カレンは次弾を、まるでポップコーンを口に放り込むような調子で発砲した。再びバク転するが、同時に舌打ち。僕は座ったまま狼狽えた。
(は、外れた?)
(砲身が焼けて照準が狂ったみたい。ま、いいけど)
今の発砲で、敵機もこちらの位置を掴んだらしい。機首を上げ、機銃掃射を試みる。しかしその直前、カレンはちょうど一機と交差するように急降下。片方の敵機と接触したかと思われた瞬間、爆炎が広がった。
振り返ったカレンの右腕には、真っ赤な刀身を持つ剣が握られていた。
通称『ヒートブレード』。一瞬で超高温を帯び、接触した物体を融解・蒸発させることで斬り払うという代物だ。
(はい、お終い)
カレンはさも面倒くさそうにブレードを背後に放り投げた。振り返りもしない。
その先にいたのは、カレンの急上昇と急降下に対応できなかった三機目の敵機。今度はエンジンを直撃しなかったらしく、爆炎を上げることもなくゆるゆると落ちていった。
(お疲れ様、カレン。シンクロ、解除するよ)
今度はカレンの了解を取りつける間もなく、僕はカレンとの意識共有から自らを解放した。五感が通信室にいる自分の身体に戻ってくる。十畳ほどのコンクリート打ちっぱなしの空間だ。
「ふうーーー……」
長い溜息をつく。そう言えばここ数時間、喉を使っていなかったな。道理で渇くわけだ、ヒリヒリする。
「ユウジ……ユウジ、そっちはどう?」
「大丈夫、もう敵機はいないよ!」
掠れ声の僕と違い、元気いっぱいといった様子で顔を上げる少年が一人。
ユウジ・ミアン。僕やカレンの補佐役を務める、三人目の人員だ。
丸刈りにした頭に、まん丸で大きな瞳。背丈は僕やカレンより低いが、体格はがっちりしている。それでいて機械の扱いには随分慣れており、そういう意味では頼りになるやつだ。
問題があるとすれば、カレンに恋心を抱いていること。のみならず、それを大っぴらにするのに何の抵抗も覚えない。なんて強靭なメンタルの持ち主だろうか。
僕とカレンは同い年、つまり十六歳だ。それに比べてユウジは十三歳。お互い微妙なお年頃、ということなのだろう。
「はい、ケンイチ!」
「おっと」
ユウジが何かを差し出してきた。湯気の立つマグカップだ。中身はコーヒーだろう。
「サンキュ、ユウジ」
「ああ。俺は先にカレンを迎えに行ってるね!」
頷いてみせてから、僕はコーヒーを喉に流し込んだ。芳醇な豆の香りが口内に広がり、テレパシーを使いまくって疲弊した心身を癒して――。
「ぶふっ!?」
「やーい、引っかかった!」
「ユウジ、こ、これって……」
「砂糖じゃなくて、塩を入れといたんだよ! お味はいかが?」
「お、おい待てよユウジ!」
僕がユウジを追って出ようとすると、脳裏にテレパシーが入ってきた。
(ちょっと、あたしが帰投するまでが作戦でしょ? ふざけないでよ)
(あー……ご、ごめん)
まったく、今日だけで何回カレンに謝っているのやら。
※
地下一階の管制室から階段を上がると、すぐ目の前がエントランスになっている。といっても、そう豪勢なものではなく、やや狭く設計された防弾ガラス製の扉があるだけだ。
そのすぐそばには、対戦車ライフルやらグレネード・ランチャーやらといった物騒なものが並んでいる。
僕が目的のもの、すなわちペンライト状の誘導灯を手にしようとした時には、それは既にそこにはなかった。犯人は明らかだ。
「おい、ユウジ!」
「何だよケンイチ、まだコーヒーのこと根に持ってる?」
「違う! 誘導灯だ! それは僕の役目だぞ」
「はあ?」
一体誰が決めたんだよ、と唇を尖らせるユウジ。だが、僕はすぐにその反論を封じることができた。
「だって、カレンを正確に誘導するにはテレパシーが使えた方がいいだろう?」
「うっ」
毎回言ってるじゃないか、と追撃。
そう、僕とカレンは特別なのだ。望むと望まないとに関わらず、僕とカレンのテレパシーの間には他者の介入を許さないしたたかさがある。
この『テレパシー』という能力。自分の死を覚悟し、それを乗り切った人間たちのうちで、ごくわずかな確率で発現する能力らしい。そのメカニズムは今もって解明されていないが。
まあ、そんなことを考えていても仕方がない。僕は誘導灯をユウジの手から強引に引き取り、エントランスドアから真夏の夜気へと身を晒した。
(カレン、君から見て十一時方向。誘導する)
(だから見えてるっての)
(……)
また『ごめん』という言葉を繰り返すのも癪なので、僕は心でも口頭でも沈黙を保った。
やがて僕の方からも、カレンの姿が見え始めた。
最初に目に入ったのは、満月を背景にした黒点。それが段々と大きさを増し、ついには真っ黒な両翼を広げた人型を形作っていった。
僕は緑色の誘導灯を両手に一本ずつ持ち、左右に大きく振ってみせる。それに応じて、カレンも徐々に速度を落としていく。
やがて、カレンは装備していたアクランの出力を弱めていった。ボッ、ボッという音と共に、身体各所に装備したブースターの灯が消えていく。
同時にばさりと両翼を羽ばたかせるカレン。綺麗に減速し、片足から地面に下り立つ。
その姿は、見る人によっては天使の降臨にでも見えるのかもしれない。月光を背負った神々しい姿の天使――いや、黒いから堕天使か。
しかし実際のところ、それは天使でも堕天使でもない。神の使いに喩えられるほどの可愛げは皆無。
十六歳にして数十機の戦闘機とそのパイロットを斬り落としてきた少女に、そんな温かな感情を持てという方がどうかしている。
だが、そんな僕の個人的見解から逸脱した人物が一人。たった今、僕のそばからカレンに向かって駆け出した。
「おかえりなさい、カレン!」
「おいユウジ! 今はまだエンジンの冷却が済んでない! 危ないぞ!」
「ちょこっと火傷するくらい平気だよ!」
