23話
「(ここは、どこだろう)」
近くに壁はない。あまりの恐怖心に気絶でもしたのだろうか。
もしそうならば、自分の情けなさに笑いがこみ上げる。
「こっちこっち!」「待ってよー!」
懐かしい声がした。幼い子供の声。
黒髪の子供と、金髪の子供。
カナタと李夏だった。
だんだん、周りの風景が染み込んできた。
この感覚に覚えがある。アレクセイやクラハの心境世界に入ったのと近い感覚だ。
水の音。笑い声。鳥のさえずる音。それから水路に船。小さな港街だが、そこには確かに希望で溢れていた場所。
ここは李夏の故郷である『チェーシャの都』だ。
赤色の屋根と細長い住宅が印象的だったのを覚えている。
でも李夏は恵まれていて、大きな家に住んでいた。
周りの家の何倍もある豪邸で、使用人がいるような家庭で生まれ育った。
まだ戦争は終わっていなかったが、幸せだった。
「あれ?見て李夏、李夏にそっくりな人がいるよ」
幼いカナタが、李夏を指さしている。後から追いついた幼い李夏もカナタが指をさした方を向いた。
これまでだったら自分の姿は見えないはずだが、今回は違うようだ。
幼い李夏が、李夏を見ている。
なんな汚れもない、純粋な瞳。少しも濁っていない、綺麗で明るい緑色をしている。
気づいたら、李夏は2人に抱きしめていた。
包み込むような、優しい抱擁。力は入っていないだろうか。今の李夏なら、子供を潰すことなんて容易いほど力がついている。
「お兄さん、大丈夫?」
幼いカナタが、李夏の頭を撫でた。
とても小さい、か弱い手。本来なら救いになるはずが、今の李夏にとっては拷問のような行動だった。
「(ごめん……ごめんね……)」
苦しくて、喉から変な音がなる。罪悪感でつぶれてしまいそうだった。その後、2人は引き裂かれる。それも自分のせいで。
怖くなればなるほど速く動いてしまう足を恨んだ。
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視界にノイズが走る。
明るかった風景が、真っ黒に染まっていた。
この色は、李夏が一番嫌いな色。一番見たくない色。一番見れない色。
所々で叫び声が聞こえる。
「2人は早く逃げて!」
また、懐かしい声がした。
短い金髪の人物と、長い黒髪の人物。黒髪に白い毛が混ざっていたので間違いない。
大好きな、両親だった。
正直、両親やカナタと過ごしたのはほんの数年で、一人で雪山にいた時間より短い。
それでも、その数年は忘れられない幸せな記憶がたくさんあった。
今は……チェーシャの都が襲撃された時だ。大きい爆発が起こって、黒い煙の中から人形が出てきた。
両親は人形を食い止める為、前線で戦っていた……と思う。まだ幼い李夏たちは、逃がされたんだ。
必死で走って、走って、都から出られそうな時にカナタが転んだんだ。
李夏が先を走っていたので、カナタの声と布の擦れる音が後ろから聞こえた。
「カナタ……!早く……!」
李夏がカナタを引っ張ろうとした時、カナタの背後から大きなシルエットがぬらりと現れた。
大きな人間の2人組。大人だ。
姿ははっきりと覚えている。恨むべき、悪人。
この騒ぎに乗じて金品でも盗もうとしたのだろう。
大人はカナタの頭に足をかける。
ヒビだらけのカナタの顔が、忘れられない。目を見開いて、真っ直ぐと李夏をみていた。
カナタは、両親が李夏に作ってくれた人形だった。いつまでも友達のできない李夏に、プレゼントされたものだ。
友達ができないのは情けない話だが、李夏はカナタの存在が救いだった。
プラスチック製の少し硬い頬が、李夏は大好きだった。
「こいつら、あの豪邸のお坊っちゃんたちじゃないか?おい、やっちまおうぜ」
カナタの頭から、ギリギリと鈍い音がする。
「あ……ガッ……」
カナタが、こちらに助けを求めている。震える手を伸ばして、涙目で。
「こいつ人形か?なんで人形なんかが……まぁいい。金髪の坊っちゃんもおとなしく殺されな」
もう一人の大人が、李夏の方へ歩いてくる。一歩ずつ、確実に李夏へ近づいてくる。
李夏は、思わず足を後ろに引いてしまう。このまま、逃げ出してしまいたい。カナタを助けないといけないのに、体は後ろにしか行けない。
体重が、後ろにかかった。そのまま、走りだしてしまった。
「まって!!いかないで!!!」
それが、カナタの遺言だった。李夏も初めて聞いた。いつも明るくて、李夏を先導してくれたカナタの恐怖に染まった叫び声。
カナタは頭を踏み潰されて醜く散った。そのことに満足した人間は高笑いしながらその場を去った。
そこに残っているのは壊れた人形と、友達を見捨てた人間の少年だけだった。
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「……なつ!……りなつ……李夏!」
ハーレンの声で目が覚める。やはり気絶してしまったようで、心配そうに李夏を見ていた。
汗だくだ。シャツに汗が染み込んで気持ち悪い。それに息も絶え絶えで、なんとか酸素を肺に入れることが精一杯だ。
「よ、良かった……!」
クラハが安心したように胸をなでる。眉が下がって気弱な印象を受けるクラハの姿が、今の李夏にはとても輝いて見えた。
「李夏、お前……どうしたんだ?」
ハーレンが困ったように眉をひそめる。
しかし、李夏の視線はその奥。視界の隅に釘付けになっていた。
「……あそこに、誰かいる」
声が震える。クラハとハーレンが振り返るが、そこには誰もいない。
それでも、李夏には見えていた。黒髪の少年。かつての友であり、罪の象徴。少年は口を開く。
――「李夏だけ幸せになるなんて、許さない」
それだけは、はっきりと聞こえた。頭が痛い。心臓がうるさい。
ドクドクと頭の中で鳴り響く。みんなが何か言っている。聞こえない。でも目だけはまだ機能していた。焦った顔、泣きそうな顔、困った顔。
だんだん視界も暗くなってくる。自分の荒い呼吸音しか聞こえない。寒い、寒い、体の震えが止まらない。
もう、息のやり方さえも忘れていた。
「大丈夫、大丈夫だから」
誰の声だろう。ハーレン先輩かな。
大きくて優しい手が李夏の背中をそっと撫でる。泣く子供をあやすように、子供扱いされるのは癪だが、あまりにも優しかったから目頭が熱くなる。
次に、体全体が何かに包まれた。これはアレクセイとクラハだと思う。2人とも慣れない感じで、ぎこちない。
心臓の音がだんだん小さくなる。トク、トクと一定のリズムに戻る。まだ体の震えは止まらないが、あたたかい。
視界が、明るくなる。もう、カナタの姿は見えなかった。
「平気か……?」
おずおずと、アレクセイは李夏を見下ろす。眉が下がっていて、いつもらしくない。
「……帰るか。俺らの居場所に」
ハーレンはまた李夏の背中を撫でて、優しく言った。




