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恋愛ショートショート

自分の魅力は選べない

作者: あずみれん

昼休みの教室、ざわざわとした空気の中で、

田中涼たなかりょうはスマートフォンを手に悩んでいた。

画面には未送信のメッセージが表示されている。


「今度、放課後に話せないかな?」


宛先は、同じクラスの遠藤七海えんどうななみ

彼女とは特に親しいわけではないが、

最近なぜか目が合うことが多く、

ふとした瞬間に笑顔を見せてくれる。

そんな彼女に対する気持ちを意識し始めた涼は、

勇気を出してメッセージを送ろうと決めたのだ。


だが、「送信」ボタンを押す直前で、

七海が友人たちと楽しそうに話している姿が目に入った。

その中には、運動も出来て勉強も出来、だからこそ苦手意識のある

クラスのムードメーカーである伊藤翔いとうしょうの姿もあった。

涼は手を止め、ため息をついた。


(あの笑顔、俺に向けられたものじゃなかったのかもな…)


そう考えた瞬間、涼の胸の中に冷たい感情が広がった。

七海の笑顔はいつも誰にでも向けられるもので、

自分が特別であるはずがない。

気にしているのは自分だけで、

彼女にとって自分はただのクラスメートに過ぎないのではないか。

涼はそんな考えに取り憑かれていた。


(どうせ、伊藤の方が俺よりずっと似合ってる。)


自分を卑下するその思いの裏には、


涼が無意識に持っている


「自分には特別なものはない」


という劣等感があった。

だからこそ、七海の明るさや、周囲に溶け込む姿が自分とは違う世界のように感じられたのだ。


そのままメッセージを消してしまい、涼は机に顔を伏せた。


七海が涼を意識し始めたのは、数週間前の放課後のことだった。


雨上がりの昇降口で、七海が靴を履き替えようとしているとき、

ふと涼が近づいてきて、何かを差し出した。


「これ、落としたよ。」


手渡されたのは七海が使っていたピンクのヘアゴムだった。

休み時間に外してポケットに入れたまま、歩いている最中に落としてしまったのだろう。

それに気づいて拾ってくれた涼の仕草は、どこかぎこちなかった。


「ありがとう!拾ってくれたんだね。」


七海が笑顔でお礼を言うと、

涼は少しだけ目を逸らしながら「うん」と小さく答えた。

その短い返事に、なぜか七海の胸がきゅっと締め付けられるような感覚を覚えた。


(…かわいいかも?)


その控えめな優しさが、七海にとって特別なものに思えた。

それ以来、七海の目は涼を追うようになった。

朝、机に座ってボールペンのキャップを何度も付け外ししている涼の手が妙にかわいく見えたり、

友達に声をかけられて小さく頷く姿がやけに気になったりした。


(別に目立つわけじゃないのに、なんでこんなに気になるんだろう…)


授業中、涼が教科書を読みながら眉をひそめる仕草や、

プリントを配るときに少し戸惑ったようにする動き。

その一つ一つが、七海の胸をくすぐるようになっていた。


(なんか、全部がかわいい…どうしよう。)


放課後に彼がカバンを漁っている姿を見かけたときのこと。

鞄の中身を探しているうちに、消しゴムやハンカチが床に落ち、

それを拾おうとしゃがんだときに肩に掛けた鞄がつり下がり、

バランスを崩して「あ、ちょっと待って…!」と小声で焦る涼の声が聞こえた。


(こういうの、ずるいよ…かわいすぎる。)


彼が椅子に座り直すときに小さく「よいしょ」とつぶやく声や、

誰にも聞こえないくらいの音量で独り言をつぶやく姿。

そうした細かな仕草の一つ一つが、七海には愛おしく思えた。


(気づけば目で追っちゃうなんて…どうしよう。)


七海の中で、涼はいつしか他のクラスメートとは違う特別な存在になり始めていた。

しかし、そんなコミカルな彼の仕草が好きなんてとても本人には言えない。

彼に話しかけようとすると言葉が見つからず

結局はいつもタイミングを逃してしまう。


クラスの掲示板の前で七海がメモを貼っていると、伊藤が声をかけてきた。


「七海、珍しく何か貼ってるな。」


「うん、文化祭の班分けの確認表。」


「へえ、手伝おうか?」


伊藤は冗談交じりに声をかけたが、それを遠くから見ていた涼の胸はざわついていた。

(やっぱり、伊藤と仲がいいんだよな…俺なんかよりずっと似合ってる。)


