1話
優しい風が李夏の部屋に入り込む。
暖かい春の空気に李夏はとろけきっていた。なぜなら今までは毎日寒さに耐えながら目覚めの悪い生活を送っていたのだから。
「くぁ...いつぶりだろう。こんなにぐっすり寝れたの」
大きく背伸びをしてあくびをする。布団から出てぼーっと部屋の隅を見ているとドンドンと扉が叩かれた。
「李夏!もう始業時間だぞ!」
叩いたのはハーレンだった。
始業...?なにそれ...?と働かない頭で考える。始まる...?そういえば昨日、学校に入るとか言ってような。
「...あ」
そう。李夏は開始早々、遅刻をかましたのだ。
━━━━━━━━━━━━━━━
「最悪....」
時期的には新入生と大差ないのだが、入学式には出ていないため転入生という扱いになった。
転入生というだけで注目を浴びるのに、遅刻してヘアセットもできていないボサボサの状態で入ってきたため、李夏の予想通りクラスメイトには怪奇の目で見られた。
冒頭の発言のように最悪のスタートを切った李夏は校舎の裏庭で項垂れていた。
せっかく部屋も貰えて至れり尽くせりだったのに、こんなスタートはないだろう。
ここには誰もいない。つまり、今だけは李夏専用の場所だ。せっかく1人なのだから、ある魔法を試してみるようとふと思った。
手を目の前に伸ばし、呪文を唱える。
「……プロテクト……!」
李夏の手からは小さいプレートのようなものしか出ない。
「……やっぱだめか」
プロテクト。防御魔法だ。
防御魔法は使用難易度が高く、魔力消費も早い。
李夏は恩人である青髪の青年が使っていたことがきっかけで、防御魔法の練習を始めた。
しかし李夏は魔法が苦手だった。攻撃魔法や強化魔法と分類されるものは防御魔法より難易度が低いがそれでも李夏はできなかった。
教本では防御魔法を使うには本当に守りたいという気持ちが大切と書かれていたが、そんな状況そうそうない。
「もう、だめかな」
正直、諦めかけていた。無愛想で、気遣いもできなくて、勉強もできなくて、なにもできない自分にだんだん怒りが溜まっていく。
「サーレイさんなら、できるのに」
そう愚痴を零していた時だ。近くの草むらが動いたような気がした。気のせいかと思ったが確かに動いている。その動きはだんだん激しくなり、やがて李夏の前に1匹の動物が現れた。
「君は...りす?いや、オコジョ?」
目の前の小さなかわいい生き物は真っ白な毛にふさふさで体と同じくらいの長さのしっぽを持っていて、くりくりとした丸くて大きな瞳には驚いた顔の李夏が写っている。
「どうしてここに白いオコジョが...寒い地域じゃないのに...」
オコジョは李夏を認識すると「着いてこい」と言っているような素振りをしてまた草むらに入っていった。
「でも学校が...」
李夏は紹介してくれたカナリヤに罪悪感が出てくる。入学はカナリヤの頼みだったとはいえ、自分の居場所を作ってくれたのはカナリヤだ。
……ただ、李夏の中に一筋の好奇心があるのも事実だった。
そんな気持ちと葛藤しているとオコジョはぷりぷりと怒って李夏の足に噛み付いてきた。
「痛っ」
そのような反応をしたが、李夏は日頃から鍛えていたためさほど大怪我とはならならかった。
オコジョは「分かったら着いてこい」と李夏に催促し、再び草むらに入っていった。
「はぁ……謝る言葉考えとかないと」
李夏は心の中でカナリヤに土下座をして、渋々オコジョの後を追った。
━━━━━━━━━━━━━━━
オコジョに着いて行くこと数十分。周りの景色はだんだん緑から白に変わっていく。白は見慣れた色だが、今いる所は李夏がいた雪山とは少し違う。
李夏がいた所は雪が柔らかく、歩くと足が沈んでいたが、ここは歩いても沈まずに雪が地面になっている。
それもそのはず。李夏が良く知っているのは頻繁に雪が降る地域であって、あまり降らない地域のことは知らないのである。
さらに歩いていくと結界のようなものが見えた。結界の先には集落なのか家が建っているのが分かる。
結界に入るとなんだか不思議な感覚に襲われる。まるで別の世界にきたような、そんな感覚だ。
「やっとここまで来たな」
知らない声がする。李夏のことを知っているかのような口ぶりだ。
「おい、見えないのか!下だ!下!」
声の通りに下を見てもあのオコジョしかいない。まさかオコジョが喋っているのか?
「おい!なんだその目は!」
「動物が……喋ってる?」
まあ、魔法がある世界だし動物くらい喋るか……いや、そんな訳ない。きっとあの結界が原因だろう。
「きみ、かわいい声してるね。マスコットキャラクターみたい」
「はぁ!?」
オコジョは怒っているが、本当にかわいい声だ。声質的オスだろうが、きゅいきゅい話すのでかわいいかわいいと言ってしまう。
例えるなら声変わりのしていない男の子の声だと言えば伝わるだろうか。
「そんなことより!人間、オレたちを助けてくれないか」
「ふーん。お願いしますは?」
「くっ...!」
意地悪するような性格ではないが、反応が大きいためやってみたくなった。これが面白いという感覚か。
李夏は少し楽しそうに顔を綻ばせてオコジョの反応を待つ。
「...お願いだ!この、モーツ保護地区を救ってくれないか!」
オコジョは長い腰を90度に曲げて李夏に頼み込む。
流石の李夏もここまで誠意を見せられては断る選択肢がなくなる。
「分かったよ。でも僕はどうしたらいい?そんな特別な人間じゃないけど...」
李夏は特別な力を持っている訳ではないし、ましてや超人的な才能があるわけでもない。強いていうなら、他の人間より少しばかり力が強いということだけ。
今の李夏が出来るとこはあまり無いとオコジョに伝えると、
「オレは知っている。お前は孤独を体験してる。きっとそれが王様の力になるはずだ」
「孤独……?王様……?」
なぜこのオコジョが知っているのだろうか。李夏が一人で過ごしていたことはハーレンにしか伝えていないはずなのに。
オコジョによると、モーツ保護地区は元々穏やかな地域であったが、戦争による被害が相次ぎ国や街は混乱し、保護地区を統治していた王様までもが混乱したことで壊滅状態になったと言うのだ。
「王様はアレクセイって名前だ。まだ若くて、多分お前と歳が近いと思う。王様が元に戻れば国の復興も早くなる!」
つまり自分は王様に何か言葉をかければいいのか。
するべきことは分かったが、自分にそんな大それたこと出来るのか。李夏は不安でいっぱいだった。
「今いるのは国の入口だ。入ったらもうゆっくり出来ないと思ったほうがいい。オレも一緒に行くから案内は任せろ」
そう言うとオコジョは李夏のウエストポーチにするりと入り込んだ。
絵面がかわいくなった。李夏は今日ほどウエストポーチを付けていて良かったと思う日はないだろうと思った。
「そういえば、君の名前は?僕は李夏」
「名前なんてないぞ。それより鞄の中物ありすぎだろ。もうちょっと整理しろよ」
オコジョは気になるだろうが、李夏にとって中にある物の場所は分かるし別にいいでしょくらいの認識だった。彼には我慢して貰おう。
「そうなんだ。うーん、ならジョーちゃんで」
意気込んでいたオコジョは李夏の突拍子とない発言にあんぐりと口を開けた。
「オコジョのジョーちゃんね」
「もう好きに呼べよ...」
李夏はウキウキで門をくぐった。これから苦労することも知らずに。