11月28日 日本酒「煌」 【10日目】
女将は黙って魚を焼き、料理を作っている。
が、料理を出す気配はない。
カウンターの上には青い手帳が開かれたままおかれているが、
よく見ると日付だけが書かれたまま空白になっている。
そして一人の男が、顔を真っ赤にしながらおちょこを握りしめていた。
ラベルには「煌」と書いていた。
一升瓶を傾け、おちょこの中に入れる。
「女将さん」
急に男が口を開いた。
それに驚くことなく、女将は答える。
「ライルさん、どうかしましたか?」
「俺は……どうしたらいいのだろうか」
「……」
消えるような声で尋ね、女将は沈黙で答える。
再び店の中が静かになる。
女将の回答を求めているのか、
ただ今の状況を整理したいのか、
何も意図はないのか、
誰も知ることはできないが、
ライルは一人で呟き始めた。
「とっても笑顔が素敵だった」
「いつも横にいて笑ってくれた」
「辛いことがあっても、励ましてくれた」
「初めてのプレゼントも泣いて喜んでくれた」
「初めて手をつないだ時は、顔を赤らめていた」
「憂鬱な日々の光となってくれた」
「なのに……どうして……」
ライルは一粒の涙を机にこぼす。
「どうして彼女が……魔族なんだ……」
目の涙を拭き、酒を一気に飲み干す。
そして、再びおちょこに酒を注いだ。
「俺は日々何をしている?」
「向かってきた魔族と戦ってきた」
「自分の国を守るため」
「大切な人を守るため」
「仲間を助けるため」
「必死に魔族と戦って来た」
おちょこに残った酒を少し揺らす。
その水面を虚ろな目で眺めている。
「魔族は敵だと小さいころから習い」
「魔族は見た目が恐ろしいと聞き」
「魔族は人間を食べると言い伝えられ」
「魔族が自分たちの世界を滅ぼすと今でも言われている」
「そしてこれまで信じてやってきた」
目に溜まった涙をぽたぽたと流しながら続ける。
「実際に魔族と話したらどうだった?」
「見た目もほとんど変わらない」
「声も背丈も変わらない」
「好きな食べ物も変わらない」
「照れ隠しのように笑うところも変わらない」
「涙を流すところも変わらない」
「話す言葉も変わらない」
「手をつなぐときに恥ずかしがるのも変わらない」
「人間と魔族は何が違うんだ?」
おちょこを持つ。
それを飲み、新しく注いだ。
「俺は……どうしたらいいんだ?」
「国を、仲間を守るため、魔族は倒し続けるのか?」
「それとも、彼女を信じて戦うのをやめるのか?」
ライルは女将の方をしっかり見て話す。
「女将さん、俺はどうしたらいい?
何が正解かわからない。
どう動けばいいかもわからない
でも、彼女との期日はすぐそこなんだ」
目に涙をためて、必死の思いで話していた。
ただ、それを聞いていた女将はいつもと何一つ変えずに答える。
「ライルさん。それはあなたが決めることですよ」
「それはわかっている。でも……」
何か答えようとするが、言い淀む。
「確かに、私から何かをお伝えすることは可能です。
でも、それで決めた決断に対してあなたは自信を持てますか?」
「……」
ライルは沈黙する。
「何かに苦しい、辛い時に相談するのはとても良いことだと思います。
でも何かを決断する時は、どれだけ多くの時間がかかろうとも、
自分自身で決断しなければなりません」
女将はライルの目をしっかり見て答える。
ライルはその目線から目をそらし、呟く。
「俺は……女将さんのように強い人間ではないんだ。
背中を押されないと、何もできない人間もいるってことだよ」
「もちろん、そういう人もいると思います」
料理の仕込みを続けつつ、女将は答えた。
「でも、ライルさんはそういう人ではないと思いますけど」
「どうしてそう思うんだ?」
「戦争で敵の子供を可哀想だからといって、普通は勝手に助けたりはしないんですよ」
「……」
女将の言葉に何も答えられなかった。
「だから私は、ライルさんには自分で考えて、自分で決めて欲しいと思っています。
後悔しない道を選ぶことを願って」
ニコッとしてライルの方を見る。
ライルその言葉を聞いて、立ち上がる。
「今日は……帰るよ。お勘定を」
「はい」
女将はライルの前に置いてあったボトルを持つ。
「これ、どうします?今日開けたのに、ほとんど残っていませんが」
「そんな飲んだのか……いや、置いといて。次も飲みに来る約束として」
「わかりました。是非このお酒を飲みに来てくださいね」
「あぁ。もちろん」
女将はライルの日本酒に白い紐を取り付けた。
ライルはお金を女将に渡して、扉から帰っていた。