その後、七海が涼に話しかけるチャンスを作ろうとしても、

涼はなぜかいつも逃げるように目を逸らしてしまう。

七海の胸にはモヤモヤとした気持ちが募っていった。

(このままじゃ嫌だな。)


ある朝、涼が机の引き出しを引くと一枚の小さなメモが入っていた。


「放課後、図書室で少し話せませんか?」 遠藤 七海


涼はメモを手に取ると、しばらくその文字をじっと見つめた。


(これ…本当に七海が書いたのか?)


最初は誰かの悪戯ではないかと思った。クラスメートの誰かが自分をからかうために置いたものではないか、と。そんな疑念が頭をよぎる。七海のような存在が、自分にこんなメッセージを送るなんて現実味がなかった。


しかし、メモの文字にはどこか丁寧さがあり、線の引き方や丸の形に特有の癖が見える。ふと、涼は数日前に七海が掲示板に貼っていた文化祭の確認表を思い出した。


(…あれと同じ字かもしれない。)


涼はメモをポケットにしまい込み、教室を出て掲示板の前に向かった。廊下を歩くたびに、心臓の鼓動が徐々に早くなる。掲示板に近づくと、文化祭の確認表はまだそのまま貼られていた。


(…間違いない。)


七海の書いた表の文字と、今手元にあるメモの文字を頭の中で重ね合わせた瞬間、涼の胸が一気に騒ぎ出した。癖のある文字の特徴が完全に一致している。


(これ、本当に七海が書いたんだ。)


それが確信に変わったとき、涼の胸に小さな期待が生まれた。しかし同時に、「どうして自分が?」という疑問と不安も押し寄せてくる。七海はクラスで明るく目立つ存在だ。そんな彼女が、自分を図書室に呼び出す理由があるのだろうか。


(どういうことなんだ…何を話すつもりなんだろう?)


期待と不安が入り混じったまま、涼は掲示板をあとにし、ゆっくりと図書室へ向かう廊下を歩き出した。歩くたびに心臓の鼓動が耳に響き、冷たい廊下の空気が妙に重く感じられた。



(行かないと…でも、何を話すんだろう…俺、ちゃんと話せるのか?)


図書室の扉を開けると、そこは静寂に包まれていた。

誰もいない。緊張しながら視線を彷徨わせると、スマホが鳴る。

あれだけ送ろうとして送れなかった遠藤七海のインスタグラムからの

メッセージ


「急用ができました。ごめんなさい。」


その文字を見た瞬間、涼の胸は一気に冷たくなった。


(…そっか。やっぱり、何かの間違いだったんだよな。)


涼は手の中のスマホを握りしめ、机に視線を落とした。

期待していた自分が滑稽に思えた。

彼女が何の理由で来られなかったのか、

それとも本当にからかわれただけだったのか――考えはまとまらない。

ただ、胸の奥に残ったのは虚しさだった。


(なんでだろう。期待なんて、しなければよかったのに。)


心に芽生えたささやかな希望が、脆くも崩れていく。

涼は小さく息を吐き、静かに図書室を後にした。


だから翌日、放課後の昇降口で七海が涼を呼び止めたとき、涼の心は大きく揺れた。


「昨日、本当にごめん。部活のことで急に抜けられなくて…でも、どうしても伝えたいことがあったの。」


七海の言葉に驚きながらも振り返った涼は、彼女の真剣な眼差しに引き込まれていく。



「私、田中君ともっと話したい。だから、もう一度、チャンスをくれないかな?」


その言葉を聞いた瞬間、涼は息を呑んだ。

頭の中で彼女の言葉が何度も反響する。「もっと話したい」。

自分に向けられたはずのその言葉が、

信じられないほど非現実的に感じられた。


(…俺?本当に、俺のことを?)


