28話
地下室に沈黙が流れる。聞こえるのは鳴りやまない雨の音と、葉が軋む音。そして小さなマーレイの呼吸音。
ハーレンは痛みに耐えながらも、マーレイを真っ直ぐ見つめる。その姿が、幼いハーレンと重なった。
不安そうな顔で、マーレイの後をついてきたかわいい弟。
そして幼いハーレンの手を、サーレイがいつも繋いでいた。
マーレイと少し年の離れた二人目の弟。サーレイが兄で、ハーレンが弟。
サーレイは昔から明るい人物だった。仕事で忙しかったマーレイに代わってハーレンの面倒を見てくれていた。とても強い子。
しかし同時に、疲れた顔を家族にも見せない弱い子でもあった。
だからサーレイの凶報を聞いたときは視界が歪んだ。最後にサーレイの姿をとらえたのは、意気揚々と騎士団の入隊試験に向かったのを見たきり。
その日から、マーレイは騎士団に苦手意識を持つようになった。サーレイ一人守れないくせに、世界を守るなんてことを言っている。……今はどうなのかは知らないが。
……なんてことを考えながらマーレイはハーレンを見つめていた。
マーレイは、今更自分の気持ちに気づいた。
寂しい。
これだけがマーレイを修羅の道へと導いていた。
だからこそ、ハーレンを繋ぎ止めておきたかった。こんな手荒な真似をしてでもだ。
両親は銃撃戦によって殺され、サーレイも任務で死亡した。
マーレイに残されたのはハーレンただ一人だった。
その時、暗い地下室に光が差し込む。淡く、弱い光。
「いやぁ、弱くなったねぇ。姉さん」
緊張が張り詰めた空気を壊すひょうきんな声。
マーレイは、目の前の光景が信じられなかった。
ふわふわと揺れる短い青髪、全てを見透かすような丸い大きな瞳、そして見慣れた笑顔。
服装はあの頃とは打って変わって高価そうな軍服を着ている。もう、落ちている布の切れ端を使ってできた服を来ていなかった。
「サー……レイ……?」
数年ぶりに見ることができて嬉しい気持ちと、最後に見た時と全く変わらない外見に恐怖する気持ちがマーレイの中で争っている。
「良かった……!無事なのね!私てっきり……」
それが罠だと分かっていても、心が止められなかった。思わず、サーレイに手が伸びた。
マーレイの言葉に、乾いた音が重なる。
マーレイの手は赤く腫れていた。
困惑した様子でサーレイを見る。サーレイは笑顔を崩さずにこう言った。
「仲良しごっこをする為に来たんじゃないの。僕の目的は、エルフィドール軍の領地拡大の為」
サーレイの真っ黒な目には、絶望に満ちたマーレイが写っていた。
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「僕たちの目的の為に、正直姉さんは邪魔なんだよね」
サーレイはマーレイにナイフを向ける。普段のマーレイならこれを避けるくらい造作もないことだ。しかし、今は指一つ動かすことだってできない。
これは、悪い夢だ。そう思わないと正気を保っていることができなかった。愛する弟が本気で自分を殺そうとしている。
しかも、いつも浮かべていた眩しい笑顔のままで。
「ごめんね姉さん。来世は平和な時代に生まれたいね」
サーレイがマーレイに向かってナイフを突き刺せる位置に走っていく。
刃が、マーレイの目の前に来る。マーレイは最期まで不甲斐ない自分に呆れながらも、弟に殺されるならそれも悪くないと思ってしまっていた。
マーレイは覚悟を決め、目を閉じる。
しかし、予想していた痛みは襲ってこない。それと同時にガン、と硬い音とナイフが落ちる音が地下室に響く。
マーレイが恐る恐る目を開けると、まるで陽だまりの中に居るような感覚になった。
周囲は暖かく、優しい風が頬を撫でる。
……日向ぼっこをしているような感覚だ。
マーレイの目の前には防御魔法、プロテクトが張られていた。
「はーっ……はー……」
サーレイの後ろに、人影が見えた。人影は荒い息を吐いてこちらをじっと見つめている。
「ま、間に合った……」
金色の毛が光に反射してチラチラと光る。アクセントのような緑色の瞳が綺麗だった。強く、眩しい光。
「……李夏くん、邪魔しないでよ」
サーレイは不機嫌そうに振り向く。李夏はサーレイの態度に怖気づきながらも、マーレイを囲む魔法を解こうとはしなかった。
「サーレイさん……貴方は……」
何かを言いかけた李夏の背中から、シフィがひょこっと顔を出す。
「お久しぶりです。マーレイさん。お元気でしたか?」
シフィは落ちていたナイフを丁寧にケースにしまってマーレイの目の前に立った。
「シ、フィ」
マーレイはまだ混乱している様子だった。プロテクトの中にいるという状況が彼女を安堵させ、足に力が入らずその場に座り込んでいた。
