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オルドの自伝書  作者: うめ助
三章
32/45

28話


 地下室に沈黙が流れる。聞こえるのは鳴りやまない雨の音と、葉が軋む音。そして小さなマーレイの呼吸音。


 ハーレンは痛みに耐えながらも、マーレイを真っ直ぐ見つめる。その姿が、幼いハーレンと重なった。


 不安そうな顔で、マーレイの後をついてきたかわいい弟。


 そして幼いハーレンの手を、サーレイがいつも繋いでいた。


 マーレイと少し年の離れた二人目の弟。サーレイが兄で、ハーレンが弟。


 サーレイは昔から明るい人物だった。仕事で忙しかったマーレイに代わってハーレンの面倒を見てくれていた。とても強い子。


 しかし同時に、疲れた顔を家族にも見せない弱い子でもあった。


 だからサーレイの凶報を聞いたときは視界が歪んだ。最後にサーレイの姿をとらえたのは、意気揚々と騎士団の入隊試験に向かったのを見たきり。


 その日から、マーレイは騎士団に苦手意識を持つようになった。サーレイ一人守れないくせに、世界を守るなんてことを言っている。……今はどうなのかは知らないが。


 ……なんてことを考えながらマーレイはハーレンを見つめていた。


 マーレイは、今更自分の気持ちに気づいた。


 寂しい。


 これだけがマーレイを修羅の道へと導いていた。


 だからこそ、ハーレンを繋ぎ止めておきたかった。こんな手荒な真似をしてでもだ。


 両親は銃撃戦によって殺され、サーレイも任務で死亡した。


 マーレイに残されたのはハーレンただ一人だった。


 その時、暗い地下室に光が差し込む。淡く、弱い光。


「いやぁ、弱くなったねぇ。姉さん」


 緊張が張り詰めた空気を壊すひょうきんな声。


 マーレイは、目の前の光景が信じられなかった。


 ふわふわと揺れる短い青髪、全てを見透かすような丸い大きな瞳、そして見慣れた笑顔。


 服装はあの頃とは打って変わって高価そうな軍服を着ている。もう、落ちている布の切れ端を使ってできた服を来ていなかった。


「サー……レイ……?」


 数年ぶりに見ることができて嬉しい気持ちと、最後に見た時と全く変わらない外見に恐怖する気持ちがマーレイの中で争っている。


「良かった……!無事なのね!私てっきり……」


 それが罠だと分かっていても、心が止められなかった。思わず、サーレイに手が伸びた。


 マーレイの言葉に、乾いた音が重なる。


 マーレイの手は赤く腫れていた。


 困惑した様子でサーレイを見る。サーレイは笑顔を崩さずにこう言った。


「仲良しごっこをする為に来たんじゃないの。僕の目的は、エルフィドール軍の領地拡大の為」


 サーレイの真っ黒な目には、絶望に満ちたマーレイが写っていた。


 ━━━━━━━━━━━━━━━


「僕たちの目的の為に、正直姉さんは邪魔なんだよね」


 サーレイはマーレイにナイフを向ける。普段のマーレイならこれを避けるくらい造作もないことだ。しかし、今は指一つ動かすことだってできない。


 これは、悪い夢だ。そう思わないと正気を保っていることができなかった。愛する弟が本気で自分を殺そうとしている。

 

 しかも、いつも浮かべていた眩しい笑顔のままで。

 

「ごめんね姉さん。来世は平和な時代に生まれたいね」

 

 サーレイがマーレイに向かってナイフを突き刺せる位置に走っていく。

 

 刃が、マーレイの目の前に来る。マーレイは最期まで不甲斐ない自分に呆れながらも、弟に殺されるならそれも悪くないと思ってしまっていた。


 マーレイは覚悟を決め、目を閉じる。


 しかし、予想していた痛みは襲ってこない。それと同時にガン、と硬い音とナイフが落ちる音が地下室に響く。


 マーレイが恐る恐る目を開けると、まるで陽だまりの中に居るような感覚になった。


 周囲は暖かく、優しい風が頬を撫でる。


 ……日向ぼっこをしているような感覚だ。


 マーレイの目の前には防御魔法、プロテクトが張られていた。


「はーっ……はー……」


 サーレイの後ろに、人影が見えた。人影は荒い息を吐いてこちらをじっと見つめている。


「ま、間に合った……」


 金色の毛が光に反射してチラチラと光る。アクセントのような緑色の瞳が綺麗だった。強く、眩しい光。


「……李夏くん、邪魔しないでよ」


 サーレイは不機嫌そうに振り向く。李夏はサーレイの態度に怖気づきながらも、マーレイを囲む魔法を解こうとはしなかった。


「サーレイさん……貴方は……」


 何かを言いかけた李夏の背中から、シフィがひょこっと顔を出す。


「お久しぶりです。マーレイさん。お元気でしたか?」


 シフィは落ちていたナイフを丁寧にケースにしまってマーレイの目の前に立った。


「シ、フィ」


 マーレイはまだ混乱している様子だった。プロテクトの中にいるという状況が彼女を安堵させ、足に力が入らずその場に座り込んでいた。


「私、またマーレイさんとお話したかったんです」


 シフィはニコ、と笑顔を浮かべる。マーレイにとって、笑顔は先程の出来事によって怖いものとなっていた。しかし、数年ぶりに会う弟の友達の笑顔には、なんとなく安堵の心が生まれた。