思わず、涼は口を開いた。

「どうして…俺なの?」

その声は、自分でも驚くほど小さく震えていた。


七海は少し驚いたように目を見開いたが、すぐに小さく笑った。

しかし、その笑顔も、どこかぎこちなく見えた。

彼女の視線は一瞬宙を泳ぎ、微かに手をぎゅっと握りしめているのが見える。


(…七海、緊張してる?)


涼の胸に、ドクン、と大きな鼓動が走る。

冗談や気まぐれではない。

目の前の七海が、自分に真剣に向き合おうとしている。

彼女の動作の端々に、隠しきれない緊張感が滲んでいる。


「どうしてって…」七海は小さく息を吸い込みながら、視線を涼に戻した。

「うまく説明できないけど、田中君のこと、気になるから。」


その一言が、涼の心を大きく揺さぶった。

「気になる」という言葉が耳に届くたびに、胸の奥が熱くなり、同時に混乱が広がる。


「でも…俺、普通だし。七海みたいに明るくもないし…何がそんなに?」

自分でもまとまらない言葉が口をついて出る。


七海は、さっきよりも少し力強く微笑んだ。

しかし、その微笑みも、どこかに緊張が残っている。


「そういうところも含めて、なんだよね。

田中君って、不思議と目が離せなくなるの。

たとえば、何かに一生懸命になってるときとか、

ちょっと慌ててるときとか、

なんだかかわいくて…見てるとほっとするの。」


その言葉を聞いた涼は、耳の奥が熱くなるのを感じた。

かわいい。そんな言葉を自分に向けられるとは思っていなかった。

嬉しい気持ちが胸の奥でじわじわと広がる一方で、恥ずかしさが顔を真っ赤にさせる。


「かわいいって…そんな…俺、別に…」

言い訳しようとするが、七海の真剣な眼差しの前で言葉が消えてしまう。


涼の中で、これまで頭を占めていた

「ただのクラスメートだ」

という自己否定が少しずつ溶けていく。

彼女の言葉と仕草が、どれも作られたものではなく、

涼自身を見つめた本心からのものだと感じられた。


その瞬間、

涼の周りの世界が、

今までの自分の知覚より少しだけ

鮮やかに息づいているのを感じていた。


数ヶ月後――


春が終わり、夏の気配が近づきつつある放課後。

田中涼は校庭の端にあるベンチに腰掛け、

七海と並んで体育祭の準備で使った小道具を整理していた。


「いやー、今日は本当に疲れたね。」

七海が額の汗を拭いながら笑う。

「でも、無事に終わって良かったよ。涼君のおかげで助かった。」


涼は小さく首を振る。

「俺は何もしてないよ。結局、七海がみんなをまとめてくれたし。」


七海は「そんなことないよ」と小さく笑いながら、ふと横顔を向けた。

「でもさ、涼君がいるとなんかみんな安心するんだよね。…私も。」


その言葉に、涼は少し驚いた表情を見せたが、すぐに静かに笑った。


七海と一緒に過ごす日々の中で、涼は少しずつ気づき始めていた。

自分が思っている「普通で平凡な田中涼」と、

七海が見ている「魅力的な涼君」は、まったく違うのだということを。


七海は、涼が「大したことない」と思っているような些細な行動や仕草に、

温かさや安心感を見出していた。

彼女がくれる言葉の一つ一つが、涼の中に小さな自信を育てていった。


(俺は、自分で自分を決めつけすぎていたんだな…。)


七海の言葉や行動を通して、涼は次第にそう感じるようになった。

自分が持つ価値や魅力は、自分では気づかない場所に隠れている。

そしてそれを見つけてくれるのは、自分をちゃんと見てくれる誰かの存在だ。


ふと、七海が涼の顔をのぞき込むようにして言った。

「涼君、どうかした?」


涼は首を横に振り、笑顔で答えた。

「いや、なんでもない。ただ…ありがとな、七海。」


七海は少し不思議そうに首をかしげたが、すぐに柔らかな笑みを浮かべた。


涼はそんな七海の笑顔を見ながら、これからもきっと彼女と一緒に、

少しずつ自分を知っていける気がした。

自分の知らない一面を見つけ、

その一つ一つを大切に育てていく――

そんな日々が続く未来を想像しながら、涼はそっと七海に微笑み返した。

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