27話
「……ごめんなさい。辛い話をして。李夏くんといるといらないことまで話してしまうね」
「ハーレン先輩って、苦労してますね」
李夏は俯いたまま、ハーレンに同情するように言った。
「そうね。ハーレンには、いつも申し訳ないと思ってる」
シフィは立ち上がって膝に乗った灰を払った。
「遠くから見てたわ。マーレイさんが怒ってるみたいね?」
シフィはケラケラと笑って足元で何かをいじっている。
李夏が気になって覗き込むと、いじっていたのは機械だった。
複雑そうな歯車が合わさっていてカタカタと歯車が回っている。シフィは慣れた手つきで歯車やネジを組み合わせていく。
そしてゴミの山から大きなトロッコを取り出した。木製で苔の生えたボロボロのトロッコ。
李夏は嫌な予感がした。また空を飛ぶことになるかもしれない。あの感覚はアトラクションのようで悪くはないが、命綱はない。少しでも手を離したり乗り物が壊れたりしたら、待っているのは死のみ。
シフィは次々と部品を組み立て、とうとう李夏の予感していた姿になってしまった。
エンジンモーターのついたトロッコのような乗り物。車体には気持ちばかりの翼のような部品が繋がっている。
「う、うわ……」
李夏はシフィに聞こえないように声を漏らす。
「さ、止めに行きましょう。私もちょうどマーレイさんと話したかったの」
シフィはエンジンをつけ、トロッコに乗り込んだ。
エンジンは音を立てて車体を揺らす。シフィは「早く来て」と言わんばかりの笑顔で李夏をみている。
「……もう!何でいつも僕がこんな立場なの!」
李夏は吹っ切れたように叫んでトロッコに乗り込む。それと同時にトロッコは空に向かって走っていく。
風を切ってどんどんと進んでいく。恐る恐る目を開けると、先程マーレイのいた場所に彼女はいなく、さらにはハーレンまで姿が消えていた。
「……二人とも、いない?」
李夏は不思議に思って独り言のようにつぶやいた。
彼女たちのいた場所には、焼け焦げた飴の包み紙のみが残っていた。それはハーレンのお気に入りの飴の銘柄だった。
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コンクリートに囲まれた地下室。天井からは先日の雨が漏れて床を濡らしている。
「また懐かしい場所だな」
「あら、まだそんな元気があるの?」
椅子に縛り付けられたハーレンの頭から血が垂れている。血はハーレンの頬を伝い、木製の椅子に染み込んだ。
ハーレンをこの状態にした人物であるマーレイは、先程の台詞を言ってごく自然に手についた血を拭き取っている。
「実の弟にこんなことする姉がいるかよ」
笑っているが、彼の表情は恐怖に染まっていた。冷や汗が全身から噴き出る。
ここに優しくて尊敬できる姉はもういない。すっかりスラムに染まってしまった。
何よりも利益を優先して考え、他人のことなんて眼中にない。家族にだって慈悲はない。
もう、大好きな笑顔を浮かべる姉はいないのだ。
「その軽口相変わらずね」
そう言ってマーレイはハーレンの肩に弾丸を打ち込む。
「ッ……!」
乾いた銃声がハーレンの左肩を貫いた。痛みで声を出すこともできなかった。肩がじくじくと痛み、やがて激痛が襲う。
この痛みは、ハーレンにとって懐かしい痛みだった。もう思い出したくもない、辛い記憶が蘇る。
いくつだったか、スラムで過ごしたからには銃撃戦に巻き込まれることも珍しくない。幼いハーレンはまともに身を守ることもできず、何箇所か銃で撃たれたことがあった。
そして故意的ではなかったにしろ、シフィに銃弾を撃たれた腹がずきりと痛んだ。
今はもう塞がって痛みもない。しかし、先程のマーレイによって過去に塞がれたはずの傷が開いているように感じた。
「……あなたは、変な所で丈夫なんだから」
マーレイの声色は冷たい。
「……そろそろ、親の脛をかじるのやめたらどうだ?」
ハーレンは声を絞りだす。無理に出したので掠れていた。
「家族を傷つけるのも、辛いだろ」
マーレイの体が小さく震える。あの冷たい視線も、少しだけ揺らぐ。こちらに向ける銃の照準も少しずつずれてきている。
「っ……!うるさい!あんたは弟なんだから、大人しく私に従ってればっ……!」
銃が激しく床に叩きつけられる。銃は衝撃で小さな部品が床に転がる。その音が、二人の間に張り詰めていた緊張を僅かに断ち切った。
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どうして、こんなにも迷いが生まれるのか。
銃を持つ指は、いつだって迷いなく引けた。裏切り者も、敵も、口を出す部下も。全員、自分の手で消してきた。何百人、何千人殺したって平気だった。怖くなったことなんて、一度もなかった。
なのに。
目の前で、血まみれになって笑っている弟ひとりにどうしてこんなにも、心がざわつくのか。
「家族を傷つけるのも、辛いだろ」
その一言が、頭の中で何度も何度も響く。
辛い?辛いに決まってる。そんなこと、分かってる。ずっと、分かってた。
でも、もう後戻りできない。
スラムの頂点に立ったあの日から、私は「姉」であることをやめた。
そんな大切なものを捨てないと、誰ひとり守ることができないから。
なのに。
弟の言葉ひとつで、どれだけ積み重ねた覚悟が、あっけなく崩れていく。
自分の選択は間違っていなかったはずだ。優しさを捨てたのは、生きるためだったはずだ。
なのに今の自分は、弟ひとりに何も言い返せず
「……っ、うるさい……!」
銃が手からこぼれ落ちた。違う、落としたんじゃない。自分で叩きつけた。
私自身が、銃を怒りのままに投げ捨てた。
目の前の弟に、弱みを見せてしまうというのが怖かった。