両足の裏を地面につき、カレンはゆっくりと片膝を立てるようにしてしゃがみ込む。その手には、把手のついた真っ黒い箱がある。
それを見届けた直後、カレンの全身、主に背部から真っ白い蒸気が排出された。
「うわっ!」
白煙に巻かれるユウジ。まったく、言わんこっちゃない。
「ユウジ、大丈夫か?」
僕が声を上げると同時、白煙はあっさりと霧散した。そこにいたのは、立ち上がって翼を背部に格納するカレンと、大口径ライフルを手にしたユウジ。
「おっとっと……。カレンは凄いね、いっつもこんな重い武器で戦ってるんだから!」
カレンの機嫌を取りたいのだろう、ユウジはそう言いながら危なっかしい足取りでエントランスに入っていった。
「お疲れ様、カレン」
僕もカレンに労りの言葉をかける。もちろんそれで彼女の仏頂面が緩むはずもなく、僕に先ほどの黒い箱を押しつけてきた。こちらに一瞥もくれない。
礼の一言くらい言ってくれればと思うのだが、それは無理な相談だ。
カレンは、声を出すことができない。
そのきっかけは僕のあずかり知らぬところだが、初めて会った時からずっとそうだ。何かトラウマになるような、強烈な体験をしてしまったのだろう。
だが耳が聞こえないわけではない。よって僕は、作戦時以外は大抵口頭でカレンに話しかけることにしている。テレパシーばかり使っていると、どうにも肩が凝る。
「ああ、さっき放り投げたヒートブレード、ちゃんと回収してくれたんだね」
(三十八口径のオートマチック拳銃を二丁。次回作戦時から装備に追加)
「あ、うん」
まあ、拳銃くらいお守り代わりにはなるだろうが。
「カレンもヒートブレードが高価な武器だって分かってるんじゃないか。わざわざ回収してくれて――いてっ!」
足の甲に鈍痛が走る。カレンに思いっきり踏みにじられていた。
「ちょっ、何するんだよ?」
(あたしに文句言ってる暇があるなら、さっさとボックスの中身の解析を本部に依頼して頂戴)
「ああ、分かってるよ……」
カレンの言う『ボックス』。それは、彼女がブレードと共に回収してきた例の黒い箱のことだ。そもそも、ブレードよりもボックスの方がよほど重要な拾得物なわけだけれど。
そのボックスの正体は、敵軍の機密情報を記録したデータ保存機材だ。一片が三十センチほどの立方体で、艶のある黒色をしている。重さは約一・五キロといったところか。
今回のカレンの作戦目的は、領空侵犯を犯した敵機の迎撃。それと、そいつらが運んでいたボックスの回収にあった。
つまりその両方を達成したという意味で、カレンは見事に任務を果たしたわけだ。
ちなみに、ボックスは高度二〇〇〇メートルから落下したはずだが、傷一つついていない。僅かな凹みも見受けられない。まったく、頑丈なものである。
「ねえカレン、夕飯にしよう! ちょっと遅くなっちゃったけどさ! ほら、ケンイチのことなんて放っておいて」
何を勝手なことを、ユウジのやつめ。
「お生憎様、カロリー摂取用の飲料ゼリーしか残ってないぞ」
「え? ええ!? せっかくカレンと一緒にご飯が食べられると思ったのに!」
「明日にはアラン大尉が来てくれる。食料と飲料水、諸々の機材の搬入ができるから、それまではゼリーで我慢しろよ」
「うう、ケンイチは薄情者だなあ……」
多少意地悪が過ぎただろうか? だが、実際飲料ゼリーしかないのは確かだ。
(ケンイチ、地下二階の資材倉庫に来て。アクランの取り外し、あんたがいなきゃ始まらないでしょ)
「ああ、そうだね」
「ちょ、ちょっとちょっと! ああそうだねって、何を話してるのさ! 俺はテレパシーが使えないんだよ? 話の内容、教えてよ!」
そう言って追いすがるユウジ。だが、そんなユウジをカレンは一瞬で宥めてしまった。軽く頭を撫でてやったのだ。
「あ、ありがと、カレン……」
顔を真っ赤にして俯くユウジ。カレンとて分別のある人間だ。こうやって対処するのが一番手っ取り早いと思っただけだろう。
ぼんやりしたままリビング兼ダイニングに歩いていくユウジの背中を見送り、僕はカレンに続いて地下への階段を下り始めた。
※
僕たちがいるのは、いわゆるゲリラ基地だ。鬱蒼とした木々に囲まれている。
地上一階、地下三階の構造となっているが、地上部分は屋上に配されたレーダーサイトの調整に使う程度。管制室や各人の部屋、その他生活空間は地下一階にある。
地下二階は、カレンの言う通り資材倉庫だ。と同時にメンテナンスの場所でもある。
地下三階は広大な空間になっていて、カレンが自らの新装備やアクランの簡単な試験飛行ができる。といっても、精々高さ五メートルが限度だが。
などと考えているうちに、僕はカレンに続くようにして地下二階の資材倉庫に辿り着いていた。
(早く外して。今日はシャワー浴びたらすぐに寝るから)
「はいはい」
ぐいっと背中を向けてきたカレンに、僕は応じる。彼女の立ち振る舞いに緊張感は皆無。
いくら本人にとって余裕の戦闘だったとはいえ、カレンは命の遣り取りをしてきたのだ。彼女が無事だったというのに、戦闘終了後も緊張感を保てというのは無理な相談だ。
さて、初めに行うのは翼の脱着。
比較的安全な地域では未だに学校がその機能を果たしており、そこに通学する子供たちは『ランドセル』なるものを背負って移動するという。どうやらそれの脱着と、カレンの翼の取り外しは似たようなものらしい。
先ほどよりは随分と静かな勢いで、白煙が吐き出される。
次は翼の間にある酸素供給ユニットだ。これは高高度での戦闘を想定し、カレンの呼吸を補佐するもの。本人はつけたがらないが、いざ息苦しいとなった場合には付属のマスクを装備し、人工呼吸器として活用する。
残るはアクラン本体。背部、腰部、脚部に装備された計五つのエンジンを外すことになる。
(何を考えてるの、ケンイチ?)
