表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
<R15>15歳未満の方は移動してください。
この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

猫なべ人なべ

作者: シロクマ

『猫なべ人なべ』

 

 時は今。

 ある片田舎に鬼猫おにねこ旅籠はたごがありました。

 女将の銀千代はしゃかりきにはたらき、毎日を忙しく暮らしていました。


 それもこれも銀千代のふたりの子猫を養うためでした。


 兄の金司きんじ

 妹の玉城たまき


 ふたりは母を慕い、よく働きます。けれどまだ立派なオトナとは言えません。

 ある日、年老いた銀千代は病に伏せてしまいます。

 ふたりは看病をしてやりますが、治る兆しもなく、先が長くないとわかってしまいます。


「かあさん、なにかできることはない?」

 そう銀千代に尋ねると、はじめは何もないと遠慮します。

 しかし玉城にも「いじわるせずにー」とせがまれ、最後にようやく願いをいいます。

「……そいじゃあ、あたいはまた人間が食べたいよ」

「人間を!?」

 金司と玉城は互いに顔をあわせて驚きます。

 といっても鬼猫ですから人間を母猫がこれまで食べてきたことに驚いたわけでなく。

 自分たちで狩ってこいといわれて、驚いたのです。

 こうして、兄と妹は人間を狩って母へ食べさせるために人里へと出かけてゆきました。




 とぼとぼ、とぼとぼ。

 金司と玉城のふたりは山中の車道を辿って、ふもとの人里を目指します。

 金司は赤茶に白っぱら、玉城は黒に白っぱら、腹黒さに欠ける二匹のこと。

 近所の農家はしっかり戸締りをしてたり、鬼猫の言い伝えを知っていて魔除けを張ってたり。忍び込むこともできず、仕方なくもうすこし町へと降りることになったのです。


「にーにゃ、にーにゃ」


「なんだい、たまき」


「にーにゃ、人間っておいしいの?」


「僕は食べたことないよ。けど、ごちそうなんだってさ。年寄りはちょっぴりしぶいけど、若いのや小さいのはおいしいらしいよ。首の“カマ”と耳のたぶが通好みなんだって」


 とことこ歩く兄猫、妹猫。

 時おりヘッドライトに照らされて、闇の中に四つの目が爛々《らんらん》と輝きます。


「にーにゃ、人間を食べるたってどうやって食べるの?」


「すきやきだよ。人の油を引いた鍋に甘い醤油と砂糖と出汁で、野菜もキノコも入れる」


「ネギはー?」


「それは母さん死んじゃう」


「にへっ、じょーだんじょーだん」


 ころころと玉城は笑う。金司は尻尾をしなだれさせます。


「三日だけだよ、今日はダメだった。三日目の朝には元きた道を辿って、母さんのところへ帰る。明日が勝負だ。適当なところで宿を探そう」


「宿屋さんなのに、余所の宿には泊まったことなかったもんね。たのしみ、たのしみ」


「僕ら鬼猫は野良猫とは違うからね、しっかり宿で寝泊りしなきゃ。文化的にさ」


「野宿はなんでいけないの?」


「うーん、それはねえ」


 金司はちらりとヘッドライトに映し出された死骸を見やった。

 ぺったりと平たくのされた野良猫だ。

「僕らはああいうのと一緒じゃないよ、てことさ」

 言うや否や、そいつはより“ぺちゃねこ”になった。







 猫の旅籠に泊まった二匹は、ずいぶん主人によくしてもらいました。


「銀千代の女将さんには昔、世話んなったからねぇ。親孝行の良い子らじゃないか。そいや、人間っていやぁ最近ちょれえのが居てね。ちょいとまちな、地図と弁当を持たせたげるよ」


 主人の地図とメモを頼りに、金司と玉城は人里の町へとまぎれこみます。

 漁港の町は潮の薫り。海の眺め、船の白、港の灰、なんとも色あざやかでした。


「にーにゃ、にーにゃ」


「なんだい、たまき」


「お魚いっぱいあるのかな」


「やだよ生臭い。昔は貧乏臭くて魚ばっか釣れて肉は無かったもんだから、しょうがなく人も猫も魚を食べてたんじゃないか。骨だってめんどーだ」


「にーにゃは現代っこでやせんぼだってかーちゃ言ってた」


 金司は耳をへにゃりとさせます。


「よく考えれば分かるだろう? 僕やたまきに水かきはあるかい? およぎは得意かい? 断然、僕らは肉を食べる生き物であるべきさ」


「にーにゃは好き嫌いが多いけど、たまきはなんでも食べるよ」


「よろこんでネギを食うのはたまきくらいさ」


「にへっ」


 ころころと玉城は笑います。


「さて、このボロ屋か」


 やってきたのは古ぼけた一軒家。なんでも、ここの家は両親がいつも働きに出ていて、ちっこいのが一人で過ごしてるらしいのです。しかも家がボロっちい。そういうわけで人間狩りをするにはうってつけというわけです。

