24話
いい朝だ。今日は休みで授業も訓練もない。
李夏は今までずっと動きっぱなしだったこともあり、予定がないというのは少しもどかしい。
それなら、城下町に行ってなにか買ってこようか。そう思い立ったが吉日。李夏はベットから立ち上がって部屋を後にした。
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今日はどこにいこう。大通りで食品の買い出しか、それとも路地裏でまだ見ぬ穴場を探しにいこうか。慣れ親しんだはずの城下町は、李夏の目には輝いて見える。
李夏は路地裏の方を見る。薄暗く細い道が李夏を誘惑する。もうここに来て数カ月が経とうとしているが、路地裏には行ったことがないなと思った。
気づけば、李夏は影の中に入っていた。妙に気になる匂いがした。懐かしさと、小さな胸騒ぎ。
「(匂いって……獣人みたい)」
李夏は少しおかしくなって小さく笑う。普段獣人と関わる機会が多いので、自分まで獣人に影響されてしまっているのか。
春の陽気とは良いものだ。普段なら不気味な場所でも今なら木漏れ日が差して秘境のような雰囲気を出している。李夏は鼻歌でも歌ってしまいそうになるほど、良い気分だった。
「……なんで、こんなところに」
見覚えのある顔があった。長い青髪に、高い身長。いつもなら余裕そうにはにかんでいる顔が、今日はどこか焦っているように感じられた。
あの顔は見覚えがある。アグロフィーユ祭でハーレンと別れた直後、あの時もハーレンは路地裏に入っていった。今と同じような表情で。
李夏の、口角が上がった。ハーレンは秘密にしようとしているらしいが、そんな簡単に李夏の好奇心を止められると思ったら間違いだ。
僕たちに隠れて何をしているのか。きっと内緒でおいしいものを食べているのだろう。
李夏は尾行は得意ではない。けれども、今はそんなことよりこの違和感の正体が気になった。
李夏はハーレンの足音を追うことにした。
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ハーレンはある塀の前で止まった。苔の生えた少し高い塀。
塀の奥は真っ暗でなにも見えない。明るい昼下がりでこの路地裏でさえも明るくのに、塀の奥だけが黒で広がっていた。
そういえば、フィラデルフィアにきた時にカナリヤにあることを言われた。
「いい?スラム街には許可がないと行っちゃいけないからね」
スラム街。この世の負を一点に集めた地獄のような、地図にも記されていない場所……と聞いている。スラム街の入り口は暗い場所、まさにハーレンがいるような場所から。
「(スラム街に行こうとしてる?)」
李夏が尾行し続けるか悩んでいると、ハーレンは周りを気にしながら闇の中へ入っていった。
「(入った!?先輩そんなに腕っぷし強くないよね!?)」
ハーレンは狙撃や状況判断能力は優れているが、体術や力を使うことは苦手だ。そんなハーレンが一人でスラム街に行くなんて、自ら炎に飛び込む虫と同等だ。
もしハーレンが帰ってこなかったら。もしハーレンが傷だらけで帰ってきたら。
李夏の頭の中で恐怖の感情が渦巻く。始めから見るからに怪しい自分に対して良く接してくれた。ハーレンには恩があるのだ。
……見て見ぬふりをしていいのだろうか。またカナタの時のように逃げるのか。
心の中の李夏は「逃げるな」と言っていた。
「(……もう!どうにでもなれ!)」
もう迷ってはいられない。李夏は意を決してハーレンの後を追って闇に飛び込んだ。
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闇の中を進んでいくと、螺旋階段が足元に現れた。階段の下を見てみると、かすかに黄色と赤の光が漏れ、蒸気の音が聞こえる。
階段の鉄の音が響く。
しばらく降りていくと、一気に視界が明るくなった。
光に慣れ、ゆっくり目を開けると、そこには別世界が広がっていた。スチームパンクを彷彿とさせる建物の数々。建物の煙突からは煙が勢いよく噴き出す。
それから鉄や、銅の匂い。これは元の姿に戻ったバールヤの街の匂いと少し似ていた。
改めて足元を見る。李夏は卒倒しそうになった。
なぜなら、螺旋階段は何十メートルにも続いていたからだ。今の場所からスラム街の街並みをみれたのも違和感だったんだ。このような光景は高い場所からでしか見れない。
つまり、李夏は何十メートルも上空にいることになる。しかも、命綱はこの頼りない螺旋階段のみ。足がすくむ。体中が震え、耳元で心臓が暴れている。
内蔵がひゅっと浮く感覚だ。今からこれを降りないといけないのか。というかハーレンはどこに行ったんだ。少し李夏と距離があったとはいえ、ハーレンはこの階段を降りているはずだ。しかし鉄の音は全く聞こえない。
階段を降りるより、飛び降りた方が早いのでは。
李夏の脳にそんなことがよぎる。できないことではない。風魔法を応用すればかすり傷くらいで済む。
ただ、李夏にそんな高等技術はできなかった。李夏は昔から魔法が苦手で、己の身体能力だけでなんとかしてきたといっても過言ではない。
でも、僕なら軽症かも。
またおかしな考えが頭に浮かぶ。体が丈夫なことが李夏の長所なので、上手く受け身を取ればできるのでは。
脳内の母が笑顔で親指を立てる。
「とりあえずやってみないと」そんな母の言葉に何度も勇気をもらってきた。そうだ。やってみないと。
なんだかんだ李夏はアレクセイの本気を食らっても、硬いゴーレムの攻撃を受けても生きている。高所からの落下なんて軽いものだ。そう思い込むことしか思考を落ち着かせることなんてできなかった。
落ちて怪我を負うか、それとも長く高い階段を恐怖心と戦いながら降りるか。
答えは一つだ。
その場が、一瞬無音になる。
李夏は、階段の手すりに足をかけ、力いっぱい飛び降りた。
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強い、強い風。次第に地面と近くなる。
少しでも衝撃を和らげるため、ゴミ捨て場に落ちることにした。スラム街のゴミなんて地上のゴミより汚いのは火を見るより明らかだが、そうする他ない。
ドサッ、いやズドッと言う方が適切だろう。そんな激しい音を立てて李夏はゴミ捨て場に飛び込んだ。
まず思ったのは、臭い。苦しい。勢いよく飛び込んだものだから、ゴミ捨て場の深いところまで沈んでしまったようだ。
しかし体はあまり痛くなかった。強いて言うなら足がじんじんするくらい。
「……生きてる」
李夏はゴミをかき分けながら外の空気を求めなんとか這い出す。ようやくまともな空気を吸えた時、じわじわと成功した実感が湧いてきた。
「成功……!よしっ……!」
李夏は思わずガッツポーズをする。背中にはおかしな汗をかいていた。
ゴミから体を出して動いてみる。体は無事だ。……多分。
「何やってんだ。あのアホ」
視界のすみから声が聞こえた。バッと声の方へ向くとスラムの住人だと思われる男が目をそらした。
李夏の顔に熱が集まる。客観的に見れば、突然空から落ちてきてゴミに飛び込んだと思ったら、ガッツポーズをしたなんて、そんなの不審者ではないか。
李夏は赤い顔をみられないように、急いでゴミ捨て場からそそくさと逃げるように去った。