「えっ?」
カレンに指摘されるまで、僕は自分で自分が何を考えているのか見失っていた。
なんとかして、人語に翻訳する。
「いや、あんなに銃弾が飛び交ってるのに、よく無傷でいられるなと思って」
シンクロしていたから分かることだが、あれほどの機関砲の前に身を晒しながら掠り傷一つ負わずに帰投したことは、まさに奇跡だ。一体どれほどの意志の力を以てすれば、こんなことが可能なのだろう。
しかし、僕の沈黙をカレンはそうとは受け取らなかった。
(何? あたしをいやらしい目で見てるんじゃないでしょうね?)
(は、はあっ!?)
これには驚いた。というかう思いっきり狼狽えた。
僕とカレンは飽くまでも戦友だ。それ以上でもそれ以下でもない。そこに男女間の何某かの感情の入る余地はない。
僕の好みはさて置くとしても、カレンは正直、美少女に分類してもいいと思う。
切れ長の瞳は強い意志、不屈の精神を宿し、鼻筋もすっと通っている。口元は控えめだ。
アクラン運用のために肩口で切り揃えられた髪は、活動的な印象を与える。
スポーティともアグレッシブとも言える外見だ。
性格的な面を含まれば、彼女の一番の特徴は『攻撃的である』ということになると思う。
もちろんこれは、今のような戦時においては重要なことだ。見た目からして柔な人間が、これほどの戦果を挙げられるとは到底思えない。
そんなことを考えつつも、彼女にとって穏やかな日々が訪れてほしいと願う自分がいることも、僕には自覚できるところだった。
そんなことをぼんやり考えていると、手つきが疎かになったらしい。すぐさまカレンの強烈な回し蹴りが僕の頭部を粉塵にせんと迫ってきた――直撃。
「がぼっ!?」
(何油断してんの? っていうか、この時期に穏やかな日々なんて考えてる場合?)
ううむ、流石にカレンも外見に全く気を配っていないわけではないらしい。だが、僕は純粋に願うところを思っただけだ。
側頭部を押さえながら、やっとこさ立ち上がる。眼前には、腕を組んで殺人的な視線を寄越すカレン。それでも僕は、今の呑気な発言を撤回する気にはなれなかった。
(ちょっと、立ったまま死んだわけじゃないんでしょ? アクランの残りのパーツ、さっさと外してくれる?)
人を蹴りつけておいて何を言うか。正直僕は怒り心頭だった。しかし、やはり戦ってくれているのがカレンだという事実は変わらない。そう思って、僕は素直に彼女に従うことにした。
僕は片膝を立てるようにして腰を下ろし、背を向けたカレンの背部と腰部、それに踵のジェットエンジンを外した。もう何百回と繰り返してきた所作だ。
「外したよ」
(それじゃ)
それだけ伝えると、カレンはさっさと階段を上っていってしまった。
礼の一言? そんなものを期待するほど、僕は自惚れてはいない。いや、カレンの優しさに対して期待をしていない、というべきか。
七年前の『あの日』、僕はこれ以上ない優しさをカレンから授かっている。それだけで十分だ。
すると、予想外のことが起こった。カレンの足音が止まったのだ。
その違和感に、僕もエンジンを格納する手を止めて振り返る。立ち上がって階段の方を覗き込むと、カレンの背中が目に入った。同時に下りてくる小柄な人影も。
その正体を察し、僕は声を荒げた。
「おいユウジ! 格納庫は立ち入り禁止だと言ったはずだぞ!」
「ずるい! ケンイチはずるいよ!」
「お前、何を言ってるんだ?」
「自分だけカレンと二人っきりだなんて! 怪しい!」
「あ、怪しい……?」
どういう意味なのかと尋ねるより早く、ユウジは言い放った。
「どうせ二人でイチャイチャしてるんだろ!」
吹き出す僕。固まるカレン。
「どうなんだい、二人共! 答えられない? 返事ができない? ほーら、やっぱりだ! 何かあると思ってたんだよ! カレンが出撃する度に、帰ってきたら地下に直行! そして俺だけ立ち入り禁止だろ? 怪しいったらありゃしない!」
あまりにも突飛な考えに、僕の脳みそが再起動するのにしばしの時間を要した。
「誤解だ、ユウジ! 馬鹿なことを言うのはよせ!」
「そんなこと言えるのか、ケンイチ! 馬鹿って言う方が馬鹿なんだぞ!」
って、そうしたらお互い様じゃないか。僕はなんだか疲れがどっと出て、深い溜息をついてしまった。
ユウジを格納庫のある地下二階に入れないのには、ちゃんと理由がある。何でもかんでも触りたがるからだ。
僕とカレン、それにユウジがこの基地に配属になった当初。ユウジは幼いながらにカレンの装備品を弄び、ジェットエンジンの出力設定を滅茶苦茶にしてしまった。
もし僕がそのままカレンの出撃を許していたら、僕たちは基地の壁ごと木端微塵になっていたはずだ。僕の注意深い(カレンに言わせれば臆病な)性格の美点が発揮された瞬間でもある。ちゃんと出撃前の確認を怠らなかったのだから。
まあ実際のところ、その件でユウジの手先の器用さが証明されたとも言える。この件を受けて、僕たちの親代わりであるアラン・マッケンジー大尉は、『せめてレーダーの整備くらいは任せてやってもいいのでは』と勧めてきた。
僕たちそれぞれの命の恩人である大尉に言われては、少なくとも僕には反論の余地はない。
結果、地上設備はユウジが、地下の装備品は僕が整備するということで決着がついた。
……はずだったのだけれど。
「なあケンイチ、俺だってずっと子供じゃない! ちゃんとアクランの整備もできるんだ! 銃器のメンテナンスだって、エアコンの調整だって、冷蔵庫の修理だって! それなのに、どうして俺にカレンの装備品の整備を任せてくれないんだ? やっぱり二人っきりになる口実を作るために――」
