29話
団長室の空気は張り詰めていた。
カーテンから漏れる夕陽が床を赤く染めていて、その中心に、李夏が正座していた。絨毯の端がほつれているのが視界の隅でちらつく。頭の中では何度も言い訳を組み立てていたが、どれも口にする前に砕けていく。
カナリヤの顔は逆光で表情はほとんど見えず、黒く塗り潰された輪郭だけが、神々しさと恐ろしさを同時に醸している。天使族特有の十字の光が瞳の奥に灯っていて、李夏はそこから目を逸らせなかった。
「李夏くん、貴方は何か騒ぎを起こさないと生きていけないの?」
「ひっ……!」
李夏は小さく悲鳴をあげる。スラムでの件が終わった後、重傷のハーレンは医務室で治療を受けることになった。
マーレイはきっと、プラエあたりに事情聴取を受けているところだろう。
李夏は無傷……強いて言うなら腕がじんじんしているくらい。だが体に支障がないため先に帰らされたのだが……
「聞いてるの?李夏くん」
李夏の肩が大きく跳ねる。それと同時に背筋が冷えていき、自分の浅い呼吸音と激しい心音が頭の中でこだました。
李夏は正座をして、カナリヤの静かな圧に怯えていた。
「スラムには入るなって言ったよね?」
カナリヤは座って李夏と視線を合わせる。
「……ごめんなさい」
李夏は軽い気持ちでハーレンを追った自分を恨んだ。しかし、結果的にハーレンを連れ戻せたし、スラム……マーレイとの関係も良好になった。
「まあ、マーレイの機嫌が戻ったのは嬉しいことね」
カナリヤは深いため息の後にそう呟いた。
その時、団長室の扉が叩かれた。トントンと控えめに、機嫌を伺うように。
「団長、入りますね」
澄んだ声が団長室に響く。そう言い入ってきたのはプラエだった。
白衣を羽織り、片手には分厚い資料を持っている。
「マーレイちゃんが、話したいそうです」
カナリヤの顔が、強張ったように見えた。カナリヤは言い淀むが、「分かりました」と言って足を動かす。
先に団長室を出たカナリヤに続いて、プラエも扉に足を向ける。しかしそっと振り向くと、「李夏くんも来て」と小声で言われた。
李夏はプラエの言葉に大人しく従った。
━━━━━━━━━━━━━━━
カナリヤが医務室の扉を叩く。
中からの返事はなかったが、カナリヤはそのまま医務室に入った。
そこには包帯だらけで寝ているハーレンと、神妙な面持ちのマーレイが椅子に座っていた。
「久しぶりね。レイ」
カナリヤの言葉には怒りや悲しみ、そして少しの嬉しさが混ざっているように聞こえた。
「元気だった?カナ」
マーレイは小さく笑みを浮かべて答える。彼女の腕には重い鉄の手錠がはまっていた。これはプラエが念の為とつけたものだ。
プラエと李夏は扉越しに二人の会話を聞いていた。
「団長とマーレイさん、関わりがあったんですね」
「ここの学校の同級生だったの」
李夏が小声で尋ねると、プラエも同じくらいの声量で答えた。
この状況を理解するには、その短文で十分だった。
「こんな再会、望んでなかったんだけど。それで、話って?」
そうカナリヤは淡々と言葉を放ち、マーレイの近くに座った。
マーレイは深呼吸をしてカナリヤを真っ直ぐ見つめる。彼女の三つ編みが揺れた。
「……私、間違ってたみたい。私一人じゃ、家族も故郷も守れない。守れなかった」
マーレイの汗が頬を伝う。呼吸が浅くなっている。
気づけば体は大きく揺れ、どこか寒そうにしていた。だんだん顔が青くなっていき、涙も流れていた。スラックスの布をつかんで、赤子のように泣いている。
「だから……!今更になって私は……!」
「落ち着いて」
カナリヤがマーレイを抱きしめた。カナリヤの体温が伝わって少しずつマーレイの温度が戻っていく。
浅かった呼吸は一定のテンポに戻り、顔色も落ち着いていく。
「あの時、こうやって私を落ち着かせてくれたよね」
カナリヤはそう言ってマーレイの背中を優しく叩いた。まるで、泣きわめく赤子をあやすように。
李夏は懐かしい感じがした。自分もマーレイと同じように取り乱した時、仲間に抱きしめられたのを思い出したからだ。
あの感覚はとても心地の良いものだった。マーレイが落ち着いたのも納得だ。
「さあ、レイの言いたいことは何?」
カナリヤは顔を上げてマーレイを見る。その声色は李夏の聞き慣れた怒号ではなく、全てを包み込むような優しい声だった。
「カナっ……!もう一度……貴女を頼ってもいい……?」
何も言わずにカナリヤはもう一度マーレイを抱きしめた。マーレイの目からまた涙がこぼれる。しかし、今度は嬉し涙だった。
「おかえりなさい。レイ」
「っ……!ただいま、カナ!」
今の彼女は女王でも姉でもない。ただの、少女の顔をしていた。
━━━━━━━━━━━━━━━
静かな廊下に暖かい空気が漂った。李夏もプラエも無言だったが、二人とも安心したような顔をしていた。
しかし、李夏は心の隅で悪い予感と戦っていた。頭のほとんどは仲直りができて良かったねと、そんな気持ちだ。
仲直り。これは李夏が最も望んでいることであり、最も目をそらしたい言葉だった。体温が少し下がる。なんだか、目の前の大きな窓からカナタがこちらをのぞいている気がして視線が上がらない。
プラエは様子のおかしい李夏に気づいて心配そうな顔をする。だが李夏は、空元気で明るく「大丈夫」と答えた。
李夏を照らす窓からの夕日が、彼を燃やしていた。
もう、逃げられない。




