4. ハイドパーク 2
「雪の女王の資料なんて、ドラゥフトならすでに握ってんじゃない? 今頃新聞を読んでせせら笑ってるかもよ。『この人間、こんな間違いをやらかしている。パールの様に見えてはいても、あれは珍奇な水晶に他ならない』なんつってさ。伯爵夫人の証とかって、最後に使われたのがどれだけ昔のことだか知らないけど、どんだけ昔だとしても、アイツはなんでも知ってるんだから」
「ふふ」
メアリーアンは不敵に笑う。
「さすがのドラゥフトだとしても、知らなかったみたいねー」
背もたれのように利用していた大きな布の鞄から、大判の本が一冊取り出された。挟まれていたのは、ぱらりとページが自然に捲れるほどの、厚めの……気高く穢れなき純白の――封筒。
封蝋など見ずとも、ルークにはわかる。だから思わず口から出ていた。その白さの種類は、他の白とはまるで異なる。
「なんだこりゃ、マジか。うげ。本物。ばっかじゃないの、あの」
間。
「怪盗」
不自然だっただろうか、どうだろう。そう気付いてしまえば、メアリーアンの顔を見ることができない。ここで見得を切り張れるほどに、場数を踏んではいないのだ。
「ルークって――」
「え、なに?」
「ドラゥフトについて詳しい? もしかして」
え、そっち?
「えぇ? どーしてさ」
「だって今すぐにこれを『本物』と認めたでしょ? 私、あなたなら絶対にニセモノだと言って笑い飛ばすと思っていたわ」
それか。それが正しいルートだったのか。話を頭から茶化し、鼻で笑い続ける。けれど今それがわかったからと言って、やり直せるものではない。
ルークは知恵を絞り(こんなことでとは情けない)、探りながら話し始める。
「日々楽しみの薄い学校じゃ話題にのぼりやすいんだよ、この手の犯罪は。タイクツな生活中に分析してみたことだってあるし、嫌でも詳しくなる」
「確かに男の子の好きそうな話題かしら。怪盗に夢をみてしまって、将来は弟子入りするなんて言う子がいたりして?」
「いたね。ま、奴の鈍さじゃ、まぁ無理だ」
現場に参加した場合などは考えるのも恐ろしく、ルークは奴を投げ出した。ネコの手の方がまだ役に立つと、ドラゥフトだってきっと同じことを思うはず。
「ルークはいつもお友達に手厳しいわね。私は少し心配かな。常にリーダー気質であるのもかっこいいけれど、手助けの余裕も、また違うかっこよさがあるものよ?」
「んなこと言ったって限度があるだろ。メアリーは知ることもないだろうけど、スティーヴって奴は――と、こんな話をしていたんじゃない。ドラゥフトのことだ」
「えぇ。もうすぐ会えるわ」
いや、それはない。晴ればれと言い切った彼女と同じくらい、ルークは心の中で自信にあふれて返していた。
うきうきと弾むような声、その調子ときたらデビュタント前の娘が始めてのその夜を楽しみにするような有様だ。低い唸りが体内で渦を巻いている。なんといっても打ち砕かれる未来を知っているのだ、自分は。
腹が立つ。けれど感情に名を付けているよりも、いったいなぜにこんな展開になっているのか。当然、それを確かめるべきだろう。
「そもそもだけど。なんであんなものを捕まえたいのか聞かせてよ。実は賞金でもかかっているとか? エリオットさんの反応を見るに、新聞絡みではないんだろうし」
まさかのここでの売り上げのため、ではないことならば語られている。そして、メアリーアンという娘、過去から未来にかけてまで、金に執着する生ではないことも知られた事実。
「彼に訊きたいことがあるのよ、私」
「なにを」
「秘密よ」
にっこりと笑い、きっぱりと。どこかしら自慢気に聴こえるのは、それはそれは大層な事情が隠されていることを明確に示している。
それを秘密にしたままで? 相棒に誘うとは図々しすぎるんじゃないか?
ルークはしばらく不機嫌な顔を続けていたが、そのうちになんの効果ももたらさないと悟り、それを引っ込めた心持ちは、心底不機嫌なものだった。
寄宿舎生活で培ってきた自制心をフルに発揮し、平板な声で言う。
「いつだって?」
「なにが?」
「いつ来るって言ってんだよ、そのマヌケは」
言ってから気がついた。腹を立てているのは、こちらにもだ。マヌケもほどほどにしてくれ、と思う。
大怪盗ドラゥフト。アホな罠にはまってるなよ……。
一度しまったアホのカードを、メアリーアンはまた例の本を開いて差し出した。渋々とルークはそれを受け取り、嫌々中を開いて目を落とす。
特徴的にデコラクティヴな描き文字が、最高級品質の白い紙を埋めていた。微かというには主張の強い香りが漂う。これは、沈丁花か。
横からメアリーアンの指が伸びてきた。特徴的にオーナメンタルな文章の中ほどを指し示し、
「次の金曜の午後よ。ここに書いてあるわ。今回のこの件はフレディには内緒なの。ルーク、お願いね」
「なにを内緒に? ドラゥフトを捕まえる計画を立ててるってこと? これが彼への罠だってこと? ローダーディルのお宝が盗まれるところだってこと?」
「ことごとく全部が秘密。一つでも知ったらきっと何もかも突き止めるもの」
「エリオットに謹慎を命じられてるってことは?」
「それもみんなよ。ことごとくって言ったじゃない」
「バレないわけないのに」
「たまには彼だって見過ごしてしまう。そういうこともあるかもしれないわよ」
いやぁ、それは無理だろう。
言っても良かったのだが、君がそう信じたいのなら、とルークは情け深くも思いやりを示して差し上げた。願うよりもこの場合、むしろ祈りに近づけた方が良さそうだ。
結果の歴然さゆえに考えることを避けているのだろうが、経験からしてみれば、フレディに内緒だの秘密だのが通し果せるはずなどないのに。
そして、バレたあかつきにはひどく叱られてしまうというのに、ある意味、彼女は見事なチャレンジャーだと言える。
真似したくないなぁ、と、しみじみ思う。そんな立場は嫌だなぁ、とも。
「一応だけど言うけどさ」
「止める気でしょう」
「当たり前だよ。やめな、無理だって。あいつはね、さすがにドラゥフトなんだよ。誰にも捕まらない。名前のとおり」
「それではあなたも名前のとおり、ルーク。真っ直ぐがんばってね」
「その言葉に差し替えるなよ。メアリーこそ、名前が二重に泣き出すよ」
「名前なんて、泣かせておけばいいわ。目的のためなら何を捨てても構わないのよ」
「目的って?」
「一般論よ」
周り中の一般を乱暴に引っ張って、自分の方に招き寄せている。渦の真ん中でメアリーアンは、どうしてそこまで自信にあふれていられるものだろう。
説得はできないわ、聞き出しも失敗だわ、撥ね退けきれない、自分のこの弱さはなんなんだよ?
渦潮のかなり中心に位置し、ルークは息をついていた。
結局はいつだって付き合ってしまう。こんな娘のこんな計画、勢いだけだと知っているのに。時折見せる思慮深さと、跳ね返ったような短絡思考。
それが女というものですかね、と、ここはルークも一般論に埋もれてみる。
できる限りは事態の混乱を避けたいものだ。がしかし、この段階ですでにわからなくなっていることがある。
――自分が最も避けたい事態とは『どれ』だろう?