 金司と玉城はひょいと身軽にベランダに跳び昇って、中をうかがいます。


「ああ、いたいた」


「ちっこいね、にーにゃ」


「そうかい? こどもにしては大きいし、おとなにしては小さい。中くらいだ」


「かわいい服してる。たまきと同じ女の子だね」


「知ってるぞ、こういう服を着てるのは学生っていうんだ。中くらいの学生だね」


「がくせーちゅうだー」


「なにかちがうよ、たまき」


 たまきはけろけろと笑います。


「ね、この子でどうかな。かわいいってことはおいしいってことだよね」


「それに元気で美味しいそうだ」


「わかるの?」


「言ってみただけ。たまきは?」


「わからないことがわかるよ」


 ベランダの窓は残念なことに鍵が掛かって開きません。鬼猫というのは器用で、箸でごはんを食べるなんて朝飯前。朝飯くらい人間の道具を使いこなして、まだ子どもながらもちゃんと作れます。

 おいしい焼き魚(生焼け)とごはん(ぬるい)と味噌汁ぬるいです。


「どうする? ぶち割る?」


「音を立てちゃまずい。あいつに開けさせよう」


「にーにゃ、どうやって?」


「簡単さ。それっ」


 ヒゲをひと撫で。さすさすり。金司が不思議な鬼術を使う時のお決まりです。

 すると風が拭き、ぴゅいと洗濯物が飛んでいきます。

 ひらひらふんわり、二つのお山がある白い布切れです。


「あっ! 私のブラがっ!」


 飛び出してきたがくせーちゅうを、二匹はえいやと足を引っ張ってつっこけさせます。

 ガンッ。

 見事、がくせーちゅうはベランダに頭を打ちつけ、勝手に気を失ってしまいました。


「やったね、にーにゃ! 人間狩り大成功!」


「こんなに取り乱すなんて。アレはそんなに大事なものだったのかな」


「たまき知ってるよ。かーちゃ言ってた。だってアレ、おっぱいを隠すものだもん」


 金司は妹の意外な言葉に、全身の毛がぞわりと逆立ちます。

 玉城は二本足で立つと、もこもこ白い毛に覆われたおなかを隠すように手と尾で抱きしめた。


「いやん、にーにゃのえっちぃ」


 しゅぱっ。

 金司のねこパンチは今日も冴えていました。




 人間狩りは首尾よく終わることができ、早く帰路につけました。

 二日目の夕方までには峠をこえて、家に帰りつくことでしょう。


「にーにゃ、ひどい。たまきのことぶったぁ~!」


「まだ言うか。からかうお前が悪い」


「だってだって、たまきはにーにゃのこと大好きだもん」


「どのくらい?」


「そーだねー」


 ぶおんと轟音を鳴らして、大きな鉄の箱車が二匹のそばを横切ってゆきます。


「あれくらい大好き」


「わぁ、愛が重い。そりゃ尻に敷かれたくないね」


 あんな大きな玉城の“大好き”がぶつかってきたら、金司はぺしゃ猫です。


「とにかく僕は実の妹のたまきとは結婚したりしないよ」


「じゃあ、たまきはにーにゃの妹やーめた」


「そ。じゃあ僕らは他人だね」


 てくてくと金司は冷たげに先を行く。あっと声をあげ、玉城は慌てて後を追います。


「やぁ~! やっぱりたまき、にーにゃの妹がいい!」


「こいつめ~」


 すりすりと愛しげに頬ヒゲをすり合わせてくる玉城に、金司はまんざらでもなさそう。


「あのー……、美しき背徳の兄妹愛の最中に申し訳ないんですけど」


 声に振り返ると、そこには白縄を手首、足首に巻かれてる“がくせーちゅう”の人間が後ろを歩かされています。鬼術で手足を操り、無理やり歩かせているのです。


「なぁに、がくせーちゅうさん」


「いや、私はそーゆー虫みたいな名前じゃなくて、玉緒って名乗ったでしょ」


「だってたまきとダブってて、まぎらわしいもん」


「そーだそーだ、僕も呼びづらい。めーわくだ」


 猫の子二匹、声を揃えてにゃんにゃんけんけん非難します。


「じゃ、じゃあ苗字でいいです。水野って呼んでください」


「みずののー」


「ああ、だから水玉模様なんだ」


 金司はどうでもよさげに、スカートの中を見上げた感想を述べます。


「このバカねこぉっ!」


「やっ! にーにゃ、見ちゃダメ!」


 かしまし、かしまし。


「うるっさいよふたりとも。で、僕らに何の質問、みずののさん」


「みずののー」


 がくせーちゅうの名は二匹の間では『みずのの』で定着することになりました。

 みずののはあきらめの表情で、本題に入ります。


「おはなしは捕虜になった時に聞きました。私を食べるつもりなんですよね」


「うん、かーちゃのお願いだから」


「命乞いは無駄だよ。前にね、僕は逃げ惑うネズミの一家を女子供まで根絶やしにしたんだ。鳴き叫ぶ子を親の前で無理やりにね。僕は狩りについては非情で冷酷だ、恐れいったか」


