11月29日 豚汁 【11日目】
店内は女将以外誰もいない。
店の中のカレンダーは11月28日までバッテンが引かれている。
その上の時計はカチカチとリズムを刻んでいた。
女将はコンロで火にかけている鍋をぐるぐると回していた。
そして小さな小皿を取り出して、鍋の中に入っている汁を取りだす。
「ふーふー」
少し息を吹きかけて冷ます。
そしてその汁を飲んだ。
「うーん、おいしい!」
女将はにこりとする。
すると、店の扉が開く。
「いらっしゃいませ……スフィアさん」
「……女将さん」
「今日はお一人ですか?」
「まぁ、色々あって今日は一人。……ここに来るのも久々ね」
スフィアは目の下に酷いクマを作っていた。
そしてよろよろとカウンター席に座る。
「今日は豚汁ですが、いかが?」
「ぜひ、いただくわ」
コンロの火を止め、器を取り出し、
その中に豚汁を入れていく。
「はい、どうぞ」
「ありがとう」
豚汁は見る限り豚、人参、玉ねぎ、こんにゃくが入っていて、
上からは細ネギがパラパラと振りかけられていた。
さっきまで温めていたためか、入れた豚汁の器からは湯気が立ち込めている
豚汁を受け取ったスフィアはフーフーと冷ましながら
少しずつ飲み始める。
「……おいしい」
「良かったです。たくさんあるので、お代わりも言ってくださいね」
女将はにこりとして話す。
スフィアは黙々と豚汁を食べ始めた。
20分ぐらい店の中は無言のままだった。
スフィアは何も話すことなく、豚汁を食べていた。
そして完食する。
その顔は店に入って来たよりは血色がよくなり、元気になったように見える。
「女将さん、おいしかった……ありがとう」
「どういたしまして。あと、お茶です」
女将はスフィアにお茶を手渡した。
そのお茶もゆっくりと一口飲む。
「ふぅ」
スフィアは一息ついた。
そして女将の方をみて話しかける。
「女将さん、少しお話相手になってもらっていい?」
「えぇ。もちろん」
女将は優しい目でスフィアの方を見ながら答える。
「前回この店にノースとネルと来たのだけど……」
「はい。覚えていますよ。ちょうど三日前だったと思いますが」
「……?まぁいいわ」
首を少し横に振りつつも話を続ける。
「あの後、約束の場所に行ったのよ。
その日は一日ずっと待った……でも、彼は来なかったわ」
「……」
「やっぱり、魔族って言わない方が良かったのかしら……」
スフィアは涙を流す。
それを拭き取ることもしない。
恐らく拭き取っても意味が無いと思っているのだろう。
「結局、その後に少し止まっていた戦争が再び激化しちゃって。
スパイ活動も終わっちゃったわ。
再び人間との戦争の世界に逆戻り……
私は、そんな世界望まなかったって言うのに」
上を向く。
涙を落とさないためか。
それとも、何か大切なものを無くさないためか。
「彼とはもちろんあの後から一回も会えてない。
たぶん、今後も会えることはないと思う。
今、どこで何をしているのかもわからないし、
生きているか知る方法もない」
涙で目は腫れ、
机は涙で濡れている。
スフィアは女将の方に向く。
そして声にならない声で話しかける。
「魔族であっても、そのまま愛してくれると信じていたの。
だから、返事はせずに魔族であることだけを伝えてしまった。
でも、それで彼を……」
「ただ追い詰めてしまったのかもしれない」
スフィアは頭を落とし、下を向く。
大粒の涙はカウンターにぽろぽろと落としながら呟きはじめた。
「私は……ライルに……」
「魔族であることを伝えて、私の想いを伝えれなかった!!!」
カウンターに突っ伏す。
顔がどうなっているのかは誰にもわからない。
声だけが店の中に響く。
「とっても笑顔が可愛くて」
「いつも横にいてくれて」
「辛いことがあっても、時には私を笑わせてくれた」
「初めてのプレゼントは恥ずかしそうに渡してくれた」
「初めて手をつないだ時は照れて違う方向を向いていた」
「孤独な日々の太陽となってくれた」
「なのに......どうして......」
「どうして彼が......人間なの?」
その様子を女将は何も言わず黙ってみている。
「恥ずかしがっているところも」
「笑顔も」
「話す言葉も」
「魔族と変わらないというのに」
「魔族と人間は何が違うのかしら......」
涙声でほとんど何を言っているのかわからない。
そして誰にも聞こえない声で呟く。
私はあなたが大好きなの。
種族なんてどうでもいい。
だから……一緒に。
部屋には嗚咽だけが広がる。
女将はおしぼりをそっとスフィアの横に置いた。