3. ハイドパーク
「エリオットから本当に仕事禁止の処分をいただいたわ」
表情は憮然と、声は硬く尖っている。待ち合わせた時間よりも相当早くからその場所にいたらしく、メアリーアンのまわりにはさらなる分け前を求めるリスが群がっていた。
動物使いかよ……。そう思いながらも、ルークは芝生を静かに踏んで近づいたのだ。人間に慣れたリスは、威嚇しなければ逃げはしない。
隣に座ると、そのリスたちにするのと同じように、ルークの手にもクッキーがのせられた。
「いったいどれくらい前からここにいるの?」
「お昼過ぎから。エリオットに社を追い出されて、その足でハムステッドまで行って、クリスに結婚を勧めてみたんだけど――記事が本当のことになればいいと思って――、伯爵様、眠ったのが朝日が出てからだとかで、応えてくれるは寝息ばかりなんて状況よ。どう考えても、望み薄だわ」
「まともに目が覚めているときにぶつけても、そんな提案にはそんな返答なんだろ? 最愛の従妹殿が涙ながらに訴えたって」
「エリオットになんて言われたと思う? その手のゴシップ記事を書きたいんなら、勤め先を紹介する、ですって。推薦状は大いに飾り立ててくれるそうよ」
世間は激しく誤解したらしい。おそらくローダーディルのキッチンでもらってきたのであろう美味なるクッキーを噛みながら、まぁそうだろうな、とルークは考えた。
現在、あの家の伯爵は、当世社交界の看板だ。一挙手一投足にストーリーが山と作られているらしい。離れて聞いている分にはどんなだ? と思っていたが、目の当たりにすれば肯ける部分が確かにあった。
容貌。お血筋。キャラクター。非の打ちどころまでも兼ね揃えた、とっておきの話題提供者なのである。
新聞社で職に就いているが(反語表現になるのはおかしなことなのだが)、メアリーアンはその伯爵にとっては伯父の娘、つまりは従妹にあたり、はちゃめちゃに(とルークは感じたことがあった)甘やかされている。
他に兄弟もない彼にとって、年も近い彼女は唯一にして格好の対象であるらしい。
公園の芝生に直に座りこみ、中流中産階級の服がなじんでいてもリスに頬を蹴られていても、彼女は自身も肩書きは男爵家のご令嬢なのだ。
人は見た目ではわからないことばかりだ。見る側の目を養わなくてはね、と頭の上で遊ぶリスを跳ねのけ、ルークは思っていた。
「そういう意味での社交界のゴシップの入手なら、そりゃメアリーはお手の物だよな。いっそのことちょっと荒稼いてみたらいいんじゃない?」
「友達を失くして、書くことも失くすまでに、どれくらい稼げるか疑問なのよ」
「瞬時に具体的に答えるなよなー。何度か考えたことでもあるのかと思うよ。シティニュースの仕事を辞めたいわけじゃないだろ?」
「まさか。そもそも私はね、そんなに外した仕事をしたつもりはないのよ。考えてみて。ドラゥフトが狙うのは、今輝いている家ばかりだもの。追いかけているものは、すっかり私と同じじゃない。だから、とっても社交欄なのに」
「本気? それ、そのままエリオットにも言ったの?」
「三十年くらい経って、ほとぼりがさめたら本当のことだって白状するわよ」
「本当の話は別にあるんだ?」
「今言ったでしょ。怪盗ドラゥフトを捕まえるのよ」
「あぁ?」
どこの言葉がそんな意味を醸していたのか見当たらない。
「だから、仕事停止の処分は実はちょうどいいの。罠は張ったわ。あとは獲物が来るのを待つばかりよ」
獲物。その言葉の指し示すものは。
やっとのことでのみ込んで、ルークはリスも逃げ出す大声を出す。
「はぁ? 獲物ってメアリー、あんた、ドラゥフトを捕まえる気なわけ! 何をどう考えたらそんなところにたどり着くんだよ? 本気、って言うか、正気か?」
「よくそこまで言うわね……」
「それも伯爵家の至宝を囮に使ってさ。もし本当に奪われちゃったら、どう責任を取るつもり?」
眩暈がしそうだ。もし本当に? 何を言っているんだか。まず確実に失われることの決定されたものじゃないか。
「大丈夫。絶対に盗まれないわ。ちゃんとメレディスと相談をして、手はうってあるもの」
メレディス。ローダーデイル家の執事の名だ。彼について記すのならば、
1.有能であること
2.仕えて三代目。主人よりいくらか上なだけ。まだ青年と言ってもいいであること
3.なかなかに茶目っ気のあること
4.主人の命それだけではなく、メアリーには甘いこと
きっとクッキーも彼が包んでくれたのだろう。
「ドラゥフトはどんな場所からだって盗み出すと聞いてるよ。だから、そう名乗っている」
「えぇ、わかってる。だからね、元々が嘘なのね。パールに固執するドラゥフトの性質踏まえて、とことんの罠なのよ。雪の女王には、実はパールは使われていないの。ふふふ。白い石は水晶の変種だし、ファーストの地位にあるルビーは相当の品物だけれど、怪盗さんにはそれは意味のない石でしょ? だから、万が一本物が盗まれちゃったとしても、返してよこすと考えて」
「ということは、ダミーも用意してるんだ」
「もちろん。ダミーにダミーにダミーまで四段階。メレディスはいつでも、完璧よ」
「気の毒に……」
失敗したら首がとぶのではないのか? 幾度か接触したメレディス氏のソフトな対応を思い出せば、ルークは年に似合わぬ嘆かわしい気持ちを抱くのだった。
石の価値の問題ではない。貴族の家の常として、醜聞は厭うものではないのか。
こんな娘のこんな計画に、なぜ力を添えたりするのかわからない。それほどの間抜けだとはとても思えはしない、まさか伯爵家の執事ともあろうものが、片手が落ちていて勤まるものか。
なのに。
『完璧』に、傷が入ってるよ、メレディスさん。
「伯爵はもちろん知っているんだよな、その計画のことは。まさか隠して進めているとか……」
「えぇ、お耳には入れて差し上げたわ。ちゃんとね」
今日のように寝ているお耳にでも話してきたのだろう。そんなことで自分の罪悪感をごまかしている。欺瞞でしかない。
しかしすべてが知れたところで、伯爵は大して怒りもしないような気がする。例え最悪、本当にドラゥフトに奪い去られてしまったとしても、予定のない奥方の宝石になど興味は薄そうだ。
宝石? ナニソレ? とまではいかなくとも、近いものはある。あらかじめあふれた人生をおくる者にしてみれば、一般的な価値なんぞは問題にならないものなのだろう。
手にしていることすら把握していただけているか怪しいものだ。『あの』伯爵様の場合なので特に思う。