そこまで言われた時、僕はテレパシー下で凄まじい熱が膨れ上がるのを感じた。
「カレン、よせ!」
直後、ぼこっ、という鈍い音がした。
これは、二人の間に起こった一種の悲劇だ。カレンは感情の表し方を知らず、ユウジは彼女の怒りの度合いが分からない。結果、カレンに頭部を掴まれ、壁に叩きつけられることとなった。
こんな状況を正確に把握できたのは、恐らく僕だけだ。
「ぐ、あ……」
「ユウジ! 大丈夫か! おっと……」
僕は階段を駆け上がり、倒れ込むユウジを支えた。危うく僕まで背後から落下するところだった。
「やりすぎだよ、カレン!」
(……)
あれ? どうしたんだ? いつもの彼女ならウザいとか邪魔だとか、そのくらいのことはテレパシーで発信するだろうと思っていたけれど。
ユウジがテレパシー能力者ではないから、能力を使わないでいるだけだろうか? でも、ここで怒りを露わにすることは、僕を通してユウジを牽制することにもなる。何故そうしない?
(カ、カレン……?)
(やりすぎた。ユウジには代わりに謝っといて)
それだけ言って、カレンは重いとコンバットブーツの音を立てながら、階段を上っていってしまった。
僕の腕には、白目をむいて気を失っているユウジ。
「階段に置くわけにはいかないよな……」
僕は自分の非力さを恨みながら、どうにかユウジを抱えて階段を下り、非常用の寝袋の包みを枕代わりにして寝かせてやった。
「まったく、無茶するんだから……」
ふと、自分たちの年齢が脳裏をよぎった。まるで、その未熟な年数を思い出してくれとでもいうかのように。
「そうか。そうだな……」
僕とカレンは十六歳、ユウジに至っては十三歳。僕はともかく、ユウジはまだ甘えたりない年頃なのかもしれない。
僕はユウジの瞼を閉じてやってから(縁起でもない所作だな)、開戦から現在までの戦況について考えを巡らせた。
※
事件は僕やカレンが産まれて三年後、十三年前の春先に起こった。僕たちのいるエウロビギナ共和国に対し、国境を接するヴェルヒルブ帝国が宣戦を布告、軍を東進させ始めたのだ。
戦争の目的は、エウロビギナの領海にある油田を確保するためだと言われている。あるいは、さらに東部の海峡を挟んだ第三国に圧力をかけるのが目的だったとも。
ヴェルヒルブ軍は破竹の勢いで進撃し、エウロビギナを圧倒した。開戦後、三ヶ月までは。
その後に何が起こったのか? それは、エウロビギナの戦略的方針転換だ。
一言で言えば、ゲリラ的な戦闘形態の展開。正面切っての戦闘を回避し、緻密な情報網と迅速な小規模部隊の派兵能力を活かした奇襲。
この起伏に富んだ地形を知り尽くしていたエウロビギナ軍は、さらに地の利があるのをいいことに、凄まじい反撃を見せた。
また、戦闘機の開発に注力したのも、大規模都市に空爆を行うというヴェルヒルブの戦法を押さえ込むのに大きく貢献した。
その一つの特異な、そして完成系が、カレンの装備するアクランというわけだ。
こうも偵察機や対空戦闘機をバッサバッサと落とされては、ヴェルヒルブ側も制空権がどちらにあるのか分からないだろう。
開戦から十三年。国境線はエウロビギナの西側三分の一を侵食し、しかしそこでぴたりと止まっている。まるで、時計の針が固定されてしまったかのように。
※
自分の瞼が微かに震えるのを感じて、僕は思索の沼から這い出した。
視界の中央には、気絶したまま眠ってしまったユウジの顔がある。
ああ、そうか。こいつはずっと『平和』というものを実感できずに生きてきたのだ。産まれた時には既に開戦していたのだから。
「まったく、気の毒になあ」
僕にもカレンにも、『平和』を享受した時期があった。あまりに幼かったがために記憶にないだけで。
しかしユウジが産まれてからというもの、ずっとこの世界は暴力に染め上げられてきた。狂気に溢れてきていたのだ。他人事ながら可哀そうだな、と思う。
そんなユウジを、この地下二階の冷たいコンクリートの床に寝かせておくのは流石に気が引けた。
「……なんとか地上一階までは運んでやるか」
そう呟いて、僕は目の前にせり上がったコンクリートの段差の群れを睨みつけた。
※
「はあ、はあ、はあ……」
高鳴る鼓動を抑えきれぬまま、僕は階段を下りていた。ユウジを一度、地上一階に運び上げてから、地下一階に戻る途中のこと。
腕は痺れ、肩は震え、呼吸は荒くなっている。ユウジ本人は……まあ、ダイニングのソファに寝かせてきたから大丈夫だろう。
僕がわざわざ地下一階に戻る理由。それは、明日の予定についてアラン大尉と話し合うためだ。
無線機の前に腰かけた僕は、一度大きく深呼吸をしてから暗号通信受信機に目を遣った。作動していない。どうやらこのまま、非暗号通信で話して構わないらしい。
僕はマイクを引き寄せ、いつも通りにダイヤルを捻った。
「こちらエア・ストライクD-4、こちらエア・ストライクD-4、空軍付ゲリラ通信本部、応答願います」
《……らつうし……んぶ、こちら通信本部、通信を受諾しました。エア・ストライクD-4に、アラン・マッケンジー大尉をお繋ぎします》
「お願いします」
しばしの沈黙と、ザザッ、という幾度かのノイズ。僕が耳を澄ましていると、ドスの利いた重低音がその鼓膜を打った。
《おう、ケンイチか!》
「お久しぶりです、アラン・マッケンジー大尉」
《ああ、ケンイチ・スドウ曹長と呼ぶべきだったか。いやあ、すまんすまん》
「大丈夫ですよ、そんなことは気にしなくても」
