33話
ギルネスを追った先は、大きな砂漠が広がっていた。
真上にある太陽は李夏を焼き尽くすようにじりじりと照りつける。その熱は雪山育ちの李夏にとって地獄のような苦しみを与えた。
腕まくりをして、後ろ髪を1つに結んだ。それでも暑さは和らがなくて李夏は制服を脱いでシャツ一枚になっていた。脱いだ制服は腰に巻いた。
「はー……暑……」
つい漏れた小言にギルネスが立ち止まった。ギルネスは厚着をしているにもかかわらず、汗ひとつかいている様子はなかった。
「暑いのか。少年」
「暑い、です。なんでギルネスさんは平気なんですか」
李夏は暑さでストレスが溜まり、少し荒々しい言い方になってしまった。ハッとして訂正しようとしたが、ギルネスは手を李夏の前に差し出し、李夏の口を覆った。
「大丈夫だ。それ以上話すな。体力を使う」
そう言うギルネスは人のようではなかった。外見はまさに人間であったが、態度が妙に達観している。一歩下がったところから、ただ目の前に広がる光景を見るだけ。観測者のような眼差しだった。
「休憩をしよう。あの木の下まで歩けるか」
ギルネスは二人から少し離れた場所にある木を指さした。大きなヤシの木があり、池もあるようだった。
昼時の砂漠なので木陰は小さかったが、木の大きさで人一人分くらいなら影ができているのが分かった。
「っ……はい」
李夏はふらつきながらも、その木に向かって歩こうとする。しかし、李夏の視線が一気に高くなった。
「こちらの方が効率が良いな。捕まっててくれ。走る」
目の前にはオレンジ色の髪。長髪をサイドでくくり、綺麗なリボンで留めてある。ふわふわした毛並みが李夏の視界の半分を覆う。
下を見ると、大きな背中。いつの間にか李夏はギルネスの肩に手を置いている。
「お、おんぶ……!?」
李夏は初めておんぶされた。いや、久しぶりかもしれない。幼い頃に父の背中に乗った記憶があるような、ないような。
少し恥ずかしいと思いつつも、助かったことは事実だ。今はギルネスに甘えて頼るべきだろう。
ギルネスは李夏を背負ったまま一直線に木まで走っていく。今まで砂漠のど真ん中を歩いていたとは思えないほどのスピードでどんどん木は大きくなっていった。
木の下まできて体を優しく置かれたかと思ったら、一気に体が冷たくなった。ギルネスが李夏に水をかけたのだ。
「うっ」
体は横になっていて、上からギルネスが覗き込む。ギルネスは全く焦る様子はなく、冷静にオアシスから水を汲んでいる。
「目が覚めたか」
「おかげさまで……」
李夏が起き上がろうとするとギルネスは優しく制止し、タオルを使って李夏の汗を拭き取った。
「無理をするな。君はまだ子供なんだから」
「子供……」
もう成人してる。そう言いたかったが、体に力が入らなくて声を出さなかった喉から息が漏れる。
しかしギルネスから見たい李夏は子供に見えるだろう。小柄で、無茶をしがちで、確かにこれは子供がすることだ。
「《ピリカ・スノウ》」
ギルネスがそう唱えると、李夏の周りの空気が少し冷たくなった。まだ暑いことに変わりはないが、冷えた風が李夏の体をなぞる。
《ピリカ・スノウ》は下級の氷魔法で、ちょっとしたものを冷やす時に使うことが多い。
李夏の呼吸が落ち着いてきたのを確認したギルネスは寝ている李夏の隣に座り、少し暗い顔で口を開いた。
「少し、相談をしてもいいか」
そう言うギルネスはどこか弱々しかった。冷静で、気遣いができる大人とは離れて、ただの少年のように見えた。
李夏の無言を肯定として受け取ったギルネスはぽつぽつと話し始めた。
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兄弟に別れの言葉を言いたい。
そうギルネスは始めに言う。
続けて、「私は死んだ」と言った。
李夏はギルネスの発言を疑わなかった。こんなに暑いのに汗ひとつかいていなくて、赤の他人を気遣う余裕もある。まさに聖人と言っても過言ではなかった。
「私は、ロワイユ家の当主だった。今は次男のセドヴィルがしている。あの家の当主になったら殺される。仕事の量が多すぎて。きっとセドヴィルも苦しんでいるだろう」
ギルネスは眉間に深い皺を寄せた。喉から絞り出すかのようなか細い声色に李夏も顔をしかめる。
「三人は私の死因を過労死だと思っているだろうが、違うんだ」
そこから、しばし沈黙の時間が流れる。ギルネスの指先が小さく震えていた。その姿が子供に見えて、李夏は恐る恐るギルネスの手に自分の手を重ねた。
「大丈夫です。落ち着いて」
李夏は起き上がってギルネスの隣に座り直す。もう呼吸は整っていたが、じわりとまた汗をかいている。
「……君は優しいな」
ギルネスはふわりと微笑んだ。初めて見るギルネスの表情に李夏はどこか安心した。今まで人間味のない人だと思っていたから、人間らしさを見せてくれて嬉しかった。
「……私は、逃げたんだ。逃げて、ここで干からびて死んだ。滑稽だろう。あのロワイユ家の長男がこんな死に様なんて」
自分のいる場所の地面を指差して、自虐するようにギルネスは乾いた笑い声を発した。
「でも神様がチャンスをくれた。愛する家族の為に、一言だけ言いたい」
気づけば、ギルネスの頭に光輪がつき、瞳に星が浮かぶ。光輪の淡い黄色が優しく光っている。これは天使族の特徴だ。
李夏は何も言わなかった。否、何も言えなかった。ロワイユ家の事情は詳しく知らないが、ギルネスが今まで苦しんできたというのは伝わった。
「まさか他人に打ち明けるとは思っていなかったな。……少し楽になった。聞いてくれてありがとう。少年」
ギルネスは立ち上がって李夏に手を差しのべる。最後まで聖人なのか。李夏はそう思いながらもギルネスの手を取った。
李夏が立ち上がると、ギルネスは李夏に背を向けて歩き出す。
「……あ、依頼……」
遅れて李夏はここに来た目的を思い出した。
「それなら、ここに」
ギルネスは振り返ると、いつの間にか大きな袋を持っている。袋には依頼に書かれていた魔物の体液が付着している。
「報酬は少年が貰うといい」
「でも僕はなにも……!」
李夏は渡された袋をギルネスに返そうとするが、ギルネスは手を上に上げて受け取らなかった。身長が大きいので李夏は無理やり渡すこともできない。
「それは聞いてくれたお礼だ」
あまりに真剣な顔で言うので李夏は必死になっている自分が馬鹿らしくなり、掲げていた袋を下ろした。
その時、二人はピリっとした感覚に襲われた。
間髪入れずに大きな爆発音が聞こえる。アルーシカの方向で、爆発の真ん中には大きな屋敷があるのが見えた。
「あれ、あの爆発の感じ……」
李夏は今の爆発に見覚えがあった。火力を一点に集中させて、炎の中に氷も風も混ざっている魔法。そうだ。初めて騎士団に来たときに見たライルの爆発魔法……それにそっくりだった。
「ライル先輩……?」
「……っ、行くぞ。少年」
焦った様子のギルネスは李夏に一声かけて爆発の方向へ走っていった。
「はい!」
李夏も続けてギルネスを追う。もう砂漠の暑さなどは考えていられるほど余裕ではなかった。