「いや、それあんまり怖くないです。むしろありがたいです」


 気まずい沈黙です。


「違うの! にーにゃはクール宅急便なの!」


「くふっ」みずのの一笑。


「爪とぎの刑!」ふくらはぎに一撃。


「いたっ! 今の反則っ!」


 金司は睨みを効かせ、爪を見せびらかします。


「その大根足をすりおろしてやる」


「うー……。とにかく抵抗も交渉も命乞いも無駄だってわかりました。だから」


「だから?」と二人揃って。


 一呼吸を置いて、みずののは重たげに言葉します。


「私を食べてもいいですよ」


 その表情は足元をうろつく二匹にはよく見えませんでした。




 みずののはひきこもりでした。

 みずののは自分をダメな人間だと何度もしつこいほどに言いました。


 友達、父母、学校、とにかくうまくいかないと。

 金司と玉城には人間の「ヨシ!」も「ダメ!」もよくわかりません。

 とはいえ、自分のためにさえ働きもせず、親孝行もせず、鬼猫だったらダメなやつといわれても仕方ないとは思います。


 二匹はあくびを噛んで眠くなるほど、みずのののあれこれを聞いてあげました。

 時どき泣いたり、怒ったりするみずののに二匹は大弱り。

 ともかく、みずののはめんどーな人間でした。


「死にたいわけじゃないけど、生きたいわけじゃない」


 などとのたまいます。

 山奥に入り、家が見えてきた頃、金司はとうとう怒ります。


「ああもう、こっちはかあさんが死にそうだってのに!」


「……ふたりのことは偉いなぁと思うよ、だって、私はアイツラのために親孝行しようだなんて思わないもん。もういっそ、君らのために、死んであげたっていいよ」


「はぁ? 死んであげたっていいってなんだよ!」


 そんな支離滅裂なやりとりをしていると、玉城は今にも泣き出しそうになりました。


「やめたげてよ、にーにゃ。みずののの気持ち、たまき分かるよ。たまきだって、にーにゃに嫌われたり、喧嘩したりすると、もういいやってなっちゃうもん」


「それは……そんなの甘えだよ。喧嘩したら、仲直りすればいいのに、こいつときたら」


「にーにゃ、みずのの食べちゃったら仲直りなんて、できっこないよ」


 そのまま気まずい空気を漂わせ、二匹と一人は帰宅しました。








 銀千代は待ちかねていたように布団からのっそりと身を起こしました。

 銀千代は老いた鬼猫です。

 口は裂けて身はずいぶんと大きく、額には角があり、熊さえ逃げ出しそうな怪物です。。


「お前たち、無事に帰ってきたんだね」


「僕がしっかり見てたから、大丈夫。ちゃんと人間狩り、できたよ」


「かーちゃ、にんげん! みずののだよ!」


 銀千代はしげしげと品定めします。


「おや、この人間はまだ生きてるじゃないか」


「うん。新鮮でしょ、かーちゃ」


「どうして殺してこなかったんだい?」


 びくり、とみずののは銀千代の目の鋭さに驚きました。本当に人の味を知っていそうだったからです。そこでようやく、本当に殺されてしまうんだと理解したのです。

