22話
「っ……僕、お手洗いに行ってきますね!」
突然、李夏がそんなことを言った。
「しまらねぇなー……」
ハーレンは眉をハの字にして呟いた。
それにしても、李夏の様子が変だった。どこか怯えているような、何かに後ろめたい気持ちがあるのか、トイレに向かう李夏の顔には冷や汗があった。
その場にいる誰もが李夏の様子の変化に疑問を抱いていた。
その時、ひた、ひたと李夏ではない別の足音がした。
「……李夏、いないじゃん」
少年の声。声変わりして間もない感じの中音。くすんだ赤色の病衣とパーカーをまとい、無気力にサーレイの片足を掴んでいる。
サーレイの顔は髪の毛で見えない。クラハの矢によって怪我は負っているはずだが、倒すとまではいっていないはずだ。
クラハ自身も、あまり深く刺さったという実感がなく、気絶させれたと言うだけで万々歳なのだ。
声の主は肩につくほどの黒髪を揺らして、ハーレンをじっと見つめた。光を反射しないほどの真っ黒な瞳がハーレンをとらえている。
「ごめん。名乗るの忘れた。僕は時雨カナタ。人形」
カナタは淡々と口を動かす。
人形。
3人は武器を構える。なぜここに人形がいるのかは不明だが、人間にとって、長年戦争をし続けた相手。人形自体に恨みはなくても警戒してしまう。
「待って。戦いに来たんじゃない。視察の為に……まあこの馬鹿は勝手に戦ったんだけど。全く……後で僕も怒られる……」
カナタはサーレイに悪態をつきながらブツブツと愚痴をこぼす。サーレイの片足を掴む手も力が入っているようだった。
パンと乾いた音が響く。その音と同時にカナタの愚痴をいう口も止まった。
「カナタくんだっけか?要件があるならさっさと言いな」
ハーレンは銃口をカナタに向ける。先程は威嚇のためわざと弾を外したが、こんどはしっかりカナタの方を向いている。
「……怖。ならこれだけ」
カナタの表情はさらに険しくなる。
和やかな場であったはずの場所は一気に恐怖と不安が渦巻いた場所となった。
そしてカナタは息を吸う。
「マスターは、まだ人間のこと嫌いだから」
「マスター……?」
ハーレンが低く問い返す。銃口を逸らさぬまま、目は鋭く細められている。
カナタはその視線を一度だけ受け止め、すぐに逸らした。
「僕らを作ってくれた人。僕らの光。僕らの救世主」
カナタはどこを向いているのだろうか。ハーレンを見ているはずだが、遠くを見ているようだった。
ハーレンの後ろの方。李夏が走り去った方だ。
「とにかく、これは警告だよ。次会ったときは敵だから」
カナタはそう冷たく言い放ち、サーレイを抱えなおして去っていった。
ボロボロになったサーレイの後ろ姿が、3人に恐怖と不安を植え付けた。
「また、逃げるんだね」
そうカナタが呟いたのは、誰にも聞こえなかった。
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時雨カナタ。李夏と同じ苗字。
アレクセイは騎士団に来た時、部屋で話したことを思い出す。
あの時、李夏は兄弟のことはなにも言っていない。
時雨……英雄の子孫という生まれたときからついている枷が、李夏を苦しめているように見えた。
カナタは李夏と似ている部分はあまりなかった。ニーナが金髪に緑眼なため、カナタは父親に似ているのだろう。
カナタが来る直前、李夏がここから去ったのも何か理由がある。それもお手洗い以外の理由で。
「っ……!」
その頃、お手洗いから帰った李夏は壁際から動けないでいた。
嫌な予感がして、思わず逃げてしまった。
李夏が逃げてすぐ、カナタが現れた。それもサーレイを引きずりながら。
李夏は隠れているはずなのに、カナタの視線は李夏に向いている気がした。幼い頃は大好きだったはずの真っ黒な目が李夏を突き刺して抜けない。
カナタが去る直前、何か呟いたように見えた。
何を言ったのか分からないが、想像はできる。
「また、逃げるんだね」
足が震える。後ろは壁なはずなのに、カナタが立っているような気配もしてきた。
しかし、違和感があった。
カナタは死んだはず。
カナタが死んだことは目で見ていないが、グチャッと潰れる音が耳にこびりついて離れない。
何年前だったか。あの時は幸せだった。