「私、またマーレイさんとお話したかったんです」
シフィはニコ、と笑顔を浮かべる。マーレイにとって、笑顔は先程の出来事によって怖いものとなっていた。しかし、数年ぶりに会う弟の友達の笑顔には、なんとなく安堵の心が生まれた。
サーレイはナイフを失った手をだらりと下げたまま、プロテクトの内側に座り込むマーレイをじっと見ていた。
その目に、ほんの一瞬だけためらいが浮かんだようにも見えた。だが、すぐに無表情に戻る。
「邪魔ばっかり……」
サーレイはそう呟く。
李夏はゆっくりと歩み寄る。サーレイとの距離が縮まるごとに、彼の目の奥が熱を帯びていく。
「あなたは、優しい人だ」
ぴたりと足を止め、李夏はサーレイをまっすぐ見据えた。
「僕、覚えていますよ。冷たく突き放した僕を温めてくれた。剣の稽古に付き合ってくれた」
李夏はサーレイの腕を優しく掴み、小さく笑った。
「それから……僕が安心するように、頭を撫でてくれたじゃないですか」
サーレイの眉が、わずかに動く。
「その行動が嘘だったなんて、言わせない」
サーレイの腕を掴む李夏の手に、力が入る。
「そんなことができる人が家族を愛していないなんて、そんなことあるわけない!」
その瞬間、サーレイの肩がピクリと動いた。まるで心の奥で何かが軋んだように。
李夏は、さらに一歩踏み込んだ。
「姉さんは邪魔?来世は平和がいい?そんなの、ただの言い訳じゃないですか!」
「うるさい……うるさいっ!」
サーレイの顔が、初めて怒りに染まった。サーレイが拳を振り下ろすが、李夏は慣れた様子で拳を受け止めた。
「っ……!何もわかってないくせに……!」
サーレイの感情が揺れている。マーレイも、ハーレンも、こんな取り乱したサーレイを見るのは初めてだった。
李夏はサーレイの襟元を掴み、真っ直ぐとサーレイを見て言った。
「たしかにサーレイさんの気持ちは分からない。でも、僕は……!あなたの様になりたかった!あなたの大きい背中が大好きだ!」
李夏はぎりっと歯を食いしばる。
「あなたは僕の……!英雄なんだ!」
怒鳴った李夏の声は震えていた。怖かった。殺しに来た相手に向かって声を荒げるなんて、怖いに決まってる。でも、それでも、ここで逃げたらきっと後悔する。
「貴方と話したいことがある。……逃げるなよ」
李夏は低い声でサーレイに言った。サーレイは真顔で李夏の目を見るが、すぐに逸らして李夏を振り払った。
そんな李夏の背中を、シフィがそっと押すように見守っていた。
「……サーレイさん、また、頭を撫でてくれますか?」
シフィの静かな声が、地下室に響いた。
プロテクトの中で、マーレイがはっと顔を上げる。
「……サーレイ」
姉弟の間に、沈黙が走る。
サーレイはしばらく動かなかった。しかし
「……好きにすれば」
そう吐き捨てて、サーレイは李夏の手を振り払い、地下室の出口へと向かっていく。その足元には、ひび割れた床。拳が握られ、爪が手のひらに食い込んでいる。
「……飼い猫に噛まれるって、こういうことなんだね」
低く呟くその声は、どこか悔しそうで、怒っているのは他ならぬ自分自身のようだった。
サーレイの背中が、ほんのわずかに、震えていた。
マーレイは、小さくなる弟の背中に手を伸ばした。
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「げほっ……ゴホッ……」
「……え」
ハーレンの咳き込む声で現実に引き戻される。李夏はハーレンの姿を見て驚愕した。
頭、腕、足……様々な場所から血がどくどくと流れている。中には乾いて黒くなった血もあり、長時間この体制のままだったことが示唆されていた。
特に、肩を貫いた弾痕が痛々しかった。
マーレイは気まずそうに目を逸らすが、すぐにハーレンに駆け寄って拘束を解いた。
「……ごめんなさい。ハーレンは私が責任をもって治療します」
ハーレンは体が自由になったものの、力が入らなくてマーレイに倒れ込む。マーレイは慎重に、そっとハーレンを抱きしめた。
「……ハーレンっ……!ごめん、ごめんね……!」
マーレイの目から、涙がこぼれた。涙はマーレイの頬を伝ってハーレンの衣服を濡らす。
あのマーレイが涙を流している。今の彼女はスラムの女王などではなく、ただの姉だった。
「……はは、遅えよ」
ハーレンは力なく笑い、そのまま気を失った。
その様子を、李夏とシフィは一歩下って見ていた。とても美しい兄妹愛。しかし李夏の心の奥では黒い霧が渦巻いていた。
李夏も、カナタと向き合う日が近いのかもしれない。