 今はかわいい金司も玉城も、いずれはこの鬼猫のようになるのでしょうか。


「んーとね、なんでなの、にーにゃ」


「僕らは小さいからね、自分に歩かせた方が楽チンだった。かしこいでしょ、母さん」


「ははぁ、なるほどそーかい。ふたりとも、賢いもんだねぇ」


「にへへー、たまきかしこい」


「僕がだ、僕が」


 なんとなく家族団らんとしていて、猫の旅籠はあたたかでした。

 蒼白い鬼火が、囲炉裏に灯っています。

 油の塗られた鉄鍋がぬらりとあやしく光ります。


「それじゃあ早速、人なべすき焼きといこうかい」


「わぁい!」


 みずののを無視して淡々と進む調理準備、喜々として玉城はネギを刻みはじめます。


「あの、本当に私を食べてしまうんですか?」


「食材は黙っておき」


「……じゃあ、最後にひとつだけ。どうしてこの子たちに人間狩りなんてさせたんですか。そりゃ私は苦もせず捕まりましたけど、もし危ない目に合っていたら……。人間だって無力じゃないです。鉄砲や刃物で抵抗します。そんな危険なことさせてまでどうして人間が食べたいんですか?」


「生きるってことぁ危険がつきもの。小娘一匹、ちゃんと捕まれてこれないようじゃあ、私ゃ死んでも死にきれない。この子たちだって分かってる。私にね、私がいなくたって立派にやれるんだと見せたげたかったのさ」


 みずののは銀千代の話しに聞き入りました。


「こん老いぼれは我が子の成長を見届けたかった、そんだけさね」


 じうじうと鉄鍋の焦れる音がします。


「さぁ金司、玉城、最後にこの子をバラしちまいな。肉にしなきゃ食えやしない」


 そういわれて料理の手を休め、二匹はお互いの顔を見合わせました。

 そして玉城はおそるおそる銀千代へ聞き返す。


「ぜんぶ? 足だけ、とかじゃダメなの?」


「そうさね、踊り食いも乙なもんさ。生きたまま天井に吊るして、少しずつ包丁で肉をこそいで焼いてくんだ。まず尻やふともも、血の通ってないところをね。こん娘は若い人間だからね、良い声で啼いてくれようよ。もう見たくないと言ったら、目を抉って食べてやる。もう聞きたくないと言ったら、耳を削いでやる。腹が減ったといったら、おすそわけ。最後には自分から死にたがる。それがいいかい、たまき」


 銀千代の語りの恐ろしさに、みなして首を横に振ります。

 銀千代ははぁと溜息をつきました。


「情けなや。お前たちはてんで鬼猫の鬼たるところが欠けてる。いいかい、私達ゃ肉を食って生きる獣だ。それを忘れちゃあおしまいさ。お前たちは優しい。けどね、優しいだけじゃダメだ。厳しさがない。惨酷さが足りない。いいさ、それなら考えがある」


 銀千代は歯牙に刀を噛み加えて、のっそりと床を這い出しました。


「お手本を見せたげるよ」


 じりじりと銀千代は鉄鍋の滾る音に合わせ、歩み寄ります。

 老猫は妖しく、囲炉裏の明かりでぬらぬらと刃を濡らします。


 その両目も、その口牙も、鬼火に照らされて蒼く染まっています。

 二匹はただ、あ然とその様を見つめていました。

 玉城と金司は今、迷っていたのです。





(殺される――!)


