21.メリルボーン終
親愛なる娘 メアリーアンに
あなたに伝えるべき倖せを、お母様は他の方に贈ってしまいました。
ごめんなさい。きっとあなたの髪によく似合ったはずだと思い、今では後悔もしているわ。
けれどお父様に出会い、あなたという娘を授かることになる幸せは、十七の私には
考え及ばない未来でした。許してちょうだいね。
あなたがこの手紙を読む頃には、彼が素晴らしい怪盗に成長していることを願っています。
石は必要としている人間を選ぶのよ。倖せがあなたの元に戻っていないことを祈ってしまうわ。
逢えて嬉しいわ、メアリーアン。
倖せの石を身につけようとこの箱を開けたのだから、あなたは今、幸せなのね。
常に想いが共にあることを、こうして私にも会えることを、忘れずにいてください。
そしてもしその日が来たなら、あなたの娘にも私からの謝意を伝えてね。
ロザリンド
ロザリンド……。
フレディは言葉にし難い感慨に包まれた。彼女の想いにも、そしてそれが一息に、時間を飛び越えたことにも驚きや――感嘆を覚える。
こんな出来事を奇蹟というのだ。死してもなお、想いは褪せずに残り続ける。記された紙は時の洗礼を受けようと、残るべき言葉は残るのだ。
あまりに過去の彼女に傾いていたために、側に聞こえる声を不思議に感じた。残された言葉が音を持つ。母と娘は声も似ているに違いない。
常に想いが共にあることを忘れずに。
「何があったのか知りたいという気持ちと、ドラゥフトがお母様のことを覚えているなら、話をしたいという気持ちも。その時のお母様のことを知っているのは、彼だけなんだもの。知るためには彼を捕まえるしかないと思ったの。きちんと話をしたかったわ。覚えていることを全部、教えて欲しかった。それにね」
少しうつむいて、メアリーアンは小声で付け足す。
「それに、お母様が贈ったものを返してほしいとは言えないけれど、一晩だけ貸していただけないかしら、とも思ったのよ」
「事情はよくわかったけれど。ヤードもマントの切れ端すら手に入れられない怪盗をたった一人で捕まえようとする計画を、無謀すぎるとは思わなかった? 始めたときはともかくとしても、途中で一度でも」
「始めたときにもちゃんと思ったわ。だけど」
小首を傾げて言葉を探す。けれど、それほどのものは現れなかった。
「なんだか、できそうな気がしたの」
「どこから来るんだ……。その過信は」
「本当ね。でもどうしてだか、手が届きそうな気がしたのよ。不思議ね。お母様とは特別に交流があったのだから、娘の私も特別に扱ってもらえると思ったのかもしれないわ」
そしてそれは、実際にそうであったわけなのだが。
メアリーアンは、口を閉ざした。何がそうさせたのか、これもまたわからないことだ。夜の記憶を早々に閉ざす。彼女は目の前の彼を見上げた。
「ごめんなさい、フレディ。私のせいで予定を潰してしまって。あなたもクリス達と出かけて良かったのよ」
「休暇としてはここにいるのも悪くはないよ。君はおとなしくしているし」
椅子の上に置いたきり忘れたようになっていた本を、フレディは手に取った。そしてその椅子に座ると、気のすすまないような、言うならば寂しげにも聞こえる口調で言う。
「少し、寛大な気持ちだから」
「あら」
「今は」
「期間が決まっているのね」
「まぁ、しばらくの間だね」
ライヴァル・ルークを思って、加えて、自分のために飾ろうとしてくれたと事情を知れば寛大にもなる。
彼は本に目を落とし、メアリーアンは窓に目を移した。手前の花瓶にはクレマチスがあふれんばかりに生けてある。
早朝、玄関の前に置かれていたもの。添えられたカード、これはクリストファーには渡さない。私の本に、綴じなくてはいけない。思い出に。
窓の向こうには昼下がりの、夏が満載の町がある。屋根の上に、人などいない。いたとしても。
今の私には、とても捕まえられないわ。膝に指を置くだけで、足先に痛みが走る。
また、窓を越えて会いに来てくれるかしら。そして話を聞かせてくれるかしら。あなたが知っている母の話と、私に残された母の話。
すべては埋もれた時間、……過去のもの。うねる歴史の河に飲み込まれ、消えゆく運命の一瞬間。けれど私たちが出会うその時だけは、零れて見える気がするの。
ドラゥフト。
颯爽とマントをはらい、月の光に指輪を輝かせる。その名に相応しく、影も道を開くようだった。まとう空気が邪魔を許さない、風そのもの。
玲瓏な。怜悧な。
風はすき間を抜けるのではなく、すべては彼を敬しているのよ――
はらりと、フレディの手に風が起こされていた。日に焼けてしまったページが、済んでしまった方へと沈む。
また一枚、見ている間に。
睡眠は足りているはずなのに、瞼が重たくなってきた。本から離れ、自分を見てくれているフレディと目が合う。
最後に見たのがあなたの顔なら、そのまま側にいてくれるのなら、夢の中でも逢えそうね。
目が覚めたら、昨晩起きたことのすべてを話すのだとわかっていた。黙ったままではいられない。けれど、もう少しの間だけ、――秘密。
絵の中の少女は、まだ私を知らない。ロザリンド。私もきっと。あんな風に風が吹いたなら。ね、お母様。
そうだわ。あなた、私のお母様なのよ……
夢うつつでメアリーアンは、とりとめもなく考え続けた。
来年の今頃。また、ネックレスを持って現れてくれないかしら。どうしても。ミモザのドレスに、あのパールをつけたいの。この季節でなくてはだめなのよ。
今度は新聞を正しく利用して、伝言欄に載せてみるのはどうかしら。
『DJr.へ 求む 倖 Rの娘』
完