 サーレイはナイフを失った手をだらりと下げたまま、プロテクトの内側に座り込むマーレイをじっと見ていた。


 その目に、ほんの一瞬だけためらいが浮かんだようにも見えた。だが、すぐに無表情に戻る。


「邪魔ばっかり……」


 サーレイはそう呟く。


 李夏はゆっくりと歩み寄る。サーレイとの距離が縮まるごとに、彼の目の奥が熱を帯びていく。


「あなたは、優しい人だ」


 ぴたりと足を止め、李夏はサーレイをまっすぐ見据えた。


「僕、覚えていますよ。冷たく突き放した僕を温めてくれた。剣の稽古に付き合ってくれた」


 李夏はサーレイの腕を優しく掴み、小さく笑った。


「それから……僕が安心するように、頭を撫でてくれたじゃないですか」


 サーレイの眉が、わずかに動く。


「その行動が嘘だったなんて、言わせない」


 サーレイの腕を掴む李夏の手に、力が入る。


「そんなことができる人が家族を愛していないなんて、そんなことあるわけない!」


 その瞬間、サーレイの肩がピクリと動いた。まるで心の奥で何かが軋んだように。


 李夏は、さらに一歩踏み込んだ。


「姉さんは邪魔?来世は平和がいい?そんなの、ただの言い訳じゃないですか!」


「うるさい……うるさいっ!」


 サーレイの顔が、初めて怒りに染まった。サーレイが拳を振り下ろすが、李夏は慣れた様子で拳を受け止めた。


「っ……!何もわかってないくせに……!」


 サーレイの感情が揺れている。マーレイも、ハーレンも、こんな取り乱したサーレイを見るのは初めてだった。


 李夏はサーレイの襟元を掴み、真っ直ぐとサーレイを見て言った。


「たしかにサーレイさんの気持ちは分からない。でも、僕は……!あなたの様になりたかった!あなたの大きい背中が大好きだ!」


 李夏はぎりっと歯を食いしばる。


「あなたは僕の……!英雄なんだ!」


 怒鳴った李夏の声は震えていた。怖かった。殺しに来た相手に向かって声を荒げるなんて、怖いに決まってる。でも、それでも、ここで逃げたらきっと後悔する。


「貴方と話したいことがある。……逃げるなよ」


 李夏は低い声でサーレイに言った。サーレイは真顔で李夏の目を見るが、すぐに逸らして李夏を振り払った。


 そんな李夏の背中を、シフィがそっと押すように見守っていた。


「……サーレイさん、また、頭を撫でてくれますか?」


 シフィの静かな声が、地下室に響いた。


 プロテクトの中で、マーレイがはっと顔を上げる。


「……サーレイ」


 姉弟の間に、沈黙が走る。


 サーレイはしばらく動かなかった。しかし


「……好きにすれば」


 そう吐き捨てて、サーレイは李夏の手を振り払い、地下室の出口へと向かっていく。その足元には、ひび割れた床。拳が握られ、爪が手のひらに食い込んでいる。


「……飼い猫に噛まれるって、こういうことなんだね」


 低く呟くその声は、どこか悔しそうで、怒っているのは他ならぬ自分自身のようだった。


 サーレイの背中が、ほんのわずかに、震えていた。


 マーレイは、小さくなる弟の背中に手を伸ばした。


 ━━━━━━━━━━━━━━━


「げほっ……ゴホッ……」


「……え」


 ハーレンの咳き込む声で現実に引き戻される。李夏はハーレンの姿を見て驚愕した。


 頭、腕、足……様々な場所から血がどくどくと流れている。中には乾いて黒くなった血もあり、長時間この体制のままだったことが示唆されていた。


 特に、肩を貫いた弾痕が痛々しかった。


 マーレイは気まずそうに目を逸らすが、すぐにハーレンに駆け寄って拘束を解いた。


「……ごめんなさい。ハーレンは私が責任をもって治療します」


 ハーレンは体が自由になったものの、力が入らなくてマーレイに倒れ込む。マーレイは慎重に、そっとハーレンを抱きしめた。


「……ハーレンっ……!ごめん、ごめんね……!」


 マーレイの目から、涙がこぼれた。涙はマーレイの頬を伝ってハーレンの衣服を濡らす。


 あのマーレイが涙を流している。今の彼女はスラムの女王などではなく、ただの姉だった。


「……はは、遅えよ」


 ハーレンは力なく笑い、そのまま気を失った。


 その様子を、李夏とシフィは一歩下って見ていた。とても美しい兄妹愛。しかし李夏の心の奥では黒い霧が渦巻いていた。


 李夏も、カナタと向き合う日が近いのかもしれない。


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