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16.グロスタープレイス2


 真っ直ぐ自室へと向かうつもりだったのだが、耳がとらえた微かな音が気になった。居間で、誰かが起きている。父なら質したいことがある。


 母なら愚痴りたいところ。しかし、中にはおそらく。


「出かけたよ、二人とも」

 

 大きな背もたれの向こう側から、フレディの声がした。気はすすまなかったが、ルークは居間にと足を踏み入れた。


 身を包んだ白い煙の匂いを嗅ぎ、これ以上は無理というくらいに眉をしかめ、ソファのすぐ横、小テーブルの上に載ったガラス瓶の形を目にすると、たまらず叫び声を上げてしまった。


「! いいのかよ、こんなん持ち出して」


 深い藍の色の瓶。秘蔵も秘蔵の古酒だと聞いている。誰から? と言うのなら、それは父親からなのだ。そして白い煙の正体。そちらも稀なる葉巻ではないか。


「どうしても最後はあの人が悪いというところに落ち着くんだ。だから」


「だから。って」


「わかるような所に置いておく方が悪い」


 きっぱりと。その言い方には身を引かせる何かがあった。ルークは思う。常に暴れている人間よりも、ふだんは温厚な気質の方がよほど恐ろしいとの説は事実らしい。


 もっともフレディに温厚という表現を使うことは、年々難しくなりつつあるのだが。


 アーサー、つまり父は怒らないだろうという確信があった。基本的には優位に立ちながら、随所で負けている複雑な仲。


 父には妻であるメグ、フレディには叔母である彼女を間に挟み、彼らは過去に起きたナニゴトかに端を発するナニゴトかにより互いを縛りあっているらしい。


 あまり深く知らない方が楽そうな、すでに史実。


 葉巻を吸う彼は珍しかった。だから彼を遠くに感じ、さらに自分を小さく感じてしまったのかもしれない。年齢。それがすべてではない。


 けれどもしもの話――だとしても、ありえない、のかもしれない。


 この男が。この男が。


 颯爽と現れ華麗に助けなくてもいい。失敗して転げ落ちた穴の中で、笑い合うことのできる男。望むときに彼女に触れることが許されている、彼女の両手を手にする男。


 対して憎しみは生まれなかった。憎むとしたなら、運命とやらを。メアリーアンの顔を思えば、覆す気概など湧いては来ない。彼女にはこの人間が必要なのだと充分に知ってしまった。


 世の横恋慕の気がしれない。それは不可能なことなのに。


「驚いたよ。着る物ひとつで、ずいぶんと大人に見えるものだね」


「見えたところで意味なんかないよ。わかってるんだ、そんなことは」


 フレディが何かを言う前に、ルークはテーブルに近づくと無邪気な子供のように瓶を持ち上げ、中を覗き込んだ。


「オトナついでに、一杯飲ませてよ」


 ランプの光がガラスと液体に、ふざけた様に反射しまくっている。


「初めてじゃないならいいよ。初回の責任は負いたくない」


「初めてなんてわけないじゃん」


 フレディは怪しむ素振りを隠そうともせず、けれど伏せられていた新しいグラスを起こしてくれた。良い酒のために良い硝子を出している。深い翠のヴェネツィアン。


 酒は聞いていたように苦くはなく、聞いていたように甘くはなかった。どちらも上手に語れてはいない。


――すべては自分の経験なのさ。ここでもそんな言葉は利いている。


「まぁったく」


 酒が口を開かせる。それは考えていたよりもカッコ悪くなどはなく、心地好い解放に満たされる感覚だった。


 滑らかに口が動いている。滑らかすぎるほどで、考える方が追いつかないように思える。本当に言ってしまいたいことなのか? 


 止め処なく、とはこんな状態。止める術などないわけだ。


「まったく、人が忙しくしてる間にさー。メアリーアンはまだまだ子供だったし、オレは精神的には同等なつもりだったんだけどッ」


 がちゃんと派手な音を立てて、グラスは瓶にぶつかった。フレディはそれとなく(なくもないか)、瓶を遠ざける。少し傾けて残量などを確認もした。


 解放ではない、忘却の効を狙っていた彼の酒は、役目を果たす前に底をつきそうな予感がする。


「まったくね。精神がと言うなら君の方がずっと大人だと思うよ。特に今の状態では」


「特にじゃなくたってそうだったんだぜ。フレディがいろいろと吹き込むから、だんだんおとなしくなっていったってことで」


「おとなしくなっていった……」


「と、言えるとこだってあるだろ? 時には。あるいは。たまには」


 思い出せないこともない。時にはもあるいはもたまにはも。けれどそれが正しいことであったのか、今はわからなくなっている。


「君の言うとおり、それがあの人だということなんだろう。でも僕は煩く言うから、……でも言わないとね。誰かが止めないと、どこにでも飛んで行ってしまう」


「いつも隣に置いておきたいわけだよね」


「物理的には不可能なんだけど」


「誰か物理の話を始めたか? ヤメロよ、フレディ。色恋に計算を持ち込むのは」


「持ち込んでない。持ち込みたかったのに。そんなものが通用しないことは重々――」


「かわいそうにねぇ」


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