僕にとっては耳に馴染んだ声だ。しかし初めて大尉の声を聞いた人が会話をしろと言われたら、きっと竦み上がってしまうだろう。素手で大熊とじゃれ合うようなものだと思ってしまうに違いない。
そんな気迫が、このアラン大尉という人には宿っている。僕のような後方支援要員には想像もつかないような地獄を、大尉は経験してきているはずなのだ。
現在は地理的な知識と豊富な経験、それらを活かして空軍付ゲリラの部隊指揮を執っている。しかし、元は陸軍特殊部隊の敏腕隊員だったそうだ。
その頃の話をしてくれないところから察するに、きっと僕たちは知るべきではないと配慮してくれているのだろう。それでいて、僕たちには明るく接してくれている。これはやはり有難いことだと言うべきなのだろう。
《で、どっちから話す? ん?》
「じゃあ、僕から。カレンが敵のⅡ型戦闘機三機を撃墜、その隊長機からボックスを一つ回収しました」
《こちらの損害は?》
「零です」
《うむ、了解した。次はこちらからだな》
無線機の向こう側で、大尉が一息つく。ゴウッ、と暴風に晒されるような気分だ。
《明日の俺の現着予定時刻は〇九〇〇、変更なし。輸送貨物の総量はざっと五百キロ。食料、水分、生活必需品を三人分だ。なんとか一ヶ月、それでもたせてくれ》
「分かりました」
平然と答えつつ、僕は内心落ち着かないものを感じていた。また腕が攣りそうになるな。
《ところでケンイチ》
「はい、何でしょう?」
僕が語尾を上げて尋ねると、大尉は思いがけないことを言い出した。
《カレンとの関係はどうだ?》
「えっ?」
《おいおい、そんな情けない声を出さないでくれ。俺だって多少気にはなるさ。彼女を何とも思ってないなんて、寂しいことは言わないでくれよ?》
「あ、ま、まあ……」
そういえば、考えたことのない部類の話題だった。当然、訊いたことも訊かれたこともない。誰からも、誰に対してもだ。
大尉が無線機の向こうで、にやりと口元が歪むのが見えるようだ。
僕はこの手の話題が苦手なのだが――日頃の大尉の面倒見の良さに免じて正直に答えることにしよう。
「カレンとの関係と言えば、作戦時を除けば食器の片付けの時に手が触れるくらいでしょうか。今日は味気ないチューブ型の食事でしたけど」
《で、間接キスでもしたか?》
「ぶふっ!?」
僕は盛大に吹き出した。
「そっ、そそそそんなわけないでしょう!? 無線切りますよ!」
《ああ、すまん。悪かったよ、俺の負けだ》
「負け?」
《そうだ》
ふざけ半分の会話だったとはいえ、大尉の声には微かな弱音が滲んでいるような気がした。彼にしては珍しい。
《おい、ケンイチ? 聞こえているか?》
「すみません、ちょっと考え事を」
《ふむ、お前もか》
「お前も、ってことは、大尉も何か考えていらしたんですか?」
《ケンイチ、俺だって人間だぞ。脳みそまで筋肉でできてるわけじゃない》
「ですよね」
再び鼓膜を震わせる、無線越しの溜息。だがそれは不快なものではなかった。
《妙なことを言うようだがな、ケンイチ。俺はお前に感謝してる。カレンとは無線では話せんし、ユウジはこんな話をするにはガキ過ぎる。お前くらいの若いのがいてくれて、助かってるんだ》
「何ですか、こんな話っていうのは?」
《若いもんが元気に生きてるってことだよ。これが戦場でなけりゃ最高だったんだがな》
「何言ってるんですか、大尉。あなただって歴戦の猛者でしょう?」
《それでも老けたな、もうじき四十だよ。まったく、年は取りゃあいいってもんじゃないらしい。って、こんな話は流石のお前さんにも早すぎたか?》
「かもしれませんね」
思わず僕は口元が緩んでしまった。雰囲気からするに、大尉もきっと同じだろう。
《それじゃ、明日そちらに向かう。中型トラック一両だ。荷物を搬入する時には、お前にも働いてもらうからな。腕立てでもして鍛えとけ、ケンイチ》
「分かりましたよ、大尉」
《では、通信を終了する》
「はッ」
スピーカーがノイズを吐き出し始めたところで、僕は無線機を切った。
腕立てか。腕を鍛える運動なら、今日はもう十分やった気がするのだが。
※
「……」
結局のところ、僕はここにやって来ることになった。
地下三階の訓練区画。五メートルの高さと十メートルの奥行きを描くように地面からくり抜かれた、無機質な空間。
腕の痺れはだいぶ収まってきた。それに大尉にあんなことを言われては、自分も何かしなければならないという気にもなる。
大尉には、僕に義務感の押し売りをするつもりはなかっただろう。だが、僕は気にかかった。そして再び囚われた。『カレンばかりに戦いを押しつけていいのか?』という疑念に。
できることなら、僕だって戦いたい。いつまでもカレンだけに戦わせておくわけにはいかない。
僕も家族離散の原因を作ったヴェルヒルブを憎んでいる。だが、憎らしく思うことと恐ろしく思うこととは別問題だ。
戦闘に巻き込まれることなど、恐ろしくなんてない。
しかしそれは、もしかしたら僕が実際の戦闘に巻き込まれたことがないからこそ言えることなのかもしれない。また、この思考回路の中でも、カレンという後ろ盾があるから強がっていられるという部分はあるかもしれない。
「カレンが後ろ盾、か」
そう呟いてみて、ふと先ほどの大尉との通信が頭をよぎった。カレンとの関係性の件だ。すると、途端に僕の脳内は霧が立ち込めたようになった。
分からない。よく分からないのだ。
僕はカレンにとって、どんな存在でありたいのだろう? カレンとの未来をどう思っているのだろう? カレンをどうしてあげたいのだろう?
