終わりと始まり
『就職することになりました。このアカウントは残しておりますが、もうWBXにはほとんど潜らなくなると思います。実質的な引退です。絡んでくれた方、いままでありがとうございました』
呟きを投稿して、ログアウトする。SNSは絶った。
「本当に良かったの?」
香奈子が俺の肩に手を置いて囁くように言った。元々、背が俺と同じくらいあるのに病弱で一回りは小さく見えた香奈子は、最近とみに痩せてきていて痛々しいほどだ。無理が祟ったのだ。
「いいんだ。いままでほったらかしにして悪かった」
香奈子とは幼稚園の頃からの付き合いだ。いわゆる幼馴染で、気づいた時には交際していた。就職が決まって、同時に結婚した。
ただ、俺は職場の空気に馴染めなかった。中軽度な鬱。診断された時には既に退職届を出していた。勤続6ヶ月。初ボーナスで衝動買いしたVRセットで、VRMMOのWBXを始めてみたのは、一日中何も動けなかった俺をみかねて、香奈子が勧めてくれたからだ。
俺には、人並み以上の時間があった。そしてどうやら才能も。MMOでは、費やした時間がプレイヤーのランクに如実に現れる。一日の大半をゲームに費やした俺が、一躍中堅プレイヤーになったのは半ば自然なことだった。
「こうちゃん。元気になったのは嬉しいんだけど……」
香奈子は寂しがりやだった。そんなこと、幼馴染だから俺には重々分かりきっていた。
なのに、幼馴染の長い付き合いでか、俺からは一緒にいることにも特別な感情が消えていた。夫婦であることに意味がなくなっていたと思う。
ヒモと化していた俺は、罪悪感から目を背けるためにも益々ゲームにのめり込んでしまった。──香奈子が倒れるまでは。
「有給も溜まってるし、ゆっくり休ませてもらうよ。だからすぐ良くなるよ」
病室で気丈に笑う香奈子を見て、俺は深く反省した。
「ごめん。今まで無理をさせて」
ハローワークに行って、紹介された警備員の仕事はそれなりに給与があったけれど、夜勤と日勤の入り混じるハードワークで、とても時間が作れそうになかった。
「わたしのせいで無理させて、ごめんね」
「香奈子のせいじゃないし、俺がいままでちゃんとしてなかった分、今度は香奈子がラクをする番だ」
香奈子の勤め先はホワイト企業だった。はじめは時短勤務やテレワーク中心で、徐々に慣らしていこう。そう言われたらしい。香奈子は申し訳なさそうにしていた。
「せっかくだから、何か趣味を作ってみたらどう?」
香奈子にはあまり趣味がなかった。
「うん。考えてみるね」
夜勤に向かう俺の背中に、香奈子の細い声がかかった。
警備会社に入社して半年。
俺はやっと一週間の休暇を手に入れた。
「家でのんびりしようと思うんだ」
朝食の席で俺は香奈子にそう言った。
「それから、掃除とか。普段あんまり手がかけられないところを掃除しようかなって。エアコンとかね」
香奈子は目を丸くして、それから少し俯いた。どうやら何か隠し事をしているみたいだ。長い付き合いだ。俺には容易く察せられた。
「どうしたの?」
「ううん。なんでもない」
香奈子はブラウスの上からジャケットを羽織った。曰く、どうしても今日は出社しないといけないらしい。
俺の心配そうな目線に対して、香奈子は穏やかな表情を作った。
「大丈夫だよ。人生でいまが一番調子いいくらいだよ。知ってるでしょ?」
首を傾げる俺の唇に香奈子はキスをして、あまつさえ舌を入れてきて、
「昨日見たじゃない。わたしを、じっくりと」
「なっ……」
やり込めた、と香奈子にしては珍しく悪戯めいた笑みを浮かべていた。
「いってきます」
「気をつけてね」
香奈子を見送って、掃除やら洗濯やらこなす。普段は手の込んだ家事ができないから、こういう時は凝ってしまう。夕方までかかった。
「さて、と。飯の支度はできたし……っと」
炊飯器に入れた米が炊けるのは一時間後。その頃には豚ロースの解凍も終わるだろう。ほんの30分。手持ち無沙汰になった。
何の気なく部屋を見回すと、隅っこにヘッドセットが鎮座してあるのが目に入った。VRゲームの筐体。
「久しぶりにやってみようかな」
WBXの世界にダイブする。キャラメイクは俺そっくりの顔。体格まである程度コピーしている。たとえば、俺は身長が低くて男にしてはだいぶ痩せているけれども、コンプレックスを忘れるがために身長を20センチも上げて設定したとする。そうしたら、挙動のひとつひとつが想定よりぶれて、アクションに支障をきたしてしまう。
「……あれ? おかしいな」
ブランクは約七ヶ月。その間に何度かアップデートもあったことだろう。俺は見知らぬ街にいた。
「装備も変わってる……タキシード? 持ってたっけ?」
そしてプレイヤーメニューを開いてみて、ますます喫驚する。
「ら、ランクが上がってる……なんで?」
自問してみるけれど、答えは明らかだった。ヘッドセットを外してみる。ちょうどいいタイミングで、答えが目の前にいた。
「た、ただいま」
「おかえり……香奈子、俺のアカウントでWZGやってたの?」
香奈子が頬を赤らめて頷いた。
「何か趣味を持ったら、ってこうちゃん言ってたから」
「……それでゲームかぁ」
夕食のカツ丼をつつきながら、香奈子は泣きそうになっている。尋問したい訳じゃないし、そういう意図でカツ丼にした訳じゃない。
「怒ってる訳じゃないんだよ。ちっとも。ただちょっと意外だったってだけで。香奈子って、ほとんどゲームしたことないじゃん」
「そうなんだけどね」
香奈子はもじもじしていて、尚も何か隠しているような気配がしたけれど、ついに顔を上げて俺を真っ直ぐ見つめる。
「こうちゃんの姿で色々できるのが楽しくて、つい、ね。つい夢中になっちゃったの。生活リズムも合わなくて、わたしが仕事をしている時は隣の部屋で寝ているし。逆に……」
「香奈子が寝てる時は俺は警備員やってるからな。会わなくなったよな」
こくり、と香奈子は頷いた。
なるほど。寂しがりやの香奈子らしい。ゲームの俺を本物と見立てて寂しさを少しでも紛らわそうとしたらしい。ということは、タキシードは香奈子の趣味だ。
「かわいいな、香奈子」
「こうちゃん!」
「決めた。俺、WBX復帰するよ。……だから香奈子、最近の環境、どうなってるか教えてよ。そんで、香奈子も別にやめたりしないで、プレイしてていいからさ。二人でまったりやっていこうぜ」
香奈子の顔がぱっと華やいだ。
ゲーマーは二人で一人