 水野は確信しました。銀千代の心と言葉に嘘偽りはありません。

 きっと本心より、我が子らの行く末を案じている。二匹にとっては、最良の母に違いないのでしょう。


 だからこそ、怖い。我が子を思う母の愛は、けしてゆらぎはしないでしょう。

 そう思うのに、どうして自分は両親ともうまくやっていけなかったのか。


 水野は悔やみます。自分のことを大切に思えばこそ、折り合いがつかないとは分かっていました。それがたとえ空回りしていても、実を結ばなくても。

 今更ながらに水野は後悔します。




 もうすこし、がんばってみたかった。

 もっと、生きたかった。

 生きてて欲しいと、願ってくれる人が私にまだ居るのであれば。



「やめたげてよぉ!」


 玉城が、かばうように割って入りました。精一杯、腕を広げます。

 玉城は本当に優しい、兄想いの良い子でした。


「おどき! たまき!」


「みずののは生きなきゃいけないの! 生きて、みずのののお母さんとお父さんと仲直りするの! こんなの、ダメだよ」


 修羅めく銀千代の前に、玉城を守るように金司も立ちはだかります。


「僕も……母さん、これじゃダメだ。みずののを、母さんには殺させない」


「おどきったら! この!」


 銀千代は天井を仰ぎ、ぶんと豪快に獅子舞のように首を振ります。

 そうして鬼母となった銀千代は、みずののへ横一文字に刃を――。

 しかし金司が体当たりして、銀千代はよろめき、ひるみます。

 そして人切り包丁を奪います。


「にーにゃ!」


 玉城は大喜びして、べそをぬぐいます。金司はポンと玉城の額を撫でさすってあげます。

 みずののにはその時、金司の背中がとても大きく見えました。

 まるであどけない子猫が、立派なオトナになりつつあるかのように見えたのです。


「玉城、母さんを。乱暴をしてしまった」


「うん!」


「……お前たちは、まったく」


 やさしくもたよりない我が子を、元気ならばいいや、と銀千代はあきらめの眼差しです。

 これで一件落着か、とみずののは一息つきます。


 ――と。


 銀千代の猫の目が、おどろきにきゅっと縦に細くなるのをみずののは見ました。

 なにを驚いているのか。みずののはすぐにはわかりませんでした。


 ――ぐらり。

 どさっ。


 みずののの視界の水平線上に、囲炉裏の青白い火がみえました。

 人間の片足が、鉄鍋のかたわらに千切れて転がっています。


 あっけなく切断されたのです。

 血に濡れた人切り包丁を握る金司の目には、ぽろりと涙がこぼれていました。


「ごめんね、みずのの」


 そして振り下ろされる刃。

 水野が最後に見たのは鬼なのか、猫なのか。








 金司は必死でした。

 みずののを調理するのは一苦労でした。


 人間というものを、骨と肉とその他に分解するのは初めてのことでした。

 母の望んだ人なべを、懸命に作ります。


 じゅうじゅうと焼ける音がします。

 甘辛い醤油、油の引かれた鉄板、山菜をたっぷりとそえて、すき焼きにします。


 みずののはもう、すっかり人なべです。

 やがて出来上がった人なべを皿に盛りつけ、金司は母と妹へ、それを差し出しました。

 金司はもう泣いてはいませんでした。


「母さん、望み通りに用意したよ。人なべを」


「そうかい、よくやったよ」


 銀千代はそこから何も言わず、黙って箸を置きました。

 そして煮えたぎる鍋に、けだもののように頭を突っ込みます。


 必死でした。

 銀千代は金司のつくった人なべを喰らい、溺れて、最期に果てることを選んだのです。


「みずのの、ごめん。僕は兄だ。鬼猫だ。僕は君が生きたいと願っても、それを踏み越えて生きる勇気を示さなきゃいけない。母さんに安心して旅立ってもらえるように。君はダメな人間だったけど、ちょっと好きだった。だからこそ、僕は胸を張って、母さんに君をご血葬ごちそうするよ。

 みずのの、君の味は忘れない」


 そうして金司も黙って、箸を握りました。




 そして玉城は迷っていました。


「にーにゃ……たまきは、みずのの、食べたくない」


「いいよ。僕もだ。みずののを食べたくはなかった」


 けれど箸は置きません。

 みずののを飲み込みづらくて、なんともあごが疲れました。


「にーにゃ、だけどたまきはいつまでも甘えん坊の妹じゃ、やだよ。

 だって、たまきはにーにゃのこと大好きで、いつかお嫁さんになりたいから」


 鉄鍋の鬼火はいつしか消えていました。

 銀千代が亡くなったのです。


 鉄の鍋肌でジリジリと焼け焦げる、香ばしい匂い。

 皿を置き、玉城はそっと鍋へ寄ります。


「たまきは親不孝もの、最後までかーちゃに甘えてた」


 くちゃり、くちゃりと玉城は口にします。

 みずののを、そして。


「これで玉城は――かーちゃのこども失格。ね、これで結婚できるよ」


 仔猫は、母猫を愛しげに食みました。

 鬼猫として銀千代の力のかけらを我が身に宿すために、必要なことでした。

 そうして頬を汚して、乙女は恋焦れて微笑みます。


「にーにゃ、かーちゃにはナイショだよ」


 猫なべ人なべ。どんな味。


                          ――了――

お読みいただきありがとうございます。

お楽しみいただけましたら、感想、評価、いいね、ブックマーク等格別のお引き立てをお願い申し上げます。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