待てよ。どうしてあげたいか? 決まっている、カレンを援護したい。そう、それだ。だからこそ僕は地下三階にやって来たのだ。
僕にはアクランを操縦できるほどの身体能力はない。できることと言ったら、精々銃撃だろう。
「よし……」
僕は数回、自分の頬を叩いた。そうして手にしたのは、二十二口径のオートマチック。小振りな拳銃だが、これでさえ僕は扱いに自信がない。なんとか使えるようにしなければ。
目の前のテーブルに拳銃を置き、耳栓代わりのヘッドセットとゴーグルを装着。再度拳銃を手に取り、弾倉を叩き込んで初弾を装填。セーフティを解除し、向かいの壁面に描かれた人型の的に狙いをつける。
「ふーーーーーーーっ……」
響いた音は二種類で二回ずつ。パンパン、という発砲音と、チリンチリン、という薬莢の落下音。それだけ。
的を掠りさえすれば、短いアラームが鳴るはずなのだが。弾丸は的を外れ、その背後の衝撃吸収壁に無音でめり込んだのだろう。
僕は残りの十三発も発射したが、結局アラームは一度も鳴らなかった。
「やっぱり僕に戦闘任務は無理、か」
いや、単発で駄目なら弾幕でも張ってやろうじゃないか。
と、いうのはとんだ素人考えであり、愚策である。だが、僕は少しでも戦闘任務に備えていたかった。
拳銃から空の弾倉を抜き、セーフティをかける。それを元の位置に戻してから手に取ったのは、これまた小振りの自動小銃だった。
小振りといってもバレルは長いし、弾倉にはかなりの数の弾丸が込められている。両腕と右肩の三点で銃身を支えるのがやっとだ。
僕は拳銃の時と同じ課程を経て、引き金に指をかけた。だが、発砲するには至らなかった。
「これで撃ったら肩外れちゃうよ……」
全く以て情けない限りだが、僕は銃撃訓練を止めた。明日は働きづめになるのだろうから、今は体力の温存に努めるべきだ。
先ほどまでの義務感が、僕の中でいかに柔なものだったのかが露見してしまう。
だが、僕だって人間なのだから限界というものがある。
適地適作。適材適所。僕は所詮、カレンの後方支援に過ぎないのだ。
一つ解決策はあるが、それは明日『例のもの』を大尉が運んできてくれるまでは意味がない。
待てよ。無線で大尉が弱気だったのは、その危険極まりないものを僕に与えることに抵抗があったからか? そこまでは流石に推測の域を出ない。
「僕だって戦おうとすれば――」
そう言いかけて、僕は言葉を止めた。他力本願であること甚だしい。それに、額から流れ出る汗が鬱陶しい。
腕で無理やり汗を拭い、自動小銃をこれまた拳銃の時と同様に安全に収納した。
「シャワー浴びよう」
自分の無力さを思い知って、どっと疲労感に圧し掛かられる。そんなことを思い、前襟をぱたぱたと揺らしながら、僕は階段を地下一階まで上っていった。
※
眠りに落ちかけていた僕の脳みそを、警報音が揺さぶった。
即座に意識が覚醒し、非常時体制に移行する。ここはゲリラ基地であるため、大きな音を発信することはできない。その代わりに鋭利な金属音が響くようになっている。
僕は何も言わずにベッドから飛び起き、他の二人と連携を取る。
まずカレンと意思疎通を図らなければ。僕は思念を送ろうとしたが、彼女の方が早かった。
(ケンイチ、遅い)
(あっ、ごめ――)
(ソファで寝てるユウジはあたしが起こす。あんたは早くレーダーサイトに)
(了解)
僕は速足で廊下を渡り、通信室へ飛び込む。室内は真っ赤な非常灯が点滅していて、否応なしに緊張感が込み上がってくる。
恐らく敵機の迎撃には十分間に合うだろう。だが問題は、こちらの警戒空域に敵機が侵入するまで、その存在に気づけなかったということだ。いわゆるステルス性能を持ち合わせているのかもしれない。
そんなことを考えながら、僕はレーダーサイトの座席に就いて機材を起動させた。
緑色の円が展開され、非常灯が黙り込む。するとそれとは別の警報が耳朶を打った。
「機影は一つ。機種は……不明?」
どういうことだ?
(ケンイチ、状況は?)
(ちょ、ちょっと待ってくれ。こいつは今まで君が交戦したことのない機種だ。どんな兵装を積んでいるのか分かってからでないと、迎撃に出るのは危険だよ)
(ビビるのは夢の中だけにして。臆病者)
正直、その言葉にはカチンときた。僕が臆病者だと?
カレン、一体君は誰のお陰で戦っていられると思っているんだ? そう伝えてやりたいのは山々。だが、僕は辛うじて怒りを喉元から押し下げた。
(了解。アクランを装備するから、地下二階へ)
(もう着いてる)
(分かった)
冷静であれ。そう言い聞かせながら、僕は階段を下りていく。すると待ち構えていたのはユウジだった。階下で仁王立ちになり、僕にぴしりと指を突きつける。
「遅いぞ、ケンイチ!」
しかし、臆病者呼ばわりされた僕には余裕がない。
「黙ってろ。お前に構ってる暇はない」
「え?」
「カレン、装備はどうする?」
ユウジを肩で弾き飛ばし、ずんずんとカレンに歩み寄る。カレンもこちらに背を向ける。
(さっきと同じ。大口径ライフルの調整は済んでるんでしょうね?)
(もちろん。でなければ出撃許可は出さないよ。いてっ!)
カレンに踵で膝下を蹴られた。何するんだよ、と声を荒げそうになる。だが、僕は再び怒りを露わにはしなかった。僕の方がカレンより階級が上であり、冷静な判断が求められるからだ。
カレンの階級は上級軍曹であり、曹長である僕より僅かに下。
これは大尉の采配であり、僕に非はない。だが、どうもカレンはこの現実に我慢ならないらしい。
ちなみにユウジは更に下の伍長だ。
それでも考えてみれば、今の僕はカレンの独走に付き合おうとしている。あの『臆病者』という一言に、上手く乗せられてしまったのかもしれない。
しかもその汚名を返上するだけの手段を、僕は持ち合わせていない。今できるのは、粛々とカレンに武装を施してやること。それだけ。僕だって冷静ではいられなくなるかもしれない。
「アクラン装備良し。翼部接続良し。全火器、装備異常なし!」
僕は指さし確認をして、カレンの肩を叩く。急いで横に飛び退くと、カレンは振り返って二段飛ばしで階段を上がっていった。
僕とて決して暇ではない。カレンを誘導するため、レーダーサイトのある管制室に向かわなければ。
ユウジがゴネたらぶん殴ってやろうと思っていたが、彼は黙して僕たちを見送った。声かけを躊躇われるほど、カレンが殺気立っていたということだろう。
僕は地下一階の管制室へ、カレンは地上一階から大空へと向かう。僕も思念を送ることは控えた。たかが言葉で彼女が落ち着きを取り戻すとは思えない。
それに、階級が上だとは言え、どうせ僕のような後方支援要員の言葉などカレンに届きはしない。
生きている世界が違うのだ。情報網を駆ける僕と、航空戦に身を置くカレンとでは。
何だか自分がひどく卑屈になっているような気がしてきた。だが、別に評価が欲しいわけではない。名声を得たいわけでもない。自分の非力さが悔しい、それだけだ。
つい先ほどまで同じ考えに囚われていたことを思い出し、僕はぶるぶるとかぶりを振った。
これでは、まともな誘導支援は困難だ。落ち着け、ケンイチ・スドウ。お前にしかできないことは、確かにあるはずなんだ。
(カレン、もうシンクロしてもいいね?)
(早い。あんたが疲弊する)
(構いやしない。今は非常事態なんだ)
(勝手にすれば?)
(了解)
僕は目を閉じ、すっと深呼吸をする。すると、視界と聴覚、それに触覚の一部がざわり、と波打った。夏の虫がBGMを奏でる中、夜空を見上げ、ややひんやりとした風を頬に感じる。カレンの体感を共有したのだ。
カレンが背中から腰、足元へと力を入れていくと、アクランがゴオッ、と火を噴いた。あたりに熱を帯びた光の環が広がり、微かに足の裏が地面から離れる。
ばさり、と両翼を展開し、カレンは躊躇なく、しかし慎重にエンジン出力を上げた。
たちまち視界が夜闇と同化し、下方へと流れ去っていく。一旦斜め前方に飛び上がっていったカレンは、大口径ライフルをがしゃり、と構え直した。
僕は一旦、視界を自分自身のそれに切り替える。敵機の方位と高度を確認し、再び感覚をカレンと共有した。
(敵機はやや大型、でも爆撃機にしては小柄だ。方位二時、高度三五〇〇。警戒して)
カレンは無言。言われなくとも、というところなのだろう。
しばしの間、月明りを反射する雲を抜けて飛行を続ける。
(方位よし、高度変わらず。迎撃態勢に入ってくれ)
無表情のままカレンは唇を湿らせて、翼を巧みに震わせて滞空体勢に。その視界の中央には、既に敵機が捉えられている。
(コイツは……)
(カレン、距離を取るんだ。相手の出方を見よう)
そう念じた直後、僕は、そして間もなくカレンも驚嘆した。
(なっ! カレン、目標から小型目標分離! 高速で接近中!)
これは、まさか。
(カレン、ミサイルだ!)
(ッ!)
そんな馬鹿な、というのが僕たちの一致した見解だった。戦闘機に搭載可能なミサイルなど、今はまだ開発されていない。
逆に言えば、ついさっき開発に成功して、実証試験を行うためにわざわざ領空侵犯をしてきた可能性がないとも言い切れない。
ミサイルとは、いわば操縦可能な弾丸だ。もちろん通常の機関砲よりかさばるし、搭載可能な弾数などたかが知れている。
だが、たとえ外れても強制的に起爆させることで広範囲を制圧できる。それに、ミサイルそのものが推進剤を搭載しているから、かなり遠方からの攻撃が可能だ。
航空白兵戦という独自のスタイルで戦うカレンにとっては、天敵といってもいい。
発射されたミサイルは一発。僕は再びシンクロし、管制官としての視点から状況を観察する。
カレンは滞空状態から、一気にジェット噴射を決行。ほぼ垂直に、急速に高度を上げていく。結果、カレンの遥か下方で爆光が煌めき、ボン、という鈍い爆音が続いた。
(敵機自体の足はのろい。上方から攻め込む)
(了解)
今度はカレンが攻める番だ。上昇時よりも急速に高度を落とし、ライフルを構える。
が、しかし。僕は驚き混じりの悲鳴を上げることになった。
(小型目標、再度分離! 数は二つ!)
(ぐっ!)
その光景を見て、僕はぞっとした。いつの間にか機首を上げていた敵機が、そこからミサイルを発射したのだ。それも二発。
ミサイルは垂直にこちらに上ってくる。カレンは見えない壁を蹴るように、今度は水平方向へと直角に軌道を変えた。身体を捻り、羽ばたきながらライフルを格納。ヒートブレードを起動する。
(何をする気だ、カレン?)
(ミサイルの隙間を抜けて、本体を破壊する)
(待て、危険すぎる! そんな芸当、今まで――)
(やったことがなかっただろう、って? 冗談よしてよ。戦う時なんて、いつだって臨機応変。失敗すれば死ぬ。それだけ。あんたには分かってない)
ギリッ、と音を立てて僕は奥歯を噛み締めた。
酷い侮辱だ。そう思った。それが共闘している仲間に対して言う言葉か。
だが、為すべきことを何が何でも独力で為してしまう。それがカレン・アスミという少女なのだ。そう思えば、僕には最早何も言えない。言えるはずがない。
カレンは急に減速し、ミサイルの推進剤の発する光に向かって突撃した。
途中でもう一本のサーベルも抜刀し、さらに加速。相対速度は増大し、合わせて距離はぐんぐん縮まっていく。
そして――。
僕は思わずヘッドフォン越しに耳に手を当てた。はっとして、すぐさまレーダーサイトに向き直る。そこには味方機を示すマーカーが一つだけ、ぽっかりと浮かんでいた。
(カレン? カレン、大丈夫か?)
(ええ。とっくに帰投ルートに乗ってる)
今更ながら、僕はカレンとシンクロを切ってしまっていたことに気づいた。
(カレン、一体どうやって――)
(ミサイルって、弾頭に爆薬が搭載されているんでしょう? だから起爆システムと弾頭部分の隙間を斬った)
(き、斬った?)
(そうやってミサイルを無力化してから、そのまま高度を下げて敵機をサーベルで一突き。大丈夫、遠隔操縦はされていないし、パイロットの死亡も確認したから)
僕はキャスター付きの椅子を滑らせ、レーダーサイトに再び見入った。これだけでは状況が分かりづらい。シンクロを発動するべきだ。
僕が顎に手を載せ、いつもの体勢でカレンと体感を共有する。すると、遥か下方で爆発音がした。きっと戦闘機が爆発したのだ。ミサイルはもう起爆のさせようがないし。
状況を脳内で精査していると、カレンのテレパシーが届いた。
(ミサイルの件だけど、あの敵機には二人のパイロットがいた)
(複座式、ってこと?)
(そう。後席のパイロットがミサイルの操縦係ってわけ)
なるほど、そうだったのか。だからあれだけでかい図体をしていたのだろう。
(この件は明日、いやすぐにでもアラン大尉に報告するよ。ミサイルは君にとって大きな脅威になるだろうから)
(は?)
(え? だって、機関砲の弾雨に比べるとミサイルはずっとトリッキーな動きをしてくるわけだし、カレンにとっては厄介な相手になるなと思って)
(たった今落としましたけど?)
そう念じるカレンの気配は少しばかり荒かった。しかし話を聞くに、苦戦を強いられたとまでは言えない。いや、この程度で苦戦したなどと言わせない。そんな気分が、カレンからは伝わってきた。
(まあ、とにかく報告は入れる。カレン、すぐに戻って休んでくれ。流石に今夜は、もう敵機は攻めてこないだろうから)
カレンは無言。だが、この基地に向かって飛行ルートに乗るのは確認できた。
僕がシンクロを切って椅子から立ち上がった、その時。
「カ、カレン! カレン、無事なのかい? 俺にも応答してくれ!」
「何やってんだ、ユウジ?」
僕がじとっとした目で見つめる先、ユウジもまたレーダーサイトに目を遣った。
「い、一機しか飛んでない! ケンイチ、カレンは……?」
「無事だよ。今映ってるのがカレンだ」
「ああ、よかったぁ……」
僕は空咳を一つして、ユウジを睨みつけた。腕を組んで、高圧的な態度を装う。
「随分到着が遅かったな」
「い、いや、だって、非常警報が鳴った時には、その、慌てて、何をしたらいいのか分からなくなって……」
「あっそう」
こめかみを人差し指で軽く掻く。僕はもう平気だが、ユウジは汗びっしょりだ。
「少しは落ち着けよな、ユウジ。取り敢えずシャワー浴びてこい。カレンの着陸誘導と装備の取り外しは僕がやる」
「じゃ、じゃあ、俺がその装備を整備して――」
「駄目だ。今のお前には早すぎる」
と言ってはみたものの、レーダー設備(いわゆるパラボラアンテナという形のやつだ)の取り扱いには、ユウジが適任だとは思う。明日の朝になったら、レーダー設備の点検を任せるとするか。飽くまで上官として。
しかし、と僕は考える。
まさか自分が軍属になって、他人に命令を下す立場に置かれることになるとは。六年前まではずっと想像できなかったことだ。
決して上の空というわけではない。が、カレンの装備の取り外しと点検をしながらも、僕はそんな立場に違和感を覚えていた。
『戦争さえなかったら、お前をこんなところに預けはしなかったんだよ』――そう言い聞かせる両親の姿が思い浮かぶ。
ルーティンとなった装備点検を終えてから、僕は自分がシャワーを浴びたかどうかも忘れて自室に戻り、ベッドの上にぐったりと横になった。